ベアルン (空母)

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ベアルン, 1937年
艦歴
発注 ラ・セーヌ造船所
起工 1914年1月10日
進水 1920年4月1923年より航空母艦へと改設計。
就役 1927年5月
退役
その後 1967年3月21日にスクラップとして処分
除籍
前級 フードル
次級 ジョッフル級
性能諸元
排水量 基準:22,146トン
常備:27,951トン
満載:28,400トン
全長 182.6m
水線長 170.6m
全幅 最大幅:35.2m
水線幅:27.1m
吃水 常備:8.7m
満載:9.3m
飛行
甲板長
176.8m x 21.38m
機関 ド・テンム ノルマンディー式重油専焼水管缶12基
パーソンズ高速型直結タービン2基
&三段膨張式四気筒レシプロ機関2基
計4軸推進
最大出力 37,500shp
(タービン:22,500shp
+巡航用レシプロ:15,000shp)
最大速力 21.5ノット
航続距離 10ノット/7,000海里
18ノット/4,500海里
燃料 石炭:900トン(常備)、1,800トン(満載)
重油:300トン
乗員 875名
兵装 Model 1920 15.5cm(50口径)単装速射砲8基
Model 1927 7.5cm(60口径)単装高角砲6基
(1935年:Models 1927 10cm(45口径)単装高角砲6基に換装)
Model 1933 3.7cm(50口径)連装機関砲4基
Model 1929 13.2mm(76口径)単装機銃16丁
55cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側装甲:83mm(水線部)
甲板:25mm(飛行甲板)、70mm(主甲板装甲)
主砲ケースメイト:70mm(最厚部)
搭載機 40機

ベアルン (porte-avions Béarn) は、フランス初の航空母艦。この空母の母体は、第一次世界大戦中に建造を停止した未完成超弩級戦艦ノルマンディー級の5番艦であり、ワシントン海軍軍縮条約によって空母への改装を行ったものである。名の由来は、当時スペインとの国境地帯にあったベアルン州(現在のピレネー=アトランティック県)から。

概要[編集]

戦艦として起工されたベアルンは、第一次大戦後にワシントン海軍軍縮条約が締結されたため、解体破棄されるはずであった。しかし、建造途中の本艦を航空母艦へと改装して保有することが条約で認められたため、1923年8月1日よりベアルンは航空母艦へと改装されることとなった。

同様の例として日本の赤城加賀、アメリカのレキシントンが該当する。なお、条約によりフランスは6万トンの空母保有が認められていたため、英独海軍協定によってドイツが空母保有枠を獲得した後、ジョッフル級2隻が起工されたが、第二次世界大戦の勃発によって、完成には至らなかった。

建造思想[編集]

1928年に撮影されたベアルン。

元来が低速な戦艦であり、全幅の広い船体形状であったことから高速が出しにくい。さらに航空母艦への改設計時に、第一次世界大戦の戦訓により航続距離を伸ばすため、本来の設計では全てタービン4基4軸推進から、その内2基を低速巡洋時に燃費のよい三段膨張式四気筒レシプロ機関2基に変更した。このために艦載機の大型化に伴う発艦時に必要となる速力が足らなくなった。

しかし、フランス海軍は本艦の改設計前に水上機母艦で得られたアイディアを参考にしながら、独自の優れたアイディアをいくつか投入した。これらのアイディアのいくつかは各国にも同様に見られ、現代に残された。

  • 障害物のない全通飛行甲板:これは先に完成したイギリス海軍アーガス、同世代のイーグル(初代)ハーミーズとの設計思想と一致する。
  • 島型艦橋(アイランド)と一体化した煙突:アーガスとフューリアスの不具合を独自に解決した。
  • 海水利用による水噴霧式煤煙冷却装置:排煙に水を噴霧して煙を重くし、冷却する。着艦時の搭載機の視界を妨げにくい。日本空母もこの方式を採用した。
  • エレベーターを3基に(緊急発進時の作業効率向上のため)
  • 鋼索横張り式の着艦制動装置:縦張り式の英国空母よりも実用的である。同時期に米も採用し最終的に世界の主流となった。

尤も、設計年時が古いために旧世代な設計も残っていたが、これらは本艦の設計時期を考えれば致し方の無いものであった。

  • 水上機運用のためのグースネック(鴨の首)型クレーンの装備
  • 対水上艦艇攻撃のための舷側に中口径砲の搭載と水中魚雷発射管装備(同様の対艦攻撃装備は日米英各国の同世代艦にも計画され、実際に搭載された。)

艦形[編集]

飛行甲板[編集]

障害物のない飛行甲板。

紆余曲折を経て完成した本艦の飛行甲板長は縦176.8m×幅21.38m。上面から見て3基の横長のエレベータを、飛行甲板の前部・中部・後部に1基ずつ設けた。このエレベータは全て形が違っていた。

竣工直後の着艦制動装置はフランス独自の鋼索横張り式の着艦制動装置を装備していた。当時、イギリス海軍に採用されていた鋼索縦張り式よりも安全に着艦でき、後に世界各国の航空母艦が同形式を採用した事からも本艦の先進性がうかがえる。

1935年に撮影されたベアルン。(1935年)

飛行甲板の下には密閉型の格納庫が設けられており、格納庫には40機が搭載できたが一部の機は分解して収納する必要があった。このため、艦載機を全て使用する時は甲板上に分解してある部品を台車で運んでから組み立てる必要があった。

アイランド[編集]

本艦から採用された島型艦橋(アイランド)の構成は、飛行甲板の邪魔にならないように右舷側に張り出しを設け、そこに配置されていた。張り出しの基部には前述の海水利用の煤煙軽減装置が組み込まれており、さらに煙路冷却用のスリットが設けられていた。この基部の上に前部に箱型の艦橋を基部として簡素な単脚式のマスト、楕円筒型の煙突を組み込む先進的な構成となっている。

その一方で、水上機運用のためのグース・ネック型クレーンが後向きに1基配置されており、艦載機の積み込みや艦載艇の運用にも使用されていた。艦載艇は、舷側部に2本1組のボート・ダビッドを置き、平時は必要分をこれに吊るした。さらに船体後部にもこのボート・ダビッドを片舷3組ずつ計6組配置し、艦載艇を吊っていた。

舷側の前後部には、主砲の「Model 1920 15.5cm(50口径)速射砲」が舷側ケースメイト配置で、片舷4基ずつ計8基が配置されていた。この時期から、大型艦を中心に高角砲の搭載が始まっており、本艦にも「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が砲弾の断片防御程度の防盾を被せられた上で前部ケースメイト後方の舷側部に、前向きに片舷2基ずつと、飛行甲板後部に後向きに1基の計6基が装備されている。これらの高角砲は1935年に配置を変更せず新型の「Models 1927 10cm(45口径)高角砲」6基に更新された。船体中央部に「Model 1933 3.7cm(50口径)機関砲」が連装砲架で片舷2基ずつ計4基配置されている。他に上部構造物上に「Model 1929 13.2mm(76口径)機銃」が、単装砲架で16丁装備されていた。このほか対艦攻撃用として、船体の水面下に55cm魚雷発射管を単装で片舷2基ずつ、計4基を配置していた。

武装[編集]

主砲、備砲兵装の詳細[編集]

1940年代に撮られた「ベアルン」。

主砲は新設計の「Model 1920 15.5cm(50口径)速射砲」を採用した。砲身は当時の最新技術である自緊型砲身を採用し、製造にいち早く成功したものである。砲の旋回・俯仰動力はフランス軍艦伝統の電動方式を採用しており、竣工当時から艦橋の上部に射撃方位盤が取り付けられ、方位盤管制による効果的な射撃が可能になった。その性能は重量56.5kgの砲弾を仰角40度で25,000mまで届かせることができた。 俯仰能力は仰角40度・俯角5度で、旋回角度は140度の旋回角度を持つ。装填形式は自由角度装填で発射速度は人力装填のため毎分3~5発であった。

他に、対空兵装として「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が採用された。この砲はロングセラーで、続く「シュフラン級」と戦利巡洋艦にも搭載された。その性能は重量5.93kgの砲弾を仰角40度で14,100mまで、最大仰角90度で高度8,000mまで届かせることができた。 砲身の俯仰能力は仰角90度・俯角10度で、旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で、発射速度は人力装填のため毎分8~15発であった。これらは後に「Models 1927 10cm(45口径)高角砲」へと換装された。この砲身の俯仰能力は仰角85度・俯角10度で、旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが、これも実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で発射速度は人力装填のため毎分10発であった。

他に近接対空火器としてオチキス社製の「Model 1933 3.7cm(50口径)機関砲」が採用された。その性能は重量0.725kgの砲弾を仰角45度で7,175mまで、最大仰角80度で高度5,000mまで届かせることができた。 砲身の俯仰能力は仰角80度・俯角15度で、旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で発射速度は機力装填のため毎分30~42発であった。これを連装砲架で4基を搭載した。他に同じくオチキス社の「Model 1929 13.2mm(76口径)機銃」が、単装砲架で4丁が載せられた。対空武装が大人しめに感じられるが、本級が竣工した時代はまだ航空攻撃が確立していない為、設計に盛り込まれていないという背景がある。

艦歴[編集]

空母への改装が検討された1920年、パイロットのポール・テスト少佐がフランス海軍史上初めて、臨時に設営されたモックアップではあったが甲板上への離着陸を成功させた。

ベアルンは、竣工後に欧州最新鋭の航空母艦として運用されていた。当初は搭載機の多くが複葉機であったために低速な母艦でも離着艦できた。しかし、ベアルンの性能は、次第に航空機の大型化・重量化などの進化に対応できなくなった。そこで本艦の使用実績を踏まえて設計された「ジョッフル」級に一線を譲り、本艦は航空機輸送や戦時の船団護衛に使用することとされた。

この経緯から本艦は「ジョッフル」級の就役まで、逆に一線に留まる事が確実となる。

第二次世界大戦開戦後、ドイツはドイッチュラント級装甲艦による通商破壊戦を開始。ベアルンはそれに対応する英仏海軍部隊の一つ、L部隊に属してドイツ艦の捜索にあたった[1]

1940年6月15日、アメリカへ発注した航空機の輸送のためハリファックスに入港[2]カーチスSBC-4爆撃機カーチスH75A-4戦闘機などを搭載し[2]、6月16日に巡洋艦ジャンヌ・ダルクとともに出港した[3]。だが、ドイツ軍侵攻後のフランス本国の状況によりマルティニークへ行き先を変え、27日に到着[3]。同地で搭載していた航空機は陸上に移され、結局スクラップとなった[4]

6月22日には独仏休戦協定が締結されている。ベアルンなどはマルティニークで抑留され[3]1943年6月30日に自由フランス軍に編入された[5]。低速なベアルンは航空機運搬艦とされることとなり、ニューオーリンズのトッド造船所で改装工事が行われた[6]。以後は航空機の輸送に従事したとされる[7]

戦後は1946年までインドネシアで輸送任務に従事し、その後はツーロンで繋留され教育訓練艦、潜水艦乗員宿泊艦等として使用され、1967年に除籍[8]。イタリアで解体された[8]

脚注[編集]

  1. ^ 仏独伊 幻の空母建造計画、83ページ
  2. ^ a b 仏独伊 幻の空母建造計画、78ページ
  3. ^ a b c 仏独伊 幻の空母建造計画、79ページ
  4. ^ 仏独伊 幻の空母建造計画、79-80ページ
  5. ^ 仏独伊 幻の空母建造計画、88ページ
  6. ^ 仏独伊 幻の空母建造計画、89ページ
  7. ^ 仏独伊 幻の空母建造計画、92ページ
  8. ^ a b 仏独伊 幻の空母建造計画、146ページ

参考文献[編集]

  • 世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史」(海人社
  • 「世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史」(海人社)
  • 瀬名堯彦、『仏独伊 幻の空母建造計画 知られざる欧州三国海軍の画策』、潮書房光人社、2016年、ISBN 978-4-7698-2935-5

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • Bearn - 本艦の説明。武装の変換図がある。(英語)