ジンバブエ・ローデシア

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ジンバブエ=ローデシア共和国
Republic of Zimbabwe-Rhodesia
ローデシア 1979年
6月1日 - 12月12日
南ローデシア
ジンバブエ=ローデシアの国旗 ジンバブエ=ローデシアの国章
国旗国章
ジンバブエ=ローデシアの位置
ジンバブエ・ローデシア
公用語 英語
首都 ソールズベリ
大統領
1979年 - 1979年 ジョサイア・グメデ
首相
1979年 - 1979年アベル・ムゾレワ
面積
1979年390,580km²
人口
1979年6,930,000人
変遷
成立 1979年6月1日
解散1979年12月12日
通貨ローデシア・ドル

ジンバブエ・ローデシア英語: Zimbabwe-Rhodesia)は、ローデシアが名称を変更した国名。ジンバブエ・ローデシアは、スミス政権と穏健派アフリカ人解放組織との間で行われた「内部解決」によって誕生した。

概要[編集]

1978年3月3日に、暫定政府の構成と新憲法に関する協定である「ソールズベリー協定」が調印された。このソールズベリー協定に基づいたジンバブエ・ローデシア憲法1979年1月2日に発表され、1月31日、大多数が白人選挙人が占める国民投票によって承認された。新憲法に基づき、1979年4月17日から5日間、ローデシア初の一人一票制にもとづく総選挙(投票率64.5%)が実施され、その結果、アベル・ムゾレワ率いるUANCが得票率67%、51議席を獲得して第一党となり、1979年6月1日、「ジンバブエ・ローデシア」という新たな国名のもとに、アベル・ムゾレワを首班とする初の黒人政権が誕生したのだった。

しかし国内の混乱は収まらず、ロンドンで制憲会議が始まった1979年9月10日以降も、政府軍とゲリラとの間で激しい戦闘が行われた。会議開始から1か月間の死者数は、ローデシア時代を上回る約850人となった[1]

脚注[編集]

  1. ^ 数字 『朝日新聞』1979年(昭和54年)10月14日朝刊 13版 7面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]