木村玉治郎 (6代)

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6代木村玉治郎
6th Kimura Tamajiro
Sumo pictogram.svg
Tamaziro.JPG
2014年1月場所
基礎情報
行司名 木村雅之助
→ 6代木村玉治郎
本名 武田 雅史
生年月日 (1960-12-27) 1960年12月27日(58歳)
出身 福島県福島市
所属部屋 立浪部屋
データ
現在の階級 三役格行司
最高位 三役格行司
初土俵 1976年3月場所
幕内格 2006年3月場所
三役格 2014年1月場所
趣味 ガレージキット作製
備考
2015年11月18日現在

6代木村 玉治郎(きむら たまじろう、本名:武田 雅史1960年(昭和35年)12月27日 - )は、大相撲三役行司である。立浪部屋所属。血液型O型

人物[編集]

福島県福島市出身。千葉県船橋市で育ち、小学生時代は野球(V9と当時の甲子園常連・千葉県立銚子商業高等学校)やサッカーに親しみ、相撲にはあまり興味はなかったが、6年生の時の九州場所をたまたまテレビ観戦した際、4代木村玉治郎(のちの27代木村庄之助)の姿を見て以来、4代玉治郎にあこがれるようになった。

その後、4代玉治郎が立行司に昇格し、23代式守伊之助を襲名した際には、わざわざ蔵前国技館(当時)まで足を運んでいる。この時、生で彼の姿を見たことがきっかけとなり、直接手紙を書いて弟子入りを志願。中学校卒業後、立浪部屋に入門。晴れて彼の弟子となる。

1976年3月、木村雅之助の名で初土俵。1993年1月十両格に昇進。2003年1月、兄弟子の5代玉治郎が10代木村庄三郎を襲名したことに伴い、念願であった6代玉治郎を襲名。2006年3月に幕内格に昇進。2014年1月場所より三役格行司に昇進。木村玉治郎の名跡で三役格まで昇進したのは、1966年11月場所に昇進した師匠の4代玉治郎以来48年ぶりであった。

師匠を非常に尊敬しており、独特のリズミカルな掛け声と所作をそのまま受け継いでいる。「待ったなし!」の掛け声とともに仕切り線近くまで割って出たり、立合いの際に両手を広げるなど、現在の行司の中では比較的珍しい所作をするところもこの影響とみられる。

先代(5代)玉治郎を名乗った立行司の37代庄之助、40代伊之助は兄弟子。幕内格木村寿之介は弟弟子にあたる。

その他[編集]

  • 中学の同級生に元前頭1・富士乃真(現・陣幕)がいる。2人とも野球部に所属していたが、お互い相撲に興味を持っており、2人で蔵前国技館まで頻繁に足を運んでいたという。
  • 彼が入門してまもなく、師匠の23代伊之助(当時)が差し違えして辞任を決意した。当時新弟子の雅之助は他の弟子たちと共に師匠に呼ばれ、「責任を取って辞めることにした。後の事は正三郎(9代木村庄三郎、後の31代木村庄之助)に頼んであるから心配するな」と言われ涙を流したと言う。なお、伊之助は周囲の説得もあり後に辞意を撤回している。
  • 玉治郎を襲名する前には、「玉治郎の名を継がせてもらえればそれだけで嬉しい。いつかは自分が名乗りたい」と語っているほどであった。2003年1月に玉治郎襲名が実現し本人は大喜び。襲名に際し「玉治郎の名を継がせてもらえて嬉しい。玉治郎の名に恥じないよう頑張りたい」と語っている。このことから将来的に予想される立行司昇格までは玉治郎を名乗ると思われる。
  • 2002年9月場所12日目、十両の寺尾貴闘力戦。全盛期の対戦を髣髴とさせる激しい突っ張り合いの末、寺尾が貴闘力を叩き込みで破った直後、寺尾が労うように貴闘力の肩を手でそっと叩き、敗れた貴闘力が号泣しながら花道を下がった姿が印象的だったこの取組。裁いていた行司は当時十両格雅之助時代の彼だった。なお、貴闘力はこの取組の翌日、寺尾は千秋楽取組終了後にそれぞれ引退を表明している。
  • 2012年5月場所千秋楽、大相撲史上初となる平幕同士の優勝決定戦となった前頭4枚目栃煌山-同7枚目旭天鵬戦(旭天鵬が勝ち初優勝)は、幕内格筆頭だった11代式守勘太夫が捌いたが、控行司には玉治郎が入っていた。
  • 俳優石立鉄男の熱烈なファンとしても知られる。
  • 相撲甚句の名手として知られた元幕下・大納川の指導を受けたこともあり、2012年10月秋巡業は相撲甚句の歌い手として土俵に上がった。
  • 2018年1月場所より、千秋楽「これより三役」の三役揃い踏みとその直後の一番を裁く(40代式守伊之助の不祥事による3場所出場停止、後に退職の影響により、裁く番数が前に進んだため)。

略歴[編集]