トミー (ロンドン交響楽団のアルバム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Tommy as performed by London Symphony Orchestra and English Chamber Choir with Guest Soloists
ロンドン交響楽団スタジオ・アルバム
リリース
録音 1972年4月-9月
イングランドの旗ロンドンオリンピック・スタジオ
ジャンル 管弦楽曲
時間
レーベル オデ・レコード
プロデュース ルー・ライズナー
ゴールドディスク
プラチナ・ディスク
テンプレートを表示

Tommy as performed by London Symphony Orchestra and English Chamber Choir with Guest Soloistsは、ロンドン交響楽団イギリス室内合唱団英語版が1972年に発表したアルバム。イングランドロックバンドザ・フーが1969年に発表したアルバム『トミー』の管弦楽団版。ザ・フーのメンバー、リンゴ・スターロッド・スチュワートらのロック・ミュージシャンが独唱者として客演した。

解説[編集]

経緯[編集]

ザ・フーの『トミー』は、父親が殺人を犯すのを目撃した少年トミーが自ら三重苦になって内なる世界に閉じこもって成長していく、という架空の物語を描いた2枚組アルバムだった。この作品はメンバーでギタリスト兼ヴォーカリストのピート・タウンゼントがインドの導師メヘル・バーバーの教えに強い影響を受けて書いたもの[注釈 1]で、4人のメンバーがトミーと彼を取り巻く様々な人々の役を担って代わる代わる歌う[注釈 2]という構成を採った。『トミー』は高い評価を得てイギリスとアメリカのアルバム・チャートでそれぞれ最高位2位と4位を記録しただけでなく、メンバーが作品の渾名に使っていた「ロック・オペラ」という言葉[注釈 3]ポピュラー音楽の形式の一つの名称として使われるきっかけをつくった[注釈 4]

大きな話題を提供した『トミー』には映画化の話が起こったほか、バレエ版や舞台版がザ・フーから独立した形で制作された[1][2][注釈 5]。そして1971年11月、マーキュリー・レコードのヨーロッパ事業責任者だったレコード・プロデューサーのルー・ライズナー英語版[注釈 6][3]が、タウンゼントに『トミー』の管弦楽団版を制作することを提案した[4]

1972年4月、ロンドンのオリンピック・スタジオでキース・グラント[5]をエンジニアに迎えて、ライズナーのプロデュースの下に録音が始まった[6]デヴィッド・ミーシャム英語版がロンドン交響楽団の指揮を務めた。最初の編曲版にはドラムスやベース・ギターが含まれていたが、グラントの努力にもかかわらず録音がうまく行かなかったので、ライズナーはウィル・マローンにオーケストラだけの為の編曲を依頼した[注釈 7][7]

ザ・フーの4人のメンバーのうち3人が独唱者として参加。タウンゼントは編曲には一切関与せずにナレータ―に専念した[注釈 8]。リード・ヴォーカリストのロジャー・ダルトリーがトミー[注釈 9]、ベーシスト兼ヴォーカリストのジョン・エントウィッスルが従兄弟のケヴィンの役だった[注釈 10]。その他、元ビートルズのリンゴ・スター、当時フェイセズのメンバーでライズナーのプロデュースによってソロ・アルバムを2作発表していたロッド・スチュワート、トラフィックのメンバーで以前ブラインド・フェイスにも在籍したスティーヴ・ウィンウッド、俳優で歌手でもあるリチャード・ハリスなどが独唱者として客演した[注釈 11][7]

イギリス室内合唱団と独唱者のダビングを含めて、録音は10月に終了した。ライズナーの企画は綿密な計画立案に1年、スタジオでの作業に8か月を費やし、プロデューサーのルー・アドラー英語版から60,000イギリス・ポンドの資金援助を受けて完成した。アルバムはアドラーが設立したオデ・レコード英語版から年内に発表された[注釈 12][7]

内容[編集]

あらすじ[編集]

第一次世界大戦の末期、トミーは父親がいない家庭に生まれた。父親のウォーカー大佐は戦地で消息不明になり、死亡したと考えられていた。しかし大佐は突然帰宅して妻が他の男と一緒にいるのを見つけ、逆上のあまり、トミーの目の前で男を殺してしまった。トミーはこの暴力的な場面に衝撃を受け、さらに両親から「お前は聞いていないし見てもいない。たった一言も絶対に聞いていない。知っている真実を誰にも言ってはいけない」と主張され強要されたので、外の世界に対して目を閉じ耳と口を塞いで三重苦になってしまった。

トミーは自分の内なる心の世界の中だけで成長していった。「病気は心を普段は行けない場所に連れて行ってくれる。さあ、この素晴らしい旅行に参加して必要な事を全て学んでおいで」。彼は「俺より意地悪な遊び友達はいないぜ」という従兄弟のケヴィン、治してあげようと約束するジプシーの女、「俺がいくら弄んでもお前には俺が見えないし聞こえないのさ」という好色で悪賢い叔父のアーニーなどに象徴される邪悪が満ち溢れる外の世界には無関心なままだった。

トミーはピンボールをすること、鏡の前に立ってそこに映る自分の姿をうっとりと見つめること、という二つの行為に集中することだけに満足しているようだった。彼の内なる世界はさらに大きくなっていった。両親が「この子を治してくれる」と期待した医師は彼が正常であると診断した。彼の検査結果は全て正常で、医師は「希望は私にではなく彼にある」ことを見つけた。

罪の意識に苦しめられ取りつかれた両親は、自分達が引き起こしてしまった息子の病を何とかして治そうと空しい努力を続けた。しかし彼は相変わらず鏡に映る自分の姿にしか反応しないという有様だった。そしてピンボールをするという常識を逸脱した才能によって名声を得て、多くの追従者を集めた。

母親は自分の息子と意思の疎通を図ろうと、気持ちをいらだたせる試みを繰り返すうちに、従順さが萎え節度を失って遂に鏡を叩き壊してしまった。砕け散った鏡の破片がトミーの暗く静寂な世界を切り裂いた。彼は治った。そして治癒によって新しい教示を得た。彼は自分が新しい救い主であると信じた。「私は見えるものにしか魅了されないような性根が据わっていない連中なぞ相手にしない。私が触った者たちは今や私の弟子だ。神と崇めよ。私は光だ」。ピンボールの魔術師の奇跡の治療は、新聞の第一面を賑わせた。彼は自分の経験の暗黒と光を通り抜けて『福音伝道者』になった。彼の説教には大勢の聴衆が集まった。

トミーの『ホリデイ・キャンプ』は叔父のアーニーの管理の下で、彼の改宗者の修行の場になった。彼は改宗者一人ずつにピンボール・マシーンを与えて矯正を促した。しかし信者達は彼の権力と権威に反旗を翻した。「俺たちはやらないぞ。今までも、これからも。お前なんか見捨ててやる。潰してやる。忘れてやる。その方がましだ」。

トミーは再び外の世界から孤立した。しかし今や彼には、誰にも頼らずに外の世界に留まることも意のままだった。

— The Story of Tommy[8]

原作との違い[編集]

  • 鏡を母親に叩き壊されたトミーが伝道者として活動するくだりに相当する箇所の曲順が変更された。Smash The Mirrorの次がSensationに代わってI'm Freeになり、SensationMiracle Cureの次になった。
  • 原作の最終曲はWe're Not Gonna Take Itだったが、本作ではその後半部分がSee Me, Feel Me (Finale from 'We're Not Gonna Take It')として独立した。その結果、収録曲数が原作の24曲から25曲になった。
  • 原作のEyesight To The Blind (The Hawker)Pinball Wizardは、本作ではそれぞれEyesight To The BlindPin Ball Wizardに改題された。

収録曲[編集]

※作詞・作曲の記載がない曲はピート・タウンゼント作である。
LP
Ode 99001

Side One
#タイトル作詞・作曲Featuring時間
1.「Overture」 London Symphony Orchestra, Pete Townshend
2.「It's a Boy」 Sandy Denny
3.「1921」 Graham Bell, Steve Winwood, Maggie Bell, Roger Daltrey
4.「Amazing Journey」 Pete Townshend
5.「Sparks」 London Symphony Orchestra
6.「Eyesight to the Blind」Sonny Boy WilliamsonRichie Havens
7.「Christmas」 Steve Winwood, Roger Daltrey
合計時間:
Side Two
#タイトル作詞・作曲Featuring時間
1.「Cousin Kevin」John EntwistleJohn Entwistle
2.「The Acid Queen」 Merry Clayton
3.「Underture」 London Symphony Orchestra
4.「Do You Think It's Alright?」 Maggie Bell, Steve Winwood
5.「Fiddle About」John EntwistleRingo Star
6.「Pin Ball Wizard」 Rod Stewart
合計時間:
Side Three
#タイトル作詞・作曲Featuring時間
1.「There's A Doctor I've Found」 Steve Winwood
2.「Go To The Mirror!」 Richard Harris, Roger Daltrey, Steve Winwood
3.「Tommy Can You Hear Me?」 Maggie Bell
4.「Smash The Mirror」 Maggie Bell
5.「I'm Free」 Roger Daltrey
6.「Miracle Cure」 Chamber Choir
7.「Sensation」 Roger Daltrey
合計時間:
Side Four
#タイトル作詞・作曲Featuring時間
1.「Sally Simpson」 Pete Townshend
2.「Welcome」 Roger Daltrey
3.「Tommy's Holiday Camp」Keith MoonRingo Starr
4.「We're Not Gonna Take It」 Roger Daltrey
5.「See Me, Feel Me (Finale from 'We're Not Gonna Take It')」 Roger Daltrey
合計時間:

CD

#タイトル作詞・作曲Featuring時間
1.「Overture」 London Symphony Orchestra, Pete Townshend
2.「It's a Boy」 Sandy Denny
3.「1921」 Graham Bell, Steve Winwood, Maggie Bell, Roger Daltrey
4.「Amazing Journey」 Pete Townshend
5.「Sparks」 London Symphony Orchestra
6.「Eyesight to the Blind」Sonny Boy WilliamsonRichie Havens
7.「Christmas」 Steve Winwood, Roger Daltrey
8.「Cousin Kevin」John EntwistleJohn Entwistle
9.「The Acid Queen」 Merry Clayton
10.「Underture」 London Symphony Orchestra
11.「Do You Think It's Alright?」 Maggie Bell, Steve Winwood
12.「Fiddle About」John EntwistleRingo Star
13.「Pin Ball Wizard」 Rod Stewart
14.「There's A Doctor I've Found」 Steve Winwood
15.「Go To The Mirror!」 Richard Harris, Roger Daltrey, Steve Winwood
16.「Tommy Can You Hear Me?」 Maggie Bell
17.「Smash The Mirror」 Maggie Bell
18.「I'm Free」 Roger Daltrey
19.「Miracle Cure」 Chamber Choir
20.「Sensation」 Roger Daltrey
21.「Sally Simpson」 Pete Townshend
22.「Welcome」 Roger Daltrey
23.「Tommy's Holiday Camp」Keith MoonRingo Starr
24.「We're Not Gonna Take It」 Roger Daltrey
25.「See Me, Feel Me (Finale from 'We're Not Gonna Take It')」 Roger Daltrey
合計時間:

出演・制作[編集]

  • ロンドン交響楽団
  • イギリス室内合唱団
  • 指揮 – デヴィッド・ミ―シャム
  • 独唱(出演順)
  • プロデュース – ルー・ライズナー
  • エンジニア – キース・グラント
  • 編曲 – ウィル・マローン、ジェイムス・サリヴァン
  • デザイン・コンセプトとグラフィックス – Wilkes & Braun, Inc.
  • グラフィックロゴ・タイプ – Tom Carnase, Tom Wilkes
  • 写真 – イーサン・ラッセル, Tom Wilkes, Phil Marco
  • 登場人物の肖像画(イラスト)
    • ナレーター – Richard Amsel
    • 看護婦 – ロバート・ハインデル
    • ウォーカー大佐 – Wilson McLean
    • 母親 – Jim Manos
    • トミー – Mark English
    • 伝道師 – Alex Gnidziejko
    • 従兄弟のケヴィン – Doug Johnson
    • ジプシー – David Edward Byrd
    • 叔父のアーニー – Robert Grossmann
    • 地元の若者 – Charles E. White III
    • 医者 – Richard Harvey

シングル[編集]

  • I'm Free / Underture[9]
  • Go To The Mirror! / Underture[10]

評価[編集]

アメリカでは発売されて一週間で40万組を売り上げた[7]。全世界で100万組以上を売り上げ、ゴールドディスクに認定された。1973年2月28日、当時Ode Recordsのレコードの配給元だったA&Mレコードのロンドン事務所で授賞式が開かれ、ライズナー、ミーシャム、ダルトリー、デニー、ウィンウッド、エントウィッスルが出席した[11]

デザイン・コンセプトとグラフィックスを担当したWilkes & Baum, Inc.のTom WilkesCraig Braunは、1974年の第16回グラミー賞最優秀レコーディング・パッケージ賞を受賞した。

コンサート[編集]

1972年12月9日[編集]

アルバムが発表された1972年の12月9日、ライズナーの企画でロンドンのレインボウ・シアター英語版でチャリティー・コンサートが開かれ、ミ―シャムが指揮するロンドン交響楽団、イギリス室内合唱団、独唱者が出演して、本作が完全再演された[12][13][14]

ライズナーは当初、コンサートをロイヤル・アルバート・ホールで開く計画を立てた[注釈 13]が、『トミー』はオペラではないという理由で先方から拒絶されたので、代わりにレインボウ・シアターを会場に選んだ。アルバムに参加した独唱者のうちリンゴ・スターとリチャード・ハリスは都合がつかなかったので、代役としてザ・フーのドラマーでアルバム制作には参加しなかったキース・ムーン[注釈 14]が叔父のアーニー、ピーター・セラーズが医者の役を担当した。コンサートに先立ち、12月5日から7日までドレス・リハーサルが行なわれた。

コンサートは午後6時と9時半に開かれ、タウンゼントはナレーターの役に加えてアコースティック・ギターを演奏し、スチュワートは当時在籍していたフェイセズのギタリストのロン・ウッドと共に出演した。チケットは高額だったにもかかわらず完売し、20,000イギリス・ポンドもの収益がクリスマスの為に寄付された。

1973年3月31日、4月1日[編集]

明くる1973年、ライズナーは海外公演を目論んだが、2月のニューヨーク公演と3月のロサンゼルス公演の計画は挫折した[15]。彼とミーシャムはオーストラリアのプロモーターの協力の下にオーストラリアのシンガーを独唱者に迎えて、3月31日にメルボルン[注釈 15]、4月1日にシドニー[注釈 16]でコンサートを実現させた[16][17]

ロンドン公演のキャストからはムーンが叔父のアーニー、ベルが恋人ではなくナレーターとして出演した。その他の独唱者はDaryl Braithwaite (トミー)、Colleen Hewett (母親)、Broderick Smith (ウォーカー大佐)、Jim Keays (恋人)、Wendy Saddington (看護婦)、Doug Parkinson (伝道師)、Ross Wilson (従兄弟のケヴィン)、Linda George (ジプシー)、Billy Thorpe (地元の若者)、Bobby Bright (医者)だった[16]

メルボルン公演の模様はオーストラリア国内でテレビ放映された。白黒の映像が残っている。

1973年12月13日、14日[編集]

ライズナーは自閉症の小児を支援するリッチモンド・フェローシップ(Richmond Fellowship for Autistic Children)の為に、再びレインボウ・シアターでのチャリティー・コンサートを企画した[18]。ミ―シャムが指揮するロンドン交響楽団、イギリス室内合唱団、独唱者が、一日だけのリハーサルを経て12月13日と14日のステージに立った。

独唱者はダルトリー(トミー)、ベル(恋人)、ヘブンス(伝道師、13日のみ)、クレイトン(ジプシー)以外は新顔で、デヴィッド・エセックス英語版(ナレーター)、マーシャ・ハント英語版(看護婦)、ロジャー・チャップマン(ウォーカー大佐)、エルキー・ブルックス英語版(母親)、ロニー・チャールズ[19][20](伝道師、14日のみ)、ビル・オディー英語版(従兄弟のケヴィン)、ヴィヴィアン・スタンシャル英語版(叔父のアーニー)、ロイ・ウッド(地元の若者)、ジョン・パートウィー英語版(医者)だった[18]

出演を辞退したタウンゼントは、翌1974年に映画『トミー』(1975年公開)のメガホンを取ることになる映画監督のケン・ラッセルと共に客席からコンサートを鑑賞した[21][18]

コンサートの模様は、12月30日午後6時からキャピタル・ラジオ(Capital Radio)で放送された[18]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ バーバ―は1894年に生まれ、『トミー』が発表される数か月前の1969年1月に他界した。タウンゼントは1967年にCharles Purdom著のThe God-Man: The Life, Journeys & Work of Meher Baba with an Interpretation of His Silence & Spiritual Teachingを読んで深い感銘と影響を受けて、他の信奉者達と共同で彼に捧げるアルバムを制作した。『トミー』のアルバム・ジャケットのクレジットにはAvatar: Meher Babaと記されている。
  2. ^ ザ・フーの楽曲の基本構成は、ボーカル、ギター、ベース・ギター、ドラムス。彼等は『トミー』の録音では曲によってピアノ、オルガン、金管楽器も演奏したが、アルバム発表に伴なったコンサート・ツアーでは、ギター、ベース・ギター、ドラムスだけの伴奏で殆ど全曲を披露した。1969年8月にニューヨーク州サリバン郡ベセルで40万人もの観客を集めて開かれたウッドストック・フェスティバルでの演奏の一部が、映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)に収録された。
  3. ^ アルバムの正式名はTommyで、ロック・オペラという語句はジャケットには見られない。
  4. ^ オペラは日本語で「歌劇」と訳されるように、音楽と演劇で構成される舞台芸術で、独唱者が衣装を着て登場人物を演じながら、科白を口にする代わりに伴奏に合わせて唄う形式を採る。ザ・フーの『トミー』のライブはメンバーが演奏しながら自分の役を代わる代わる歌ってアルバムの音声を再現するもので(多少の即興演奏あり)、演技は一切ない。その点がオペラとロック・オペラの大きな相違点の一つである。演劇を伴った『ヘアー』(1967年)のような作品はロック・ミュージカルと呼ばれる傾向にある。因みに『トミー』は、1992年にロック・ミュージカル化されて、The Who's Tommyとしてブロードウェイで上演された。
  5. ^ 1970年にカナダのLes Grands Ballets Canadiensが『トミー』を伴奏にしたバレエFernand Naultの振り付けで制作し、1971年4月2日にニューヨークのシティ・センター・シアターで上演した。このバレエは好評を持って迎えられたので同年10月に再演された。また同じく1971年4月28日から3週間、シアトルムーア・シアター英語版で、シアトル・オペラ英語版による独自の解釈版が上演され、ベット・ミドラーがジプシー役を務めた。1971年3月に南カリフォルニア大学で制作された舞台版は、約一年後の1972年2月から約一か月間、ハリウッドサンセット大通りバイン通り英語版の交差点にあるアクアリウス劇場英語版で、Joel Rosensweigの制作の下に上演された。
  6. ^ レコード・プロデューサーアメリカ合衆国イリノイ州シカゴの出身。マーキュリー・レコードに勤務し、1960年代末にイングランドに移ってヨーロッパ事業のA&R幹部兼責任者(A&R Executive and Head of Mercury Records European Operations)を担当した。ロッド・スチュワートの最初の2作のソロ・アルバム『ロッド・スチュワート・アルバム』(1969年)と『ガソリン・アレイ』(1970年)をプロデュースしたことで知られる。1970年にはソロ・アルバムを発表した。
  7. ^ 発表されたアルバムには、マローンの他に、セッション・ギタリストとして有名なビッグ・ジム・サリヴァンが編曲に関与したことが、"with additional arrangements by James Sullivan"として記された。
  8. ^ 一部の曲で、アコースティック・ギターとシンセサイザーを演奏した。
  9. ^ ダルトリーをトミー役に起用することはライズナーの強い希望だった。
  10. ^ エントウィッスルが歌った「従兄弟のケヴィン」は「叔父のアーニー」と共に彼自身の作品である。
  11. ^ タイトルTommy as performed by London Symphony Orchestra and English Chamber Choir with Guest Soloistsが示すように、本作はロンドン交響楽団とイギリス室内合唱団が主演で、独唱者はタウンゼントを含めて全員客演だった。
  12. ^ アメリカでは11月27日、イギリスでは12月8日に発表された。
  13. ^ 1969年7月5日に、ザ・フーはロイヤル・アルバート・ホールで『トミー』のロック・コンサートを開いていた。
  14. ^ オリジナル・アルバムの制作の際、「トミーのホリデイ・キャンプ」の歌詞の原案を考えついた功績で、実際の作者であるタウンゼントから作者の称号を譲り受けた。
  15. ^ Myer Music Bowlの野外ステージ。当初は3月30日の予定であったが、天候不順で一日延期された。
  16. ^ Royal Randwick Racecourse。

出典[編集]

  1. ^ Neill & Kent (2007), pp. 248、280, 300–301.
  2. ^ news.usc.edu”. 2023年7月24日閲覧。
  3. ^ Discogs”. 2023年7月15日閲覧。
  4. ^ Townshend (2012), pp. 225–226.
  5. ^ Discogs”. 2023年7月16日閲覧。
  6. ^ Townshend (2012), pp. 233–234.
  7. ^ a b c d Neill & Kent (2007), p. 310.
  8. ^ 添付されたブックレットより。
  9. ^ Discogs”. 2023年7月8日閲覧。
  10. ^ Discogs”. 2023年7月8日閲覧。
  11. ^ Neill & Kent (2007), p. 324.
  12. ^ Neill & Kent (2007), pp. 313–314.
  13. ^ Townshend (2012), p. 241.
  14. ^ McMichael & Lyons (2004), p. 198.
  15. ^ Neill & Kent (2007), pp. 323–324.
  16. ^ a b Neill & Kent (2007), pp. 325–326.
  17. ^ milesago.com”. 2023年7月9日閲覧。
  18. ^ a b c d Neill & Kent (2007), p. 340.
  19. ^ Discogs”. 2023年7月15日閲覧。
  20. ^ milesago.com”. 2023年7月15日閲覧。
  21. ^ Townshend (2012), pp. 257–258.

引用文献[編集]

  • Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. London: Virgin Books. ISBN 978-0-7535-1217-3 
  • Townshend, Pete (2012). Who I Am. London: HarperCollins. ISBN 978-0-00-747916-0 
  • McMichael, Joe; Lyons, 'Irish' Jack (2004). The Who Concert File. London: Omnibus Press. ISBN 1-84449-009-2 

関連項目[編集]