木村容堂 (3代)
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基礎情報 | ||||
行司名 |
木村裕司 → 木村恵之助 → 木村恵乃助 → 木村武蔵 → 木村恵之助 → 3代木村容堂 | |||
本名 | 洞澤 裕司 | |||
生年月日 | 1961年10月30日(60歳) | |||
出身 | 東京都府中市 | |||
所属部屋 | 九重部屋 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 三役格行司 | |||
最高位 | 三役格行司 | |||
初土俵 | 1977年11月場所 | |||
幕内格 | 2006年3月場所 | |||
三役格 | 2014年11月場所 | |||
他の活動 | 番付の書き手 | |||
備考 | ||||
2016年4月25日現在 |
3代木村 容堂(きむら ようどう、1961年10月30日 - )は大相撲の三役格行司である。九重部屋所属。血液型はO型。
趣味はプロレス観戦と落語鑑賞。
人物[編集]
ハリのある力強い呼び上げと掛け声が特徴である。
2000年3月場所より番付の書き手であった式守敏廣(当時幕内格、後の立行司36代木村庄之助)の番付書き助手を務めていた。2007年11月場所より受け継いで、戦後7人目の番付書き担当となり、現在も番付書き担当を務めているが、同場所の番付は1873年11月場所以来、134年ぶりとなる空位(西前頭11枚目)のある非常に珍しい番付(「時津海正博」の項参照)となった[1]。また2008年9月場所(東前頭8枚目)、2009年3月場所(西十両筆頭)、2021年9月場所(西十両9枚目)にも空位のある番付を手掛けた。これらはいずれも大相撲力士の大麻問題での解雇によるものである。
2014年10月2日の理事会決定を経て、同年11月場所より三役格行司へ昇進。2016年5月場所より、3代木村容堂を襲名した。容堂の襲名は上記式守敏廣の前に番付書きを担当した2代容堂こと30代木村庄之助が同じ番付書き担当の縁から襲名の打診を行っていたことによるものである。
趣味はプロレス観戦と落語鑑賞。
エピソード[編集]
2014年5月場所6日目、幕内土俵入りで恵之助(当時)は西方の先導役を務めた。変わって東方の土俵入り、呼出の柝が響き渡り土俵入りを待つ館内、しかし東方力士が先導役の行司がいないため土俵入りができず、同じ東方で横綱土俵入りを控えていた立行司40代式守伊之助が状況を察知し行司控え室を覗いたが不在、先導役を務めるはずだった幕内格12代式守錦太夫が付き人の伝達ミスのため現れず一時中断。結局、伊之助の指示で恵之助が東方の先導役も務め事なきを得た[2]。
2015年5月場所後に行われた師匠・九重(元・千代の富士)の還暦土俵入りでは、立行司木村庄之助が空位、同じく40代伊之助はスケジュールの都合がつかなかったことから、三役格ながら先導役を務めた。ちなみに横綱土俵入りの先導自体は先述の5月場所より(次期庄之助・伊之助が決まるまで)担当している。
川柳に造詣があり、『大相撲中継』では読者投稿を含んだ川柳コーナーを担当している。その中には「ケガ人で 出番続きの 車椅子」「ケガ防止 親方力士 知恵を出せ」などという、2017年9月場所の様相を表わしたものもある[3]。
- 大相撲令和元年5月場所では、久々に幕内土俵入りの先導を何度か務めた。本来ならば三役格行司のため先導はしないはずだが、これは横綱白鵬の休場によるもので、横綱鶴竜が横綱として一人で出場し、鶴竜の土俵入りを41代式守伊之助のみが15日間務めなければならないため、三役格行司の土俵入りの仕事がなくなるのを防ぐためである。
- 大相撲令和元年9月場所千秋楽、関脇同士(東関脇御嶽海対西関脇貴景勝)の優勝決定戦を控え行司として土俵下で見守った。これを裁いたのは木村玉治郎。
- 大相撲令和4年3月場所千秋楽、(東関脇若隆景対東前頭7枚目高安)の優勝決定戦を裁いた。控え行司は木村晃之助。
略歴[編集]
- 1977年11月 初土俵 木村裕司
- 1979年1月 木村恵之助に改名
- 1985年1月 木村恵乃助に改名
- 1985年3月 木村武蔵に改名
- 1986年1月 木村恵之助に改名
- 1994年1月 十両格昇進
- 2006年3月 幕内格昇進
- 2007年11月 戦後7人目の番付書き担当になる
- 2014年11月 三役格昇進
- 2016年5月 3代木村容堂襲名
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 『大相撲全力士名鑑』ベースボールマガジン社
脚注[編集]
- ^ 2007年11月場所 Internet Archive
- ^ 20140516 行司不在で土俵入りが遅れるハプニング Youtube
- ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p.97.