オロフ・メルベリ

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オロフ・メルベリ
FCコペンハーゲン時代(2013年)
名前
本名 エリク・オロフ・メルベリ
Erik Olof Mellberg
ラテン文字 Olof MELLBERG
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1977-09-03) 1977年9月3日(46歳)
出身地 グルスポング英語版
身長 187cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF (CB, RSB)
利き足 右足
ユース
1994-1996 スウェーデンの旗 グルスポングスウェーデン語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 スウェーデンの旗 デーゲルフォルシュ 47 (0)
1997-1998 スウェーデンの旗 AIK 17 (0)
1998-2001 スペインの旗 ラシン・サンタンデール 98 (0)
2001-2008 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 232 (8)
2008-2009 イタリアの旗 ユヴェントス 27 (2)
2009-2012 ギリシャの旗 オリンピアコス 71 (7)
2012-2013 スペインの旗 ビジャレアル 29 (2)
2013-2014 デンマークの旗 コペンハーゲン 22 (3)
通算 543 (22)
代表歴2
1996-1999  スウェーデン U-21 27 (4)
2000-2012 スウェーデンの旗 スウェーデン 117 (8)
監督歴
2016-2017 スウェーデンの旗 ブロマポイカルナ
2019 デンマークの旗 フレマズ・アマー
2019-2020 スウェーデンの旗 ヘルシンボリ
2023- スウェーデンの旗 ブロマポイカルナ
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月6日現在。
2. 2014年10月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エリク・オロフ・メルベリErik Olof Mellberg, 1977年9月3日 - )は、スウェーデンヴェストラ・イェータランド県グルスポング出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スウェーデン代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー

「大きく、強く、空中戦は並外れている」と表現されるように、体格を生かしたダイナミックなプレーが信条[1]

2001年から7シーズンの間イングランドのアストン・ヴィラFCで主力を張り、その後はイタリアのユヴェントスFCやギリシャのオリンピアコスFCに所属した。スウェーデン代表として2度のFIFAワールドカップと4度のUEFA欧州選手権に出場した。キャプテンも務め、2012年の代表引退までに117試合に出場して8得点を記録した。

経歴[編集]

幼少期[編集]

体育教師の母親の下、エリク・オロフ・メルベリはグルスポングに生まれた[2]。テニスでも驚くべき才能を持っており[3]FIFAワールドカップ出場よりもウィンブルドン選手権出場を夢見ていたため、14歳まではサッカーを活動の中心としていなかった[2]

クラブ[編集]

初期の経歴[編集]

地元のグルスポングIFでプレーしていた時にアルスヴェンスカン(1部)のデーゲルフォシュIFに引き抜かれた。1997年シーズン終了後にデーゲルフォシュはスーペルエッタン(2部)降格となり、首都ストックホルムAIKソルナに移籍した。移籍して即座に良い印象を与え、1998年シーズンにアルスヴェンスカン優勝を果たすと、AIKに加入してからわずか10ヶ月後にリーガ・エスパニョーララシン・サンタンデールに売却された。スペインのサッカーの適応に苦労したが、すぐに定位置を獲得して移籍初年度から活躍を見せた。

アストン・ヴィラ[編集]

バレンシアCFFCバルセロナからのオファーもあったが、2001年に移籍金785万ユーロ(約10億2800万円)でプレミアリーグアストン・ヴィラFCに移籍し[4]、すぐにチームの中心選手となった[5]2002年9月16日バーミンガム・シティFCとのバーミンガム・ダービーにおいて、GKペテル・エンケルマンに向けて投げたスローインをエンケルマンがトラップミスした。ボールはそのままゴールに吸い込まれたが、ボールがエンケルマンの足に触れていたことから(ゴール無効ではなく)オウンゴールと判定された。2003年夏にはデヴィッド・オレアリー監督が就任すると、2003-04シーズン開幕戦のポーツマスFC戦では先発メンバーから外れたが、その後すぐにキャプテンに就任し、オレアリー監督の在任期間はキャプテンを務め続けた。同シーズンは全試合に出場してリーグ戦での6位に貢献し、フットボールリーグカップでも準決勝に進出した。2004年にクラブとの契約を2008年まで延長した[4]。メルベリはアストン・ヴィラのローカルライバルであるバーミンガム・シティを嫌っており、ダービー前に「バーミンガム・シティでプレーすることは絶対に考えられない。それは選択肢になく、バーミンガム・シティのすべてを好んでいない」と発言したこともある[6]。2006年夏にキャプテンの座を退いてギャレス・バリーに譲った。

2006年8月19日2006-07シーズン開幕戦のアーセナルFC戦で先制点を挙げ、新造されたエミレーツ・スタジアムの初の得点者となった[7]。2007年に就任したマーティン・オニール監督にもセンターバックのファーストチョイスとして起用された。2007年夏にはザット・ナイトが加入してマルティン・ラウルセンとセンターバックのコンビを組んだため、2007-08シーズンは右サイドバックとしてプレーした。2008年3月15日ポーツマスFC戦では2枚のイエローカードを提示されて退場処分を受けた。なお1月28日にはユヴェントスFCと仮契約を交わしたことが発表され、ホームでの最終戦となった5月3日ウィガン・アスレティックFC戦はメルベリのクラブへの貢献に感謝して「オロフ・メルベリ・デー」とされた。最終節となったアウェーでのウェストハム・ユナイテッドFC戦では、アップトン・パークに来場したヴィラサポーター全員に、メルベリの名前と背番号、さらに「Thanks 4 Your Support」というメッセージが背中に入ったユニフォームがプレゼントされた[8]

ユヴェントス[編集]

マンチェスター・ユナイテッドFC戦でのリオ・ファーディナンド(左)との競り合い

2008年1月28日セリエAユヴェントスFCと仮契約を交わし[9]、シーズン終了後にフリートランスファーで契約期間3年の正式契約を結んだ。7月16日セリエBピアチェンツァ・カルチョとのプレシーズンマッチ(0-1)でデビューした。2009年1月18日SSラツィオ戦で移籍後初得点を挙げた。2008-09シーズンは27試合に出場し準レギュラーとして活躍した。

オリンピアコス[編集]

オリンピアコスFC時代(2012年)

2009年6月23日ギリシャオリンピアコスFCと3年契約を結んだ[10]。移籍金は250万ユーロ[11]。シーズン開幕時はテムリ・ケツバイア監督が指揮を執っていたが、開幕直後にジーコ監督に交代し、ジーコも2010年1月19日に解任されてボジダル・バンドヴィッチ英語版が後任監督に就任した。このように次々と監督が交代する混乱の中でも、メルベリは常にセンターバックのポジションでの出場機会を維持した。2011-12シーズン末、オリンピアコスとの新契約へのサインを断り、新たな挑戦の舞台を探すことを望んだ[12]

ビジャレアル[編集]

2012年8月8日リーガ・エスパニョーラセグンダ・ディビシオン(2部)に降格したばかりのビジャレアルCFと1年契約を結んだ[13]

コペンハーゲン[編集]

2013年7月10日デンマーク・スーペルリーガFCコペンハーゲンに加入[14]

2014年7月31日、現役引退を表明した[15]

代表[編集]

EURO2012フランス代表

スウェーデン代表としてはEURO20002002 FIFAワールドカップEURO20042006 FIFAワールドカップEURO2008EURO2012に出場し、2012年の現役引退までに117試合に出場して8得点を挙げた。

2002 FIFAワールドカップ開幕前に行われた公開練習ではフレドリック・ユングベリに対して荒っぽいタックルを仕掛けたことから、ユングベリと喧嘩になった[16]。ふたりはチームメイトによってすぐに引き離されたが、それ以来の彼らの仲は険悪になった。チーム内部からのリークによれば、2006 FIFAワールドカップトリニダード・トバゴ戦の引き分け後には彼らの間で非常に激しい口論があったという[17]。2003年にはスウェーデン年間最優秀選手賞であるギュルドボッレン(Guldbollen)を受賞した[18]。ドイツで行われた2006 FIFAワールドカップ後には代表キャプテンの座をユングベリに譲った。

UEFA EURO 2008予選リヒテンシュタイン戦に向けた遠征中に23時の門限を破ったとして、チームメイトのズラタン・イブラヒモヴィッチクリスティアン・ヴィルヘルムソンとともに母国に送り返された[19]10月7日、同予選のスペイン戦(2-0)で代表に復帰した[20]2010年3月3日スウォンジーで行われたウェールズ戦で代表通算100試合出場を達成した。2012年にはUEFA EURO 2012本大会の出場メンバーに選ばれ、グループリーグのイングランド戦(2-3)では、いったんは2-1とリードする得点を挙げた[21]。大会終了後に代表引退を表明した。

指導者時代[編集]

2016年シーズンより2年間の契約で、IFブロマポイカルナの指揮官に就任することが発表された[22]。就任時点では3部に所属していたクラブを2シーズン連続の昇格でアルスヴェンスカン昇格へと導き、1部でのシーズン開幕前に退任した。

人物[編集]

長期間交際しているパートナーがおり、2002年12月に第一子となる娘が、2006年7月に第二子となる息子が生まれた。母親によれば、現役引退後に大学入学を検討しているという[23]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

AIK
アストン・ヴィラ
オリンピアコス

個人[編集]

監督[編集]

ブロマポイカルナ

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
スウェーデン リーグスウェーデン杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1996 デーゲルフォシュ アルスヴェンスカン 22 0 0 0 22 0
1997 25 0 0 0 25 0
1998 AIK 17 0 0 0 17 0
スペイン リーグ国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
1998-99 ラシン・サンタンデール プリメーラ 25 0 0 0 25 0
1999-00 37 0 0 0 37 0
2000-01 36 0 0 0 36 0
イングランド リーグFAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算
2001-02 アストン・ヴィラ プレミア 32 0 1 0 1 0 2 0 36 0
2002-03 38 1 1 0 2 0 2 0 43 1
2003-04 33 1 1 0 5 0 39 1
2004-05 30 3 1 0 2 0 33 3
2005-06 27 0 4 0 2 0 33 0
2006-07 38 1 0 0 1 0 39 1
2007-08 34 2 1 0 2 0 37 2
イタリア リーグイタリア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2008-09 ユヴェントス セリエA 27 2 4 0 7 0 38 2
ギリシャ リーグカップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2009-10 オリンピアコス スーパーリーグ 25 2 4 1 12 0 41 3
2010-11 23 3 0 0 3 0 26 3
2010-12 23 2 4 1 9 0 36 3
スペイン リーグ国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2012-13 ビジャレアル セグンダ 0 0 0 0 0 0
通算 スウェーデン 64 0 0 0 0 0 0 0 64 0
スペイン 98 0 0 0 0 0 0 0 98 0
イングランド 232 8 9 0 15 0 4 0 260 8
イタリア 27 2 4 0 0 0 7 0 38 2
ギリシャ 71 7 8 2 0 0 24 0 103 9
総通算 492 17 21 2 15 0 35 0 563 19

代表での得点[編集]

スコア欄はスウェーデンの得点を左側に記している
# 日付 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 2003年9月10日 ポーランドの旗 ホジュフ  ポーランド 2-0 2-0 EURO2004予選
2. 2005年9月3日 スウェーデンの旗 ソルナ  ブルガリア 2-0 3-0 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
3. 2007年6月6日  アイスランド 3-0 5-0 EURO2008予選
4. 2007年10月17日  北アイルランド 1-0 1-1
5. 2009年9月5日 ハンガリーの旗 ブダペスト  ハンガリー 1-0 2-1 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6. 2009年10月14日 スウェーデンの旗 ソルナ  アルバニア 1-0 4-1
7. 3-0
8. 2012年6月15日 ウクライナの旗 キエフ  イングランド 2-1 2-3 EURO2012グループリーグ

脚注[編集]

  1. ^ Marcotti, Gabrielle. “Euro 2012: Sweden”. Sports Illustrated. 2012年6月7日閲覧。
  2. ^ a b Olof Mellberg stolt över sällsynt pris aftonbladet.se、2003年11月10日
  3. ^ Shaw, Phil (2002年6月27日). “Faces you may recognise in Japan and South Korea The World Cup will feature 68 players”. The Independent. http://www.highbeam.com/doc/1P2-1681049.html 2009年11月4日閲覧。 
  4. ^ a b “メルベリがビラに残留”. UEFA.com. (2004年5月13日). http://jp.uefa.com/memberassociations/news/newsid=177524.html 2012年8月11日閲覧。 
  5. ^ “Mellberg joins Villa”. BBC Sport. (2001年7月18日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/a/aston_villa/1444827.stm 2001年7月18日閲覧。 
  6. ^ The Sun (London). http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/sport/football/176027/Ill-call-on-cops.html 
  7. ^ “リバプールの開幕戦はドロー”. UEFA.com. (2006年8月19日). http://jp.uefa.com/memberassociations/news/newsid=446847.html 2012年8月11日閲覧。 
  8. ^ “Mellberg happy to spend big on Villa fans”. Tribalfootball.com. (2008年5月18日). http://www.tribalfootball.com/article.php?id=93480 2008年5月19日閲覧。  [リンク切れ]
  9. ^ “ユーベ、メルベリ獲得を決定”. UEFA.com. (2008年1月28日). http://jp.uefa.com/memberassociations/news/newsid=650466.html 2012年8月11日閲覧。 
  10. ^ “オリンピアコスがメルベリを獲得”. UEFA.com. (2009年6月23日). http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=841150.html 2012年8月11日閲覧。 
  11. ^ “Mellberg transferred to Olympiacos. Goodbye Olof”. juventus.com. (2009年6月23日). http://goal.com/en/news/10/italy/2009/06/23/1342547/official-mellberg-joins-olympiakos-from-juventus 2009年6月24日閲覧。 
  12. ^ Mellberg keeping an open mind Sky Sports、2012年7月1日
  13. ^ Villarreal replace Zapata with Mellberg Goal.com、2012年8月8日
  14. ^ ベテランDFメルベリがFCKへ UEFA.com、2013年7月10日
  15. ^ 元スウェーデン代表DFメルベリが現役引退 スポーツ報知、2014年8月1日
  16. ^ Carroll, Jack (2002年5月24日). “Swedish coach sends Mellberg home”. ESPNsoccernet. http://soccernet.espn.go.com/wc/story?id=211463&lang=en 2002年5月24日閲覧。  [リンク切れ]
  17. ^ “Swedish duo in dressing-room spat”. BBC Sport. (2006年6月12日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/world_cup_2006/teams/sweden/5073242.stm 2006年6月12日閲覧。 
  18. ^ Guldbollen”. Aftonbladet. 2008年1月13日閲覧。 (スウェーデン語)
  19. ^ “Swedish coach sends Mellberg home”. BBC Sport. (2006年9月4日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/internationals/5314550.stm 2006年9月4日閲覧。 
  20. ^ Swedes blank Spain 2–0 in Euro qualifier”. FoxSports. 2007年2月1日閲覧。
  21. ^ It's Y-Abba D-Abba do! Victory for Roy's band of super troupers Daily Mail、2012年6月16日
  22. ^ Olof Mellberg tränar BP!”. IF Brommapojkarna (2015年11月27日). 2016年12月6日閲覧。
  23. ^ Blågults hemlisar aftonbladet.se、2006年5月24日

外部リンク[編集]