コンテンツにスキップ

「満奇洞」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
「洞内」節と「見どころ」節を設け、「概要」節を含め出典に基づく記述を追記・修正。画像を「概要」節から「洞内」節に移動・追加、一部画像を差し替え、順路順に並び替える。「見どころ」節に新たに画像を追加。他。
m →‎概要: 曖昧さ回避のためのページ「隠岐」へのリンクを、「隠岐諸島|隠岐」へのパイプ付きリンクに修正。
(2人の利用者による、間の7版が非表示)
2行目: 2行目:
| name =満奇洞
| name =満奇洞
| photo =[[File:Maki-do, entrance.jpg|270px]]
| photo =[[File:Maki-do, entrance.jpg|270px]]
| photo_caption =満奇
| photo_caption =洞口
| map= Japan Okayama Prefecture
| map= Japan Okayama Prefecture
| relief = 1
| relief = 1
8行目: 8行目:
| map_caption =満奇洞の位置(岡山県)
| map_caption =満奇洞の位置(岡山県)
| coords ={{coord|34|58|18.3|N|133|35|0.3|E|region:JP-33|display=inline,title}}
| coords ={{coord|34|58|18.3|N|133|35|0.3|E|region:JP-33|display=inline,title}}
| length = 450 [[メートル|m]]{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}
| location =[[岡山県]][[新見市]]{{日本の位置情報|34|58|18.3|133|35|0.3|満奇洞|34.97175,133.583417|満奇洞|nocoord=yes}}
| location =[[岡山県]][[新見市]]{{読み仮名|[[豊永赤馬]]|とよながあこうま}}2276-2{{Sfn|浦田・伊藤田|2018|p=9}}(槇{{Sfn|柴田|1990|p=33}}{{Sfn|岡山大学ケイビングクラブ|2001|p=42}}){{日本の位置情報|34|58|18.3|133|35|0.3|満奇洞|34.97175,133.583417|満奇洞|nocoord=yes}}
| show_cave =
| show_cave = 観光洞{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}
| registry =[[岡山県指定天然記念物]]
| discovery =[[江戸時代]]末期
| lighting = あり
| registry =[[岡山県指定天然記念物]]{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}
| discovery =[[江戸時代]]末期([[天保]]<ref name="sanyo19890919">{{Cite news|title=吉備高原のカルスト台地② 鍾乳洞の造化 多彩|publisher=山陽新聞社|newspaper=山陽新聞||date=1989-09-19|edition=夕刊}}</ref>)
| survey = 洞くつ団研グループ (1970){{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}
| entrance_count= 1{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}
| visitors = 4–5万人<ref name="yomiuri20190625"/>
| translation = Maki-dō{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}
| language = 英語
}}
}}
[[File:Maki-do Promenade.jpg|thumb|280px|満奇洞前の[[遊歩道]]<br/>[[金田一耕助]]の立て看板に、各映画作品・テレビドラマ作品の写真が貼付されている。<br/>「八つ墓村ロケ地」の表示板には、「昭和52年 [[渥美清]]」「平成8年 [[豊川悦司]]」「平成16年 [[稲垣吾郎]]」「平成31年 [[吉岡秀隆]]」と、作品公開年と金田一役の俳優名が記されている。]]


'''満奇洞'''(まきどう)は、[[岡山県]][[新見市]]にある[[鍾乳洞]]である。[[岡山県指定天然記念物]]、岡山県[[高梁川]]上流[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]特別地域。
'''満奇洞'''(まきどう)は、[[岡山県]][[新見市]]の[[阿哲台]]([[豊永台]])にある[[鍾乳洞]](石灰洞)である{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}{{Sfn|柴田|1969|p=6}}。[[岡山県指定天然記念物]]で{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}、岡山県[[高梁川]]上流[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]特別地域に含まれる<ref>{{Cite web|url=https://www.pref.okayama.jp/page/573399.html|title=高梁川上流県立自然公園|website=岡山県|publisher=岡山県庁|date=2019-03-01|accessdate=2023-11-20}}</ref>。[[二次生成物]]の発達した鍾乳洞として知られる{{Sfn|柴田|1990|p=31}}。'''槇の穴'''(槙の穴{{Sfn|前野|2007|pp=176–182}}、まきのあな)とも呼ばれる{{Sfn|渡辺|1979|p=43}}{{Sfn|阿哲団体研究グループ|1970|pp=225–227}}{{Sfn|赤木|1933|pp=16–17}}


== 概要 ==
== 概要 ==
岡山県新見市の[[阿哲台|草間カルスト台地]]に存在する鍾乳洞。[[江戸時代]]末期、狸猟をしていた猟師より偶然発見された<ref name="niimi">{{Cite web |url=https://niimi.gr.jp/spot/spot_detail/index/9.html |title=満奇洞 悠久時間と水が地球刻んだ造形の画廊 |website=にいみフィルムコミッション |publisher=一般団法人 新見市観光協会 |accessdate=2023-11-16}}</ref>。[[1929年]]([[昭和]]4年にこの地を訪れた歌人の[[与謝野鉄幹]]・[[与謝野晶子|晶子]]夫妻により「奇に満ちた洞」と絶賛され、槇(まき)という地名から「槇の穴」と呼ばてい名称にちなんで「満奇洞」と呼ばれるようになった<ref>{{Cite web |url=https://www.city.niimi.okayama.jp/kanko/spot/spot_detail/index/77.html |title=満奇洞(まきどう) |website=にいみ公式観光サイト えーとこ発見 |publisher=一般社団法人 新見市観光協会 |accessdate=2023-11-16}}</ref>。
[[江戸時代]]末期の[[天保]]の初年に発見された{{Sfn|赤木|1933|pp=16–17}}。当時の洞口は現在よりもっと小さく直径33 cm{{small|([[センチメートル]])}}で<ref name="asahi19701016">{{Cite news|和書|title=自然公園をたずねて 小さな旅 洞内宮殿見事な鍾乳石|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞|page=8|date=1970-10-16|edition=夕刊}}</ref>、{{読み仮名|赤馬|あこうま}}{{Efn2|赤馬の名は[[後醍醐天皇]]の[[隠岐諸島|隠岐]]への配流に縁があるとされる<ref>{{Cite journal|和書|author=原田信之|title=岡山県新見市の後醍醐天皇伝説と地名|journal=新見公立短期大学紀要|volume=22|pages=155–171|date=2001}}</ref>。}}に住む狩人2人が逃げる[[タヌキ]]を追い詰めた際に偶然発見したと伝わる{{Sfn|赤木|1933|pp=16–17}}{{Sfn|吉田|1972|pp=1460–1461}}。もとは槇(まき)という地名([[小字|字]])から「'''槇の穴'''」と呼ばれていたが、[[1929年]]([[昭和]]4年)10月にこの地を訪れた歌人の[[与謝野鉄幹]]・[[与謝野晶子|晶子]]夫妻により「奇に満ちた洞」との意から「満奇洞」と改められた{{Sfn|野瀬|2013|p=113}}{{Sfn|柴田|1990|p=32}}<ref name="asahi20181127">{{Cite news|和書|author=村上友里|title=時空3億年 幻想の洞窟 「奇た」与謝野晶子絶賛 新見の満奇洞|date=2018-11-27|page=27|publisher=朝日新聞社|newspaper=朝日新聞|edition=岡山版 10版}}</ref><ref name="okayama77">{{Cite web |url=https://www.city.niimi.okayama.jp/kanko/spot/spot_detail/index/77.html |title=満奇洞(まきどう) |website=にいみ公式観光サイト えーとこ発見 |publisher=一般社団法人 新見市観光協会 |accessdate=2023-11-16}}</ref>{{Sfn|前野|2007|pp=176–182}}


岡山県の鍾乳洞ではもっとも早く存在が認知されたといわれ、新見市内の洞窟群の中でも早くから開発が行われた<ref name="niimi" />。岡山県の[[天然記念物]]に指定されている<ref name="okayama-kanko">{{Cite web |url=https://www.okayama-kanko.jp/spot/10993 |title=満奇洞 歌人与謝野晶子が絶賛した幻想的な鍾乳洞 |website=岡山観光WEB |publisher=公益社団法人 岡山県観光連盟 |accessdate=2023-11-16}}</ref>。
岡山県の鍾乳洞ではもっとも早く存在が認知されたといわれ、新見市内の洞窟群の中でも早くから開発が行われた<ref name="niimi">{{Cite web |url=https://niimi.gr.jp/spot/spot_detail/index/9.html |title=満奇洞 悠久の時間と水が地球に刻んだ造形の画廊 |website=にいみフィルムコミッション |publisher=一般社団法人 新見市観光協会 |accessdate=2023-11-16}}</ref>{{Sfn|柴田|1990|p=31}}。岡山県の[[天然記念物]]に指定されている<ref name="okayama-kanko">{{Cite web |url=https://www.okayama-kanko.jp/spot/10993 |title=満奇洞 歌人与謝野晶子が絶賛した幻想的な鍾乳洞 |website=岡山観光WEB |publisher=公益社団法人 岡山県観光連盟 |accessdate=2023-11-16}}</ref>。


== 地質 ==
映画『[[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]]』のロケ地としても知られている<ref name="okayama-kanko" />{{Efn2|1977年の映画『[[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]]』以外にも、遊歩道の画像の「八つ墓村ロケ地」の表示板のとおり、1996年の映画『[[八つ墓村 (1996年の映画)|八つ墓村]]』、2004年のテレビドラマ『[[八つ墓村#2004年版|八つ墓村]]』、2019年のテレビドラマ『[[八つ墓村#2019年版|八つ墓村]]』のロケ地にも使われている。}}。
満奇洞が分布する[[阿哲石灰岩]]は連続する[[秋吉帯]]の[[秋吉石灰岩]]や[[帝釈石灰岩]]と同様に陸源砕屑物を全く含まないため、約3億年前に[[赤道]]付近の[[太平洋]]の[[海山]]が[[海溝]]で崩壊しつつ海山周縁部と頂部に[[衝上断層]]で二分された巨大ブロックとして付加体中に取り込まれたものであると考えられている{{Sfn|中|2009|p=58}}<ref name="asahi20181127"/>。阿哲石灰岩は小型[[有孔虫]]や[[コノドント]]、[[フズリナ]]化石に基づいて下位から順に[[名越層]]、[[小谷層]]、[[岩本層]]、[[正山層]]、[[槇層]]の5層に区分される{{Sfn|中|2009|p=58}}。また、阿哲石灰岩にはこれとは別に北部相と南部相に区分され、前者は石灰質礫岩や[[チャート (岩石)|チャート]]を頻繁に挟み、海山の[[珊瑚礁|礁]]周縁部に堆積したと推測され、後者は塊状石灰岩からなり、海山頂部の礁中央部に堆積したと推測されている{{Sfn|中|2009|p=58}}。


満奇洞が開口する槇付近には層厚65 m{{small|([[メートル]])}}程度、最大層厚100 m の[[湯川層群]]槇層が分布する{{Sfn|柴田|1969|p=24}}{{Sfn|中|2009|p=59}}。槇層では南部相と北部相の差は不明瞭で、主に石灰岩礫岩から成り、上位の[[寺内層]]([[砕屑岩]]層)との境界付近ではチャートを挟む{{Sfn|中|2009|p=59}}。
== 洞内 ==
総延長は約450メートル、最大幅は約25メートルで、閉塞型の平面に発達した迷路に富む横穴となっている<ref name="niimi" />。入口のホールから[[鍾乳石]]の発達した狭い洞穴を抜けると、日本屈指の[[カルスト地形|リムストーン]]「千枚田」が広がっている<ref name="niimi" />。


岡山県道50号線から槇に至る県道320号線との合流地点の手前には石灰岩が100 m 以上にわたって露出している{{Sfn|野瀬|2013|p=113}}。これは石灰岩のみからなる石灰岩礫岩で、[[礫]]の淘汰は悪く、数 cm から20 cm 程度の角礫からなる{{Sfn|野瀬|2013|p=113}}。堆積時代は[[中期ペルム紀]]で、礫として含まれる石灰岩には[[石炭紀]]や[[ペルム紀]]初期など、堆積時より古い様々な年代の[[紡錘虫]]化石を含む石灰岩が多く含まれる{{Sfn|野瀬|2013|p=113}}{{Sfn|中|2009|p=59}}。槇層は {{snamei||Neoschwagerina douvillei}} {{AUY|Ozawa|1925}} の存在により特徴づけられる{{Sfn|柴田|1969|p=23}}{{Sfn|柴田|1990|p=36}}。
洞内には[[鍾乳石#滴下する水で形成される鍾乳石|カーテンつらら石]]・[[鍾乳石#流水で形成される鍾乳石|流れ石]]・[[鍾乳石#浸出水で形成される鍾乳石|曲がり石]]など、あらゆる種類の鍾乳石が見られる<ref name="niimi" />。「夢の宮殿」では[[断層]]が2本交錯しており、断層の鏡肌や断層[[角礫]]が確認できる<ref name="niimi" />。


また、阿哲台や帝釈台における鍾乳洞の形成は[[河岸段丘]]の発達と同質の現象であると考えられており、[[佐伏川]]沿いやその周囲の洞窟は河床面からの比高により6つのグループに分けられる{{Sfn|滝田|1972a|pp=27–33}}。{{Harvtxt|阿哲団体研究グループ|1970}} では、満奇洞は高梁川沿いの井倉面(比高 20–25 m){{Efn2|{{Harvcoltxt|滝田|1972a|pp=27–33}} における C グループ}}と対比され、第四紀([[下末吉海進|下末吉期]])の約20万年前に相当すると考えられている{{Sfn|阿哲団体研究グループ|1970|pp=225–227}}{{Sfn|柴田|1990|pp=24–25}}。{{Harvtxt|滝田|1972a}} では満奇洞は土橋の穴や二ツ木の穴とともに、そのうち標高350–370 m のグループ(a)に属するとされる{{Sfn|滝田|1972a|pp=27–33}}。このグループは高梁川沿いの{{Sfn|滝田|1972a|pp=27–33}}。このグループは豊永佐伏にある佐伏本村の段丘地形や橋の段丘地形と同レベルであるとされ、多摩期以前の新第三紀の礫層を切る谷に発達し、第四紀初期であると考えられている{{Sfn|滝田|1972a|pp=27–33}}。高梁川沿いの標高290 m のグループ(A)に対比される{{Sfn|滝田|1972a|pp=27–33}}。
洞内は常に15度前後の適温が保たれ、夏は涼しく、冬は暖かい<ref name="okayama-kanko" />。


== 洞内の構造 ==
<gallery>
洞口は4 m×1.5 mで、山腹に開口する{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}。総延長は約450 m、最大幅は約25 m で、閉塞型の平面に発達した迷路に富む横穴となっている{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}{{Sfn|柴田|1990|p=33}}<ref name="niimi" />。現在流水はないが、吐出穴である{{Sfn|柴田|1990|p=33}}。二次生成物が発達しており{{Sfn|柴田|1990|p=31}}、[[柴田晃 (洞窟学者)|柴田晃]]により、[[護王の穴]]、[[ダイヤモンドケイブ]](磐窟洞)とともに岡山県を代表する美の三大鍾乳洞に数えられる{{Sfn|柴田|1990|p=33}}。
File:The inside of MAKIDOH(limestone cavern)1.JPG|天井が低いため、屈みながら進まざるを得ないエリアがある
File:Maki-do, naibu-1.jpg|五重塔
File:The inside of MAKIDOH(limestone cavern)2.JPG|千枚田
File:The inside of MAKIDOH(limestone cavern)3.JPG|ナイアガラの滝
File:The inside of MAKIDOH(limestone cavern)7.JPG|泉水
File:Maki-do (“Oni’s living room” and “Oni’s gold stick”).jpg|鬼の居間と鬼の金棒
File:Maki Cave (Higashiyoshiwara).jpg|東吉原
File:Maki Cave (Higashi Okawa Bridge).jpg|東大川橋
File:Maki-do, naibu-4.jpg|奥の院
File:The inside of MAKIDOH(limestone cavern)6.JPG|五百羅漢
File:Maki Cave (Shiraito Falls).jpg|白糸の滝
File:The inside of MAKIDOH(limestone cavern)8.JPG|銀の幕
</gallery>


入口付近にはホール(広い空間)があり、「'''{{Vanchor|五重の塔}}'''」と呼ばれる生成物がある{{Sfn|柴田|1990|p=35}}。入口のホールを抜けると、[[鍾乳石]]の発達した狭い空間があり、そこを超えると日本屈指の[[リムストーン]](畦石、石灰華段)があり「'''{{Vanchor|千枚田}}'''」と呼ばれる{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}{{Sfn|柴田|1990|p=33}}<ref name="niimi" />{{Sfn|渡辺|1979|p=44}}。また、千枚田付近には「'''{{Vanchor|大黒柱}}'''」と呼ばれる[[石柱]]がある{{Sfn|渡辺|1979|p=44}}。続いて、「'''{{Vanchor|泉水}}'''」と呼ばれるプール(地底湖)が水を湛え{{Sfn|前野|2007|pp=176–182}}、「'''{{Vanchor|鬼の居間}}'''」と呼ばれる二次生成物に富む空間が続く{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}。洞奥の巨大なホール「'''{{Vanchor|竜宮}}'''(龍宮)」には無数の[[つらら石]]が発達し{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}{{Sfn|柴田|1990|p=33}}、[[ケイブコーラル]](洞窟珊瑚)も多くみられる{{Sfn|柴田|1969|p=16}}。洞右奥にある「'''{{Vanchor|奥の院}}'''」も二次生成物が発達する{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}。洞内を通して、つらら石や石柱だけでなくほとんどの二次生成物が観察でき、[[石筍]]、[[カーテン (二次生成物)|カーテン]](幕石)や[[ベーコン (二次生成物)|ベーコン]]、[[フローストーン]](流れ石)、ストロー([[鍾乳管]])、[[ヘリクタイト]](曲がり石)、[[ヘリグマイト]]などが見られる{{Sfn|柴田|1990|p=33}}<ref name="niimi" />{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}{{Sfn|柴田|1969|p=18}}。その変化に富む様子から「洞窟の博物館」と評される{{Sfn|柴田|1990|p=33}}<ref name="asahi20181127"/><ref name="mainichi20190104">{{Cite news|和書|author=高橋祐貴|title=虹架かる: 豪雨からの復興 ③新見 満奇洞 愛された遺産、次世代へ|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2019-01-04|edition=岡山版|url=https://mainichi.jp/articles/20190104/ddl/k33/040/197000c|accessdate=2023-11-19}}</ref>。これらの二次生成物には人間活動の影響で煤の付着が見られるものもある{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}。
== 見どころ ==
日本屈指の[[カルスト地形|リムストーン]]「千枚田」が広がり、巨大なホール「竜宮」には無数の[[鍾乳石#滴下する水で形成される鍾乳石|鐘乳管]]や、発達した[[鍾乳石#滴下する水で形成される鍾乳石|つらら石]]・[[鍾乳石#流水で形成される鍾乳石|流れ石]]・[[石筍]]・[[石柱]]が見られる<ref name="niimi" />。


洞内には断層がみられるが、つらら石やフローストーンにより被覆されている{{Sfn|柴田|1969|p=15}}。「'''{{Vanchor|夢の宮殿}}'''」では[[断層]]が2本交錯しており、断層の鏡肌や断層[[角礫]]が確認できる{{Sfn|柴田|1990|p=33}}<ref name="niimi" />。
雄大な地底湖があり、最奥の洞内湖にかかる「竜宮橋」や、数々の[[鍾乳石]]がカラフルな[[LED照明]]でライトアップされ、幻想的な雰囲気が楽しめる<ref name="okayama-kanko" />。


一般に、鍾乳洞内の気温は一年を通して一定である{{Sfn|伊藤田|2018|p=41}}。これは洞内には太陽光線による熱が届かず、そこに流れる地下水の温度の影響を受けるためである{{Sfn|伊藤田|2018|p=41}}。地下水の温度はその地域の平均気温とほぼ同じであり{{Sfn|伊藤田|2018|p=41}}、満奇洞内の気温はほぼ一定で、平均13 [[セルシウス度|℃]]程度の適温が保たれ、夏は涼しく、冬は暖かい<ref name="asahi19701016"/>{{Efn2|15 [[セルシウス度|℃]] 前後とも<ref name="okayama-kanko" />}}。洞内にあるプールは停水のみで流水はない{{Sfn|日本洞窟協会|1979|p=4}}{{Sfn|柴田|1990|p=33}}。
洞奥の「恋人の泉」は「[[恋人の聖地]]」に選定されている<ref name="okayama-kanko" />。


また満奇洞は洞窟系の発達段階について、前述の河岸段丘だけでなく、洞内のノッチ(溶蝕溝)についても研究が行われている{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}。洞内にはノッチが発達し、よく保存されている{{Sfn|柴田|1990|p=33}}。満奇洞の[[水平天井]]はある1つの横穴形成期(レベル)にできたもので、洞内のノッチと同質のものであると考えられている{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}。満奇洞の天井は大きく5つの比高に区分され、洞口の水準を0 m として、そこから約150 cm、約250 cm、約350 cm、約550–660 cm、そして割れ目(クラック)に沿う高い天井が認識される{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}。割れ目に沿う高い天井は洞窟の形成初期にできたもので、地下水面の不安定な時期のものであると考えられる{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}{{Sfn|柴田|1990|p=34}}。そして残りは安定水面により形成された水平天井とそこに二次生成物が覆い基質の石灰岩が見えなくなった天井であると考えられる{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}{{Sfn|柴田|1990|p=34}}。最も高い水平天井は「[[#竜宮|竜宮]]」から「夢の宮殿」、「奥の院」を経由し「'''{{Vanchor|吉原}}'''(吉原格子)」に至る観光洞最奥部と「五重の塔」付近の入口のホールにあり、最も古いと考えられる{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}{{Sfn|柴田|1990|p=35}}。[[#泉水|泉水]]の手前に最も低い190 cm 以下の天井があることから、これらの高い水平天井は独立に形成されたと推定されている{{Sfn|滝田|1972b|pp=34–37}}{{Sfn|柴田|1990|p=36}}。
<gallery>
File:Maki Cave (Senmaida).jpg|千枚田
File:Maki Cave (Dream Bridge).jpg|竜宮
File:Maki-do underground lake.jpg|地底湖
File:満奇洞4 - panoramio.jpg|竜宮橋
File:Maki Cave (Lover's Fountain).jpg|恋人の泉
</gallery>


{{Multiple image
== 歴史 ==
|align=center
* [[1957年]]([[昭和]]32年) : [[11月5日]]、[[岡山県庁|岡山県]]が[[岡山県指定天然記念物]]に指定。
|total_width=1000
* [[2014年]]([[平成]]26年) : この年、[[LED照明]]を導入<ref name="2015-07-08"/>。
|image1=The inside of MAKIDOH(limestone cavern)1.JPG
* [[2015年]](平成27年) : この年、[[一般社団法人]]照明学会主催の「照明普及賞」を受賞<ref name="2015-07-08"/>。
|caption1=天井が低いため、屈みながら進まざるを得ないエリアがある
|image2=Maki-do, naibu-1.jpg
|caption2=[[#五重の塔|五重の塔]]
|image3=Maki Cave (Senmaida).jpg
|caption3=[[#千枚田|千枚田]]
|image4=The inside of MAKIDOH(limestone cavern)3.JPG
|caption4=ナイアガラの滝
}}
{{Multiple image
|align=center
|total_width=1000
|image1=The inside of MAKIDOH(limestone cavern)7.JPG
|caption1=[[#泉水|泉水]]
|image2=Maki-do (“Oni’s living room” and “Oni’s gold stick”).jpg
|caption2=[[#鬼の居間|鬼の居間]]と鬼の金棒
|image3=Maki Cave (Higashiyoshiwara).jpg
|caption3=[[#吉原|東吉原]]
|image4=Maki Cave (Higashi Okawa Bridge).jpg
|caption4=東大川橋
}}
{{Multiple image
|align=center
|total_width=1000
|image1=Maki-do, naibu-4.jpg
|caption1=[[#奥の院|奥の院]]
|image2=The inside of MAKIDOH(limestone cavern)6.JPG
|caption2=五百羅漢
|image3=Maki Cave (Shiraito Falls).jpg
|caption3=白糸の滝
|image4=The inside of MAKIDOH(limestone cavern)8.JPG
|caption4=銀の幕
}}


== 所在地 ==
== 観光開発 ==
[[File:Blasthole_in_Maki-do_cave.jpg|thumb|200px|満奇洞の観光化により開けられた発破跡。]]
* 岡山県新見市豊永赤馬<ref name="2015-07-08">{{Cite news |title=新見・満奇洞が照明普及賞を受賞 LEDで神秘的な雰囲気演出 |newspaper=[[山陽新聞]] |publisher=[[山陽新聞社]] |date=2015-07-08 |url=http://www.sanyonews.jp/article/199074/1 |accessdate=2015-07-12}}</ref>
観光化にあたって、小規模な切削が行われた{{Sfn|柴田|1990|p=31}}。千枚田では通行のために排水のための[[ボーリング]]工事も行われた{{Sfn|柴田|1990|p=31}}。これにより、リムストーン上を流れていた水流が涸れ、洞内の湿度が急速に低下して二次生成物の生成の停止、洞壁の乾燥、フローストーンの[[風化]]や脱落が進行した{{Sfn|柴田|1990|p=31}}。現在では洞外から水を汲み入れ、風化を抑えている{{Sfn|柴田|1990|p=32}}。

2019年現在の来洞者数は年間4–5万人<ref name="yomiuri20190625">{{Cite news|和書|author=根本博行|title=満奇洞 一丸で魅力創出|newspaper=読売新聞|publisher=読売新聞社|date=2019-06-25|page=31|edition=岡山版 朝刊}}</ref>。1970年ごろは年間3万人程度であった<ref name="asahi19701016"/>。近年は中国や台湾を中心とした訪日外国人が毎年2割近く増えている<ref name="mainichi20190104"/>。

観光洞部最奥には大きなプール(地底湖)があり{{Sfn|野瀬|2013|p=113}}、そこにかかる「'''竜宮橋'''」や、数々の[[鍾乳石]]がカラフルな[[LED照明]]でライトアップされ、幻想的な雰囲気が楽しめる<ref name="okayama-kanko" />。洞奥の「'''恋人の泉'''」は「[[恋人の聖地]]」に選定されている<ref name="okayama-kanko" />。

[[2018年]](平成30年)7月には、[[平成30年7月豪雨|西日本豪雨]]の被害により洞内に土砂が堆積し、その撤去やトイレの修繕のため2週間にわたり休業した<ref name="yomiuri20190625"/><ref name="mainichi20190104"/>。営業再開後も主要道路の土砂崩れなどの影響で7–8月の来洞者数は前年の6割に減少した<ref name="yomiuri20190625"/>。

{{Multiple image
|align=center
|total_width=1000
|image1=Maki Cave (Dream Bridge).jpg
|caption1=[[#竜宮|竜宮]]
|image2=Maki-do underground lake.jpg
|caption2=地底湖
|image3=満奇洞4 - panoramio.jpg
|caption3=竜宮橋
|image4=Maki Cave (Lover's Fountain).jpg
|caption4=恋人の泉
}}

=== 沿革 ===
* [[1950年]]([[昭和]]25年)10月 - 電灯照明を導入{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}。
* [[1957年]](昭和32年)[[11月5日]] - [[岡山県庁|岡山県]]が「阿哲台」として[[岡山県指定天然記念物]]に指定{{Sfn|柴田|1990|p=13}}<ref>{{Cite report|author=岡山県教育庁文化財課|url=https://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/263707.pdf|title=阿哲台(満奇洞、秘坂鐘乳穴、宇山洞、縞嶽、諏訪の穴、井倉洞)|website=岡山県立図書館 電子図書館システム デジタル岡山大百科|accessdate=2023-11-20}}</ref>。
* [[2014年]]([[平成]]26年)3月 - [[LED照明]]を導入<ref name="niimi-gr">{{Cite web|url=https://niimi.gr.jp/member/member_detail/index/80.html |title=満奇洞保存会|website=新見市観光協会|accessdate=2023-11-19}}</ref><ref name="2015-07-08">{{Cite news |title=新見・満奇洞が照明普及賞を受賞 LEDで神秘的な雰囲気演出 |newspaper=[[山陽新聞]] |publisher=[[山陽新聞社]] |date=2015-07-08 |url=http://www.sanyonews.jp/article/199074/1 |accessdate=2015-07-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150710190103/http://www.sanyonews.jp/article/199074/1/|archivedate=2015-07-10}}</ref>。
* [[2015年]](平成27年)7月 - [[一般社団法人]]照明学会主催の「照明普及賞」を受賞<ref name="2015-07-08"/>。

== 生物相 ==
満奇洞はもともと[[洞穴生物|洞窟性動物]]の生息条件が優れていたが、人為的な破壊や観光部の照明設置、観光客の入洞などにより貧栄養で動物相は衰退している{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}。現在でも非観光部の洞奥には洞床に[[グアノ]]が見られる{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}。

満奇洞で確認された動物相は以下の通りである{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}。1954年5月には、[[コウモリ]]は10頭程度、[[トビムシ目|トビムシ類]]は少数が2–3か所で観察されている{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}。
* [[蛛形綱]] {{sname||Arachnida}}
** [[マシラグモ属]]の一種 {{Snamei||Leptoneta}} sp.{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}
** [[ウズグモ]] {{Snamei||Uloborus varians}} {{small|{{AUY|Yaginuma|1960}}}}{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}
** [[クモ目]]の一種 {{Sname||Araneida}} {{lang|la|gen. et sp. indet.}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[ツチカニムシ]]の一種 {{Sname||Pseudoscorpiones}} {{lang|la|gen. et sp. indet.}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}
* [[六脚類|六脚綱]] {{sname||Hexapoda}}
** [[クワヤマナガコムシ属]]の一種 {{Snamei||Metriocampa}} sp.{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[リュウガトゲトビムシ]] {{Snamei||Tritomurus riugadoensis}} {{small|{{AUY|[[吉井良三|Yosii]]|1939}}}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[マダラカマドウマ]] {{Snamei||Diestrammena japonica}} {{small|{{AUY|Blatchley|1920}}}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[タイシャクナガチビゴミムシ]]阿哲亜種 {{Snamei||Trechiama yokoyamai ishikawai}} {{small|{{AUY|S. Uéno|1958}}}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}{{Sfn|Uéno|1958|pp=185–197}}
** [[チビシデムシ属]]の一種 {{Snamei||Catops}} sp.{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[ウスグロオオナミシャク]] {{snamei||Triphosa dubitata amblychiles}} {{small|{{AUY|Prout|1837}}}}{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}
** [[双翅目]]の一種 {{Sname||Diptera}} {{lang|la|gen. et sp. indet.}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
* [[倍脚綱]] {{Sname||Diplopoda}}
** [[ウスアカオビヤスデ]] {{Snamei||Epanerchodus sanctus}} {{small|{{AUY|Miyosi|1951}}}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[リュウガヤスデ属]]の一種 {{Snamei||Skleroprotopus}} sp.{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[フトケヤスデ]] {{Snamei||Tokyosoma takakuwai}} {{small|{{AUY|Verhoeff|1932}}}}{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}{{Efn2|{{Harvcoltxt|石川|1955|pp=16–22}} では[[フトケヤスデ属]]の一種 {{Snamei||Tokyosoma}} sp. として。}}
* [[腹足綱]] {{Sname||Gastropoda}}
** [[キセルモドキ]] {{snamei||Mirus reinianus}} {{small|({{AUY|Kobelt|1875}})}}{{Sfn|福田|2020|p=483}}
** [[ホソヒメギセル]] {{Snamei||Megalophaedusa gracilispira}} {{small|({{AUY|Möllendorff|1882}})}}{{Sfn|福田|2020|p=488}}
** [[オカヤマシタラ]] {{snamei||Parasitala okayamaensis}} {{small|{{lang|la|[[裸名|nom. nud.]]}}}}{{Sfn|福田|2020|p=502}}
** [[サチマイマイ]] {{snamei||Aegista fausta}} {{small|{{AU|[[黒田徳米|Kuroda]]}} & {{AUY|Habe|1951}}}}{{Sfn|福田|2020|p=512}}
** [[ハタケダマイマイ]] {{snamei||Aegista hatakedai hatakedai}} {{small|{{AU|[[黒田徳米|Kuroda]]}} & {{AUY|Habe|1951}}}}{{Sfn|福田|2020|p=513}}
** [[カワムラマイマイ]] {{snamei||Aegista hatakedai kawamurai}} {{small|{{AU|[[黒田徳米|Kuroda]]}} & {{AUY|Habe|1951}}}}{{Sfn|福田|2020|p=514}}
** [[コオオベソマイマイ]] {{snamei||Aegista proba mimula}} {{small|({{AUY|Pilsbry|1901}})}}{{Sfn|福田|2020|p=518}}
** [[サンインコベソマイマイ]] {{snamei||Satsuma omphalodes}} {{small|({{AUY|Pilsbry|1901}})}}{{Sfn|福田|2020|p=530}}
* [[哺乳綱]] {{Sname||Mammalia}}
** [[コキクガシラコウモリ]] {{Snamei||Rhinolophus cornutus cornutus}} {{small|{{AUY|Temminck|1834}}}}{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}
** [[キクガシラコウモリ]] {{Snamei||Rhinolophus ferrumequinum}} {{small|({{AUY|Schreber|1774}})}}{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}

== 調査 ==
[[File:Exploration_of_Maki-do_cave.jpg|thumb|200px|2019年6月15日に行われた満奇洞非公開部の調査。]]
周辺地域の豊永台は[[岡山大学]]ケイビングクラブにより継続的に洞窟調査がなされている{{Sfn|岡山大学ケイビングクラブ|2001|pp=1–6}}{{Sfn|岡山大学ケイビングクラブ|2016|p=62}}。豊永台にはこれまでに20の石灰洞が報告され{{Sfn|岡山大学ケイビングクラブ|2001|p=42}}、2016年時点で新見市下には105洞{{Sfn|岡山大学ケイビングクラブ|2016|p=70}}、岡山県下には181洞が報告されている{{Sfn|岡山大学ケイビングクラブ|2016|p=69}}。

満奇洞では、1954年5月4日に[[高知女子大学]]の[[石川重治郎]]により動物相の調査が行われた{{Sfn|石川|1955|pp=16–22}}。この際の外気温は16.8 ℃ に対し、洞内の気温は13.8 ℃、水温は12.8 ℃ であった。また、洞内の水はpH 7.8で溶存酸素量は6.0 [[平方センチメートル|cm<sup>3</sup>]]/L であった。その後も[[上野俊一]]や[[岡本忠 (昆虫学者)|岡本忠]]らにより動物相が調べられている{{Sfn|岡本|1972|pp=58–65}}{{Sfn|Uéno|1958|pp=185–197}}。

2019年6月15日には、うきぐもケイビングクラブなどのケイビング団体のメンバーにより、立入禁止箇所以奥の状況の調査が行われた<ref name="yomiuri20190625"/>{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}。写真撮影や未記載空間の測量が行われた{{Sfn|木村|植野|2019|pp=10–14}}。

== 文化 ==
[[File:Maki-do Promenade.jpg|thumb|280px|満奇洞前の[[遊歩道]]<br/>[[金田一耕助]]の立て看板に、各映画作品・テレビドラマ作品の写真が貼付されている。<br/>「八つ墓村ロケ地」の表示板には、「昭和52年 [[渥美清]]」「平成8年 [[豊川悦司]]」「平成16年 [[稲垣吾郎]]」「平成31年 [[吉岡秀隆]]」と、作品公開年と金田一役の俳優名が記されている。]]
発見の際、地元の狩人たちは無数の[[鍾乳石]]を見つけて採取し、[[浪花]](現在の[[大阪]])に持っていき、売って多くの利益を得たと伝わる{{Sfn|吉田|1972|pp=1460–1461}}。

[[与謝野鉄幹]]・[[与謝野晶子|晶子]]夫妻が訪れた際には、次のような歌が詠まれた{{Sfn|柴田|1990|p=32}}{{Sfn|渡辺|1979|p=220}}。当時は[[松明]]の火を頼りに洞内を歩いたと考えられる<ref name="asahi20181127"/>。
{{Quote|おのづから不思議を満たす百の房 ならびて広き山の洞かな|寛}}
{{Quote|まきの洞ゆめにわが見る世のごとく 玉より成れる殿づくりかな|寛}}
{{Quote|満奇の洞千畳敷の蝋の火の あかりに見たる顔を忘れじ|晶子}}
このうち、「おのづから…」「満奇の洞…」で始まる2首は満奇洞付近にある1.3 m の[[花崗岩]]の歌碑に刻まれている{{Sfn|渡辺|1979|p=220}}。

槇集落の人々にとっては、満奇洞は地域の宝となっている<ref name="asahi20181127"/>。集落の人々は幼少期に竹に火をつけて入洞し遊んだりしていた<ref name="asahi20181127"/>。50年以上にわたり、「満奇洞保存会」が組織されており、満奇洞周辺の清掃や草刈りをしている<ref name="asahi20181127"/>。

映画『[[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]]』のロケ地としても知られている<ref name="okayama-kanko" />。戦中戦後を疎開先の[[吉備郡]]岡田村(現・[[倉敷市]][[真備町]]岡田)で過ごした[[横溝正史]]は、原作小説の『[[八つ墓村]]』の構想を練り始めたころ、知人から作品の舞台に適当な村として[[新見駅]]の近くの[[鍾乳洞]]がある村を教えてもらったこともあって<ref>{{Cite book|和書| author = [[横溝正史]] | title = 真説 金田一耕助 | quote = 「八つ墓村」考 III | pages=138-141 | publisher = [[角川書店]] | series = [[角川文庫]] | date = 1979-01-05}}</ref>、原作にも「[[新見駅|Nという駅]]」や「[[千屋牛]]」など新見市にちなむと考えられる件が登場する<ref name="asahi20181127"/>。1977年の映画『[[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]]』以来、1996年の映画『[[八つ墓村 (1996年の映画)|八つ墓村]]』、2004年のテレビドラマ『[[八つ墓村#2004年版|八つ墓村]]』、2019年のテレビドラマ『[[八つ墓村#2019年版|八つ墓村]]』のロケ地にも使われている<ref name="niimi-gr"/>。1977年の映画『八つ墓村』では、満奇洞や[[秋芳洞]]を含む約10か所の洞窟を1つの洞窟に仕立てている<ref name="asahi20181127"/>。1996年の映画『八つ墓村』では、3月3日から13日にかけて岡山県下で撮影が行われ、うち3月5日に満奇洞で寺田辰弥に扮する[[高橋和也]]が田治見家に通じる鍾乳洞に初めて足を踏み入れるシーンの撮影が行われた<ref>{{Cite news|title=満奇洞舞台にロケ 金田一役は[[豊川悦司]] 今秋公開の映画「八つ墓村」 13日まで岡山県下主要キャストそろう|newspaper=[[山陽新聞]]|publisher=[[山陽新聞社]]|date=1996-03-10|page=19}}</ref>。2004年のドラマ『八つ墓村』では、原作に忠実にするため、鍾乳洞の場面は全て新見市下で撮影され、複数の場面が満奇洞で撮影されている<ref name="asahi20181127"/>。

[[阿哲台]]では1995年まで[[トゥファ]]が観賞用([[盆栽]]用{{Sfn|阿哲団体研究グループ|1970|pp=225–227}})として採掘され、特産品として満奇洞の土産物屋で販売されていた{{Sfn|中ほか|1999|pp=91–116}}。トゥファは阿哲台においては古くから「水岩石」(すいがんせき、水含石)と呼ばれ親しまれてきた{{Sfn|阿哲団体研究グループ|1970|pp=225–227}}{{Sfn|中ほか|1999|pp=91–116}}。トゥファを特産品として扱ってきたという事実は日本の石灰岩地域ではほかに例がない{{Sfn|中ほか|1999|pp=91–116}}。


== 料金・交通 ==
== 料金・交通 ==
* [[中国自動車道]][[北房インターチェンジ|北房IC]]より[[国道313号]]等を経由して車で約30分
* [[中国自動車道]][[北房インターチェンジ|北房IC]]より[[国道313号]]等を経由して車で約30分
* [[井倉駅|JR井倉駅]]より[[備北バス]]満奇洞行き満奇洞下車、約38分乗車
* [[井倉駅|JR井倉駅]]より[[備北バス]]満奇洞行き満奇洞下車、約38分乗車
* 無料駐車場あり。入場料金は大人1000円、中学生800円、小学生500円
* 無料駐車場あり。入場料金は大人1000円、中学生800円、小学生500円<ref name="niimi-gr"/>
* 営業時間は午前8時30分から午後5時<ref name="asahi20181127"/>(最終入場は午後4時30分<ref name="okayama77"/>)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=赤木敏太郎|title=豊永村誌|publisher=阿哲郡豊永村|date=1933-11|pages=16–17|ref={{SfnRef|赤木|1933}} }}
* {{Cite journal|last=Uéno|first=Shun-ichi|author-link=上野俊一|title=The Cave Trechids from the Central Part of the Chûgoku District, Japan (II) : The Geographical Races of ''Trechiama yokoyamai'' S. Uéno|journal=Memoirs of the College of Science, University of Kyoto, Series B|volume=25|issue=3|date=1958|pages=185–197|url=https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/258539/1/mcsuk-b_25_3_185.pdf |ref=harv}}
* {{Cite journal|author=阿哲団体研究グループ|title=洞くつ地質学ノート 5. 阿哲台の鍾乳洞と河岸段丘|journal=地球科学|volume=24|issue=5|date=1970|doi=10.15080/agcjchikyukagaku.24.6_225|pages=225–227|ref=harv }}
* {{Cite journal|author=石川重治郎|title=岡山県の三主要石灰洞窟とその動物相|journal=高知女子大学紀要|volume=4|issue=1|pages=16–22|date=1955|ref={{SfnRef|石川|1955}} }}
* {{Cite book|和書|author=伊藤田直史|author-link=伊藤田直史|chapter=Question11 夏に洞窟に入ると涼しいのはなぜですか?|title=洞窟の疑問 ―探検から観光,潜む生物まで,のぞきたくなる未知の世界―|editor=伊藤田直史・後藤聡|others=日本洞窟学会 |publisher=成山堂書店|pages=41–42|isbn=978-4425983117|ref={{SfnRef|伊藤田|2018}} }}
* {{Cite book|和書|author1=浦田健作|author1-link=浦田健作|author2=伊藤田直史|author2-link=伊藤田直史|chapter=Question3 観光では入れる洞窟はどのくらいありますか?|title=洞窟の疑問 ―探検から観光,潜む生物まで,のぞきたくなる未知の世界―|editor=伊藤田直史・後藤聡|others=日本洞窟学会 |publisher=成山堂書店|pages=7–11|isbn=978-4425983117|ref={{SfnRef|浦田・伊藤田|2018}} }}
* {{Cite book|和書|author=岡本忠|chapter=イ 阿哲台の洞くつの動物|title=阿哲台の鍾乳洞|publisher=新見市教育委員会|date=1972|pages=58–65|ref={{SfnRef|岡本|1972}} }}
* {{Cite book|和書|author=岡山大学ケイビングクラブ|title=報告書第11集|date=2001-03-10|publisher=岡山大学ケイビングクラブ|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=岡山大学ケイビングクラブ|title=報告書第12集|date=2016-03-01|publisher=岡山大学ケイビングクラブ|ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author1=木村紘也|author2=植野智大|title=観光洞「満奇洞」の非観光部調査・撮影|journal=Caving Journal|publisher=[[日本洞窟学会]]|volume=67|date=2019-12-01|pages=10–14|ref={{SfnRef|木村|植野|2019}} }}
* {{Cite book|和書|author=柴田晃|author-link=柴田晃 (洞窟学者)|title=阿哲台カルスト|date=1969-06-01|doi=10.11501/9668803 |ref={{SfnRef|柴田|1969}} }}
* {{Cite book|和書|author=柴田晃|author-link=柴田晃 (洞窟学者)|title=暗黒の世界への挑戦―阿哲台の鍾乳洞―|publisher=日本ボーイスカウト新見第一団発団25周年記念事業実行委員会|date=1990-11-25|ref={{SfnRef|柴田|1990}} }}
* {{Cite book|和書|author=滝田澄正|chapter=ウ 鍾乳洞と河岸段丘|title=阿哲台の鍾乳洞|publisher=新見市教育委員会|date=1972|pages=27–33|ref={{SfnRef|滝田|1972a}} }}
* {{Cite book|和書|author=滝田澄正|chapter=エ ノッチの意味|title=阿哲台の鍾乳洞|publisher=新見市教育委員会|date=1972|pages=34–37|ref={{SfnRef|滝田|1972b}} }}
* {{Cite journal|和書|editor=日本洞窟協会|title=鍾乳洞一覧表|publisher=日本洞窟協会|journal=洞人(第2回日本洞窟大会記念号)|volume=1|issue=4|date=1979|pages=4–23|ref={{SfnRef|日本洞窟協会|1979}} }}
* {{Cite journal|author1=中孝仁|author1-link=中孝仁|author2=狩野彰宏|author2-link=狩野彰宏|author3=佐久間浩二|author3-link=佐久間浩二|author4=井原拓二|author4-link=井原拓二|title=岡山県阿哲台のトゥファ―地質・地形・水質からみたトゥファの堆積条件と堆積機構―|journal=地質調査所月報|volume=50|issu=2|date=1999 |pages=91–116|issn=00167665|url=https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/50-02_02.pdf|ref={{SfnRef|中ほか|1999}} }}
* {{Cite book|和書|author=中孝仁 |chapter=2.3.5 阿哲台とその周辺の古生界|editor=日本地質学会|title=日本地方地質誌6 中国地方|pages=57–62|date=2009-09-15|isbn=978-4254167863|ref={{SfnRef|中|2009}} }}
* {{Cite book|和書|author=野瀬重人|title=改訂 岡山県地学のガイド 岡山県の地質とそのおいたち|editor=岡山県地学のガイド編集委員会|series=地学のガイドシリーズ11|publisher=コロナ社|date=2013-02-25|isbn=978-4339075472|ref={{SfnRef|野瀬|2013}} }}
* {{Cite report|和書|author=福田宏|author-link=福田宏|title=岡山県版レッドデータブック2020 7.軟体動物|url=https://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/656841_5703465_misc.pdf|pages=442–574|editor=岡山県野生動植物調査検討会|publisher=岡山県環境文化部 自然環境課|date=2020-03|accessdate=2023-11-19|ref={{SfnRef|福田|2020}} }}
* {{Cite book|和書|author=前野あけみ|chapter=岡山 水をめぐる旅|pages=176–182|title=吉備の国岡山再発見の旅|editor=旅行作家の会|date=2007-01|publisher=現代旅行研究所|isbn=978-4-87482-092-6|ref={{SfnRef|前野|2007}} }}
* {{Cite book|和書|editor=吉田研一|title=備中誌 下編|publisher=日本文教出版|date=1972|pages=1460–1461|ref={{SfnRef|吉田|1972}} }}
* {{Cite book|和書|author=渡辺毅|title=続新見阿哲の記録―地理・地学・羊歯・トンボ・石造美術・城址―|date=1979-01-15|id={{国立国会図書館書誌ID|000001987343}}|ref={{SfnRef|渡辺|1979}} }}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
89行目: 217行目:


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://www.city.niimi.okayama.jp/kanko/spot/spot_detail/index/77.html 満奇洞]にいみ公式観光サイト えーとこ発見
* [https://www.city.niimi.okayama.jp/kanko/spot/spot_detail/index/77.html 満奇洞] - にいみ公式観光サイト えーとこ発見
* [https://niimi.gr.jp/member/member_detail/index/80.html 満奇洞保存会] - 新見市観光協会


{{鍾乳洞}}
{{鍾乳洞}}

2023年11月28日 (火) 23:40時点における版

満奇洞
洞口
満奇洞の位置を示した地図
満奇洞の位置を示した地図
満奇洞の位置(岡山県)
地図
所在地岡山県新見市豊永赤馬とよながあこうま2276-2[1](槇[2][3]
座標北緯34度58分18.3秒 東経133度35分0.3秒 / 北緯34.971750度 東経133.583417度 / 34.971750; 133.583417座標: 北緯34度58分18.3秒 東経133度35分0.3秒 / 北緯34.971750度 東経133.583417度 / 34.971750; 133.583417
総延長450 m[4]
発見江戸時代末期(天保[5]
洞口数1[4]
一般公開観光洞[4]
照明あり
訪問者数4–5万人[6]
他言語表記Maki-dō[4] (英語)
洞窟測量洞くつ団研グループ (1970)[7]
登録岡山県指定天然記念物[7]

満奇洞(まきどう)は、岡山県新見市阿哲台豊永台)にある鍾乳洞(石灰洞)である[4][8]岡山県指定天然記念物[4][7]、岡山県高梁川上流県立自然公園特別地域に含まれる[9]二次生成物の発達した鍾乳洞として知られる[10]槇の穴(槙の穴[11]、まきのあな)とも呼ばれる[12][13][14]

概要

江戸時代末期の天保の初年に発見された[14]。当時の洞口は現在よりもっと小さく直径33 cmセンチメートル[15]赤馬あこうま[注 1]に住む狩人2人が逃げるタヌキを追い詰めた際に偶然発見したと伝わる[14][17]。もとは槇(まき)という地名()から「槇の穴」と呼ばれていたが、1929年昭和4年)10月にこの地を訪れた歌人の与謝野鉄幹晶子夫妻により「奇に満ちた洞」との意から「満奇洞」と改められた[18][19][20][21][11]

岡山県の鍾乳洞ではもっとも早く存在が認知されたといわれ、新見市内の洞窟群の中でも早くから開発が行われた[22][10]。岡山県の天然記念物に指定されている[23]

地質

満奇洞が分布する阿哲石灰岩は連続する秋吉帯秋吉石灰岩帝釈石灰岩と同様に陸源砕屑物を全く含まないため、約3億年前に赤道付近の太平洋海山海溝で崩壊しつつ海山周縁部と頂部に衝上断層で二分された巨大ブロックとして付加体中に取り込まれたものであると考えられている[24][20]。阿哲石灰岩は小型有孔虫コノドントフズリナ化石に基づいて下位から順に名越層小谷層岩本層正山層槇層の5層に区分される[24]。また、阿哲石灰岩にはこれとは別に北部相と南部相に区分され、前者は石灰質礫岩やチャートを頻繁に挟み、海山の周縁部に堆積したと推測され、後者は塊状石灰岩からなり、海山頂部の礁中央部に堆積したと推測されている[24]

満奇洞が開口する槇付近には層厚65 mメートル程度、最大層厚100 m の湯川層群槇層が分布する[25][26]。槇層では南部相と北部相の差は不明瞭で、主に石灰岩礫岩から成り、上位の寺内層砕屑岩層)との境界付近ではチャートを挟む[26]

岡山県道50号線から槇に至る県道320号線との合流地点の手前には石灰岩が100 m 以上にわたって露出している[18]。これは石灰岩のみからなる石灰岩礫岩で、の淘汰は悪く、数 cm から20 cm 程度の角礫からなる[18]。堆積時代は中期ペルム紀で、礫として含まれる石灰岩には石炭紀ペルム紀初期など、堆積時より古い様々な年代の紡錘虫化石を含む石灰岩が多く含まれる[18][26]。槇層は Neoschwagerina douvillei Ozawa, 1925 の存在により特徴づけられる[27][28]

また、阿哲台や帝釈台における鍾乳洞の形成は河岸段丘の発達と同質の現象であると考えられており、佐伏川沿いやその周囲の洞窟は河床面からの比高により6つのグループに分けられる[29]阿哲団体研究グループ (1970) では、満奇洞は高梁川沿いの井倉面(比高 20–25 m)[注 2]と対比され、第四紀(下末吉期)の約20万年前に相当すると考えられている[13][30]滝田 (1972a) では満奇洞は土橋の穴や二ツ木の穴とともに、そのうち標高350–370 m のグループ(a)に属するとされる[29]。このグループは高梁川沿いの[29]。このグループは豊永佐伏にある佐伏本村の段丘地形や橋の段丘地形と同レベルであるとされ、多摩期以前の新第三紀の礫層を切る谷に発達し、第四紀初期であると考えられている[29]。高梁川沿いの標高290 m のグループ(A)に対比される[29]

洞内の構造

洞口は4 m×1.5 mで、山腹に開口する[4]。総延長は約450 m、最大幅は約25 m で、閉塞型の平面に発達した迷路に富む横穴となっている[4][2][22]。現在流水はないが、吐出穴である[2]。二次生成物が発達しており[10]柴田晃により、護王の穴ダイヤモンドケイブ(磐窟洞)とともに岡山県を代表する美の三大鍾乳洞に数えられる[2]

入口付近にはホール(広い空間)があり、「五重の塔」と呼ばれる生成物がある[31]。入口のホールを抜けると、鍾乳石の発達した狭い空間があり、そこを超えると日本屈指のリムストーン(畦石、石灰華段)があり「千枚田」と呼ばれる[4][2][22][32]。また、千枚田付近には「大黒柱」と呼ばれる石柱がある[32]。続いて、「泉水」と呼ばれるプール(地底湖)が水を湛え[11]、「鬼の居間」と呼ばれる二次生成物に富む空間が続く[7]。洞奥の巨大なホール「竜宮(龍宮)」には無数のつらら石が発達し[4][2]ケイブコーラル(洞窟珊瑚)も多くみられる[33]。洞右奥にある「奥の院」も二次生成物が発達する[7]。洞内を通して、つらら石や石柱だけでなくほとんどの二次生成物が観察でき、石筍カーテン(幕石)やベーコンフローストーン(流れ石)、ストロー(鍾乳管)、ヘリクタイト(曲がり石)、ヘリグマイトなどが見られる[2][22][7][34]。その変化に富む様子から「洞窟の博物館」と評される[2][20][35]。これらの二次生成物には人間活動の影響で煤の付着が見られるものもある[7]

洞内には断層がみられるが、つらら石やフローストーンにより被覆されている[36]。「夢の宮殿」では断層が2本交錯しており、断層の鏡肌や断層角礫が確認できる[2][22]

一般に、鍾乳洞内の気温は一年を通して一定である[37]。これは洞内には太陽光線による熱が届かず、そこに流れる地下水の温度の影響を受けるためである[37]。地下水の温度はその地域の平均気温とほぼ同じであり[37]、満奇洞内の気温はほぼ一定で、平均13 程度の適温が保たれ、夏は涼しく、冬は暖かい[15][注 3]。洞内にあるプールは停水のみで流水はない[4][2]

また満奇洞は洞窟系の発達段階について、前述の河岸段丘だけでなく、洞内のノッチ(溶蝕溝)についても研究が行われている[38]。洞内にはノッチが発達し、よく保存されている[2]。満奇洞の水平天井はある1つの横穴形成期(レベル)にできたもので、洞内のノッチと同質のものであると考えられている[38]。満奇洞の天井は大きく5つの比高に区分され、洞口の水準を0 m として、そこから約150 cm、約250 cm、約350 cm、約550–660 cm、そして割れ目(クラック)に沿う高い天井が認識される[38]。割れ目に沿う高い天井は洞窟の形成初期にできたもので、地下水面の不安定な時期のものであると考えられる[38][39]。そして残りは安定水面により形成された水平天井とそこに二次生成物が覆い基質の石灰岩が見えなくなった天井であると考えられる[38][39]。最も高い水平天井は「竜宮」から「夢の宮殿」、「奥の院」を経由し「吉原(吉原格子)」に至る観光洞最奥部と「五重の塔」付近の入口のホールにあり、最も古いと考えられる[38][31]泉水の手前に最も低い190 cm 以下の天井があることから、これらの高い水平天井は独立に形成されたと推定されている[38][28]

天井が低いため、屈みながら進まざるを得ないエリアがある
ナイアガラの滝
鬼の居間と鬼の金棒
東大川橋
五百羅漢
白糸の滝
銀の幕

観光開発

満奇洞の観光化により開けられた発破跡。

観光化にあたって、小規模な切削が行われた[10]。千枚田では通行のために排水のためのボーリング工事も行われた[10]。これにより、リムストーン上を流れていた水流が涸れ、洞内の湿度が急速に低下して二次生成物の生成の停止、洞壁の乾燥、フローストーンの風化や脱落が進行した[10]。現在では洞外から水を汲み入れ、風化を抑えている[19]

2019年現在の来洞者数は年間4–5万人[6]。1970年ごろは年間3万人程度であった[15]。近年は中国や台湾を中心とした訪日外国人が毎年2割近く増えている[35]

観光洞部最奥には大きなプール(地底湖)があり[18]、そこにかかる「竜宮橋」や、数々の鍾乳石がカラフルなLED照明でライトアップされ、幻想的な雰囲気が楽しめる[23]。洞奥の「恋人の泉」は「恋人の聖地」に選定されている[23]

2018年(平成30年)7月には、西日本豪雨の被害により洞内に土砂が堆積し、その撤去やトイレの修繕のため2週間にわたり休業した[6][35]。営業再開後も主要道路の土砂崩れなどの影響で7–8月の来洞者数は前年の6割に減少した[6]

地底湖
竜宮橋
恋人の泉

沿革

生物相

満奇洞はもともと洞窟性動物の生息条件が優れていたが、人為的な破壊や観光部の照明設置、観光客の入洞などにより貧栄養で動物相は衰退している[40]。現在でも非観光部の洞奥には洞床にグアノが見られる[7]

満奇洞で確認された動物相は以下の通りである[40][45]。1954年5月には、コウモリは10頭程度、トビムシ類は少数が2–3か所で観察されている[40]

調査

2019年6月15日に行われた満奇洞非公開部の調査。

周辺地域の豊永台は岡山大学ケイビングクラブにより継続的に洞窟調査がなされている[55][56]。豊永台にはこれまでに20の石灰洞が報告され[3]、2016年時点で新見市下には105洞[57]、岡山県下には181洞が報告されている[58]

満奇洞では、1954年5月4日に高知女子大学石川重治郎により動物相の調査が行われた[40]。この際の外気温は16.8 ℃ に対し、洞内の気温は13.8 ℃、水温は12.8 ℃ であった。また、洞内の水はpH 7.8で溶存酸素量は6.0 cm3/L であった。その後も上野俊一岡本忠らにより動物相が調べられている[45][46]

2019年6月15日には、うきぐもケイビングクラブなどのケイビング団体のメンバーにより、立入禁止箇所以奥の状況の調査が行われた[6][7]。写真撮影や未記載空間の測量が行われた[7]

文化

満奇洞前の遊歩道
金田一耕助の立て看板に、各映画作品・テレビドラマ作品の写真が貼付されている。
「八つ墓村ロケ地」の表示板には、「昭和52年 渥美清」「平成8年 豊川悦司」「平成16年 稲垣吾郎」「平成31年 吉岡秀隆」と、作品公開年と金田一役の俳優名が記されている。

発見の際、地元の狩人たちは無数の鍾乳石を見つけて採取し、浪花(現在の大阪)に持っていき、売って多くの利益を得たと伝わる[17]

与謝野鉄幹晶子夫妻が訪れた際には、次のような歌が詠まれた[19][59]。当時は松明の火を頼りに洞内を歩いたと考えられる[20]

おのづから不思議を満たす百の房 ならびて広き山の洞かな
まきの洞ゆめにわが見る世のごとく 玉より成れる殿づくりかな
満奇の洞千畳敷の蝋の火の あかりに見たる顔を忘れじ
晶子

このうち、「おのづから…」「満奇の洞…」で始まる2首は満奇洞付近にある1.3 m の花崗岩の歌碑に刻まれている[59]

槇集落の人々にとっては、満奇洞は地域の宝となっている[20]。集落の人々は幼少期に竹に火をつけて入洞し遊んだりしていた[20]。50年以上にわたり、「満奇洞保存会」が組織されており、満奇洞周辺の清掃や草刈りをしている[20]

映画『八つ墓村』のロケ地としても知られている[23]。戦中戦後を疎開先の吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)で過ごした横溝正史は、原作小説の『八つ墓村』の構想を練り始めたころ、知人から作品の舞台に適当な村として新見駅の近くの鍾乳洞がある村を教えてもらったこともあって[60]、原作にも「Nという駅」や「千屋牛」など新見市にちなむと考えられる件が登場する[20]。1977年の映画『八つ墓村』以来、1996年の映画『八つ墓村』、2004年のテレビドラマ『八つ墓村』、2019年のテレビドラマ『八つ墓村』のロケ地にも使われている[43]。1977年の映画『八つ墓村』では、満奇洞や秋芳洞を含む約10か所の洞窟を1つの洞窟に仕立てている[20]。1996年の映画『八つ墓村』では、3月3日から13日にかけて岡山県下で撮影が行われ、うち3月5日に満奇洞で寺田辰弥に扮する高橋和也が田治見家に通じる鍾乳洞に初めて足を踏み入れるシーンの撮影が行われた[61]。2004年のドラマ『八つ墓村』では、原作に忠実にするため、鍾乳洞の場面は全て新見市下で撮影され、複数の場面が満奇洞で撮影されている[20]

阿哲台では1995年までトゥファが観賞用(盆栽[13])として採掘され、特産品として満奇洞の土産物屋で販売されていた[62]。トゥファは阿哲台においては古くから「水岩石」(すいがんせき、水含石)と呼ばれ親しまれてきた[13][62]。トゥファを特産品として扱ってきたという事実は日本の石灰岩地域ではほかに例がない[62]

料金・交通

脚注

注釈

  1. ^ 赤馬の名は後醍醐天皇隠岐への配流に縁があるとされる[16]
  2. ^ 滝田 (1972a:27–33) における C グループ
  3. ^ 15 前後とも[23]
  4. ^ 石川 (1955:16–22) ではフトケヤスデ属の一種 Tokyosoma sp. として。

出典

  1. ^ 浦田・伊藤田 2018, p. 9.
  2. ^ a b c d e f g h i j k 柴田 1990, p. 33.
  3. ^ a b 岡山大学ケイビングクラブ 2001, p. 42.
  4. ^ a b c d e f g h i j k 日本洞窟協会 1979, p. 4.
  5. ^ “吉備高原のカルスト台地② 鍾乳洞の造化 多彩”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (1989年9月19日) 
  6. ^ a b c d e 根本博行「満奇洞 一丸で魅力創出」『読売新聞』読売新聞社、2019年6月25日、岡山版 朝刊、31面。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 木村 & 植野 2019, pp. 10–14.
  8. ^ 柴田 1969, p. 6.
  9. ^ 高梁川上流県立自然公園”. 岡山県. 岡山県庁 (2019年3月1日). 2023年11月20日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 柴田 1990, p. 31.
  11. ^ a b c 前野 2007, pp. 176–182.
  12. ^ 渡辺 1979, p. 43.
  13. ^ a b c d 阿哲団体研究グループ 1970, pp. 225–227.
  14. ^ a b c 赤木 1933, pp. 16–17.
  15. ^ a b c 「自然公園をたずねて 小さな旅 洞内の宮殿に見事な鍾乳石」『朝日新聞』朝日新聞社、1970年10月16日、夕刊、8面。
  16. ^ 原田信之「岡山県新見市の後醍醐天皇伝説と地名」『新見公立短期大学紀要』第22巻、2001年、155–171頁。 
  17. ^ a b 吉田 1972, pp. 1460–1461.
  18. ^ a b c d e 野瀬 2013, p. 113.
  19. ^ a b c 柴田 1990, p. 32.
  20. ^ a b c d e f g h i j k 村上友里「時空3億年 幻想の洞窟 「奇に満ちた」与謝野晶子絶賛 新見の満奇洞」『朝日新聞』朝日新聞社、2018年11月27日、岡山版 10版、27面。
  21. ^ a b 満奇洞(まきどう)”. にいみ公式観光サイト えーとこ発見. 一般社団法人 新見市観光協会. 2023年11月16日閲覧。
  22. ^ a b c d e 満奇洞 悠久の時間と水が地球に刻んだ造形の画廊”. にいみフィルムコミッション. 一般社団法人 新見市観光協会. 2023年11月16日閲覧。
  23. ^ a b c d e 満奇洞 歌人与謝野晶子が絶賛した幻想的な鍾乳洞”. 岡山観光WEB. 公益社団法人 岡山県観光連盟. 2023年11月16日閲覧。
  24. ^ a b c 中 2009, p. 58.
  25. ^ 柴田 1969, p. 24.
  26. ^ a b c 中 2009, p. 59.
  27. ^ 柴田 1969, p. 23.
  28. ^ a b 柴田 1990, p. 36.
  29. ^ a b c d e 滝田 1972a, pp. 27–33.
  30. ^ 柴田 1990, pp. 24–25.
  31. ^ a b 柴田 1990, p. 35.
  32. ^ a b 渡辺 1979, p. 44.
  33. ^ 柴田 1969, p. 16.
  34. ^ 柴田 1969, p. 18.
  35. ^ a b c 高橋祐貴「虹架かる: 豪雨からの復興 ③新見 満奇洞 愛された遺産、次世代へ」『毎日新聞』毎日新聞社、2019年1月4日、岡山版。2023年11月19日閲覧。
  36. ^ 柴田 1969, p. 15.
  37. ^ a b c 伊藤田 2018, p. 41.
  38. ^ a b c d e f g 滝田 1972b, pp. 34–37.
  39. ^ a b 柴田 1990, p. 34.
  40. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 石川 1955, pp. 16–22.
  41. ^ 柴田 1990, p. 13.
  42. ^ 岡山県教育庁文化財課. 阿哲台(満奇洞、秘坂鐘乳穴、宇山洞、縞嶽、諏訪の穴、井倉洞) (PDF). 岡山県立図書館 電子図書館システム デジタル岡山大百科 (Report). 2023年11月20日閲覧
  43. ^ a b c 満奇洞保存会”. 新見市観光協会. 2023年11月19日閲覧。
  44. ^ a b “新見・満奇洞が照明普及賞を受賞 LEDで神秘的な雰囲気演出”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年7月8日). オリジナルの2015年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150710190103/http://www.sanyonews.jp/article/199074/1/ 2015年7月12日閲覧。 
  45. ^ a b c d e f g h 岡本 1972, pp. 58–65.
  46. ^ a b Uéno 1958, pp. 185–197.
  47. ^ 福田 2020, p. 483.
  48. ^ 福田 2020, p. 488.
  49. ^ 福田 2020, p. 502.
  50. ^ 福田 2020, p. 512.
  51. ^ 福田 2020, p. 513.
  52. ^ 福田 2020, p. 514.
  53. ^ 福田 2020, p. 518.
  54. ^ 福田 2020, p. 530.
  55. ^ 岡山大学ケイビングクラブ 2001, pp. 1–6.
  56. ^ 岡山大学ケイビングクラブ 2016, p. 62.
  57. ^ 岡山大学ケイビングクラブ 2016, p. 70.
  58. ^ 岡山大学ケイビングクラブ 2016, p. 69.
  59. ^ a b 渡辺 1979, p. 220.
  60. ^ 横溝正史『真説 金田一耕助』角川書店角川文庫〉、1979年1月5日、138-141頁。"「八つ墓村」考 III"。 
  61. ^ “満奇洞舞台にロケ 金田一役は豊川悦司 今秋公開の映画「八つ墓村」 13日まで岡山県下主要キャストそろう”. 山陽新聞 (山陽新聞社): p. 19. (1996年3月10日) 
  62. ^ a b c 中ほか 1999, pp. 91–116.

参考文献

関連項目

外部リンク