飯田房太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

飯田 房太郎(いいだ ふさたろう、1906年明治39年)8月7日[1][2] - 1975年昭和50年)5月8日[1][2])は、昭和時代の土木工学者実業家

経歴・人物[編集]

神奈川県に生まれる[1]1930年(昭和5年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、間組に入社[1][2]。各出張所次長、土木部次長[1]、取締役、常務および専務をへて1967年(昭和42年)副社長、1969年(昭和44年)社長に就任した[2]。この間、大井川千頭堰堤久野脇発電所の建設、羽田飛行場の拡張工事などに携わり、1952年(昭和27年)大井川水系の開発が始まると井川ダム奥泉ダム、畑薙ダム(第一第二)などを次々と完成させた[1]

ほか、日本土木工業協会日本建設業連合会日本経済団体連合会・海外建設協会などの理事、日本建設機械化協会・土木学会各会長などを歴任した[2]

栄典[編集]

位階
勲章等

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 高橋、藤井 2013, 279頁.
  2. ^ a b c d e f 歴代会長紹介”. 公益社団法人 土木学会. 2019年10月2日閲覧。
  3. ^ a b 最上武雄 (1975-06). “副会長 飯田房太郎氏のご逝去を悼む”. 建設の機械化 (日本建設機械化協会): 2-3. http://jcma.heteml.jp/bunken-search/wp-content/uploads/1975/jcma-1975_06.pdf 2019年10月2日閲覧。. 

参考文献[編集]

  • 高橋裕、藤井肇男 共著 『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』 鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294