木村庄之助 (12代)

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12代木村庄之助
12th Kimura Shonosuke
基礎情報
行司名 木村寅松 → 木村清次郎 → 木村庄蔵(正蔵) → 木村禎蔵 → 木村正蔵 → 7代木村庄太郎 → 12代木村庄之助
没年月日 1861年8月13日
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(木村庄之助)
立行司 1845年2月
引退 1853年2月
備考

12代 木村 庄之助(じゅうにだい きむら しょうのすけ、? - 文久元年7月8日1861年8月13日))は、大相撲立行司。本名、出身地ともに不明。

人物[編集]

8代庄之助の弟子。初名は木村寅松。のち清次郎、庄蔵(正蔵)を名乗り、人気を博していた。天保2年(1831年)に次席となり、6代木村庄太郎との庄之助の襲名争いで敗れ、一時土俵を離れたこともあった。復帰後は禎蔵、正蔵、7代木村庄太郎を名乗り、11代庄之助の引退により晴れて弘化2年(1845年)2月に12代庄之助を襲名。嘉永6年(1853年)2月を最後に引退。9年、17場所在位した。文久元年(1861年)7月死去。

参考文献[編集]

  • 「相撲」編集部 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年4月1日。ISBN 978-4583036403NCID BA51895886 

関連項目[編集]

脚注[編集]