エイジア
エイジア | |
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![]() USA.ノーウォーク公演(2006年9月) | |
基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
公式サイト | Original Asia | The Official Asia Web Site |
メンバー | |
旧メンバー | 別記参照 |
エイジア(Asia)は、イングランド出身のプログレッシブ・ロック・バンド。プログレッシブ・ロックの分野などから多くのアーティスト達が参加してきた「スーパーグループ」の一面を持ち、その活動は35年以上に及ぶ。
概要[編集]

1982年デビュー。メンバー全員が、既に世界的なキャリア/知名度を得ていたミュージシャンであったため、デビューの時点からスーパーグループとして注目された。「プログレッシブ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立し、そのスタイルに沿ってリリースされたファースト・アルバム『詠時感〜時へのロマン』は数ヶ月後には全米NO.1を9週キープ[5]、全世界で1500万枚のセールスを達成。同アルバムからシングルカットされた「Heat Of the Moment」は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位となり、商業的にも成功を収めている。
アルバム・デビューの時点のメンバーは、ジョン・ウェットン(ボーカル、ベース/元キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、U.K.)、スティーヴ・ハウ(ギター、ボーカル/元イエス)、カール・パーマー(ドラム/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、ジェフ・ダウンズ(キーボード/元バグルス、イエス)。その後、幾多のメンバー・チェンジを繰り返したが、2007年にはオリジナル・メンバー4人での「初来日コンサート」が実現し、続く2008年にも来日を果たしている。
- オリジナル・ラインナップ (2006年 USA.ノーウォーク公演のショット)
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ジョン・ウェットン(Vo/B)
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スティーヴ・ハウ(G)
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ジェフ・ダウンズ(Key)
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カール・パーマー(Ds)
来歴[編集]
スーパーグループ誕生(1981年 - 1983年)[編集]
1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシブ・ロック・バンドの解散と、若く才能あふれるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた[6]。
1980年にイエスからトレヴァー・ホーンが脱退し、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトはジミー・ペイジとのバンドを結成するためにイエスを離れてしまった。イエスに残されたスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはイエスの継続を断念してしまう。ここでイエスは解散。その時、イエスのマネージャーだったブライアン・レーンはジョン・ウェットンを2人に引き合わせて新バンドの結成を企画する。かつて、レーンはリック・ウェイクマンとウェットン、それにビル・ブルーフォードによるスーパー・トリオを企画したがうまくいかなかった経験があり、その時からウェットンに協力的であった[7]。そして、ウェットンとハウが一緒に曲作りをするようになり、デビュー・アルバムの約半分を書き上げた。当初はサイモン・フィリップスがドラマーを務めたが、その後カール・パーマーに交代、キーボードにキース・エマーソンの加入も企画されたが、結局はハウの紹介によりジェフ・ダウンズが加入して結成メンバーが集まるに至った。バンド名はレーンが提案したエイジア(Asia)となった[8]。ソング・ライティングは、アルバム制作の頃までにはウェットンとダウンズのチームが出来上がり、1982年3月8日、ロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『詠時感〜時へのロマン』とシングル「Heat of the Moment」をリリース、上記の商業的な成功を収めた。イエスがなき後のレーンのマネージメントするバンドとして、ロジャー・ディーンのアートワークとバンド名のロゴも採用された。
翌1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。完全にウェットンとダウンズの作曲チーム中心となり、初期の中心メンバーであるハウが作曲に参加した作品が入っていない。シングル「Don't Cry」が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた『詠時感〜時へのロマン』の売上の1/5ほどに留まってしまい、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、1983年の初来日ツアー前に、ウェットンはアルコール中毒になっていたという理由で解雇されてしまう。
レイクへの交代(1983年)[編集]
ウェットンの後任にはパーマーとの縁から、ボーカルとベースを兼任できる元キング・クリムゾン、元エマーソン・レイク・アンド・パーマーのグレッグ・レイクが招集された。これによってグループは元エマーソン・レイク・アンド・パーマー、元イエスが2人ずつという編成になる。日本の三重県志摩市のヤマハの合歓の郷で1ヶ月に渡るリハーサルが行なわれた[9]。
1983年12月6日から、ワールドツアーが日本より開始され、日本国内では4公演が開催された。MTVの企画で、同年12月7日の日本武道館公演の模様をアメリカに衛星生中継するイベント『ASIA in ASIA』が行われた。この公演はアメリカ向きの放送時間に合わせて日本では平日の昼間に行われ、演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。この模様は国内でも、テレビ神奈川(tvk)で、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA in ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された[10]。歌詞を覚えられなかったレイクはツアー中、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになった。レイクの声域の方がウェットンより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労し、結果的にぎくしゃくとした演奏形態になってしまった[11]が、来日公演は無事に終了した。
後に、MTVで日本武道館から衛星生中継した番組の『ASIA in ASIA』の模様は『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化されビデオテープ、レーザーディスクで市販された。
ウェットンの復帰(1984年 - 1985年)[編集]
1984年にはウェットンが復帰した。しかし、ウェットンとハウとの仲がうまくいかず、サード・アルバムのリハーサル中に今度はハウが脱退。10ヶ月以上のオーディションを費やした後[11]、ハウの後任のギタリストにはウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーが参加している。25曲録音した中から10曲を厳選し1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表する。このアルバムは日本ではオリコン15位を記録するが、全米では67位、シングル「Go」は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、これまでの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、マネージメントのレーンから解雇される。バンドの活動は凍結され、事実上の解散状態となった。
再始動〜ダウンズの主導期(1989年 - 2004年)[編集]

1989年に、当時ゲフィン・レコードのA&Rであったジョン・カロドナーの提案で再結成を実現するが、1989年の時点でハウはABWHに参加していたこともあり合流しなかった。A面5曲が過去のヒット曲を並べたベスト盤、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』も発表する。ギターパートはスティーヴ・ルカサー(TOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)らにより、ドラムに関してものちにジョン・ペイン、ジェフ・ダウンズ主導のエイジアに参加するマイケル・スタージスの演奏によるものもある。ツアーにあたってのギタリストはゲイリー・ムーア、グレン・ヒューズの推薦からパット・スロールを迎えた。日本ツアーは成功を収め[12]、モスクワで収録されたライブ・アルバム『ライヴ・イン・モスクワ1990』をリリースした。しかし、アメリカでのツアー日程が組めず、もはや懐メロバンドとしての需要しか求められていないと感じたウェットンは、ソロ契約を得たこともあり南米ツアーの後脱退する。スロールも同時期に脱退した。
その後、ダウンズはジョン・ペインを加入させて活動を続けたが、バンド形態というより「ジェフ・ダウンズのソロプロジェクト」の色彩が強まって行き、ジェフとペイン以外はゲスト・アーティストの参加による演奏が多くなり、ツアーに参加するメンバーも非常に流動的なものとなる[13]。ハウはアルバム『アクア』に参加しているが、その後のツアーにはゲストとしての参加に留まり、再びエイジアから離れ、イエスの活動に戻っていった。ペインとダウンズ体制としてのアルバム『サイレント・ネイション』では、それまでアルバムジャケットのアートワークを手がけていたロジャー・ディーンを起用せず、一連のアルバムのタイトル(一部のベストアルバムなどを除く)もバンド名と同様に「A・・・A」というタイトルで通してきたが崩され、以後はこの法則によるタイトルは付けられていない。
オリジナル・ラインナップでの再結成〜ウェットンの死去(2005年 - 2017年)[編集]
2000年代中ごろ、ウェットンとダウンズが偶然の再会から共演アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』を発表。このころからこの二人を中心にオリジナル・メンバーでのエイジア再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはダウンズがペインらとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナル・ラインナップ(ウェットン、ダウンズ、ハウ、パーマー)でのアルバム制作・コンサートツアーを実施する方向であることも正式に発表された。なお、ウェットン/ダウンズは以後も2枚のスタジオアルバムを制作している。
一方、ペイン体制下で制作が予定されていたニュー・アルバム『ARCHITECT OF TIME』はリリースが中止になり、最終的に離脱したペインらが主導した別プロジェクトに、そのマテリアルが使用された。(#エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペインも参照)

ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライブ・アルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。2人はスティーヴ・クリスティ、ジョン・ミッチェルを加えたアイコン・バンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコン・バンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・ラインナップでは初となる来日ツアーを果たしている。ハウとパーマーを加えたエイジアとしてのアルバムは2008年4月に『フェニックス』としてリリースされた。ジャケットのアートワークは再びロジャー・ディーンが担当している。2010年には同じメンバー、同じくロジャー・ディーンのアートワークでの新作『オメガ』が発表されている。
同時期にエイジアは、ハウの参加しているイエスとのジョイント・ライブ(エイジアが前座の扱い)を行い、ハウがどちらのバンドでも演奏するという形態でのツアーが行われている。
2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。
2011年、バグルスのマテリアルでもある当時の新作『フライ・フロム・ヒア』を収録していたイエスは、キーボードを担当していたオリヴァー・ウェイクマンを解雇し[要出典]て、ダウンズを参加させた。その後のイエスのツアーと次回作にダウンズが参加し、エイジアとイエスの双方に籍を置くこととなる。
2012年には結成30周年記念アルバム『XXX〜ロマンへの回帰』をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。
2013年1月、再度のハウの脱退、後任にサム・クールソンが参加することが発表され、メンバー・チェンジ後の初ライブが同年6月5日にイギリスのミルトン・キーンズに行なわれた。この編成にて録音されたアルバム『グラヴィタス〜荘厳なる刻(そうごんなるとき)』 [14] が2014年3月にリリースされている。
2017年1月、ジョン・ウェットンが死去[15]し、オリジナル・メンバーで集まることは二度とできなくなった。また、グレッグ・レイクも同時期の2016年12月に死去している。
現在(2017年以降)[編集]
2017年3月から6月までのツアー(ジャーニーとのツアー)ではビリー・シャーウッドが代役を務め、7月からはフォリナーとのツアーを行った。スティーヴ・ハウが復帰してのジョン・ウェットン追悼公演の企画がなされ、日程も発表されたが、その後、キャンセルされている。
2019年4月、イエスのツアー「ザ・ロイヤル・アフェアー・ツアー」が発表された。同年6月、7月のこのツアーにはエイジア、他が参加することも同時に発表された。エイジアのメンバーは、ジェフ・ダウンズ、カール・パーマー、ビリー・シャーウッドの3人にボーカリスト、ギタリストとして新メンバーのロン・“バンブルフット”・サールが加わり、更に、スティーヴ・ハウがゲスト参加する。
メンバー(エイジア)[編集]
オリジナル・メンバー[編集]
- ジョン・ウェットン(John Wetton) - ボーカル、ベース(キング・クリムゾン、U.K.)
- ジェフ・ダウンズ(Geoffrey Downes) - キーボード(バグルス、イエス)
- スティーヴ・ハウ(Steve Howe) - ギター、ボーカル(イエス)
- カール・パーマー(Carl Palmer) - ドラムス(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)
現メンバー(2019年4月時点)[編集]
- ジェフ・ダウンズ(Geoffrey Downes) - キーボード(1981年 - 1986年、1990年 - )
- カール・パーマー(Carl Palmer) - ドラムス(1981年 - 1986年、1989年 - 1992年、2006年 - )
- ビリー・シャーウッド(Billy Sherwood) - ボーカル、ベース(2017年 - )
- ロン・“バンブルフット”・サール(Ron "Bumblefoot" Thal) - ボーカル、ギター(2019年 - )
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ジェフ・ダウンズ(Key)2013年
-
カール・パーマー(Ds)2012年
-
ロン・サール(Vo/G)2013年
旧メンバー (オリジナル・メンバーを含む)[編集]
- ジョン・ウェットン(John Wetton) - ボーカル、ベース(1981年 - 1983年、1984年 - 1986年、1989年 - 1991年、2006年 - 2017年)※2017年死去
- スティーヴ・ハウ(Steve Howe) - ギター、ボーカル(1981年 - 1984年、1992年 - 1993年、2006年 - 2013年)
- グレッグ・レイク(Greg Lake) - ボーカル、ベース(1983年 - 1984年)※2016年死去
- マンディ・メイヤー(Mandy Meyer) - ギター(1984年 - 1986年)
- ジョン・ヤング(John Young) - キーボード(1989年)
- ゾー・ニコラス(Zoe Nicholas) - 女声コーラス(1989年)
- スージー・ウェッブ(Susie Webb) - 女声コーラス(1989年)
- アラン・ダービー(Alan Darby) - ギター(1989年)
- ホルガー・ラリッシュ(Holger Larish) - ギター(1989年)
- パット・スロール(Pat Thrall) - ギター(1990年 - 1991年)
- ジョン・ペイン(John Payne) - ボーカル、ベース、リズムギター(1991年 - 2006年)[16]
- アル・ピトレリ(Al Pitrelli) - ギター(1991年 - 1992年、1993年 - 1994年)
- トレバー・ソーントン(Trevor Thornton) - ドラムス(1992年 - 1994年)
- ヴィニー・バーンズ(Vinny Burns) - ギター(1992年 - 1993年)
- キース・ムーア(Keith More) - ギター(1993年)
- アジス・イブラヒム(Aziz Ibrahim) - ギター(1994年 - 1998年)
- マイケル・スターギス(スタージス)(Michael Sturgis) - ドラムス(1994年 - 1997年、1998年 - 1999年)
- エリオット・ランドール(Elliot Randall) - ギター(1996年)
- ボブ・リチャーズ(Bob Richards) - ドラムス(1997年)
- イアン・クライトン(Ian Crichton) - ギター(1998年 - 1999年)
- クリス・スレイド(Chris Slade) - ドラムス(1999年、2000年 - 2005年)
- ガスリー・ゴーヴァン(Guthrie Govan) - ギター(2000年 - 2006年)
- ジェイ・シェレン(Jay Schellen) - ドラムス(2005年 - 2006年)
- サム・クールソン(Sam Coulson) - ギター(2013年 - 2018年)
ゲスト[編集]
- ダン・ハフ(Dan Huff) - ギター:1987年ウェットンがエイジア名義で参加した映画『オーバー・ザ・トップ』のサウンドトラック収録曲「Gypsy Soul」に参加。アメリカのメロディアス・ハードロックバンドGIANTの中心メンバー。
- ジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder) - キーボード/プログラミング :ダン・ハフとともに"Gypsy Soul"に参加。『フラッシュダンス』、『トップガン』などの映画音楽でも知られる。
- ロン・コミー(Ron Komie) - ギター:1990年『ゼン・アンド・ナウ』中「Prayin' 4 A Miracle」に参加。ウェットンのソロ作『Welcome to Heaven』(2000年)中の楽曲"Second Best"にも参加している。ソロ名義でも活動しているほか、アメリカの人気テレビドラマシリーズ『ガイディング・ライト』の劇伴では2004年と2005年にエミー賞の"Outstanding Music Composition For A Drama Series"にノミネート、2007年と2008年に同賞を連続受賞している。
- スコット・ゴーハム(Scot Goham) - ギター:『ゼン・アンド・ナウ』中「Summer (Can't Last Too Long)」に参加。元シン・リジィ。
- スティーヴ・ルカサー(Steve Lukather) - ギター:『ゼン・アンド・ナウ』中「Days Like These」に参加、TOTOの中心メンバー。
- ガイ・ローシェ(Guy Roche) - キーボード/プログラミング :『ゼン・アンド・ナウ』中「Days Like These」と「Prayin' 4 A Miracle」の一部でシンセサイザーで参加。両曲のほかの部分はジョン・ウェットンがハモンドオルガンとシンセサイザーを演奏。
- サイモン・フィリップス(Simon Phillips) - ドラム:4th『アクア』にサポートドラマーとして参加(スタジオミュージシャン/セッションプレイヤー。後にTOTOへ加入)。
- アンソニー・グリン(Anthony Glynne) - ギター:『アクア』にサポートギタリストとして参加。
- 布袋寅泰 - ギター:1996年『アリーナ』に参加。
- ナイジェル・グロックラー(Nigel Glockler) - ドラムス:1991年『アクア』用に録音されたが採用されず、未発表音源集『Archiva Vol. 1』で発表された「Heart Of Gold」に参加。元サクソン、1987年にはGTRにも参加。2005年サクソンに復帰。
- トニー・レヴィン(Tony Levin) - ベース:2001年『オーラ』にゲストとして参加。キング・クリムゾンなどで知られるプログレの大御所の一人。
- ヴィニー・カリウタ(Vinny Colaiuta) - ドラムス:『オーラ』にゲストとして参加。バークリー音楽院出身でフランク・ザッパバンドからキャリアをスタートさせたベテラン。チック・コリアやハービー・ハンコック、メガデスなどのアルバム、ツアーにも参加するなど、ジャズ/フュージョンからロックのフィールドまで幅広く活躍している。
- ルイス・ジャーディム(Luis Jardim) - パーカッション
- フィル・マンザネラ(Phil Manzanera) - ギター:一時期、ウェットン、パーマーによるエイジア名義のライヴに参加。ウェットンと連名のアルバムも発表している。
- ドン・エイリー(Don Airey) - キーボード:一時期、ウェットン、パーマーによるエイジア名義のライヴに参加。元・コロシアムII、現・ディープ・パープル。
- ロビン・ジョージ(Robin George) - ギター/ボーカル:一時期、ウェットン、パーマーによるエイジア名義のライヴに参加。マグナムのツアーや、シン・リジィのフィル・ライノットとのセッションの経験がある。また数枚のソロ・アルバムを発表している。
メンバーの変遷[編集]
年 | ボーカル・ベース | ギター | キーボード | ドラムス | |
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1981 - 1983 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1983 - 1984 | グレッグ・レイク | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1984 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1984 - 1985 | ジョン・ウェットン | マンディ・メイヤー | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
1985 - 1989 | 活動停止中 | ||||
1989 | ジョン・ウェットン | パット・スロール | ジェフ・ダウンズ ジョン・ヤング |
カール・パーマー | |
1989 - 1992 | ジョン・ペイン | ジェフ・ダウンズ | |||
1992 - 1994 | ジョン・ペイン | アル・ピトレリ | ジェフ・ダウンズ | ||
1994 - 1996 | ジョン・ペイン | アジス・イブラヒム エリオット・ランドール |
ジェフ・ダウンズ | ||
1996 - 2004 | ジョン・ペイン | ジェフ・ダウンズ | |||
2004 - 2005 | ジョン・ペイン | ガスリー・ゴーヴァン | ジェフ・ダウンズ | クリス・スレイド | |
2005 - 2006 | ジョン・ペイン | ガスリー・ゴーヴァン | ジェフ・ダウンズ | ジェイ・シェレン | |
2006 - 2012 | ジョン・ウェットン | スティーヴ・ハウ | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
2013 - 2017 | ジョン・ウェットン | サム・クールソン | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
2017 - 2018 | ビリー・シャーウッド | サム・クールソン | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー | |
2019 - | ビリー・シャーウッド | ロン・サール | ジェフ・ダウンズ | カール・パーマー |
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
- 『詠時感〜時へのロマン』 - Asia(1982年)
- 『アルファ』 - Alpha(1983年)
- 『アストラ』 - Astra(1985年)
- 『アクア』 - Aqua(1992年)
- 『天空のアリア』 - Aria(1994年)
- 『アリーナ』 - Arena(1996年)
- 『オーラ』 - Aura(2001年)
- Armada 1(2002年)※ファン・クラブ向け限定盤
- 『サイレント・ネイション』 - Silent Nation(2004年)
- 『フェニックス』 - Phoenix(2008年)
- 『オメガ』 - Omega(2010年)
- 『XXX〜ロマンへの回帰』 - XXX(2012年)
- 『グラヴィタス〜荘厳なる刻』 - Gravitas(2014年)
ライブ・アルバム[編集]
- 『ライヴ・イン・モスクワ1990』 - Live in Moscow(1991年)
- 『ライヴ・イン・ノッティンガム1990』 - Now - Live in Nottingham(1997年)
- Live in Philadelphia(1997年)
- 『ライヴ・イン・ジャパン92』 - Live in Osaka(1997年)
- Live in Koln(1997年)
- 『ライヴ・アット・ザ・タウン・カントリー・クラブ』 - Live at the Town & Country Club(1999年)
- 『ライヴ・アコ-スティック』 - Live Acoustic(1999年)
- Alive in Hallowed Halls(2001年)
- Asia / Boston: Winning Combination(2001年)
- Asia Enso Kai (Live in Tokyo)(2001年)
- Alive in Hallowed Halls(2001年)
- America: Live in the USA(2002年)
- Quadra(2002年)
- 『武道館’83』 - Live at Budokan(2002年)
- Bedrock in Concert(2002年)
- 『ドラゴン・アタック』 - Dragon Attack(2003年)
- 『ライヴ・イン・バッファロー 1982・05・03』 - Live in Buffalo(2003年)
- 『ライヴ・イン・マサチューセッツ 1983・08・19』 - Live in Massachusetts '83(2004年)
- 『ライヴ・イン・ヒョウゴ 1990・09・24』 - Live in Hyogo(2004年)
- Different Worlds Live(2005年)
- Extended Versions(2007年)
- 『ファンタジア〜ライヴ・イン・トーキョー2007』 - Fantasia: Live in Tokyo(2007年)
- Asia - Live Around the World(2010年)
- 『スピリット・オブ・ザ・ナイト~ザ・フェニックス・ツアー・ライヴ・イン・ケンブリッジ2009』 - Spirit of the Night - Live in Cambridge 09(2010年)
- Live at the London Forum (The Omega Tour)(2011年)
- 『レゾナンス-オメガ・ツアー~ライヴ・イン・バーゼル 2010』 - Resonance - The Omega Tour 2010(2012年)
- 『ハイ・ヴォルテージ・ライヴ 2010』 - High Voltage - Live(2014年)
- 『エイジア・ライヴ・イン・サンフランシスコ 2012』 - Axis XXX Live in San Francisco MMXII(2015年)
- Live in America(2015年)
- 『シンフォニア~ライヴ・イン・ブルガリア2013』 - Symfonia - Live in Bulgaria 2013(2017年)
コンピレーション・アルバム[編集]
- 『オーロラ』 - Aurora(1986年)※4曲入り、日本盤のみ
- 『ゼン・アンド・ナウ』 - Then & Now(1990年)
- Archiva Vol. 1(1996年)
- Archiva Vol. 2(1996年)
- Archives: Best of 1988–1997(1997年)
- 『ザ・ベスト・オブ・エイジア~アンソロジー1982-1997~』 - Anthology - The Best of Asia 1982-1997(1997年)
- 『アクシアムス~ヒストリー・オブ・エイジア』 - Axioms(1999年)
- The Very Best of Asia: Heat of the Moment (1982–1990)(2000年)
- The Collection(2000年)
- The Best of Asia Live(2000?年)
- 『アンソロジア』 - Anthologia – The 20th Anniversary – Geffen Years Collection (1982–1990)(2002年)
- Classic Asia - Universal Masters Collection(2002年)
- 20th Century Masters - The Millennium Collection: The Best of Asia(2003年)
- History of Asia(2004年)
- 『エイジア・ゴールド』 - Gold(2005年)
- Definitive Collection(2006年)
シングル[編集]
※日本盤シングルのみ
- 「ヒート・オブ・ザ・モーメント」 - "Heat of the Moment"(1982年)
- 「時へのロマン」 - "Only Time Will Tell"(1982年)
- 「ドント・クライ」 - "Don't Cry"(1983年)
- 「いつわりの微笑み」 - "The Smile Has Left Your Eyes"(1983年)
- 「ザ・ヒート・ゴーズ・オン」 - "The Heat Goes On"(1983年)
- 「ゴー」 - "Go"(1985年)
ボックスセット[編集]
- 『Official Live Bootlegs volume 1』(2021年) - 米・ニューヨーク州バッファロー公演(1982年5月)、米・マサチューセッツ州ウースター公演(1983年8月)、ブラジル・サンパウロ公演(2007年)、東京公演(2008年)、英・ロンドン公演(2010年)の模様をそれぞれ2枚のCDに収めた全CD10枚組のボックスセット[17]。
映像作品[編集]
- DVD
-
- 『ライヴ・イン・モスクワ1990』 - Live in Moscow 1990
- 『アンドロメダ〜エイジア・ライヴ1990』 - Andromeda
- 『ファンタジア〜ライヴ・イン・トーキョー2007』 - Fantasia: Live in Tokyo(2007年)※3/8新宿公演
- VHS/LD
日本公演[編集]
- 1994年
- 6月15日 名古屋市公会堂
- 6月17日 東京厚生年金会館
- 6月19日 ゆうぽうと簡易保険ホール
- 6月21日 フェスティバルホール
- 2007年 The All Four Original Members of ASIA Japan Tour
- 3月4日 愛知県勤労会館
- 3月5日 大阪厚生年金会館 大ホール
- 3月7日、8日 東京厚生年金会館 大ホール
- 3月9日 - 11日 渋谷C.C.Lemonホール
- 2008年 The All Four Original Members of ASIA Japan Tour
- 5月8日 福岡市民会館
- 5月9日 大阪厚生年金会館 大ホール
- 5月11日 中京大学文化市民会館 オーロラホール
- 5月12日 東京国際フォーラム ホールA
- 5月13日 渋谷C.C.Lemonホール
- 2010年 The All Four Original Members of ASIA The Omega Tour
- 2012年 The All Four Original Members of ASIA xxx Tour(30th Anniversary Japanese Tour)
- 9月24日、25日 渋谷公会堂(命名権契約満了に伴い2011年より渋谷C.C.Lemonホールから元の名前に戻る)
- 9月26日 サンケイホールブリーゼ
- 9月27日 Zepp Nagoya
- 2014年 ASIA Live in Japan 2014
- 6月17日 Zepp Nagoya
- 6月18日 サンケイホールブリーゼ
- 6月19日、20日 渋谷公会堂
エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン[編集]
エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン | |
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![]() 2011年のグループショット | |
基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル | |
活動期間 | 2007年 - |
レーベル | |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
メンバー | |
旧メンバー | 別記参照 |
エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン(Asia Featuring John Payne)は、アメリカ合衆国出身のプログレッシブ・ロック・バンド。
もうひとつのエイジア[編集]

1989年、ジョン・ウェットンが脱退したエイジアはジェフ・ダウンズの主導体制になり、後任としてジョン・ペインを迎えての編成で活動していた。しかし2006年、ダウンズはオリジナル・ラインナップのバンド再興を企図。ペイン、ガスリー・ゴーヴァン、ジェイ・シェレンら現行のメンバーは解消され、離脱を余儀なくされてしまった。
その後3人は、日本のキーボーディスト・奥本亮(スポックス・ビアード、元クリエイション)を加え、新ユニット「GPS (バンド名は3人のイニシャル)」を結成し、同年にアルバム『ウィンドウ・トウ・ザ・ソウル』を発表。エイジアの新作としてリリースするはずだったアルバム『Architect of Time』の楽曲を同アルバムに使用している。
2007年、ペインとゴーヴァンはプロモーションを兼ねて来日。その後エイジア・オリジナル・メンバーの合意を得て、「初期から現在までの全ての曲」を演奏するエイジアのトリビュートバンド「エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン」を結成した。同年にライブ・アルバム『Extended Versions』(2012年、「Risen Sun」のタイトルで再発)を発表する。
2009年のツアーでは、ギタリストがミッチ・ペリー、キーボードがエリク・ノーランダーとなり、2012年にはギタリストがジェフレイ・コールマンに交代した。
2014年にカヴァー・アルバム『Recollections: A Tribute to British Prog』を発表[18]。またノーランダーに替わり、「GPS」の同僚だった奥本亮(Ryo Okumoto)が加入。
2018年になり、ペインとノーランダーが中心となってデュークス・オブ・ジ・オリエント(Dukes of the Orient)という新しい名前で同名アルバムがリリースされた。
メンバー(エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン)[編集]
- 現ラインナップ
- 旧メンバー
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- エリク・ノーランダー(Erik Norlander) - キーボード(2007年 - 2014年)
- ガスリー・ゴーヴァン(Guthrie Govan) - ギター(2007年 - 2009年)
- ミッチ・ペリー(Mitch Perry) - ギター(2009年 - 2011年)
- ブルース・ボウイレット(Bruce Bouillet) - ギター(2011年 - 2012年)
- ジェイ・シェレン(Jay Schellen) - ドラムス(2007年 - 2016年)
ディスコグラフィ(エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン)[編集]
- ライブ・アルバム
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- Extended Versions / Scandinavia(2007年 / 2012年)
- カヴァー・アルバム
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- Recollections: A Tribute to British Prog(2014年)
脚注[編集]
- ^ a b Boone, Brian (2011). I Love Rock 'n' Roll (Except When I Hate It). New York City: TarcherPerigee. p. 20. ISBN 978-1-101-51731-4
- ^ Moser, John J. (2019年6月13日). “REVIEW: Yes, Asia and more make prog rock fresh again at Sands Bethlehem Event Center”. The Morning Call. Tribune Publishing. 2023年5月13日閲覧。
- ^ Ling, Dave (2023年2月24日). ““I really didn’t expect the scale of the success”: The story behind Asia's self-titled debut album”. Louder. Future Publishing Limited. 2023年5月13日閲覧。
- ^ Deggans, Eric (1998). “Asia”. In Graff, Gary; Durchholz, Daniel. MusicHound Rock: The Essential Album Guide. Detroit: Visible Ink Press. pp. 44-45. ISBN 978-1-578-59061-2
- ^ 1982年5月15日と22日付けで1位。その後3週間はポール・マッカートニーの『タッグ・オブ・ウォー』が1位となったが、6月19日付けで返り咲き、7月31日付けまで7週間1位を続けた(1982 Archive | Billboardを参照)。
- ^ リック・ウェイクマンのアルバム『罪なる舞踏』の2003年リマスター盤CDに収録されたライナーノーツによると、1980年頃にゲフィン・レコードから「リック・ウェイクマン、ジョン・ウェットン、カール・パーマー、トレヴァー・ラビンでバンドを結成して欲しいという打診があった。実現には至らなかったが、同ライナーノーツではこの構想が後にエイジアに繋がったとされている。しかし、この件についてはウェイクマン本人もブライアン・レーンも全面否定している。トレヴァー・ラビンによると、ラビンはキース・エマーソンとエイジアを結成するという案もあったようである。
- ^ 当時、ウェットンはレーンの秘書と結婚していた。
- ^ その他、結成メンバーの他に候補として挙ったアーティストは、ロイ・ウッド、アラン・ホワイト、トレヴァー・ラビン、ロバート・ベリーなど。
- ^ ゲネプロはヤマハのつま恋(静岡県掛川市)で行う予定だった。しかし直前の11月22日、レクリエーション施設で発生したガス爆発事故で14名が死亡するという大惨事が起きる。ゲネプロは名古屋港近くの施設に移動した。
- ^ 司会は(当時の)テレビ神奈川の番組「ファンキートマト」の植田芳暁。ゲストは白井貴子。生中継の公演の模様が14:05頃-14:38頃迄放送された。その後、ニューヨークでMTVでの生中継の模様を観ている日野皓正の国際電話でのインタビューもあった。番組終盤の 14:45頃-14:50頃にも武道館からの生中継の模様が放送された。この特別番組の直前に放送の番組「おしゃべりトマト」でも同出演者にてエイジアの紹介がされていた)。
- ^ a b MCAビクター『アストラ』(1992年)伊藤秀世によるライナーノーツより
- ^ この時、TBSの深夜のテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」にゲスト出演している。
- ^ アルバム『アリーナ』のレコーディングには布袋寅泰が参加している。
- ^ (Gravitas)
- ^ エイジアのジョン・ウェットンが死去。享年67 - RO69
- ^ 出典:ROCK STREAM =JOHN PAYNE - GUTHRIE GOVAN (GPS) SPECIAL INTERVIEW!!=(日本語)
- ^ “エイジアの10CDボックスセット『The Official Live Bootlegs Volume 1』、11月発売”. MUSIC LIFE Club(株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント). 2021年11月24日閲覧。
- ^ エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン、英プログレ・バンドのカヴァー集『Recollections: A Tribute To British Prog』を発売 - amass
外部リンク[編集]
- オリジナル・メンバーのASIA公式サイト(英語)
- ジェフ・ダウンズ公式サイト(英語)
- ジョン・ウェットン公式サイト(英語)
- ジョン・ペイン公式サイト(英語)