ポントゥス・ヴェアンブローム

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ポンタス・ウェルンブローム
CSKAモスクワでのウェルンブローム(2015年)
名前
本名 ポンタス・アンデシュ・ミカエル・ウェルンブローム
Pontus Anders Mikael Wernbloom
ラテン文字 Pontus Wernbloom
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1986-06-25) 1986年6月25日(37歳)
出身地 クングエルブ
身長 187cm
体重 85kg
選手情報
ポジション MF (CH)
利き足 右足
ユース
1998-2001 スウェーデンの旗 ヘールユンガ
2001-2003 スウェーデンの旗 コンガヘッラ
2004-2005 スウェーデンの旗 ヨーテボリ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2009 スウェーデンの旗 ヨーテボリ 92 (26)
2009-2012 オランダの旗 AZ 67 (7)
2012-2018 ロシアの旗 CSKAモスクワ 167 (17)
2018-2020 ギリシャの旗 PAOK 11 (0)
2020-2021 スウェーデンの旗 ヨーテボリ 19 (2)
代表歴
2006-2009 スウェーデンの旗 スウェーデン U-21 24 (6)
2007-2016 スウェーデンの旗 スウェーデン 51 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ポンタス・アンデシュ・ミカエル・ウェルンブロームPontus Anders Mikael Wernbloom, 1986年6月25日 - )は、スウェーデンクングエルブ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF

クラブ経歴[編集]

キャリア初期[編集]

IFKヨーテボリでのポントゥス

地元のIKコンガヘッラを経て、2004年からIFKヨーテボリのユースチームに所属[1]し、2005年にトップチームに昇格。同シーズン終了後にホーカン・ミルドが引退したため翌2006年シーズンの開幕戦を先発で迎えたが、シーズン中に監督が交代すると新監督の下でチームのプレースタイル変更がなされたことで居場所を確保するのに苦労した。その後、2007年夏にストライカーのマルクス・ベリFCフローニンゲンへ去ったことに伴い、FWへポジション変更したことで再び先発の座を掴み、ニクラス・アレクサンデション, ヨナス・ウォレルステット英語版, ステファン・サレコヴィッチ英語版らと共にリーグ優勝に貢献。一方で国内カップ戦には決勝戦まで進出したものの、セザル・サンチン英語版, パトリック・インゲルステン英語版の得点によりカルマルFFに0-3で破れ惜しくも2冠達成とはいかなかった[2]

2008年シーズンも同様にFWで起用され昨季より2得点多い8得点を決めるも、カルマルFFとIFエルフスボリに次ぐ3位に終わった。しかし、再びカルマルFFとの対戦となった国内カップ戦決勝ではPK戦(5-4勝利)の末に下しタイトルを獲得。また、このPK戦ではペッテル・ヴァスト英語版が守るゴールにウェルンブロームが勝利を決定する最後のPKを決めている[3]。翌2009年シーズンはトップ下へポジションを変更すると、夏の中断期間までの間に5得点を挙げ、クラブ内でサレコヴィッチ, トビアス・ヒーセンに次ぐ得点源となっていた。

AZ[編集]

2009年4月、エールディヴィジ王者のAZアルクマールと4年契約を締結[4]。移籍金3000万スウェーデン・クローナであり、1年間の契約延長が取り付けられていた。シーズン序盤は怪我が原因で主に控えだった(そのためヨハン・クライフ・スハールSCヘーレーフェーンを下した試合(5-1勝利)で出番はなかった)ものの、12月にディック・アドフォカート監督が新たに就任すると先発に名を連ねることが増えていき、加入1シーズン目は最終的に23試合に出場し、UEFAヨーロッパリーグ 2010-11予選出場権獲得となる5位でシーズンを終えることに貢献した。また、同シーズンでは2009年8月2日FCフローニンゲン戦でリーグ戦初出場を果たし、2010年2月21日VVVフェンロ戦(アウェイ3-3)でリーグ戦初得点を記録した。

2010年夏にアドフォカート監督がロシア代表監督に就任したことによりヘルトヤン・フェルベーク監督を新たに迎えた2010-11シーズンは、フェルベーク監督の下でマールテン・マルテンス, ヨーハン・ベルク・グズムンドソン, そして同胞のラスムス・エルムと共に中盤を形成し主に右の中盤中央で起用されていくことになる。カザフスタン1部FCアクトベとのUEFAヨーロッパリーグ 2010-11プレーオフで2試合(合計3-2)共に得点を挙げ本大会進出に貢献するも、グループリーグで敗退し早々に姿を消した。一方リーグ戦では最初の5試合で勝ち点僅か3と苦しい序盤となったが、その後のチームは前半戦の最後の試合を落としたのみと躍進。後半戦は度々試合を落としながらも上位に踏みとどまり、最終的にシーズンを4位で終え、再びUEFAヨーロッパリーグ予選出場権を獲得した。

2011-12シーズンはリーグ戦で4得点、UEFAヨーロッパリーグ 2011-12予選では4試合2得点とヨーテボリ時代を思わせる得点力を見せ、また本戦のグループリーグでも2得点を挙げた。チームとしては僅か1勝だったものの5試合引き分けと無敗でグループリーグを突破している。

CSKAモスクワ[編集]

2012年1月7日ロシア・プレミアリーグPFC CSKAモスクワへの移籍が合意に達したと報道され[5]1月10日に代理人が署名をしたと発表[6]1月19日、公式サイトで正式に発表され4年半の契約で移籍した[7]。移籍金はtransfermarkt.deによると300万ユーロで[8]、冬の中断期間中に行われていたスペイン合宿に参加をした。2012年2月21日、UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12ベスト16のレアル・マドリード戦で移籍後初出場。同試合は28分にクリスティアーノ・ロナウドに得点 (0-1) を決められ、そのまま終わるかに思われたが、後半48分にアレクセイ・ベレズツキーによるヘディングからのパスを右足でボレーシュートで得点 (1-1) を決め第2戦に望みをつなぐ活躍を見せた[9][10]

3月上旬にリーグ戦初出場し、シーズン終了時にはレギュラーを掴み成功したが、チームとしては最終節戦のFCルビン・カザン戦(1-3敗北)に敗れ、さらにスパルタク・モスクワロコモティフ・モスクワを下したことで3位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13出場権を逃した。

PAOK[編集]

2018年8月16日PAOKへ3年契約でフリー移籍[11]

ヨーテボリ復帰[編集]

2020年8月21日、IFKヨーテボリに復帰した[12]。2021年7月14日、現役引退を表明した[13]

代表経歴[編集]

2006年5月、トミー・セデベリ英語版監督とヨルゲン・ランナルトソン英語版監督の下でU-21代表に初招集され、デビュー戦となった24日のU-21ポーランド戦(3-1勝利)では、ペッテル・アンデション, ビョルン・ルンストレーム英語版, オスカル・ヴェントらと共にプレーし、初得点にして先制点を挙げた[14]。その後も中心選手として出場を重ねていくとUEFA U-21欧州選手権2009のメンバーに選出[15]され、PK戦の末に敗退することになるU-21イングランドとの準決勝まで駒を進めた。

U-21代表での活躍から2007年1月の南米ツアーへ向けてラーシュ・ラーゲルベック監督率いるA代表に初招集され、1月18日エクアドル代表戦で初出場を果たした[1]。2010年9月3日に行われたUEFA EURO 2012予選ハンガリーとの初戦(2-0)では、代表初得点を含む2得点を挙げ勝利に導いた[16]2011年10月の最終節のオランダ戦では途中出場だったものの、全勝と圧倒的な強さを誇っていた相手に初黒星をつける快挙、そして全予選グループで最も成績が良い2位チームとなったことで、プレーオフを経ず本大会進出が決定した瞬間をピッチ上で味わった[17]

タイトル[編集]

クラブ
IFKヨーテボリ
AZアルクマール
PFC CSKAモスクワ
PAOK
個人
  • スウェーデン年間最優秀MF賞 : 2010[18]

脚注[編集]

  1. ^ a b "Jag lät honom alltid vinna, annars grät han"
  2. ^ "Kalmar FF svenska cupmästare 2007"
  3. ^ "IFK Göteborg cupmästare 2008"
  4. ^ "Wernbloom klar för fyra år i Alkmaar"
  5. ^ "De Telegraaf: Вернблум достиг договоренности с ЦСКА" - sports.ru 2012年2月24日閲覧
  6. ^ "Агент: Вернблум подписал контракт с ЦСКА" - championat.com 2012年2月24日閲覧
  7. ^ "Вернблум в ПФК ЦСКА" Archived 2012年4月18日, at the Wayback Machine. - PFC CSAKモスクワ公式サイト 2012年1月19日閲覧
  8. ^ "Pontus Wernbloom: Transfer history" - transfermarkt.de 2012年2月24日閲覧
  9. ^ "マドリー、土壇場の失点でドロー" - UEFA.com 2012年2月24日閲覧
  10. ^ "奇跡のゴールに歓喜するバーンブルーム" - UEFA.com 2012年2月24日閲覧
  11. ^ Pontus Wernbloom joins PAOK - PAOK FC 2018年8月18日閲覧
  12. ^ Tivemo, Andreas Johnsson,Linus Petersson,Jonathan Larsson,Joel (2020年8月21日). “Officiellt: Pontus Wernbloom tillbaka i Blåvitt” (スウェーデン語). gp.se. 2023年3月20日閲覧。
  13. ^ Göteborg, I. F. K. (2021年7月14日). “Pontus tackar för sig” (スウェーデン語). IFK Göteborg – Hela stadens lag. 2023年3月20日閲覧。
  14. ^ "U21 herr: Kanonhalvlek gav 3-1 mot Polen"
  15. ^ "U21 herr: EM-truppen uttagen"
  16. ^ "Herr: Wernbloom dubbel målskytt mot Ungern"
  17. ^ "スウェーデン、最高成績の2位チームに"
  18. ^ "Årets mittfältare 2010: Pontus Wernbloom och Caroline Seger"

外部リンク[編集]