木村庄之助 (17代)

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17代 木村 庄之助(じゅうしちだい きむら しょうのすけ、1862年-1924年7月18日)は、大相撲立行司。本名は浪花→酒井兵吉。出身地は徳島県徳島市

人物[編集]

1869年大阪相撲の竹縄部屋に入門。最初は木村兵丸を名乗った。1885年東京相撲に移籍、15代庄之助に師事。1886年1月初代木村玉治郎から、1895年1月6代木村庄三郎を経て、1911年5月10代式守伊之助を襲名、翌1912年5月に17代木村庄之助を襲名した。初めて式守伊之助から木村庄之助を襲名した人物である。また史上初の大坂相撲出身の東京立行司でもある(後に22代庄之助23代庄之助25代庄之助がいる)。

技量と見識は豊かであり、泉林八(22代庄之助)いわく「1度の差し違えも無かった名行司」だったが、大正10年5月場所5日目、横綱大錦前頭5枚目鞍ヶ嶽戦で、鞍ヶ嶽のうっちゃりを有利と見て軍配を鞍ヶ嶽に挙げたが、鞍ヶ嶽に踏み越しありと物言いがつき、踏み越しが認められて行司差し違いになった。その日の取組終了後、「江戸時代より続く庄之助を継ぐ者としては切腹に値することであり、代々の庄之助に申し訳ない」として協会に辞職を申し出た。周囲は慰留に努めたが本人の意思は固く、その日限りで53年間務めた行司生活に幕を下ろし、行司として使用していた品々を「遺品だと思って欲しい」と全て後輩に配ってしまった。だがこの2日後に大問題を起こした初代木村朝之助が次の庄之助(18代)となったのは偶然とはいえ皮肉なことだった。1924年7月18日死去。享年63。

弟子に19代伊之助がいる。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]