ピーター・キャリントン (第6代キャリントン男爵)

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第6代キャリントン男爵
ピーター・キャリントン
Peter Carington
6th Baron Carrington
Peter Carington 1984.jpg
1984年のキャリントン卿
生年月日 (1919-06-06) 1919年6月6日(99歳)
出身校 王立陸軍大学英語版
所属政党 保守党
称号 第6代キャリントン男爵、キャリントン男爵、ガーター勲章勲爵士(KG)、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)、コンパニオン・オブ・オナー勲章英語版コンパニオン(CH)、ミリタリー・クロス英語版(MC)、枢密顧問官(PC)

内閣 マクミラン内閣
在任期間 1959年10月16日 - 1963年10月22日[1]

内閣 ダグラス=ヒューム内閣
在任期間 1963年10月20日 - 1964年10月16日

内閣 ヒース内閣
在任期間 1970年6月20日 - 1974年1月7日[2]

内閣 ヒース内閣
在任期間 1974年1月8日 - 1974年3月4日

内閣 サッチャー内閣
在任期間 1979年5月5日 - 1982年4月5日[3]

その他の職歴
イギリスの旗 貴族院議員
1940年 - 現職)
北大西洋条約機構の旗 NATO事務総長英語版
1983年 - 1988年
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第6代キャリントン男爵ピーター・アレクサンダー・ルパート・キャリントン: Peter Alexander Rupert Carington, 6th Baron Carrington, KG, GCMG, CH, MC, PC, DL1919年6月6日 - )は、イギリスの政治家、貴族。

キャリントン男爵キャリントン家に生まれ、1938年に爵位継承し、1940年から貴族院議員として政界入り。戦後の保守党政権下で閣僚職を歴任した。とりわけマーガレット・サッチャー内閣で外務英連邦大臣を務めたことで知られる。

経歴[編集]

1981年2月26日サッチャー訪米中の英外相キャリントン卿とアメリカ国務長官アレクサンダー・ヘイグの会見。

1919年6月6日、後に第5代キャリントン男爵となるルパート・キャリントン英語版(1929年に爵位継承)とその妻エディス(旧姓ホースフォール)の間の第2子(長男)として誕生[4]

イートン校在学中の1938年11月に父が死去し、第6代キャリントン男爵の爵位を継承した[5]

1939年1月に少尉としてグレナディアガーズに入隊し[6]、後に少佐階級まで昇進した[5]。サンドハーストの王立陸軍大学英語版を出て、第二次世界大戦に従軍し、1945年ミリタリー・クロス英語版を受章した[5]。戦後も1949年まで陸軍に在籍した[7]

キャリントン卿は1940年に21歳に達して貴族院議員に列した。保守党に所属し、第二次チャーチル内閣とイーデン内閣で次の役職を歴任。1951年11月から1954年10月にかけて農林水産庁政務次官英語版、ついで1956年10月まで国防省政務次官、ついで1959年10月までオーストラリアの連合王国ハイ・コミッショナー英語版を務めた[5]

イギリスへ帰国した後、1959年11月から1963年10月までハロルド・マクミラン内閣で海軍大臣英語版を務めた[1]。つづいて保守党が下野する1964年10月までアレック・ダグラス=ヒューム内閣で無任所大臣貴族院院内総務を務めた。

1970年に保守党が政権奪還してエドワード・ヒース内閣が発足すると、国防大臣として入閣し、1974年1月まで務めた[2]。彼はヒースの腹心の盟友だった[8]

1973年第四次中東戦争が勃発して石油生産が大幅に減り、石油価格が4倍に高騰する中、1974年1月にエネルギー省が新設され、キャリントン卿がその大臣に就任した。電力消費の激しい冬を乗り切るため、当時工場稼働が週3日になっていたが、予想より暖冬だったため、キャリントン卿は週4日制を宣言した(これに労働組合が強く反発し、解散総選挙となるが、ハング・パーラメントとなり、保守党は自由党との連立工作に失敗したため退陣した)[9]

下野から間もなく保守党党首がサッチャーに代わると保守党貴族院院内総務英語版影の内閣貴族院院内総務)に任じられた[10]

1979年5月にサッチャー内閣が成立すると外務英連邦大臣として入閣した[11]

同年のローデシア独立問題をめぐってサッチャーは、マルクス主義的なロバート・ムガベを嫌い、白人に対して穏健なアベル・ムゾレワ英語版を後援しようとしたが、キャリントン卿はムゾレワは白人至上主義者イアン・スミスの傀儡に過ぎず、ムゾレワ体制ではとても他国から受け入れられないと彼女を説得した。サッチャーから事態の収拾を任せられたキャリントン卿は、英連邦会議を開催してスミスやムゾレワとムガベを話し合わせ、一時ローデシアをイギリス植民地に戻すことで会議を取りまとめた。その後、総督を送って内戦を鎮め、白人に一定の議席を認めるが民主的な内容の憲法を制定し、選挙でのムガベの勝利を経て、1980年にジンバブエとして独立させた。このキャリントン卿の手際の良さは当時国際的に高く評価された[12][注釈 1]

ヨーロッパ政策ではサッチャーの欧州共同体(EC)に対する強硬姿勢を憂慮していた[14]

政権初期サッチャーは軍縮による予算削減を目指していたため、軍事独裁国アルゼンチンが狙うフォークランド諸島への防衛艦エンデュアランスの巡回を中止させた。キャリントン卿はこの巡回中止に反対していたが、将校が危機の察知に失敗した問題で右派から批判を集め、1982年4月に外相を辞職することになった[15]

1983年から1988年にかけては北大西洋条約機構(NATO)において事務総長英語版を務める[5]

1984年8月に聖マイケル・聖ジョージ勲騎士団長に就任し[16]1994年6月まで務めた[17]

1985年にガーター勲章を受章し[18]1994年11月にはガーター騎士団長英語版に就任し[19]2012年10月まで務めた[20]

1999年11月の貴族院改革で世襲貴族の大半が議席を喪失したが、彼は一代貴族「ノッティンガムシャー・アプトンのアプトンのキャリントン男爵(Baron Carington of Upton, of Upton in the County of Nottinghamshire)」に叙されて議席を保った[21]

栄典[編集]

爵位[編集]

1938年11月19日に父ルパート・キャリントン英語版の死去により以下の爵位を継承した[22][5]

1999年11月17日に以下の一代貴族爵位を新規に叙せられた[22][21]

  • ノッティンガム州におけるアプトンのアプトンのキャリントン男爵 (Baron Carington of Upton, of Upton in the County of Nottingham)
    (勅許状による連合王国一代貴族爵位)

2つの世襲爵位のキャリントン男爵のスペルは「Baron Carrington」、一代貴族爵位のキャリントン男爵のスペルは「Baron Carington」である[5]

勲章[編集]

名誉職その他[編集]


家族[編集]

1942年に陸軍軍人サー・フランシス・ケネディ・マククリーン中佐の娘アイオナ・エレン・マククリーンと結婚し、彼女との間に以下の3子を儲けている[5]

  • 第1子(長女)アレクサンドラ閣下(Hon. Alexandra)(1943年-) 1965年に陸軍軍人ピーター・ノエル・ド・ブンゼンと結婚。
  • 第2子(次女)ヴァージニア閣下(Hon. Virginia)(1946年-):1973年に第4代アッシュコーム男爵ヘンリー・キュービット英語版と結婚したが、1979年に離婚。
  • 第3子(長男)ルパート・フランシス・ジョン閣下(Hon. Rupert Francis John)(1948年-):キャリントン男爵位の法定推定相続人

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ただしこの後ジンバブエはムガベの独裁国家と化し、現在ムガベは世界で最も評判の悪い独裁者になっている[13]

出典[編集]

  1. ^ a b 秦(2001) p.516
  2. ^ a b 秦(2001) p.517
  3. ^ 秦(2001) p.515
  4. ^ Lundy, Darryl. “Rupert Victor John Carington, 5th Baron Carrington of Upton” (英語). thepeerage.com. 2014年9月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Lundy, Darryl. “Peter Alexander Rupert Carington, 6th Baron Carrington of Upton” (英語). thepeerage.com. 2014年9月27日閲覧。
  6. ^ The London Gazette: no. 34593. p. 608. 1939年1月27日2014年9月27日閲覧。
  7. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 37815. p. 2877. 1946年12月10日2014年9月27日閲覧。
    The London Gazette: (Supplement) no. 38636. p. 2877. 1949年6月10日2014年9月27日閲覧。
    The London Gazette: (Supplement) no. 38654. p. 3231. 1949年7月1日2014年9月27日閲覧。
  8. ^ クラーク 2004, p. 357.
  9. ^ 小川(2005) p.33-34
  10. ^ 小川(2005) p.49
  11. ^ 小川(2005) p.55/57
  12. ^ 小川(2005) p.89-90
  13. ^ 小川(2005) p.90
  14. ^ 小川(2005) p.92
  15. ^ 小川(2005) p.92-93/301
  16. ^ a b The London Gazette: no. 49826. p. 10601. 1984年8月3日2014年9月27日閲覧。
  17. ^ a b The London Gazette: no. 53691. p. 8301. 1994年6月7日2014年9月27日閲覧。
  18. ^ a b The London Gazette: no. 50104. p. 5844. 1985年4月26日2014年9月27日閲覧。
  19. ^ a b The London Gazette: no. 53843. p. 15625. 1994年11月8日2014年9月27日閲覧。
  20. ^ a b The London Gazette: no. 60301. p. 19937. 2014年9月27日
  21. ^ a b The London Gazette: no. 55676. p. 12466. 1999年11月23日2014年9月27日閲覧。
  22. ^ a b Heraldic Media Limited. “Carrington, Baron (I, 1796)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月1日閲覧。
  23. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 41404. p. 3514. 1958年6月3日2014年9月27日閲覧。
  24. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 49375. p. 19. 1983年6月10日2014年9月27日閲覧。
  25. ^ The London Gazette: (Supplement) no. 51365. p. 3. 1988年6月10日2014年9月27日閲覧。
  26. ^ The London Gazette: no. 39278. p. 3687. 1951年7月6日2014年9月27日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
第10代セルカーク伯爵英語版
イギリスの旗 海軍大臣英語版
1959年1963年
次代:
第2代ジェリコー伯爵英語版
先代:
ビル・ディーディス英語版
イギリスの旗 無任所大臣
1963年1964年
次代:
ジョージ・トムソン
先代:
第2代ヘイルシャム子爵
イギリスの旗 貴族院院内総務
1963年1964年
次代:
第7代ロングフォード伯爵英語版
先代:
デニス・ヒーリー
イギリスの旗 国防大臣
1970年1974年
次代:
イアン・ギルモア英語版
新設 イギリスの旗 エネルギー大臣
1974年
次代:
エリック・ヴァーレイ英語版
先代:
デイヴィッド・オーウェン
イギリスの旗 外務・英連邦大臣
1979年1982年
次代:
フランシス・ピム
党職
先代:
第2代ヘイルシャム子爵
保守党貴族院院内総務英語版
1963年1970年
次代:
第2代ジェリコー伯爵英語版
先代:
ピーター・トマス英語版
保守党幹事長英語版
1972年1974年
次代:
ウィリアム・ホワイトロー
先代:
第3代ウィンドルシャム男爵
保守党貴族院院内総務
1974年1979年
次代:
ソームズ男爵英語版
学職
先代:
初代シャーフィールド男爵英語版
レディング大学総長
1992年2007年
次代:
ジョン・マデイスキー英語版
名誉職
先代:
第5代アバーガベニー侯爵
ガーター騎士団長英語版
1994年2012年
次代:
第5代アバコーン公爵
先代:
第2代ジェリコー伯爵英語版
貴族院の父英語版
2007年 – 現在
現職
グレートブリテンの爵位
先代:
ルパート・キャリントン英語版
Carington Arms.svg 第6代キャリントン男爵
1938年 – 現在
現職
アイルランドの爵位
先代:
ルパート・キャリントン英語版
Carington Arms.svg 第6代キャリントン男爵
1938年 – 現在
現職