ニウエ
- ニウエ
- Niuē(ニウエ語)
Niue(英語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:不明
- 国歌:Ko e Iki he Lagi
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公用語 ニウエ語(ポリネシア語系)、英語 首都 アロフィ 最大の都市 ハクプ 通貨 ニュージーランド・ドル(NZD) 時間帯 UTC-11 (DST:なし) ISO 3166-1 NU / NIU ccTLD .nu 国際電話番号 683
ニウエ(Niuē)は、オセアニア東部にある立憲君主制国家。ニュージーランドの北東、トンガの東、サモアの南東にあるニウエ島を領土とする。ニュージーランド王国の構成国であると同時に、自由連合関係をとっている。
概観
総面積は259km2。総人口は1,520人(2018年,太平洋共同体事務局)[1]だが、経済の停滞などで徐々に減少している。首都はアロフィ。
ニュージーランド女王たる連合王国女王を元首とする立憲君主制であり、総督はニュージーランド総督が兼任している[2]。1974年のニウエ憲法制定法(Niue Constitution Act of 1974)による独立以来、ニュージーランドとの自由連合関係を維持しており、防衛と外交は同国に委任している[3]。ただし、ニュージーランドはニウエ政府の求めによってのみ外交上の助言を行うものとされており[4]、1988年には、ニュージーランドが爾後締結する国際協定はニウエに及ばないものと宣言されている[5]。国際連合は、ニウエを正式加盟国とはしていないものの[6]、独立国家として一定の認知を与えており[7]、1994年には国連事務局は、ニウエの完全な条約締結能力を認めている[5]。
1993年にユネスコに加盟[8]、1997年にアメリカ合衆国と同国準州であるアメリカ領サモアとの間の領海確定協定を締結[9]、2007年には中華人民共和国と[10]、2012年にはインドと[11]それぞれ外交関係を樹立した。そして2015年には日本もニウエを国家承認すると閣議決定し[12]、当分の間在ニュージーランド日本大使館が兼轄することとなった。2016年9月時点で、20カ国と1つの地域(EU)と外交関係があり、34の国際機関に加盟している。
ニウエの国民は、自由連合の取り決めに伴い、自動的にニュージーランド市民権を有する[13]。
ドメインハック等の用途で全世界のサイトで幅広く使われている[要出典].nuドメインは、元来はニウエに割り当てられたccTLDである。
歴史
ニウエに人類がいつ到達したのかは分かっていないが、考古学の研究から類推すると、紀元前10世紀頃にサモアやトンガにラピタ人が到達するのと相前後して植民されたか、あるいは1世紀から5世紀頃マルケサス諸島やソシエテ諸島にポリネシア人が拡散する過程で植民されたかのどちらかである。
言語学上の研究から推測して、13世紀から16世紀にかけてトンガ海上帝国(Tongan Maritime Empire)が栄えた時期にはこの勢力圏下に入っていたと思われる。ヨーロッパ人がポリネシアに現れて以降の歴史は以下のとおり。
- 1774年 - キャプテン・クックが来航する。しかし、現地人によって上陸が阻止され、「未開の島」と名付けられる。
- 1846年 - ヌカイ・ペニアミナらサモア人キリスト教宣教師団が進出する。
- 1876年 - マタイオ・トゥイティガが初代の王に選出される。
- 1900年 - ニウエ王の要請によりイギリスの保護領となる。
- 1901年 - クック諸島の一部としてニュージーランドの属領となる。
- 1960年 - ニウエ議会が設立。
- 1974年 - 内政自治権を獲得し、ニュージーランドとの自由連合国となる。
- 1993年 - ユネスコに加盟[8]。
- 2007年12月12日 - 中華人民共和国と初の国交を樹立[14]。
- 2012年 - インドと国交を樹立[11]。
- 2015年5月15日 - 日本がニウエを国家承認することを閣議決定し[12]、同日に日本国政府はニウエを承認した[15]。
- 2020年2月 - 新型コロナウイルスによる肺炎の流行に対し、複数の患者が出た日本や中華人民共和国などからの入国制限を実施[16]。
政治・行政
議会は一院制で、定員は20名。任期は3年である。
2020年まで12年間首相を務めたトケ・タランギは、自らの内閣で外相などを兼任しており、他の閣僚は3名しかいなかった。同年に成立したダルトン・タンゲランギ内閣においても、ダルトン・タンゲランギ首相が外相などを兼務し、他の閣僚は3名である。
日本とは2015年8月,外交関係開設[1]。それ以前からも援助や貿易は行われていた。2013年度では技術協力で0.09億円をニウエに援助し、総貿易額は6.8億円(輸出は6.7億円、輸入は0.1億円。財務省貿易統計)である。
1948年より独自の切手を発行している[17]。万国郵便連合(UPU)にはニュージーランドの一部として加盟している[18]。
外交関係のある国家一覧
行政区画
ニウエの第一級行政区画は村であり、14の村に分かれる。
地理
ニウエ島に最も近いのはほぼ真西に420km(東京〜大阪間程度)離れたヴァヴァウ諸島(トンガ)である。ニュージーランドは南南西へ2300km(東京〜台湾島南部)も離れている。
ニウエは世界最大のサンゴ礁の島で、海面上約60メートルに渡って石灰岩の断崖がそそり立ち、その地形がほぼ島全体を縁取っている。つまり台地状であり、山岳や湖などは存在しない。島の形状は基本的に楕円形であるが、首都アロフィと、南部のアヴァテレは湾状の地形となっている。人口の多くはアロフィを中心とする北西から西の海岸地帯に集中している。 気候はサバンナ性で、11月から翌年の3月が雨季に当たる。
ニュージーランド本土が日付変更線の西にあるのに対してニウエは日付変更線の東にあるため、時差はニュージーランド本土と23時間(実質的には1時間)あり、本土が夏時間採用時は24時間(丸1日)である。
交通
ニウエ国際空港が首都アロフィにある。自動車の通行区分は、ニュージーランド本土と同じ左側通行である。
経済
主産業は農業(パッション・フルーツやライム、バナナ、コプラなど)である。しかし農地不足・水不足に加えサイクロンの常襲地帯であり、農業に頼った経済発展は望めなかった。自由連合の構成国であり、住民がニュージーランド国籍を有することから、島を脱出してニュージーランドへ移住する住民が増加した。その結果、移民からの送金が国家収入の大きな比率を占めるに至った。
ニウエ経済の起爆剤として注目されたのが観光業であり、1990年代からニュージーランドの援助により空港拡張、リゾートホテルの建設が進められた。しかし、魅力的な観光資源に恵まれず、定期便の撤退が相次ぎ、2001年には最後に残ったトンガ航空が撤退している。その後国営航空会社の設置なども検討されたが、財政破綻を招くとして野党が反発し、さらに2004年1月にはサイクロン・ヘタにより国営ホテルが壊滅する被害を受けたこともあり、計画は頓挫している。現在はニュージーランド航空が定期便を運行しているが、本数が限定されていることから、観光業の発展は極めて限定的なものとなっている。
その他の産業としては、切手の販売やnuドメイン販売などでの外貨獲得を行っている。
- 経済成長率:3.0%(2011年、太平洋共同体事務局)
- 物価上昇率:3.6%(2011年、太平洋共同体事務局)
- 総貿易額(2011年、ニュージーランド外務貿易省)
- 輸出:346千ニュージーランドドル
- 輸入:14,000千ニュージーランドドル
- 主要貿易品目
- 主要貿易相手国・地域:ニュージーランド、オーストラリア、日本、フィジー、サモア、クック諸島
- 主要援助国:ニュージーランド(12.73百万米ドル)、オーストラリア(5.66百万米ドル)(2012-2013年平均、開発援助委員会)
農業
農業はニウエ人の生活と経済にとって非常に重要であり、おおよそ204平方キロメートルの土地が農業に使用できる[19]。自給農業がニウエの農業の大部分を締めており、ほとんどすべての家庭がタロイモのプランテーションを行っている[20]。
キャッサバ(タピオカ)、ヤムイモ、サツマイモ[21]、様々なバナナが主要な産品である。1970年代は、コプラ、パッションフルーツ、ライムが主要な輸出品目であったが、2008年には、バニラ、ノニ(ヤエヤマアオキ)、タロイモがおもな輸出作物になった。
ウガ(ヤシガニ)も食物連鎖を構成しており、森や浜辺に生息している[22]。最新の農業国勢調査は1989年に実施された[23]。
住民
住民はサモア人の血を引く、ポリネシア系ニウエ人がほとんど(90%)である。
宗教はキリスト教(90%)の影響が強いが、モルモン教なども進出している。
メディア
ニウエにはニウエ放送協会によって管理・運営されているテレビニウエ(Television Niue)とラジオ・サンシャイン(Radio Sunshine) という2つの放送局と、ニウエ・スターという一つの週刊新聞がある[24]。その他talanet.okakoa.comのようなオンデマンドのニュースサービスも存在する[25]。
脚注
- ^ a b ニウエ(Niue)基礎データ 外務省
- ^ Section 1 Executive authority vested in the Crown, The Constitution of Niue
- ^ Section 6 External affairs and defence, the Niue Constitution Act 1974
- ^ Government: Dependency status: NIUE, THE WORLD FACT BOOK, CIA(2012年9月4日閲覧)
- ^ a b Repertory of Practice of United Nations Organs Supplement No. 8 Archived 2012年4月3日, at the Wayback Machine.10ページ(2012年9月4日閲覧)
- ^ Member States of the United Nations(2012年9月4日閲覧)
- ^ 黄緑色表示は Non-Member States of the United Nations を意味する。THE WORLD TODAYMap No. 4136 Rev. 10 UNITED NATIONS December 2011(2012年9月4日閲覧)
- ^ a b UNESCO » Worldwide » Asia and the Pacific » Niue(2012年9月4日閲覧)
- ^ Treaty between the Government of the United States of America and the Government of Niue on the delimitation of a maritime boundary, 13 May 1997(2012年9月4日閲覧)
- ^ Full text of joint communique on the establishment of diplomatic relations between China and NiueXinhua News(2012年9月4日閲覧)
- ^ a b India establishes Diplomatic Relations with Niue Ministry of External Affaairs of India (2012年9月4日閲覧)
- ^ a b 平成27年5月15日(金)定例閣議案件(首相官邸HP)
- ^ Section 5 External affairs and defence, the Niue Constitution Act 1974
- ^ 中国和纽埃签署建交联合公报
- ^ 2015年(平成27年)5月25日外務省告示第164号「ニウエの承認の件」
- ^ “ニウエ、ツバルも日本対象に出入国の制限措置…菅長官”. 読売新聞 (2020年2月6日). 2020年2月5日閲覧。
- ^ スコットカタログ2009年版vol.6. Scott Publishing Co.. (2008). p. 546. ISBN 0894874225
- ^ “UPU - Member countries” (英語). 万国郵便連合. 2020年8月24日閲覧。
- ^ Country Pasture/Forage Resource Profiles: Niue, United Nations Food and Agriculture Organization, January 2009.
- ^ Pollock, Nancy J. (1979). “Work, wages, and shifting cultivation on Niue”. Journal of Pacific Studies (Pacific Institute) 2 (2): 132–143.
- ^ Agriculture Products, CIA World Factbook, Central Intelligence Agency.
- ^ Eagles, Jim (23 September 2010). “Niue: Hunting the uga”. The New Zealand Herald 30 October 2011閲覧。
- ^ Niue Agricultural Census 1989 – Main Results, United Nations Food and Agriculture Organization, 1989.
- ^ "Le Programme international pour le développement de la communication de l'UNESCO soutient le journal de Niue", UNESCO, 16 July 2002
- ^ http://talanet.okakoa.com