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浅口郡

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岡山県浅口郡の位置(緑:里庄町)

浅口郡(あさくちぐん)は、岡山県備中国)の

人口10,996人、面積12.23km²、人口密度899人/km²。(2016年10月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。

  • 倉敷市の一部(水島海岸通、水島高砂町、水島青葉町、水島南幸町、水島北幸町、水島南春日町、水島北春日町、水島南緑町、水島北緑町、水島東川町、連島町連島、西阿知町新田、西阿知町、船穂町水江、船穂町柳井原、船穂町船穂、玉島陶より南西)
  • 笠岡市の一部(大島中・西大島・西大島新田)
  • 浅口市の全域

歴史

716年霊亀2年)、『続日本紀』8月癸亥の条で初見。備中国には都宇、窪屋、浅口、小田、後月、下道、賀夜、英賀、哲多の9郡をおいたとされる。浅口郡には八郷(阿知郷・間人郷・船穂郷・占見郷・川村郷・小坂郷・林郷・大島(嶋)郷)。郡衙推定地は不詳である。

かつては、郡域の南部は海域であり、大島、柏島、乙島などの島嶼が存在し、大島と本州側は水道となっていた。薗水道東部の海域(現在の倉敷市玉島中心部あたり)は「甕の海」「甕の泊」「玉の浦」と呼ばれる入江であった。しかし中世以降の干拓による新田開発により、陸続きとなった。また連島都羅郷)は、古代においては備前国児島郡に属していたが、後の時代に備中国浅口郡に編入となった。

郡名の由来としては、古代吉備国におかれたのひとつである波区芸県(はくきのあがた)が変形したものであるという解釈が有力とされる[1]。他に俗説として、郡南部が海域だった時代に、甕の泊に入る際には、出入口の浅い部分が難所となったらしいとのことであり、そこから浅い口の名で呼ばれるようになったとの伝承がある。

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 倉敷代官所 10村 片島村、乙島村、阿賀崎新田村、西組[2]、黒崎村、矢柄村分[3]、西之浦分[4]、西勇崎村[5]、勇崎浜、押山浜
旗本領交代寄合山崎氏) 4村 西之浦村、●矢柄村、鶴新田村、亀島新田村
旗本領(その他) 1村 佐方村
藩領 備中岡山新田藩 21村 西阿知新田村、七島村、島地[6]、道越村、八重村、上竹新田村、占見新田村、小坂東村、深田村、大島中村、西大島村[7]、東大島[8]、西大島新田[9]、六条院西村、六条院中村、六条院東村、本庄村、小坂西村、鴨方村、口林村、池口[10]
備前岡山藩 10村 西原村、上竹村、下竹[11]、道口[12]、富[13]、亀山村[14]、占見村、地頭下村、地頭上村、益坂村[15]
丹波亀山藩 6村 上船尾村、下船尾村、長尾村、水江村、柳井原村、東勇崎村
備中浅尾藩 3村 大谷村、中島新田[16]、須恵村
摂津麻田藩 3村 下新庄村、上新庄村、浜中村
備中新見藩 2村 大江村、●連島村
備中松山藩 1村 東組[17]
岡山藩・新見藩 1村 西阿知村
亀山藩・松山藩 1村 玉島村
  • 慶応4年
  • 明治元年
  • 明治2年
  • 明治3年(1870年) - この年までに旗本領が倉敷県の管轄となる。
  • 明治4年
  • 明治5年6月5日1872年7月10日) - 小田県の管轄となる。
  • 明治初年 - 中島新田が大谷村に合併。(62村)
  • 明治7年(1874年)(58村)
    • 西組・東組が合併して柏島村となる。
    • 東勇崎村・西勇崎村・勇崎浜が合併して勇崎村となる。
    • 下新庄村・上新庄村が合併して新庄村となる。
  • 明治8年(1875年)(53村)
    • 12月20日 - 第2次府県統合により岡山県の管轄となる。
    • 矢柄村分・西之浦分が合併して北面新田村となる。
    • 口林村・池口が合併して里見村となる。
    • 上船尾村・下船尾村が合併して船穂村となる。
    • 大江村・連島村が合併して大江連島村となる。
    • 島地が七島村に合併。
  • 明治9年(1876年)(52村)
    • 西大島村・西大島新田が合併して大島西村となる。
    • 東大島および六乗院西村の一部(安倉)が合併して寄島村となる。
    • 押山浜が勇崎村に合併。
  • 明治10年(1877年)(46村)
    • 柏島村・勇崎村が合併して柏崎村となる。
    • 七島村・亀山村が合併して八島村となる。
    • 上竹村・下竹が合併して竹村となる。
    • 矢柄村・大江連島村および北面新田村の一部(旧・矢柄村分)が合併して連島村となる。
    • 上竹新田村が八重村に、北面新田村の残部(旧・西之浦分)が西之浦村にそれぞれ合併。
  • 明治11年(1878年9月29日 - 郡区町村編制法の岡山県での施行により、行政区画としての浅口郡が発足。郡役所が玉島村に設置。
  • 明治12年(1879年)(49村)
    • 柏崎村が分割して柏島村・勇崎村となる。
    • 大島西村が分割して西大島村・西大島新田村となる。
    • 竹村が分割して上竹村・下竹村となる。
    • 富が本村から正式に独立して富村となる。
  • 明治13年(1880年) - 道口が本村から正式に独立して道口村となる。
  • 明治14年(1881年) - 玉島村の一部が分立して上成村・爪崎村となる。(51村)

町村制以降の沿革

  • 明治22年(1889年6月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(27村)
    • 玉島村 ← 玉島村、上成村(現・倉敷市)
    • 阿賀崎村(単独村制。現・倉敷市)
    • 乙島村(単独村制。現・倉敷市)
    • 柏崎村 ← 柏島村、勇崎村(現・倉敷市)
    • 連島村(連島村の大部分[近世の大江村・連島村]が単独村制)(現・倉敷市)
    • 鶴新田村(単独村制。現・倉敷市)
    • 西之浦村(単独村制。現・倉敷市)
    • 亀島村 ← 亀島新田村、連島村[近世の矢柄村・矢柄村分](現・倉敷市)
    • 甲内村 ← 片島村、西原村(現・倉敷市)
    • 西阿知村 ← 西阿知村、西阿知新田村(現・倉敷市)
    • 船穂村 ← 船穂村、水江村、柳井原村(現・倉敷市)
    • 長尾村 ← 長尾村、爪崎村(現・倉敷市)
    • 池田村 ← 八島村、道越村(現・倉敷市)
    • 道口村 ← 道口村、富村(現・倉敷市)
    • 竹村 ← 上竹村、下竹村、八重村(現・浅口市)
    • 占見村 ← 占見村、占見新田村、地頭下村(現・浅口市)
    • 吉備村 ← 佐方村、須恵村、大谷村(現・浅口市)
    • 津田村 ← 地頭上村、益坂村、本庄村(現・浅口市)
    • 小坂村 ← 小坂東村、小坂西村(現・浅口市)
    • 鴨方村 ← 鴨方村、深田村(現・浅口市)
    • 里見村(単独村制。現・里庄町)
    • 新庄村 ← 新庄村、浜中村(現・里庄町)
    • 西大島村 ← 西大島村、西大島新田村(現・笠岡市)
    • 大島中村(単独村制。現・笠岡市、浅口市)
    • 寄島村(単独村制。現・浅口市)
    • 黒崎村(単独村制。現・倉敷市)
    • 六条院村 ← 六条院西村、六条院東村、六条院中村(現・浅口市)
  • 明治30年(1897年5月26日 - 玉島村・阿賀崎村が合併して玉島町が発足。(1町25村)
  • 明治33年(1900年4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治34年(1901年2月6日 - 寄島村が町制施行して寄島町となる。(2町24村)
  • 明治35年(1902年9月30日(2町21村)
    • 玉島町・乙島村・柏崎村が合併し、改めて玉島町が発足。
    • 甲内村・西阿知村が合併して河内村が発足。
  • 明治36年(1903年
    • 1月1日 - 鶴新田村・西之浦村・亀島村・連島村が合併し、改めて連島村が発足。(2町18村)
    • 12月1日 - 池田村・道口村が合併して富田村が発足。(2町17村)
  • 明治38年(1905年)4月1日
    • 竹村・占見村・吉備村が合併して三和村が発足。(2町15村)
    • 津田村・小坂村・鴨方村が合併し、改めて鴨方村が発足。(2町13村)
    • 里見村・新庄村が合併して里庄村となる。(2町12村)
    • 西大島村・大島中村が合併して大島村が発足。(2町11村)
  • 明治45年(1912年)4月1日 - 連島村が町制施行して連島町となる。(3町10村)
  • 大正11年(1922年1月1日 - 河内村が町制施行して河内町となる。(4町9村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正12年(1923年10月31日 - 三和村が町制施行・改称して金光町となる。(5町8村)
  • 大正14年(1925年
  • 大正15年(1926年)1月1日 - 河内町が改称して西阿知町となる。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和9年(1934年)7月1日 - 六条院村が町制施行して六条院町となる。(8町5村)
  • 昭和15年(1940年2月11日 - 船穂村が町制施行して船穂町となる。(9町4村)
  • 昭和25年(1950年6月1日 - 里庄村が町制施行して里庄町となる。(10町3村)
  • 昭和26年(1951年1月1日 - 黒崎村が町制施行して黒崎町になる。(11町2村)
  • 昭和27年(1952年)1月1日 - 玉島町が市制施行して玉島市となり、郡より離脱。(10町2村)
  • 昭和28年(1953年
    • 1月1日 - 西阿知町が倉敷市に編入。(9町2村)
    • 2月11日 - 長尾町が玉島市に編入。(8町2村)
    • 4月1日 - 黒崎町・富田村が玉島市に編入。(7町1村)
    • 6月1日 - 連島町が倉敷市に編入。(6町1村)
  • 昭和30年(1955年)4月1日(5町)
    • 鴨方町・六条院町が合併し、改めて鴨方町が発足。(6町1村)
    • 大島村が分割し、一部(大島の一部)が寄島町に編入、残部が笠岡市にそれぞれ編入。
  • 平成17年(2005年8月1日 - 船穂町が倉敷市に編入。(4町)
  • 平成18年(2006年3月21日 - 鴨方町・金光町・寄島町が合併して浅口市が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

脚注

  1. ^ 永山 卯三郎著『岡山県通史』(1962年)
  2. ^ 記載は柏島村西組。
  3. ^ 記載は矢柄村ノ内北面新田。
  4. ^ 記載は西之浦村ノ内北面新田。
  5. ^ 記載は勇崎村。
  6. ^ 記載は七島村ノ内島地。
  7. ^ 記載は大島村ノ内西大島。
  8. ^ 記載は大島村ノ内東大島。
  9. ^ 記載は大島村ノ内西大島新田。
  10. ^ 記載は口林村ノ内池口。
  11. ^ 記載は上竹村ノ内下竹。
  12. ^ 記載は上竹村ノ内道口。
  13. ^ 記載は上竹村ノ内富。
  14. ^ 記載は上竹村ノ内亀山。
  15. ^ 記載は地頭上村ノ内益阪。
  16. ^ 記載は大谷村ノ内中島新田。
  17. ^ 記載は柏島村東組。

参考文献

関連項目