服部三男雄

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服部 三男雄
はっとり みなお
生年月日 (1944-11-10) 1944年11月10日(79歳)
出生地 奈良県北葛城郡上牧町[1]
出身校 東京大学法学部卒業[2]
前職 検察官
参議院議員
所属政党自由連合→)
無所属→)
自由民主党
親族 父・服部安司(元衆参国会議員、元郵政大臣)

選挙区 奈良県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1992年7月27日 - 2004年7月25日
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服部 三男雄(はっとり みなお、1944年11月10日 - )は、日本政治家弁護士、元検事自由民主党所属の元参議院議員(2期)。東京都立九段高等学校東京大学法学部卒業。

父は郵政大臣を務めた服部安司[1]

来歴[編集]

政治家の三男として生まれたが、父への反発から検察官の道を選んだ[3]。検察官を志したきっかけは、司法修習生時代に検事の取調室を覗き、「悪いやつは許さない」という姿勢に憧れたことだった[4]1972年(昭和47年)4月12日付で司法修習生の修習を終え[5]、同年4月12日付で東京地方検察庁検事に任命された[6]

その後、青森地検[注 1]浦和地検[注 2]長野地検[注 3]などに赴任[3]連合赤軍事件の公判も担当し、12年間で自ら50件以上の逮捕状を請求した[4]。長野地検時代[注 3]には主任検事として、富山・長野連続女性誘拐殺人事件1980年[注 4]の取り調べを担当したが[3]佐木隆三は同事件を扱った著書で、当時長野地検の検事だった服部が、後に無罪確定した男性被疑者に対し「チンピラ」「人殺し野郎」などの恫喝・暴言を伴う高圧的な取り調べをしていた旨を述べている[13]。服部は後年、『朝日新聞』の取材に対し、この男性に対しては「いかに職務上のこととはいえ、ああいう結果になっておわびしたい」と述べている[3]

1984年昭和59年)3月26日付で東京地検検事を辞任し[14]、「刑事事件以外の法律の分野も扱いたくなった」という理由から、弁護士に転身[3]。同年5月8日付で、第一東京弁護士会に登録した[15]奈良弁護士会刑法少年法改正問題委員会委員を務めた[2]

1989年平成元年)、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に保守系無所属で出馬するが落選。

1992年(平成4年)、父親の参議院議員の服部安司が同年の第16回参議院議員通常選挙奈良県選挙区(改選数1)への不出馬を決断。これを受けて自民党県連に公認申請を提出した。同年5月19日、奈良県出身のテレビキャスターの高市早苗も公認申請を提出[16]。同年6月9日、党県連(会長:奥野誠亮)は奈良県選挙区の公認候補を決めるため、奈良市内のホテルで拡大役員総会を開いた。候補に名乗りを挙げているのは服部と高市の二人。有権者313人のうち出席した215人が投票し、投票は異例の無記名で行われた。前日までの不在者投票と合わせて開票した結果、服部が162票、高市が137票、無効が1票で服部に決まった。同月10日、県連は党本部に服部の公認を申請した[17]。同月29日、高市は無所属で立候補すると表明し、保守分裂選挙が確定した[18]。7月26日に行われた同選挙では「国会議員としての父は尊敬するが、二世といわれるのは心外」と父の応援を断り続け[19]、212,537票を獲得し、高市に完勝して初当選した[20]

1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙で再選。

2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙では、民主党新人の前川清成に敗れ、落選した。

農林水産政務次官第2次橋本内閣)や参議院外交防衛委員長を務めた。また、1999年(平成11年)には自民党法務部会長として通信傍受法の成立に関わり、参議院憲法調査会委員も務めた[1]日本国憲法第9条の改正に関しては、自衛隊があることを条文に明記することの必要性を述べている[1]

人物[編集]

地元紙の『奈良新聞』に、「服部議員は国会をしばしば欠席している」「外交防衛委員長としての当然の発言以外、国会で発言していない」などと報じられた。また『奈良新聞』では県に関係のある議員の行動を議員からの情報提供に基づいて定期的に掲載しているが、服部は県関係の議員で唯一情報を提供しておらず、この問題が報じられた後、初めて情報が提供され、服部の行動が掲載された。[要出典]

東京地検の検事時代は、被疑者に対する取り調べは軽い罪の場合ほど厳しくしていたが、服部本人はその理由を「〔被疑者〕本人がたいしたことをしていないと思っているから。逆に、重い罪を犯した場合は、柔らかく接するのが原則」と述べている[21]。子供のころから山や動物に親しみ、学生時代には人類学者を志していた[3]。趣味はバードウォッチングや山の景色を眺めることで、霊長類の専門書も多数収集している[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1973年(昭和48年)3月23日付で東京地検から青森地検に配置換[7]
  2. ^ 1975年(昭和50年)3月24日付で東京地検から浦和地検に配置換[8]。その後、1977年(昭和52年)8月15日付で浦和地検から東京地検に配置換[9]
  3. ^ a b 1979年(昭和54年)8月15日付で東京地検から長野地検に配置換[10]。その後、1982年(昭和57年)3月25日付で長野地検から東京地検に配置換[11]
  4. ^ 同事件では富山県在住の男女2人が被疑者・被告人として逮捕起訴されたが、刑事裁判では女の単独犯(共犯とされた男性は事件には無関係)とされ、男性は1992年に無罪が確定した一方、女は1998年に死刑が確定している[12]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 朝日新聞』2000年2月1日大阪朝刊奈良県版地方面27頁「服部三男雄参院議員(憲法こう思う 国会議員に聞く:8) /奈良」(朝日新聞大阪本社・奈良支局)
  2. ^ a b 『朝日新聞』1992年7月9日大阪朝刊奈良県版地方面25頁「立候補したひと(92参院選) 奈良」(朝日新聞大阪本社・奈良支局)
  3. ^ a b c d e f g 朝日新聞』1992年7月12日大阪朝刊奈良県版地方面23頁「(横顔 参院奈良選挙区の候補者)3 服部三男雄さん(47)=自民党」(朝日新聞大阪本社・奈良支局)
  4. ^ a b 『朝日新聞』2004年6月29日大阪朝刊奈良県版地方面24頁「3人の候補者はこんな素顔(2004なら参院選) /奈良」(朝日新聞大阪本社・奈良支局)
  5. ^ 「官庁報告 法務 司法修習生の修習を終えた公告 左記の者は、昭和四十七年四月十日裁判所法第六十七条第一項による司法修習生の修習を終えた。昭和四十七年四月十二日 最高裁判所」16頁9段目25行目、『官報』第13590号、大蔵省印刷局、1972年4月12日、15-16面。「服部三男雄」
  6. ^ 「官庁報告 法務省」10頁1段目、『官報』第13591号、大蔵省印刷局、1972年4月13日、9-10面。「検事(東京地方検察庁検事)に任命する(各通)」
  7. ^ 「官庁報告 法務省」13頁1段目、『官報』第13872号、大蔵省印刷局、1973年3月24日、13面。「(東京地方検察庁検事)同 服部三男雄 青森地方検察庁検事に配置換する」
  8. ^ 「官庁報告 法務省」13頁2段目、『官報』第14467号、大蔵省印刷局、1975年3月26日、13面。「(青森地方検察庁検事)同 服部三男雄 浦和地方検察庁検事に配置換する(各通)」
  9. ^ 「官庁報告 法務省」17頁3段目、『官報』第15181号、大蔵省印刷局、1977年8月17日、17面。「(浦和地方検察庁検事)同 服部三男雄 東京地方検察庁検事に配置換する(各通)」
  10. ^ 「官庁報告 法務省」4頁3段目、『官報』第15774号、大蔵省印刷局、1979年8月16日、4面。「(東京地方検察庁検事)同 服部三男雄 長野地方検察庁検事に配置換する」
  11. ^ 「官庁報告 法務省」48頁2-3段目、『官報』(号外第17号)、大蔵省印刷局、1982年3月27日、48面。「(長野地方検察庁検事)同 服部三男雄 東京地方検察庁検事に配置換する」
  12. ^ 北日本新聞』1998年9月5日朝刊一面1頁「M被告の死刑確定 富山・長野連続誘拐殺人事件 最高裁が上告棄却 「両事件とも単独犯行」 発生から18年余」(北日本新聞社)
  13. ^ 佐木隆三 1991, pp. 69–71.
  14. ^ 「官庁報告 法務省」16頁1段目、『官報』第17142号、大蔵省印刷局、1984年3月29日、16面。「(東京地方検察庁検事)同 服部三男雄 辞職を承認する(各通)」
  15. ^ 「弁護士名簿登録・登録換・登録抹消等」23頁3段目、『官報』第17200号、大蔵省印刷局、1984年6月8日、23面。「昭和五十九年二月・四月・五月中の登録・登録換・登録抹消等は左記のとおりにつき、弁護士法第十九条の規定により公告します。 登録 五月八日 第一東京 服部三男雄」
  16. ^ 『朝日新聞』1992年6月2日付朝刊、奈良、「高市早苗氏、公認を申請 自民県連に 奈良」。
  17. ^ 『朝日新聞』1992年6月10日付朝刊、政治、4面、「自民党、無記名投票で参院選公認候補決める 奈良県連」。
  18. ^ 『朝日新聞』1992年6月30日付朝刊、政治、4面、「高市早苗氏が正式表明 参院奈良選挙区に無所属で立候補」。
  19. ^ 読売新聞』1992年7月27日大阪朝刊第二社会面22頁「92参院選 頑張った二世/兵庫・滋賀・奈良」(読売新聞大阪本社
  20. ^ 『読売新聞』1992年7月27日東京夕刊特別B面4頁「参院選挙区選の確定得票=近畿」(読売新聞東京本社
  21. ^ 『朝日新聞』1993年4月28日東京朝刊政治面7頁「低調の中、際立った追及(記者席)」(朝日新聞東京本社 浜田秀夫)

参考文献[編集]

  • 佐木隆三『女高生・OL連続誘拐殺人事件』 さ-5-12、560号(初刷)、徳間書店徳間文庫〉、1991年9月15日(原著1987年5月31日)。ISBN 978-4195993804NCID BN13987358国立国会図書館書誌ID:000002162477全国書誌番号:92025262 
議会
先代
矢野哲朗
日本の旗 参議院外交防衛委員長
2000年 - 2001年
次代
武見敬三