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2013年4月13日 (土) 13:51時点における版
志筑藩(しづくはん)は、常陸国新治郡志筑(現在の茨城県かすみがうら市)周辺を領した小藩。藩庁は志筑陣屋に置かれた。
概要
慶長7年(1602年)、佐竹氏の出羽久保田藩減移封に伴って出羽国(秋田県美郷町)より移封となった本堂茂親が、正保2年(1645年)に陣屋を構え、廃藩置県まで本堂氏10代が治めた。但し、石高は8,000石の旗本(交代寄合)であり、1万石の大名として諸侯に列したのは第10代親久であった。
また幕末に活躍した新撰組隊士・のち御陵衛士の伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎兄弟は当藩の出身である。
歴代藩主
本堂家
譜代 8,500石→8,000石→10,110石
- 本堂茂親
- 本堂栄親 - 弟・親澄に500石分与
- 本堂玄親
- 本堂伊親
- 本堂苗親
- 本堂豊親
- 本堂親房 - 板倉勝清の子。大番頭となる。
- 本堂親庸
- 本堂親道
- 本堂親久 - 2,010石加増され、大名に列する
幕末の領地
明治維新後に新治郡5村(旧幕府領5村、旧旗本領1村)が加わった。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。
関連項目
先代 (常陸国) |
行政区の変遷 1868年 - 1871年 (志筑藩→志筑県) |
次代 新治県 |