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平井喜久松

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平井 喜久松(ひらい きくまつ、1885年明治18年)11月22日[1][2] - 1971年昭和46年)1月27日[1][2])は、大正から昭和時代の土木工学者鉄道官僚

経歴

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平井晴二郎の三男として[2]北海道に生まれる[1]1910年(明治43年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、鉄道院に奉職し北海道建設事務所勤務ののち[1]1915年(大正4年)から2年間アメリカへ留学する[2]。帰朝後は、1927年(昭和2年)鉄道省工務局改良課長、1932年(昭和7年)東京改良事務所長、1934年(昭和9年)工務局長を務めた[1]。この間、東海道線の線増、新鶴見、吹田などの操車場の建設、小樽の石炭船積設備の考案などに尽瘁した[1]

1939年(昭和14年)退官後は、華北交通建設局長、1944年(昭和19年)南満州鉄道副総裁を歴任した[1]。戦後、1953年(昭和28年)から1年間、土木学会第41代会長を務めた[2]。ほか、鉄道建設興業(現鉄建建設)、興和コンクリート、日本構造橋梁研究所各社長、鉄道施設協会会長、日本交通協会副会長などを歴任した[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 高橋、藤井 2013, 156頁.
  2. ^ a b c d e f g 歴代会長紹介”. 公益社団法人 土木学会. 2019年12月3日閲覧。

参考文献

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  • 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294