木村庄之助 (30代)

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30代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名は鵜池 保介(ういけ やすすけ)、1938年2月1日 - )は、大相撲立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2001年11月2003年1月出羽海部屋所属。

人物[編集]

佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。

1955年3月場所、後に「泉の親方」と呼ばれた名行司22代木村庄之助に入門。兄弟子に28代木村庄之助が、同期生には31代庄之助32代庄之助33代庄之助がおり、32代庄之助は同部屋で同期である。翌5月、木村保之助(初代)の名で初土俵。保之助を11年名乗って1966年9月師匠の前名である木村林之助(3代)を襲名、翌11月十両格に昇格。1984年1月、先輩の7代式守與之吉とともに幕内格に昇格。1985年1月場所から2000年1月場所まで番付書きを担当。3代林之助襲名から23年後の1990年1月から同じく師匠の前名でもある木村容堂(2代)を11年名乗った。1995年1月、同期の9代木村庄三郎とともに三役格に昇格。2001年1月立行司に昇格、31代式守伊之助襲名。同年3月場所で29代木村庄之助停年となるが、立行司昇格から2場所しか経っていないため彼の庄之助昇格は見送られる。29代庄之助停年から4場所後の2001年11月に30代木村庄之助を襲名。2003年1月場所後停年。伊之助を5場所、庄之助を8場所勤めた。最後の一番は大関朝青龍明徳 - 同武双山正士(現藤島)。

ハリのある力強いだみ声での呼び上げと掛け声が特徴的で、軍配裁き、知識、指導力にも優れていた。

日本相撲協会停年退職後の現在は講演活動、相撲の普及活動を精力的に行う。NHK大河ドラマ「新選組!」、ハリウッド映画「SAYURI」に、いずれも行司役として出演している。バラエティ番組の相撲企画の行司も務めた。

弟子に現在十両格の4代木村林之助(現在は木村千鷲)がいる。

その他[編集]

  • 入門のきっかけは「父親の命令」だったそうである。彼の父親が22代庄之助を大変尊敬していたので直接入門を決めてきたという。彼は高校中退し入門を決意することになる。
  • 彼に師匠が名乗っていた容堂を継ぐ事を打診したのは、兄弟子の25代式守伊之助(後の28代木村庄之助)だった。最初に打診されたのが1989年3月場所、その時は「まだ早い」として本人が辞退した。同年の九州場所の番付発表の日に再度25代伊之助から打診があり、彼は即答で打診を受けた。容堂襲名を聞いた泉の親方は、「そうか、ようやくお前も容堂になったか」と大変喜んだそうである。なお、容堂の名を木村恵之助に襲名してもらうべく打診を続け、2016年5月場所に恵之助は3代容堂を襲名した。
  • 庄之助時代は横綱貴乃花が休場中だったこともあり、横綱武蔵丸(現武蔵川)の取組を多く裁いた。横綱同士での貴乃花 - 武蔵丸戦は伊之助時代3度(2001年5月場所本割、2001年1月場所決定戦と2001年5月場所決定戦)、庄之助時代1度(2002年9月場所本割)裁いている。このほか、貴乃花の現役最後の一番(2003年1月場所 対前頭4枚目安美錦戦)を裁いたほか、2002年11月場所13日目、大関朝青龍(当時)が初優勝を決めた一番(対関脇若の里)を裁いている。
  • この世界に入るまで筆を持ったこともなかったというが、研鑽を重ねて習得した相撲文字の上手さは天下一品であり、助手時代を含め計30年にわたり番付書きに携わった。
  • 一度、幕下の番付を書いているとき、と筆を番付の上に乗せたままトイレに行ったら、子犬が墨付きの足跡を付けたことがあり、そのときはその部分を剃刀で削って、下から別に紙を当てたというエピソードがある。
  • 義理の息子(長女の夫)に十両格行司の木村吉二郎がいる。

履歴[編集]

テレビ・映画出演[編集]

関連項目[編集]