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|設立 = 創業:[[1937年]]([[昭和]]12年)6月28日<ref name="hamaya-history-20-1960">{{Cite book | 和書 | title = 浜屋百貨店二十年史 | publisher = 浜屋百貨店 | year = 1960}}</ref>
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'''株式会社浜屋百貨店'''(はまやひゃっかてん, Hamaya Department Store)は、[[長崎県]]に地盤を置く[[百貨店]]である。
'''株式会社浜屋百貨店'''(はまやひゃっかてん, Hamaya Department Store)は、[[長崎県]]に地盤を置く[[日本の百貨店]]である。


[[日本百貨店協会]]・[[九州百貨店協会]]加盟。[[三越伊勢丹ホールディングス]]の[[持分法|持分法適用会社]]
[[日本百貨店協会]]・[[九州百貨店協会]]加盟。


== 概要 ==
== 歴史・概要 ==
かつて[[福岡県]]の[[百貨店]]、[[岩田屋]]のオーナーであった中牟田家が経営している。同一族の下から離れた岩田屋は、[[三越伊勢丹ホールディングス]]傘下で[[岩田屋三越|株式会社岩田屋三越]]となったが、引き続き関連企業として位置づけている。


「大長崎発展のため欠くべからず」として長崎県や長崎市商工会議所、地元商店街の支援を受けつつ、長崎財界の実業家から出資を集めて<ref name="oh-oka2009-4">{{Cite journal | 和書 | author =大岡聡 | title = 昭和戦前・戦時期の百貨店と消費社会 | journal = 成城大学経済研究所研究報告no.52 | publisher = [[成城大学]]経済研究所 | year = 2009 | month =4}}</ref>、藤木喜平<ref name="fujiki-1965">{{Cite book | 和書 | authors =神代祇彦 | title = 藤木喜平翁評伝 | publisher = 博友社 | year = 1965}}</ref>が'''株式会社浜屋百貨店'''を設立して、{{和暦|1939}}12月15日に'''浜屋百貨店'''を開いたのが始まりである<ref name="hamaya-history-20-1960" />。
大村店は、以前は別法人で運営していたが、現在は本体直営としている。

第2次世界大戦後は{{和暦|1953}}12月1日に増床をし<ref name="hamaya-history-20-1960" />、{{和暦|1958}}11月29日にも増床をして<ref name="hamaya-history-20-1960" />長崎で最大級の売場面積を誇る百貨店となり、{{和暦|1963}}2月に[[福岡市]]に本店を置く[[岩田屋]]と資本・業務提携<ref name="iwataya-annual-report-80-2009">{{Cite report |date=2009-6-22 |title=株式会社岩田屋 第80期有価証券報告書 |publisher=岩田屋 }}</ref>してその傘下に入りながら、同じ地場資本の百貨店岡政(後の[[博多大丸#長崎大丸|長崎大丸]])や{{和暦|1969}}5月に[[佐世保市]]から進出してきた[[佐世保玉屋]]が経営する長崎玉屋<ref name="isahaya-cbd-2008-7-19">{{Cite report |date=2008-7-19 |title=諫早市中心市街地活性化基本計画 平成20年7月 |publisher=諫早市}}</ref>などのライバルの百貨店と激しい競争を繰り広げ、長崎玉屋も一部フロアを閉鎖して縮小し、{{和暦|2010}}7月に長崎大丸が閉店したため、長崎市内では事実上最後の百貨店として生き残ることに成功している。

また、{{和暦|1983}}5月に長崎県大村市の中心市街地本陣通りに'''大村浜屋'''を開業<ref name="omura-cbd-2011-11-24">{{Cite report |date=2011-11-24 |title=大村市中心市街地活性化基本計画 平成21年12月7日認定 平成23年11月24日変更 |publisher=大村市}}</ref>して百貨店の多店化を進めたほか、長崎市内に[[スーパーマーケット]]の'''ハマヤショッピングセンター'''<ref name="iwataya-annual-report-78-2007">{{Cite report |date=2007-6-22 |title=株式会社岩田屋 第78期有価証券報告書 |publisher=岩田屋 }}</ref>を開業するなど岩田屋と同様に小売業での多店化・多角化を行ったが、'''大村浜屋'''は{{和暦|1995}}4月に大村市の郊外に進出したジャスコ大村店の影響で急激に中心市街地の来街者が減少した影響を受けて、{{和暦|1996}}2月に6階売場を縮小し<ref name="omura-cbd-2011-11-24" />、{{和暦|2003}}3月にジャスコ大村店が増床すると今度は3-5階の売場を閉鎖<ref name="omura-cbd-2011-11-24" />と、ジャスコの進出・増床のたびに縮小し、現在は地下1階-地上2階のみで営業<ref name="omura-cbd-2011-11-24" />する状況に追い込まれ、売場面積は半分以下になってしまっており、現在も長崎と大村の2店舗で百貨店協会に加盟しているものの、長崎の本店の比重が非常に大きくなっている。

長崎の百貨店の中では地域一番店の地位を守り、{{和暦|1997}}2月期の売上高210.08億円を{{和暦|2000}}2月期でも約206.45億円と僅か1.7%の減少<ref name="tdb-private-department-sales-2001">{{Cite report |year=2001 |title=未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~ |publisher=[[帝国データバンク]]}}</ref>にとどめ、{{和暦|1997}}の売上高85.42億円を{{和暦|2000}}2月期に約75.57億円と11.5%の減少させた長崎大丸<ref name="tdb-private-department-sales-2001" />や、同じく{{和暦|1997}}の売上高239.08億円を{{和暦|2000}}2月期に約212.79億円と11.0%の減少させた佐世保玉屋<ref name="tdb-private-department-sales-2001" />(長崎玉屋も経営)などのライバルより落ち込みを少なくしたほか、JR[[長崎駅]]の[[アミュプラザ]]や元船町に[[イズミ]]の[[夢彩都]]が{{和暦|2000}}に進出した後は売上が減少したものの{{和暦|2005}}2月期には増収増益を達成する<ref name="zaikai-kyushu-2006-9">{{Cite journal | title = 長崎レポート 人流を変える 大型店計画に 「戦々恐々」茂里町は着工 長崎自動車跡地 一方で長与は…ダイヤモンドシティ | journal = 財界九州2006年9月号 | publisher = 財界九州社 | issue = 2006-9}}</ref>など営業努力を続け、{{和暦|2011}}7月に過去最高の98年2月期(85億円)に比べ売上高が約4割減少し49.26億円となり赤字が続いていた長崎大丸が閉店<ref name="nikkei-2011-1-25">{{Cite news | title = 長崎大丸、7月に閉店 商店街の顔、集客に打撃 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-1-25 }}</ref>に追い込まれる厳しい状況下で百貨店としての存続に成功している。

また、近年は加賀能登のれん会と提携した石川県の食品、工芸関連の伝統産業ツアーを{{和暦|2008}}3月に実施<ref name="hokkoku-np-2008-3-6">{{Cite news | title = 伝統産業を観光資源に 加賀能登のれん会 ツアー実施、老舗の現場体験 | newspaper = [[北國新聞]] | publisher = 北國新聞社 | date = 2008-3-6 }}</ref>したり、{{和暦|2012}}1月からは[[井筒屋]]、[[鶴屋百貨店]]、[[トキハ]]、[[山形屋]]、[[佐賀玉屋]]、[[佐世保玉屋]]、[[県民百貨店]]、[[リウボウインダストリー]]という九州の地場資本の百貨店が大同団結した商品開発と共同仕入れに参画する<ref name="oita-np-2012-1-19">{{Cite news | title = トキハなど 共同で商品開発、仕入れ | newspaper = [[大分合同新聞]] | publisher = 大分合同新聞社 | date = 2012-1-19 }}</ref>など新たな動きも見せている。

== 現在の経営体制 ==

現在は創業家の藤木家から創業者の藤木喜平の息子である藤木博が取締役会長を務める<ref name="zaikai-kyushu-2004-8">{{Cite journal | author =武野要子 | title = Part2「長崎学」(4) | journal = 財界九州2004年8月号 | publisher = 財界九州社 | issue = 2004-8}}</ref>と共に、藤木健司が取締役総務部長<ref name="nikkei-2011-1-25" />を努め、岩田屋の創業家からは中牟田新一が代表取締役社長を努めており、両家による共同経営の形になっているが、創業時から長崎財界の共同出資<ref name="oh-oka2009-4" />であり、完全な同族会社とはいえない。

また、岩田屋が伊勢丹の支配下に入った後も岩田屋で取締役を務めていた中牟田新一社長<ref name="iwataya-annual-report-75-2004">{{Cite report |date=2004-6-22 |title=株式会社岩田屋 第75期有価証券報告書 |publisher=岩田屋 }}</ref>がその後岩田屋の執行役員<ref name="iwataya-annual-report-78-2007" />への降格を経て退任し、他の役員の派遣もされていないため、現在は岩田屋三越や三越伊勢丹ホールディングスとの間で役員の兼務がなくなっているだけでなく、かつては取引関係にあった浜屋友の会と岩田屋<ref name="iwataya-annual-report-75-2004" />の取引がなくなり、浜屋友の会は従来通り浜屋の100%出資子会社であるにもかかわらず、三越伊勢丹ホールディングスの関係会社から外れている<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011">{{Cite report |date=2011-6-27 |title=株式会社三越伊勢丹ホールディングス 第3期有価証券報告書 |publisher=三越伊勢丹ホールディングス }}</ref>。

そして、{{和暦|2010}}に岩田屋が系列のカード会社だったエージーカードを[[三洋信販]]に譲渡して連結対象から外すと共に提携カードを三越伊勢丹系の[[エムアイカード]]に変更した<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011" />際には、浜屋百貨店はエージーカードの代わりとして[[九州日本信販]]と提携した'''浜屋aiカード'''<ref name="nagasaki-np-2011-8-13">{{Cite news | title = 長崎市浜町周辺210店舗のポイントが2倍 浜屋「aiカード」 | newspaper = [[長崎新聞]] | publisher = 長崎新聞社 | date = 2011-8-13 }}</ref>の発行するなど業務上の関係は中牟田家が岩田屋を経営していた頃に比べて薄れつつある。

{{和暦|2010}}3月31日期の株式会社岩田屋三越第81期有価証券報告書の個別注記表では、浜屋百貨店本体と岩田屋三越の取引関係は従来からの長期貸付金の貸付継続とその元利の支払を行っていることだけが取引関係であり、かつ、浜屋百貨店への長期貸付金全額(11.69億円)を貸倒れ引当金計上している旨が記載される<ref name="iwatayamitsukoshi-annual-report-81-2011">{{Cite report |date=2011-6 |title=株式会社岩田屋三越 第81期有価証券報告書 個別注記表 |publisher=岩田屋三越 }}</ref>状況となっているが、岩田屋が事実上破綻して伊勢丹に救済される形で傘下入りして、その持ち株がそのまま現在は株式会社岩田屋三越の保有<ref name="iwatayamitsukoshi-annual-report-81-2011" />に移行したため、現在も資本上は[[三越伊勢丹ホールディングス]]の[[持分法|持分法適用会社]]となっている<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011" />。


== 沿革 ==
== 沿革 ==
*'''{{和暦|1939}}'''
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**'''12月15日''' - '''浜屋百貨店'''が開業。(地下1階、地上2階建ての木造建築、売場面積3,098㎡)<ref name="hamaya-history-20-1960" />
*'''[[1939年]]([[昭和]]14年)'''
**'''[[12月15日]]''' - '''浜屋百貨店'''が開業。(地下1階、地上2階建ての木造建築、売場面積3,098㎡)
***建築用[[鋼材]]の使用[[統制]]があったが、地下1階は[[防空]]用待避所となるということで、地階だけ[[鉄筋コンクリート]]が認められた。
***建築用[[鋼材]]の使用[[統制]]があったが、地下1階は[[防空]]用待避所となるということで、地階だけ[[鉄筋コンクリート]]が認められた。
**[[12月16日]] - 夜間営業を開始。
**12月16日 - 夜間営業を開始。
*{{和暦|1940}}
*[[1940年]](昭和15年)
**2月末 - 第2期工事が完了。
**2月末 - 第2期工事が完了。
**[[3月10日]] - 全館開店。
**3月10日 - 全館開店。
**[[4月21日]] - 落成式を挙行。当時の従業員数約370名。
**4月21日 - 落成式を挙行。当時の従業員数約370名。
*[[1945年]](昭20年)[[10月3日]] - 県・市・県商工経済会のあっ旋により、岡政百貨店(後の[[博多大丸#長崎大丸|長崎大丸]]、[[2011年]][[7月]]閉店)・丸善出張所とともに、占領軍向け土産品売店として開店。
*{{暦|1945}}[[10月3日]] - 県・市・県商工経済会のあっ旋により、岡政百貨店(後の[[博多大丸#長崎大丸|長崎大丸]]、[[2011年]][[7月]]閉店)・丸善出張所とともに、占領軍向け土産品売店として開店。
*{{和暦|1953}}12月1日 - 増床<ref name="hamaya-history-20-1960" />
*[[1974年]](昭和49年)[[10月4日]] - 増築工事が完成し、8階建てとなる。電車通り側に新館を建設。売上面積が1万2,300㎡に拡大。
*{{和暦|1958}}11月29日 - 増床<ref name="hamaya-history-20-1960" />
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*{{和暦|1974}}[[10月4日]] - 増築工事が完成し、8階建てとなる。電車通り側に新館を建設。売上面積が1万2,300㎡に拡大。
*{{和暦|1983}}5月 - 長崎県大村市に'''大村浜屋'''を開業<ref name="omura-cbd-2011-11-24" />


== フロア概要 ==
== 店舗 ==
[[Image:Nagasaki Hamaya.JPG|thumb|250px|長崎浜屋]]
[[画像:Nagasaki Hamaya2.JPG|thumb|250px|浜の町商店街側の出入口]]
=== 長崎店 ===
=== 長崎店 ===
{{商業施設
*昭和14年開業、17,557㎡
|社色 = #234794
*所在地:長崎市浜町7番11号 ([[浜町アーケード]]内)
|文字色 =
|名称 = 長崎浜屋
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|画像サイズ = 300px|
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|施設管理者 =
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|外部リンク=http://www.nagasaki-hamaya.com/
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長崎市の[[中心市街地]]にある最大の繁華街[[浜町アーケード]]内にある本店。

*アクセス
** [[長崎電気軌道]] [[長崎電気軌道1号系統|1系]]・[[長崎電気軌道4号系統|4系]] [[観光通駅|観光通り電停]]
** [[長崎自動車]] 浜の町バス停


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! 階!! 長崎浜屋 フロア概要
! 階!! 長崎浜屋 フロア概要
99行目: 150行目:


=== 大村店 ===
=== 大村店 ===
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大村市の本町アーケード商店街の一角のかつての長崎街道大村宿の本陣の近くにあり<ref name="omura-cbd-2011-11-24" />、店舗に隣接して専用駐車場を備える。

ジャスコ大村店(現在のイオン大村店)の開業とその後の増床の影響で周辺の商店街と共に来店者と売上の減少に見舞われ、売場を縮小しており、現在は通常の売場は地下1階から地上2階までとなっている<ref name="omura-cbd-2011-11-24" />。

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! 階!!大村浜屋 フロア概要
! 階!!大村浜屋 フロア概要
130行目: 210行目:
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==ハマヤショッピングセンター==
===ハマヤショッピングセンター===
*所在地:長崎市ダイヤランド2丁目19-18
*所在地:長崎市ダイヤランド2丁目19-18
関連会社ハマヤショッピングセンターが運営するスーパーマーケット<ref name="iwataya-annual-report-78-2007" />。


==ギフトサロン==
==ギフトサロン==
144行目: 225行目:
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}


== アクセス ==
== 関連項目 ==
*[[岩田屋]]
* [[長崎電気軌道]] [[長崎電気軌道1号系統|1系]]・[[長崎電気軌道4号系統|4系]] [[観光通駅|観光通り電停]]
*[[浜町アーケード]]
* [[長崎自動車]] 浜の町バス停

== 外部リンク ==
:[http://www.nagasaki-hamaya.com/ 長崎浜屋]
{{日本の大手百貨店}}
{{日本の大手百貨店}}



2012年5月9日 (水) 09:36時点における版

株式会社浜屋百貨店
Hamaya
長崎浜屋
種類 株式会社
市場情報 非上場[1]
略称 浜屋
本社所在地 日本の旗 日本
850-8510
長崎県長崎市浜町7番11号
設立 創業:1937年昭和12年)6月28日[2]
業種 小売業
法人番号 5310001002439 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店
代表者 代表取締役社長 中牟田真一
資本金 2億5,000万円
支店舗数 百貨店2、ギフトサロン4
主要株主 岩田屋三越[3]27.0%[4]
主要子会社 浜屋友の会(株)
(株)ハマヤショッピングセンター[5]
外部リンク [1]
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株式会社浜屋百貨店(はまやひゃっかてん, Hamaya Department Store)は、長崎県に地盤を置く日本の百貨店である。

日本百貨店協会九州百貨店協会加盟。

歴史・概要

「大長崎発展のため欠くべからず」として長崎県や長崎市商工会議所、地元商店街の支援を受けつつ、長崎財界の実業家から出資を集めて[6]、藤木喜平[7]株式会社浜屋百貨店を設立して、1939年(昭和14年)12月15日に浜屋百貨店を開いたのが始まりである[2]

第2次世界大戦後は1953年(昭和28年)12月1日に増床をし[2]1958年(昭和33年)11月29日にも増床をして[2]長崎で最大級の売場面積を誇る百貨店となり、1963年(昭和38年)2月に福岡市に本店を置く岩田屋と資本・業務提携[8]してその傘下に入りながら、同じ地場資本の百貨店岡政(後の長崎大丸)や1969年(昭和44年)5月に佐世保市から進出してきた佐世保玉屋が経営する長崎玉屋[9]などのライバルの百貨店と激しい競争を繰り広げ、長崎玉屋も一部フロアを閉鎖して縮小し、2010年(平成22年)7月に長崎大丸が閉店したため、長崎市内では事実上最後の百貨店として生き残ることに成功している。

また、1983年(昭和58年)5月に長崎県大村市の中心市街地本陣通りに大村浜屋を開業[10]して百貨店の多店化を進めたほか、長崎市内にスーパーマーケットハマヤショッピングセンター[5]を開業するなど岩田屋と同様に小売業での多店化・多角化を行ったが、大村浜屋1995年(平成7年)4月に大村市の郊外に進出したジャスコ大村店の影響で急激に中心市街地の来街者が減少した影響を受けて、1996年(平成8年)2月に6階売場を縮小し[10]2003年(平成15年)3月にジャスコ大村店が増床すると今度は3-5階の売場を閉鎖[10]と、ジャスコの進出・増床のたびに縮小し、現在は地下1階-地上2階のみで営業[10]する状況に追い込まれ、売場面積は半分以下になってしまっており、現在も長崎と大村の2店舗で百貨店協会に加盟しているものの、長崎の本店の比重が非常に大きくなっている。

長崎の百貨店の中では地域一番店の地位を守り、1997年(平成9年)2月期の売上高210.08億円を2000年(平成12年)2月期でも約206.45億円と僅か1.7%の減少[1]にとどめ、1997年(平成9年)の売上高85.42億円を2000年(平成12年)2月期に約75.57億円と11.5%の減少させた長崎大丸[1]や、同じく1997年(平成9年)の売上高239.08億円を2000年(平成12年)2月期に約212.79億円と11.0%の減少させた佐世保玉屋[1](長崎玉屋も経営)などのライバルより落ち込みを少なくしたほか、JR長崎駅アミュプラザや元船町にイズミ夢彩都2000年(平成12年)に進出した後は売上が減少したものの2005年(平成17年)2月期には増収増益を達成する[11]など営業努力を続け、2011年(平成23年)7月に過去最高の98年2月期(85億円)に比べ売上高が約4割減少し49.26億円となり赤字が続いていた長崎大丸が閉店[12]に追い込まれる厳しい状況下で百貨店としての存続に成功している。

また、近年は加賀能登のれん会と提携した石川県の食品、工芸関連の伝統産業ツアーを2008年(平成20年)3月に実施[13]したり、2012年(平成24年)1月からは井筒屋鶴屋百貨店トキハ山形屋佐賀玉屋佐世保玉屋県民百貨店リウボウインダストリーという九州の地場資本の百貨店が大同団結した商品開発と共同仕入れに参画する[14]など新たな動きも見せている。

現在の経営体制

現在は創業家の藤木家から創業者の藤木喜平の息子である藤木博が取締役会長を務める[15]と共に、藤木健司が取締役総務部長[12]を努め、岩田屋の創業家からは中牟田新一が代表取締役社長を努めており、両家による共同経営の形になっているが、創業時から長崎財界の共同出資[6]であり、完全な同族会社とはいえない。

また、岩田屋が伊勢丹の支配下に入った後も岩田屋で取締役を務めていた中牟田新一社長[16]がその後岩田屋の執行役員[5]への降格を経て退任し、他の役員の派遣もされていないため、現在は岩田屋三越や三越伊勢丹ホールディングスとの間で役員の兼務がなくなっているだけでなく、かつては取引関係にあった浜屋友の会と岩田屋[16]の取引がなくなり、浜屋友の会は従来通り浜屋の100%出資子会社であるにもかかわらず、三越伊勢丹ホールディングスの関係会社から外れている[4]

そして、2010年(平成22年)に岩田屋が系列のカード会社だったエージーカードを三洋信販に譲渡して連結対象から外すと共に提携カードを三越伊勢丹系のエムアイカードに変更した[4]際には、浜屋百貨店はエージーカードの代わりとして九州日本信販と提携した浜屋aiカード[17]の発行するなど業務上の関係は中牟田家が岩田屋を経営していた頃に比べて薄れつつある。

2010年(平成22年)3月31日期の株式会社岩田屋三越第81期有価証券報告書の個別注記表では、浜屋百貨店本体と岩田屋三越の取引関係は従来からの長期貸付金の貸付継続とその元利の支払を行っていることだけが取引関係であり、かつ、浜屋百貨店への長期貸付金全額(11.69億円)を貸倒れ引当金計上している旨が記載される[3]状況となっているが、岩田屋が事実上破綻して伊勢丹に救済される形で傘下入りして、その持ち株がそのまま現在は株式会社岩田屋三越の保有[3]に移行したため、現在も資本上は三越伊勢丹ホールディングス持分法適用会社となっている[4]

沿革

  • 1939年(昭和14年)
    • 12月15日 - 浜屋百貨店が開業。(地下1階、地上2階建ての木造建築、売場面積3,098㎡)[2]
    • 12月16日 - 夜間営業を開始。
  • 1940年(昭和15年)
    • 2月末 - 第2期工事が完了。
    • 3月10日 - 全館開店。
    • 4月21日 - 落成式を挙行。当時の従業員数約370名。
  • 1945年(昭和20年)10月3日 - 県・市・県商工経済会のあっ旋により、岡政百貨店(後の長崎大丸2011年7月閉店)・丸善出張所とともに、占領軍向け土産品売店として開店。
  • 1953年(昭和28年)12月1日 - 増床[2]
  • 1958年(昭和33年)11月29日 - 増床[2]
  • 1963年(昭和38年)2月 - 岩田屋と資本・業務提携[8]
  • 1974年(昭和49年)10月4日 - 増築工事が完成し、8階建てとなる。電車通り側に新館を建設。売上面積が1万2,300㎡に拡大。
  • 1983年(昭和58年)5月 - 長崎県大村市に大村浜屋を開業[10]

店舗

長崎店

長崎浜屋
Nagasaki Hamaya
浜の町商店街側の出入口
店舗概要
所在地 長崎県長崎市浜町7番11号
開業日 1939年(昭和14年)12月15日[2]
正式名称 浜屋百貨店長崎店
商業施設面積 17,557[18] m²
最寄駅 長崎電気軌道1系4系 観光通り電停
外部リンク http://www.nagasaki-hamaya.com/
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長崎市の中心市街地にある最大の繁華街浜町アーケード内にある本店。


長崎浜屋 フロア概要
RF プレイランド、売店、展望施設
8F 催事場、美術ギャラリー、レストラン
7F 子供服、友の会サロン、外商サロン
6F ダイニング、リビング、生活雑貨、寝具
5F メンズファッション、宝飾、時計、家具、旅行用品
4F レディスファッション、レディスフォーマル、カフェ
3F レディスファッション、インナー
2F ヤングレディスファッション
1F 総合案内所、化粧品、アクセサリー、ハンドバッグ、婦人靴、ベーカリー、カフェ、ATM
B1F 生鮮食品、一般食品、全国銘菓、土産品、酒、生活雑貨、化粧品


大村店

大村浜屋
Omura Hamaya
店舗概要
所在地 長崎県大村市本町458-2
開業日 1983年(昭和58年)5月[10]
正式名称 浜屋百貨店大村店
延床面積 10,714[10] m²
商業施設面積 8,600[10] m²
駐車台数 160台[9]
最寄駅 九州旅客鉄道大村駅
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大村市の本町アーケード商店街の一角のかつての長崎街道大村宿の本陣の近くにあり[10]、店舗に隣接して専用駐車場を備える。

ジャスコ大村店(現在のイオン大村店)の開業とその後の増床の影響で周辺の商店街と共に来店者と売上の減少に見舞われ、売場を縮小しており、現在は通常の売場は地下1階から地上2階までとなっている[10]

大村浜屋 フロア概要
RF 閉鎖中
6F 閉鎖中
5F 閉鎖中
4F 閉鎖中
3F 催事場(閉鎖の場合あり)
2F レディスファッション、レディスフォーマル、インナー
1F 総合案内所、化粧品、アクセサリー、ハンドバッグ、婦人靴、旅行用品、レストラン
B1F 生鮮食品、一般食品、全国銘菓、土産品、酒、生活雑貨、ダイニング

ハマヤショッピングセンター

  • 所在地:長崎市ダイヤランド2丁目19-18

関連会社ハマヤショッピングセンターが運営するスーパーマーケット[5]

ギフトサロン

※百貨店の共通商品券は使用不可。

脚注

  1. ^ a b c d 未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~ (Report). 帝国データバンク. 2001.
  2. ^ a b c d e f g h 『浜屋百貨店二十年史』浜屋百貨店、1960年。 
  3. ^ a b c 株式会社岩田屋三越 第81期有価証券報告書 個別注記表 (Report). 岩田屋三越. 2011-6. {{cite report}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  4. ^ a b c d 株式会社三越伊勢丹ホールディングス 第3期有価証券報告書 (Report). 三越伊勢丹ホールディングス. 27 June 2011.
  5. ^ a b c d 株式会社岩田屋 第78期有価証券報告書 (Report). 岩田屋. 22 June 2007.
  6. ^ a b 大岡聡「昭和戦前・戦時期の百貨店と消費社会」『成城大学経済研究所研究報告no.52』、成城大学経済研究所、2009年4月。 
  7. ^ 神代祇彦『藤木喜平翁評伝』博友社、1965年。 
  8. ^ a b 株式会社岩田屋 第80期有価証券報告書 (Report). 岩田屋. 22 June 2009.
  9. ^ a b 諫早市中心市街地活性化基本計画 平成20年7月 (Report). 諫早市. 19 July 2008.
  10. ^ a b c d e f g h i j 大村市中心市街地活性化基本計画 平成21年12月7日認定 平成23年11月24日変更 (Report). 大村市. 24 November 2011.
  11. ^ “長崎レポート 人流を変える 大型店計画に 「戦々恐々」茂里町は着工 長崎自動車跡地 一方で長与は…ダイヤモンドシティ”. 財界九州2006年9月号 (財界九州社) (2006-9). 
  12. ^ a b “長崎大丸、7月に閉店 商店街の顔、集客に打撃”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年1月25日) 
  13. ^ “伝統産業を観光資源に 加賀能登のれん会 ツアー実施、老舗の現場体験”. 北國新聞 (北國新聞社). (2008年3月6日) 
  14. ^ “トキハなど 共同で商品開発、仕入れ”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社). (2012年1月19日) 
  15. ^ 武野要子. “Part2「長崎学」(4)”. 財界九州2004年8月号 (財界九州社) (2004-8). 
  16. ^ a b 株式会社岩田屋 第75期有価証券報告書 (Report). 岩田屋. 22 June 2004.
  17. ^ “長崎市浜町周辺210店舗のポイントが2倍 浜屋「aiカード」”. 長崎新聞 (長崎新聞社). (2011年8月13日) 
  18. ^ 国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) (Report). 国土審議会調査改革部会. 2000. {{cite report}}: 不明な引数|mounth=は無視されます。 (説明)

関連項目