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ザック・スターキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザック・スターキー
Zak Starkey
2008年、ザ・フーのライブサポートにて
基本情報
出生名 Zak Richard Starkey
生誕 (1965-09-13) 1965年9月13日(60歳)
イングランドの旗 イングランド, ロンドン
ジャンル ロック
職業 ミュージシャンセッションミュージシャン
担当楽器 ドラムパーカッションギター
活動期間 1980年 -
共同作業者 オアシスザ・フーIcicle Worksザ・ウォーターボーイズASAPライトニング・シーズFaceリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドJohnny Marr & The Healers

ザック・リチャード・スターキー(Zak Richard Starkey、1965年9月13日 - )はイングランドロックミュージシャンドラマーザ・フーオアシスのサポート・メンバーとして知られる。娘のターシャ・スターキー(1985年生)はベーシストとして活動している。

略歴

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生い立ち

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ビートルズのドラマーだったリンゴ・スターと元妻モーリン・コックスの長男。弟のジェイソン(1968年生)と妹のリー(1970年生)がいる。

8歳の時、父の親友で「キースおじさん」と慕っていたザ・フーキース・ムーンに最初のドラム・セットを買ってもらった。父は「ドラムは人から教わるものじゃない」という考えを持っていたため、スターキーは演奏もムーンから習った。スターキーにドラムを教えるムーンの写真が何枚か残っている。

ムーンは1978年に急死し、ザ・フーは後任に元フェイセズケニー・ジョーンズを迎えた。ジョーンズもスターキーの両親と親しく、スターキーは少年時代に彼からもドラムを習ったことがあった。その時スターキーは、ムーンが彼の白いドラム・セットを自分に譲ってあげると約束してくれたことをジョーンズに話した。ジョーンズはそのことを覚えていて、ザ・フーのメンバーになった後、主を失ったドラム・セットを自ら運んでスターキーにプレゼントしたという[1]

こうして彼のドラミングはムーンを彷彿とさせるパワフルなものになった[注釈 1]

主な活動

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  • 1984年、元バッド・カンパニーボズ・バレルらとナイトフライを結成するが、レコード発表には至らず。
  • 1980年代中期から、本格的にプロのセッション・ドラマーとして活動。1985年には父スターと共に「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」の曲「サン・シティ」のレコーディングに参加。その後はエイドリアン・スミスアイアン・メイデン)など、多くのミュージシャンと共演する。
  • 矢沢永吉1992年作品『Anytime Woman』の収録曲「Anytime Woman」と「銀のネックレス」に参加。アビーロード・スタジオにてレコーディングされた。
  • 1994年、ザ・フーのボーカリストだったロジャー・ダルトリーのツアーをサポート。
  • 1995年、父が率いるリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのドラマーとして来日。6月25日の日本武道館でのコンサートの音源がRingo Starr and His Third All-Starr Band-Volume 1として発表された。当時このバンドには、ザ・フーのベーシストだったジョン・エントウィッスルが在籍していた。
  • 1996年6月、ロンドンのハイド・パークで開かれたThe Prince's Trustで、ザ・フーのギタリストだったピート・タウンゼントがダルトリー、エントウィッスルと再結集してザ・フーのアルバム『四重人格』(1973年)を完全再演[注釈 2][2]。スターキーはサポート・メンバーとして出演して、かつてムーンとジョーンズが座っていた場所でドラムを叩いた。そして、この企画をきっかけに再結成したザ・フーのツアーのサポート・メンバーになった。
  • ザ・スミスギタリストジョニー・マーと出会い、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズを結成。最初は6人編成で、2000年フジ・ロック・フェスティバル出演のために来日するが、その後トリオ編成になり、2003年、アルバム『ブームスラング(BOOMSLANG)』を発表。同年3月に来日し、東名阪で3公演行った。
  • 2004年8月、ザ・フー念願の初来日。THE ROCK ODYSSEY 2004に出演。ムーンを思わせるスターキーのドラム・プレイが絶賛される。
  • ザ・フーの来日公演の少し前から、オアシスに誘われて2004年のライヴからサポートメンバーとして加入。2005年発表のアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース(Don't Believe the Truth)』に、ほぼ全面参加。ツアーにも同行。ザック在籍時のオアシスはライブでザ・フーの「マイ・ジェネレーション」を頻繁に演奏している。
  • 2006年、ザ・フーの24年ぶりの新作アルバム『エンドレス・ワイヤー(Endless Wire)』が発表された。スターキーはオアシスのツアーで忙しかったため、参加したのは1曲のみにとどまった。しかしアルバム発表に伴うツアーには参加した。
  • 2006年秋から年末にかけて行われたオアシスのアコースティック・ライヴには、ノエル・ギャラガーの友人であるテリー・カークブライドが参加したため、スターキーは帯同していないが、翌年2月には、ブリット・アワードでのオアシスのステージにアルバム発売時のツアー同様参加。結果的にこれがオアシスのメンバーとして最後のライブ演奏となった。
  • 2008年発表のオアシスのアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul)』のレコーディングに参加。だが、2008年5月、『ザックはこの先、オアシスのレコーディングにもツアーにも参加することはないだろう』と報じられ、その後正式にサポート・メンバーを辞任。関係者は「ノエルと意見の対立があった」と話しているが、オアシスのメンバーは「ザックはザ・フーに専念したかっただけだ」と対立を否定し、円満な脱退だったことを主張している。スターキーの後任はクリス・シャーロックが務めた。
  • 2012年ロンドンオリンピックの閉会式におけるザ・フーの演奏にドラマーとして参加[3]
  • 2025年4月、ザ・フーのライブ直後に突然解雇されるも、直後にそれを取り消す形で再加入。しかし5月に脱退が発表された。タウンゼントは当初スターキーを擁護したことから、ダルトリーと何かしらのトラブルがあったと思われている。彼は当初ザ・フーを批判するコメントを出していたが、同年夏までには「もう恨んで」おらず、「それがザ・フーというクレイジーなバンドなんだ」という旨の発言をしている[4]

脚注

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注釈

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  1. 後述するように、後年スターキーは再結成したザ・フーのサポート・メンバーとして長きに亘って活動することになる。再結成に参加しなかったジョーンズは彼の演奏ぶりを絶賛している。
  2. ザ・フーの再結成ではなく、3名がザ・フーの作品を演奏するという企画として行なわれた、

出典

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  1. Kenney Jones on the ‘Fondness and Sadness’ of His Who Era “As I’m concerned there’s only one drummer for the Who, and that’s Keith Moon.””. www.vulture.com. 2026年1月12日閲覧。
  2. Townshend, Pete (2012). Who I Am. London: HarperCollins. pp. 450-451. ISBN 978-0-00-747916-0
  3. “AP PHOTOS: A rockin' Olympics closing ceremony” (英語). beaumontenterprise.com (ハースト・コーポレーション). (2012年8月13日) 2012年8月21日閲覧。
  4. ザック・スターキー、父親のリンゴ・スターがザ・フーの脱退劇について語ったことを明かす”. nme-jp.com. 2026年1月12日閲覧。

外部リンク

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