グレッグ・レイク
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グレッグ・レイク Greg Lake | |
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![]() 2005年 | |
基本情報 | |
出生名 | Gregory Stuart Lake |
生誕 | 1947年11月10日 |
出身地 |
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死没 | 2016年12月7日(69歳没) |
ジャンル | プログレッシブ・ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | 歌、ベース、ギター |
活動期間 | 1965年 - 2016年 |
共同作業者 |
ユニット・フォー ザ・タイム・チェックス ザ・シェイム キング・クリムゾン エマーソン・レイク・アンド・パーマー エイジア ほか |
グレッグ・レイク(英語: Gregory Stuart "Greg" Lake、1947年11月10日 - 2016年12月7日)は、イギリス出身のボーカリスト、ベーシスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。
略歴[編集]
1965年に初めて組んだバンド、ユニット・フォーを皮切りにザ・タイム・チェックスなど多くのローカルバンドで徐々に有力ギタリストおよびボーカリストとして頭角を現し、1967年ザ・シェイムに助っ人参加しデビュー・シングルを残した(この時期バンドのローディに1週間ほどロバート・フリップがいた)。翌1968年にはユーライア・ヒープの前身バンド、ザ・ゴッズに年頭から夏まで参加しライブで活動。秋にはザ・シェイムの発展バンド、シャイ・リムスのデビュー・シングルにアンディ・マカロックと参加した。なお、このシングルB面でロバート・フリップもリードギターで客演している。その後、ロバート・フリップに誘われキング・クリムゾン結成に参加した。
1969年にデビューを飾ったプログレッシブ・ロック・グループ、キング・クリムゾンにおいてはデビュー・アルバムの『クリムゾン・キングの宮殿』でベースとボーカルを担当。その後、1970年にエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成。同バンドの人気上昇とともに、グレッグ・レイク自身も世界的な知名度を獲得していった(詳細はELPの項目を参照)。
1980年にELPが解散した後、ゲイリー・ムーアやテッド・マッケンナ等を迎えたソロ・プロジェクトに着手し、1981年に発表された初のソロ・アルバム『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』は、ELPとは異なりギターを重視した音作りで、レイクのボーカルもよりハードロック的になっている[1]。
1983年にはELPでのカール・パーマーとの縁から、ジョン・ウェットンの後任として一時的にエイジアのメンバーとなり、武道館で公演を行った。この公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録されている。奇しくもグレッグ、ウェットンの両名とも元キング・クリムゾンであった。
その後、しばらくソロ・アーティストとしての活動を行なっていたが、ELPを再結成させて、ワールド・ツアーを敢行。
2001年には、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。
2010年、ELPでの同僚であるキース・エマーソンとのコンビで北米ツアーを行う。このコンビでの来日公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルとなった。
同年7月、ロンドンのハイボルテージ・フェスティバルでELP再再結成ライヴを1度だけ行うが、グループとしての活動継続は本人が否定した。その言葉通り、以後ELPのライブは行われなかった。
2013年にソロとして来日公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。
2016年3月10日、キース・エマーソンが急死。訃報を受けたレイクは哀悼のメッセージを送った。そして12月7日、自身も癌闘病の末に死去。69歳没[2]。残されたカール・パーマーは、かつてレイクが『展覧会の絵』で歌った「死こそ生なり」という歌詞を引用して追悼した[3]。
音楽性[編集]
レコードにはプロデューサーとして彼のクレジットがあるが、キース・エマーソンのインタビューによると、「グレッグがこだわったので譲っただけ。楽曲の半分以上を書いて、アレンジも含めサウンドの中心である自分自身が、最もプロデューサー的役割を担っている」といったような主旨の発言もあった。
ELPのメンバーの中では、最もロック・ミュージックに影響を受けたメンバーである。キング・クリムゾンのリーダーであるロバート・フリップと、少年時代に同じクラシック・ギターの指導者ドン・ストライクから時期こそ違うが教わっていたといわれる。また、クリムゾン離脱表明後のセカンド・アルバムでグレッグでは無くピーター・ジャイルズがベースを担当したのは、フリップ曰く「スタジオに入って初見でベースが弾けるため」とレコーディングでの合理性を説明している。
ベースに関しては、ロック的な奏法とジャズ風のベース・ランニングとを使い分けられた。ピック弾きであり、オルタネイト・ピッキングの名手である。
レイクは歳を経るにつれてその声が太く低くなっていった。そのため、ライブで『展覧会の絵』など過去の曲を歌う際にはキーを下げることがあった。
日本公演[編集]
ディスコグラフィ[編集]
ソロ・アルバム[編集]
- 『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』 - Greg Lake (1981年)
- 『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーアII マヌーヴァーズ』 - Manoeuvres (1983年)
- 『イン・コンサート』 - King Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert (1995年) ※1981年のライブ・アルバム。旧邦題『キング・ビスケット・ライヴ』。
- The Greg Lake Retrospective: From the Beginning (1997年) ※コンピレーション・アルバム
- 『フロム・ジ・アンダーグラウンド Vol.1』 - From the Underground: The Official Bootleg (1998年) ※コンピレーション・アルバム
- 『フロム・ジ・アンダーグラウンド Vol.2 - ディーパー・イントゥ・ザ・マイン』 - From the Underground 2: Deeper Into the Mine – An Official Greg Lake Bootleg (2003年) ※コンピレーション・アルバム
- Greg Lake (2007年) ※2005年のライブ・アルバム
- 『ソングス・オブ・ア・ライフタイム』 - Songs of a Lifetime (2013年) ※2012年のライブ・アルバム
- 『ライヴ・イン・ピアツェンツァ』 - Live in Piacenza (2017年) ※2012年のライブ・アルバム
キース・エマーソン&グレッグ・レイク[編集]
- 『ライヴ・フロム・マンティコア・ホール』 - Live from Manticore Hall (2014年) ※2010年のライブ・アルバム
グレッグ・レイク&ジェフ・ダウンズ[編集]
- 『ライド・ザ・タイガー』 - Ride the Tiger (2015年) ※1989年-1990年の録音
キング・クリムゾン[編集]
- 『クリムゾン・キングの宮殿』 - In the Court of the Crimson King (1969年)
- 『ポセイドンのめざめ』 - In the Wake of Poseidon (1970年)
エマーソン・レイク・アンド・パーマー[編集]
出典[編集]
- ^ Eder, Bruce. “Greg Lake - Biography & History”. AllMusic. 2020年4月18日閲覧。
- ^ “エマーソン、レイク&パーマーのグレッグ・レイクが死去”. amass (2016年12月8日). 2016年12月8日閲覧。
- ^ https://jp.reuters.com/article/elp-emerson-idJPKBN13Y065
参考文献[編集]
- 『エマーソン・レイク・アンド・パーマー 衝撃のロック・トリオ伝』新興楽譜出版社、1977年2月。
- 『キング・クリムゾン―至高の音宇宙を求めて』新興楽譜出版社、1981年6月。
- 『UKプログレッシヴ・ロックの70年代』マーキー・インコーポレイティド、1996年6月。
- シド・スミス『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』ストレンジ・デイズ、2007年7月。
- 『キースエマーソン自伝』三修社、2013年4月。