木村晃之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
木村晃之助
Kimura Kounosuke
Sumo pictogram.svg
基礎情報
行司名 木村晃之助
本名 小島 俊明
生年月日 (1965-04-21) 1965年4月21日(53歳)
出身 岩手県一関市
所属部屋 九重部屋
データ
現在の階級 三役格行司
初土俵 1981年3月場所
幕内格 2008年1月場所
三役格 2019年1月場所
備考
2018年12月26日現在

木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明1965年4月21日 - )は大相撲三役行司である。九重部屋所属。血液型O型

人物[編集]

岩手県一関市出身。

1981年3月、木村俊明の名で初土俵。その後、晃之助に改名。柏鵬時代初期に幕内格筆頭であった木村幸之助(公之助、校之助とも)とは読みは同じだが全く関係がない。

歴代の行司と比べても三本の指に入るほど、立合いには滅法厳しく、手をつかない力士に何度も手つきを促す様子が伺える。

時間いっぱいでの立合い前の姿勢は、他の行司と違い左足を前に出し、右足を後ろにして構えるという独特の所作を持っている。 甲高く、リズミカルでテンポのよい、鋭い掛け声が特徴であるが、一時期はゆっくりとした掛け声もあった。土俵上の動きもキビキビとしており、勝負がつきそうになると軍配を返し、体勢を低くし見極める姿勢をとる。

2018年9月27日の理事会で、12月25日付で三役格に昇格することが決定した[1]

本場所ではピンクなど、系統の装束をよく着ているが、の装束も所持しており、巡業や本場所で着ることもある。

エピソード[編集]

  • 岩手県庁に兄が勤務している。
  • 北の富士勝昭に勧誘されたのが入門のきっかけであった。
  • 2013年9月場所10日目、前頭8枚目嘉風雅継 - 同14枚目常幸龍貴之戦で、常幸龍が右から小手投げを打ち嘉風を横転させた際、嘉風の左足が晃之助の顔を直撃し、東の二字口付近に倒れ口の中を負傷した。晃之助は手で口を押さえながらも気丈に常幸龍に軍配を挙げ、勝ち名乗りを上げた[1]。晃之助は同場所5日目、前頭14枚目舛ノ山大晴 - 同9枚目琴勇輝一巖戦でも転倒しており、2度目のアクシデントだった。
  • 2014年1月場所4日目、前頭13枚目時天空慶晃 - 同9枚目佐田の富士哲博の取組で、取り組み中の佐田の富士のまわしの結び目が解けるハプニングが発生した。一度勝負を止めて締めなおしたものの、再び解けてしまい2度目の廻し待ったとなった際には土俵下の勝負審判の指示を受けた嘉風が締め直しを手伝うために土俵に上がり、土俵上に力士が3人という珍事になった。晃之助は「関取に手伝っていただくことはできない。私は進行係だから」としてこれを断り、嘉風は控えへと戻っていったが、結局勝負が決した際には再び佐田の富士のまわしが緩んでいた[2]
  • 東京場所では、十両格に昇進した際に両親から贈られた秀衡塗の軍配を主に使用している。
  • 2019年1月場所3日目、三役格に昇進後初めてとなる横綱白鵬の土俵入りを務めた。しかし、自身が土俵に上がる前に徳俵につまづき、草履が片方脱げるというハプニングが発生したが、そのまま土俵入りを務めた。
  • 2019年1月場所13日目、-嘉風戦で、嘉風が立ち合いで立った瞬間に力を抜き、嘉風は待ったを主張したが、晃之助はそのまま声を出し取組を進行させたため、輝は嘉風を押し出し、輝に軍配が上がったが、その一番は勝負審判の意向で取り直しとなった。取り直しの一番も、輝が勝利した。

略歴[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

参考文献[編集]