「亀岡高夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m →‎来歴・人物: 曖昧さ回避:鈴木内閣
4行目: 4行目:
[[福島県]][[伊達郡]][[桑折町]]出身。亀岡家は養蚕業を営んでいたが亀岡の父の代になって、醤油醸造業に失敗し破産した。[[1937年]]、旧制福島県立保原中学校(現・[[福島県立保原高等学校]])を首席で修めたが、学費がかからない[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]に進む。[[1940年]]に陸軍士官学校(53期)を卒業。士官学校卒業後、[[第2師団 (日本軍)|第2師団]][[歩兵第16連隊]](新発田)に配属され連隊旗手となった。
[[福島県]][[伊達郡]][[桑折町]]出身。亀岡家は養蚕業を営んでいたが亀岡の父の代になって、醤油醸造業に失敗し破産した。[[1937年]]、旧制福島県立保原中学校(現・[[福島県立保原高等学校]])を首席で修めたが、学費がかからない[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]に進む。[[1940年]]に陸軍士官学校(53期)を卒業。士官学校卒業後、[[第2師団 (日本軍)|第2師団]][[歩兵第16連隊]](新発田)に配属され連隊旗手となった。


[[太平洋戦争]]が始まると、[[仏印]]を皮切りに[[ジャワ島]]、[[ニューブリテン島]]を転戦し、[[ガダルカナル島]]に派遣され重傷を負うが一命を取り留め復員する。終戦時は[[陸軍少佐]]。復員後、行商をするが、商売に失敗した上、[[結核]]にかかり2年余の闘病生活を経て政治運動に入る。[[1950年]]、積雪寒冷地帯両院議員連盟を結成し、亀岡は事務局長に就任し、雪国の積雪被害を陳情する。[[1960年]]、[[第29回衆議院議員総選挙]]に旧福島1区から立候補し当選。以後当選10回。自民党では[[佐藤派]]、[[田中派]]を経て[[竹下派]]に所属。
[[太平洋戦争]]が始まると、[[仏印]]を皮切りに[[ジャワ島]]、[[ニューブリテン島]]を転戦し、[[ガダルカナル島]]に派遣され重傷を負うが一命を取り留め復員する。終戦時は[[陸軍少佐]]。復員後、行商をするが、商売に失敗した上、[[結核]]にかかり2年余の闘病生活を経て政治運動に入る。[[1950年]]、積雪寒冷地帯両院議員連盟を結成し、亀岡は事務局長に就任し、雪国の積雪被害を陳情する。[[1960年]]、[[第29回衆議院議員総選挙]]に旧福島1区から立候補し当選。以後当選10回。自民党では[[佐藤派]]、[[田中派]]を経て[[竹下派]]に所属。


[[第2次佐藤内閣]]の内閣官房副長官、[[第2次田中角栄内閣第1次改造内閣]]の建設大臣、[[鈴木善幸内閣]]の農林水産大臣を務めた。1989年の[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]で倒れ、同年3月13日死去した。[[享年]]69。
[[第2次佐藤内閣]]の内閣官房副長官、[[第2次田中角栄内閣第1次改造内閣]]の建設大臣、[[鈴木善幸内閣]]の農林水産大臣を務めた。1989年の[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]で倒れ、同年3月13日死去した。[[享年]]69。


自民党衆議院議員[[亀岡偉民]]は養子。
自民党衆議院議員[[亀岡偉民]]は甥で養子。


{{先代次代|建設大臣|1973 - 1974|[[金丸信]]|[[小沢辰男]]}}
{{先代次代|建設大臣|1973 - 1974|[[金丸信]]|[[小沢辰男]]}}

2009年8月18日 (火) 12:42時点における版

亀岡高夫(かめおか たかお、1920年1月27日 - 1989年3月13日)は、日本政治家自由民主党衆議院議員建設大臣農林水産大臣を歴任した。

来歴・人物

福島県伊達郡桑折町出身。亀岡家は養蚕業を営んでいたが亀岡の父の代になって、醤油醸造業に失敗し破産した。1937年、旧制福島県立保原中学校(現・福島県立保原高等学校)を首席で修めたが、学費がかからない陸軍士官学校に進む。1940年に陸軍士官学校(53期)を卒業。士官学校卒業後、第2師団歩兵第16連隊(新発田)に配属され連隊旗手となった。

太平洋戦争が始まると、仏印を皮切りにジャワ島ニューブリテン島を転戦し、ガダルカナル島に派遣され重傷を負うが一命を取り留め復員する。終戦時は陸軍少佐。復員後、行商をするが、商売に失敗した上、結核にかかり2年余の闘病生活を経て政治運動に入る。1950年、積雪寒冷地帯両院議員連盟を結成し、亀岡は事務局長に就任し、雪国の積雪被害を陳情する。1960年第29回衆議院議員総選挙に旧福島1区から立候補し初当選。以後当選10回。自民党では佐藤派田中派を経て竹下派に所属。

第2次佐藤内閣の内閣官房副長官、第2次田中角栄内閣第1次改造内閣の建設大臣、鈴木善幸内閣の農林水産大臣を務めた。1989年の昭和天皇大喪の礼で倒れ、同年3月13日死去した。享年69。

自民党衆議院議員亀岡偉民は甥で養子。

先代
金丸信
建設大臣
1973 - 1974
次代
小沢辰男
先代
武藤嘉文
農林水産大臣
1980 - 1981
次代
田沢吉郎