神石郡

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神石郡(じんせきぐん)は、広島県備後国)の

人口7,903人、面積381.98km²、人口密度20.7人/km²。(2022年5月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 庄原市の一部(東城町新免・東城町三坂)
  • 神石高原町の大部分(桑木・階見および父木野・坂瀬川の各一部を除く)

歴史[編集]

郡名の由来としては神事が行われた土地を意味するというものや、古代日本語で「石の多い谷」の意とするものがありはっきりしていない。古代には「かめし」と発音された。

近世以降の沿革[編集]

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 1村 古川村
藩領 備後福山藩 15村 時安村、坂瀬川村、亀石村、大矢村、井関村、近田村、花済村、上野村、李村、上豊松村、中平村、東有木村、西有木村、小野村、笹尾村
豊前中津藩 22村 安田村、西油木村、東油木村、下豊松村、新免村、三坂村、永野村、草木村、阿下村、光信村、小畠村[1]、常光村、光末村、父木野村、上村、高蓋村、木津和村、田頭村、福永村、牧村、高光村、相渡村

行政[編集]

神石郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)11月1日
明治32年(1899年)4月30日 廃官
芦品・神石・甲奴郡長[3]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 齋藤次郎 明治32年(1899年)5月1日 明治42年(1909年)6月24日 前職は芦田・品治・神石・甲奴郡長
2 小林正敏 明治42年(1909年)6月24日 明治45年(1912年)3月30日 前職は比婆郡長
3 黒川林之助 明治45年(1912年)3月30日 大正4年(1915年)7月3日 前職は神石郡長
4 藤崎供隣 大正4年(1915年)7月3日 大正9年(1920年)4月1日 前職は広島県警視
5 石栗巍 大正9年(1920年)4月1日 大正12年(1923年)2月26日 前職は島根県飯石郡長
6 柏四郎九 大正12年(1923年)2月26日 大正15年(1926年)6月30日 前職は世羅郡長
郡役所廃止により廃官

脚注[編集]

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  1. ^ 記載は小畑村。
  2. ^ 字萩原、柳峠、道岩、犬塚、大平、石屋、重松、糀原、江立、尾坂、元重の地域のうち国有林五三林班、五五林班を除く地域、新重の地域のうち国有林五〇林班に属する地域を除く地域及び左靱の地域のうち江立一、二五〇の東北端地先神谷川中央から神谷川中央をとおり瀬原一、四五九の三の東北端地先神谷川中央までの線以西の地域。父木野・坂瀬川の各一部となる。
  3. ^ 芦品郡志、52-53頁

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 『角川日本地名大辞典』 34 広島県、角川書店、1987年2月1日。ISBN 4040013409 
  • 旧高旧領取調帳データベース