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クラブ名の[[CSKA]]({{lang|ru|ЦСКА}})はツェーエスカーと読み、地上軍(陸軍)中央スポーツクラブ ({{Lang-ru-short|Центральный спортивный клуб армии}}) の頭文字をとったもの<ref>以前は、軍傘下のスポーツクラブであったが現在では軍との関係は無く独立したクラブとなっており名称だけ前身の名残が残っている。</ref>。日本語では'''チェスカ'''とも読まれる。ロシア国内有数の実績を残す強豪クラブである。[[CSKAモスクワ]]はサッカー以外にも[[アイスホッケー]]、[[バスケットボール]]部門が世界的に有名である。 |
クラブ名の[[CSKA]]({{lang|ru|ЦСКА}})はツェーエスカーと読み、地上軍(陸軍)中央スポーツクラブ ({{Lang-ru-short|Центральный спортивный клуб армии}}) の頭文字をとったもの<ref>以前は、軍傘下のスポーツクラブであったが現在では軍との関係は無く独立したクラブとなっており名称だけ前身の名残が残っている。</ref>。日本語では'''チェスカ'''とも読まれる。ロシア国内有数の実績を残す強豪クラブである。[[CSKAモスクワ]]はサッカー以外にも[[アイスホッケー]]、[[バスケットボール]]部門が世界的に有名である。 |
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豊富な資金を持つことから所属選手の移籍交渉の際、金銭面で簡単に譲歩せず移籍を認めないことから「監獄」と形容されることがある。過去には[[バグネル・ラブ]]や[[本田圭佑]]の移籍について消極的であり、ババエフGMは「CSKAは監獄ではない」と弁明するが、そういうネガティブな印象をもたれても仕方がない振る舞いをしているとスポーツ紙『[[Sports Graphic Number]]』で報道された<ref>{{Cite web|title=本田圭佑、移籍破談でいつまで続く“監獄”生活。~CSKAにまつわる“何故”?~|author=木崎伸也|publisher=Number Web|date=2012-02-13|accessdate=2015-04-20|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/194746}}</ref>。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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[[1911年]]に創立されたスキースポーツ愛好者協会 (OLLS) がクラブの前身。サッカー部門も同年に作られた<ref>{{cite web| url = |
[[1911年]]に創立されたスキースポーツ愛好者協会 (OLLS) がクラブの前身。サッカー部門も同年に作られた<ref>{{cite web| url =/index.pl?s=3&l=en| title = FOOTBALL PLAYERS (1911-1917) | work = PFC CSKAモスクワ公式サイト |accessdate=2007年5月28日 }}</ref>。[[1923年]]に赤軍のスポーツクラブとして改組され<ref>{{cite web| url =/index.pl?s=5&l=en| title = UNDER THE FLAG OF VSEVOBUCH (UNIVERSAL MILITARY TRAINING) (1923-1927) | work = PFC CSKAモスクワ公式サイト |accessdate=2007年5月28日 }}</ref>、数度の名称変更を経て[[1960年]]に現在のCSKAの名に落ち着いた。 |
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最初の黄金期は1940年代後半から1950年代初頭に訪れた。クラブはこの時期に[[ソビエト連邦サッカーリーグ|リーグ]]に5回、[[USSRカップ|カップ]]に4回優勝した。ソ連の国際スポーツへの復帰となった[[1952年]]の[[ヘルシンキオリンピック]]でも代表チームの殆どはCDSAの選手により構成された。だがソ連は1回戦の[[サッカーユーゴスラビア代表|ユーゴスラビア]]戦で再試合の末に敗れた。当時すでにソ連と険悪な関係にあったユーゴに敗北した事実は政府上層部の不興を買い、CDSAは解散の憂き目にあった<ref>{{cite web| url = |
最初の黄金期は1940年代後半から1950年代初頭に訪れた。クラブはこの時期に[[ソビエト連邦サッカーリーグ|リーグ]]に5回、[[USSRカップ|カップ]]に4回優勝した。ソ連の国際スポーツへの復帰となった[[1952年]]の[[ヘルシンキオリンピック]]でも代表チームの殆どはCDSAの選手により構成された。だがソ連は1回戦の[[サッカーユーゴスラビア代表|ユーゴスラビア]]戦で再試合の末に敗れた。当時すでにソ連と険悪な関係にあったユーゴに敗北した事実は政府上層部の不興を買い、CDSAは解散の憂き目にあった<ref>{{cite web| url =/index.pl?s=10&l=en| title = Devastation| work = PFC CSKAモスクワ公式サイト |accessdate=2007年5月28日 }}</ref>。クラブが復活したのは[[1954年]]。以後はタイトルに縁遠いクラブとなったが、ソ連最後のシーズンとなった[[1991年]]にはリーグとカップの[[ダブル (サッカー)|ダブル]]を達成している。 |
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[[1967年]]には、来日したCSKAモスクワと[[日本代表]]が初めて試合をした。その結果、1試合目は2-2の引き分け、2試合目は0-2で日本代表が完敗した。 |
[[1967年]]には、来日したCSKAモスクワと[[日本代表]]が初めて試合をした。その結果、1試合目は2-2の引き分け、2試合目は0-2で日本代表が完敗した。 |
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クラブは2000年代に入ってから再度の黄金期を迎えている。[[2003年]]からは[[シブネフチ]]、[[2006年]]からはそれに代わり[[VTB]](ロシア対外貿易銀行)と巨額のスポンサー契約を結んだ<ref>{{cite web| url = |
クラブは2000年代に入ってから再度の黄金期を迎えている。[[2003年]]からは[[シブネフチ]]、[[2006年]]からはそれに代わり[[VTB]](ロシア対外貿易銀行)と巨額のスポンサー契約を結んだ<ref>{{cite web| url =/stories/2006/01/24/091.html| title = VTB to Sign $20M Sponsor Deal With CSKA| work = The Moscow Times |accessdate=2007年5月28日 }}</ref>。潤沢な資金をバックに積極的な選手補強を行っている。[[2004年]]には[[UEFAカップ]]に優勝して、ロシアのクラブとして初の欧州タイトルを獲得した。2009-2010シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]では[[セビージャFC]]を撃破し、クラブ史上初のベスト8進出を果たした。 |
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モスクワのサッカークラブでは珍しく、[[FCスパルタク・モスクワ]]の本拠地[[ルジニキ・スタジアム]](現在もUEFAチャンピオンズリーグなどで使用)、[[FCディナモ・モスクワ]]の本拠地[[ディナモ・スタジアム (モスクワ)|ディナモ・スタジアム]]、現在はモスクワ近郊の[[アレナ・ヒムキ]]とスタジアムを転々としているが、現在新スタジアムである(CSKAモスクワ・スタジアム)が建設中である。 |
モスクワのサッカークラブでは珍しく、[[FCスパルタク・モスクワ]]の本拠地[[ルジニキ・スタジアム]](現在もUEFAチャンピオンズリーグなどで使用)、[[FCディナモ・モスクワ]]の本拠地[[ディナモ・スタジアム (モスクワ)|ディナモ・スタジアム]]、現在はモスクワ近郊の[[アレナ・ヒムキ]]とスタジアムを転々としているが、現在新スタジアムである(CSKAモスクワ・スタジアム)が建設中である。 |
2015年5月31日 (日) 18:52時点における版
PFC CSKAモスクワ | |||
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原語表記 |
Профессиональный футбольный клуб ЦСКА Москва | ||
愛称 | ツェーエスカー、Koni、армейского、アーミーズ、監獄 | ||
クラブカラー | 青と黄 | ||
創設年 | 1911年 | ||
所属リーグ | ロシア・プレミアリーグ | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | モスクワ | ||
ホームスタジアム | アレナ・ヒムキ | ||
収容人数 | 18,636 | ||
代表者 | エフゲニ・ギネル | ||
監督 | レオニード・スルツキー | ||
公式サイト | [/home/ 公式サイト] | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
PFC CSKAモスクワ(露: Профессиональный футбольный клуб ЦСКА Москва, 英: Professional Football Club Central Sports Club of Army Moscow)は、ロシア・モスクワを本拠地とするサッカークラブチーム。
クラブ名のCSKA(ЦСКА)はツェーエスカーと読み、地上軍(陸軍)中央スポーツクラブ (露: Центральный спортивный клуб армии) の頭文字をとったもの[1]。日本語ではチェスカとも読まれる。ロシア国内有数の実績を残す強豪クラブである。CSKAモスクワはサッカー以外にもアイスホッケー、バスケットボール部門が世界的に有名である。
歴史
1911年に創立されたスキースポーツ愛好者協会 (OLLS) がクラブの前身。サッカー部門も同年に作られた[2]。1923年に赤軍のスポーツクラブとして改組され[3]、数度の名称変更を経て1960年に現在のCSKAの名に落ち着いた。
最初の黄金期は1940年代後半から1950年代初頭に訪れた。クラブはこの時期にリーグに5回、カップに4回優勝した。ソ連の国際スポーツへの復帰となった1952年のヘルシンキオリンピックでも代表チームの殆どはCDSAの選手により構成された。だがソ連は1回戦のユーゴスラビア戦で再試合の末に敗れた。当時すでにソ連と険悪な関係にあったユーゴに敗北した事実は政府上層部の不興を買い、CDSAは解散の憂き目にあった[4]。クラブが復活したのは1954年。以後はタイトルに縁遠いクラブとなったが、ソ連最後のシーズンとなった1991年にはリーグとカップのダブルを達成している。
1967年には、来日したCSKAモスクワと日本代表が初めて試合をした。その結果、1試合目は2-2の引き分け、2試合目は0-2で日本代表が完敗した。
クラブは2000年代に入ってから再度の黄金期を迎えている。2003年からはシブネフチ、2006年からはそれに代わりVTB(ロシア対外貿易銀行)と巨額のスポンサー契約を結んだ[5]。潤沢な資金をバックに積極的な選手補強を行っている。2004年にはUEFAカップに優勝して、ロシアのクラブとして初の欧州タイトルを獲得した。2009-2010シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではセビージャFCを撃破し、クラブ史上初のベスト8進出を果たした。
モスクワのサッカークラブでは珍しく、FCスパルタク・モスクワの本拠地ルジニキ・スタジアム(現在もUEFAチャンピオンズリーグなどで使用)、FCディナモ・モスクワの本拠地ディナモ・スタジアム、現在はモスクワ近郊のアレナ・ヒムキとスタジアムを転々としているが、現在新スタジアムである(CSKAモスクワ・スタジアム)が建設中である。
ライバル
CSKAモスクワの最大のライバルはFCスパルタク・モスクワである。[6]他にFCゼニト・サンクトペテルブルク、そして同じモスクワを本拠地とするロコモティフ・モスクワ、ディナモ・モスクワともライバル関係がある。
2012年9月、マーケティングリサーチ会社のAC Nielsenがロシア国内の38都市で延べ1万9千人から「何処のファンか」問うたところ、全体の3位である13%がCSKAのファンだと答えた[7]。
クラブ名の遍歴
- 1911 - 1923 OLLS (ОЛЛС)
- 1923 - 1928 OPPV (ОППВ)
- 1928 - 1951 CDKA (ЦДКА)
- 1951 - 1957 CDSA (ЦДСА)
- 1957 - 1960 CSK MO (ЦСК МО)
- 1960 - 現 在 CSKA (ЦСКА)
タイトル
国内タイトル
- ロシア・プレミアリーグ: 5回
- 2003, 2005, 2006, 2012-13, 2013-14
- ロシア・カップ: 7回
- 2002, 2005, 2006, 2008, 2009, 2011, 2013
- ロシア・スーパーカップ: 5回
- 2004, 2006, 2007, 2009, 2013
- 旧ソ連リーグ: 7回
- 1946, 1947, 1948, 1950, 1951, 1970, 1991
- 旧ソ連カップ: 5回
- 1948, 1948, 1951, 1555, 1991
国際タイトル
- UEFAカップ: 1回
- 2004-2005
- チャンネル・ワン・カップ: 1回
- 2007
- コパ・デル・ソル: 1回
- 2010
過去の成績
シーズン ディヴィジョン 順位 試合 勝 分 敗 得点 失点 勝点 国内カップ 欧州カップ戦 備考 1992 プレミア 5 26 13 7 6 46 29 33 準優勝 ECL グループリーグ 1993 プレミア 9 34 12 6 16 43 45 42 準優勝 1994 プレミア 10 30 8 10 12 30 32 26 ベスト16 CWC ベスト8 1995 プレミア 6 30 16 5 9 56 34 53 ベスト8 1996 プレミア 5 34 20 6 8 58 35 66 ベスト16 UC ベスト64 1997 プレミア 12 34 11 9 14 31 42 42 ベスト8 1998 プレミア 2 30 17 5 8 50 22 56 ベスト4 1999 プレミア 3 30 15 10 5 56 29 55 準優勝 ECL 予備予選2回戦 2000 プレミア 8 30 12 5 13 45 39 41 ベスト16 UC 1回戦 2001 プレミア 7 30 12 11 7 39 30 47 優勝 2002 プレミア 2 30 21 3 6 60 27 66 ベスト32 UC 2回戦 2003 プレミア 1 30 17 8 5 56 32 59 ベスト8 ECL 予備予選2回戦 2004 プレミア 2 30 17 9 4 53 22 60 優勝 UC 優勝 ECL - グループリーグ 2005 プレミア 1 30 18 8 4 48 20 62 優勝 UC グループリーグ 2006 プレミア 1 30 17 7 6 47 28 58 ベスト16 UC ベスト32 ECL - グループリーグ 2007 プレミア 3 30 14 11 5 43 24 53 優勝 ECL グループリーグ 2008 プレミア 2 30 16 8 6 53 24 56 優勝 UC ベスト16 2009 プレミア 5 30 16 4 10 48 30 52 ベスト32 ECL ベスト8 2010 プレミア 2 30 18 8 4 51 22 62 ベスト16 EL ベスト16 2011/12 プレミア 3 44 19 9 16 72 47 73 ベスト16 CL ベスト16 2012/13 プレミア 1 30 20 4 6 49 25 64 優勝 EL 予選プレーオフ
現所属メンバー
フォーメーション
- 2015年1月16日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍選手
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
永久欠番
- 16 セルゲイ・ペルフン
- 2001年8月19日、FCアンジ・マハチカラ戦で相手FWと激しく頭をぶつけ合い、昏睡状態に陥り、脳内出血のため、23歳の若さで亡くなった。彼の功績を称えて16番を永久欠番に指定した。
歴代監督
- パヴェル・サディリン 1992, 1997-1998, 2000-2001
- ゲンナディ・コスティレフ 1992-1993
- ボリス・コペイキン 1993-1994
- アレクサンデル・タルハノフ 1994-1996
- オレグ・ドルマトフ 1998-2000
- アレクサンデル・クズネツォフ 2001
- ヴァレリー・ガザエフ 2001-2003, 2004-2008
- アルトゥール・ジョルジェ 2004
- ジーコ 2009
- ファンデ・ラモス 2009.9-2009.10
- レオニード・スルツキー 2009.10-
歴代所属選手
GK
- ヴェニアミン・マンドリキン 2002-2010
- ルスラン・ニグマトゥーリン 2002
- イゴール・アキンフェエフ 2003-
- ウラジーミル・ガブロフ 2004-2006, 2011
- ソスラン・ジャナエフ 2005-2006
- エフゲニー・ポマザン 2007-
- セルゲイ・チェプチュゴフ 2010-
- 申宜孫 1981-1982
- セルゲイ・ペルフン 2001
DF
- アリベルト・シェステルニョフ 1959-1972
- ドミートリー・センニコフ 1998
- デニス・エフシコフ 1999-2003
- アレクセイ・ベレズツキー 2001-
- アンドレイ・ソロマティン 2001-2003
- ヴァシリ・ベレズツキー 2002-
- ヴャチェスラフ・ダイェフ 2002
- イヴァン・タラノフ 2003-2008
- セルゲイ・イグナシェヴィッチ 2004-
- アントン・グリゴリエフ 2004-2010
- ゲオルギ・シュチェンニコフ 2008-
- キリル・ナバブキン 2010-
- ヴィクトル・ヴァシン 2011-
- マリオ・フェルナンデス 2012-
- デイヴィダス・シェンベラス 2002-2012
- シディ・オディア 2004-2012
MF
- ヴァレリー・カルピン 1986-1989
- ウラディスラフ・ラディモフ 1992-1996
- ドミトリー・ホフロフ 1993-1996
- セルゲイ・セマク 1994-2004
- イーゴリ・セムショフ 1996-1997
- ロラン・グセフ 2002-2008
- エフゲニ・アルドニン 2004-2013
- ユーリ・ジルコフ 2004-2009
- レナト・ヤンバエフ 2004
- パヴェル・ママエフ 2007-2013
- アラン・ジャゴエフ 2007-
- オスマール・フェレイラ 2004-2006
- エルヴィル・ラヒミッチ 2001-2014
- ダニエウ・カルヴァーリョ 2004-2009
- ドゥドゥ 2005-2008
- ゲオルギ・ミラノフ 2013-
- マルク・ゴンサレス 2009-
- イジー・ヤロシーク 2003-2005
- ルボシュ・カロウダ 2008-2012
- ビブラス・ナトホ 2014-
- 本田圭佑 2010-2013
- 金寅成 2012
- アレクサンドルス・カウナ 2011-
- アーメド・ムサ 2012-
- ミロシュ・クラシッチ 2004-2010
- ゾラン・トシッチ 2010-
- ポントゥス・ヴェアンブローム 2012-
- ラスムス・エルム 2012-2015.1
- シュテフェン・ツバー 2013-2014
- ジャネル・エルキン 2007-2010
FW
- グリゴリー・フェドートフ 1938-1949
- フセヴォロド・ボブロフ 1945-1949
- ウラジーミル・フェドートフ 1960-1975
- ゲオルギー・ヤルツェフ 1970
- デニス・ポポフ 2001-2004
- ドミートリー・キリチェンコ 2002-2004
- キリル・パンチェンコ 2014-
- ヴァギフ・ジャヴァドフ 2006-2007
- ヴァグネル・ラヴ 2004-2011, 2013.1-2013.8
- ジョー 2005-2008
- リカルド・ジェスス 2008-2014
- ギリェルメ 2009-2010
- ヴィチーニョ 2013-
- ドゥンビア・セイドゥ 2010-2015
- イヴィツァ・オリッチ 2003-2007
- トマーシュ・ネツィド 2009-
- セク・オリセー 2009-
- エドガラス・ヤンカウスカス 1996
- ウウォ・ムサ・マーズ 2009-2012
- ピーター・オデムウィンギー 1998-1999
- ダヴィド・ヤンチク 2007-2011
- アレクサンドル・ゲインリフ 2003-2004
脚注
- ^ 以前は、軍傘下のスポーツクラブであったが現在では軍との関係は無く独立したクラブとなっており名称だけ前身の名残が残っている。
- ^ “[/index.pl?s=3&l=en FOOTBALL PLAYERS (1911-1917)]”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2007年5月28日閲覧。
- ^ “[/index.pl?s=5&l=en UNDER THE FLAG OF VSEVOBUCH (UNIVERSAL MILITARY TRAINING) (1923-1927)]”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2007年5月28日閲覧。
- ^ “[/index.pl?s=10&l=en Devastation]”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2007年5月28日閲覧。
- ^ “[/stories/2006/01/24/091.html VTB to Sign $20M Sponsor Deal With CSKA]”. The Moscow Times. 2007年5月28日閲覧。
- ^ http://www.fifa.com/classicfootball/stories/classicderby/news/newsid=1083553.html
- ^ 12,600,000 Russians support Zenit!
関連項目
外部リンク
- CSKAモスクワ公式サイト - (ロシア語)(英語)(日本語)
- CSKAモスクワ公式Facebook
- CSKAモスクワ公式Twitter
- CSKAモスクワ公式Youtubeチャンネル
- CSKAモスクワ公式Google+
- CSKAモスクワ非公式ファンサイト - (ロシア語)