コンテンツにスキップ

「平繁龍一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
→‎特徴・評価: 出典が提示されなかった独自研究の除去
編集の要約なし
17行目: 17行目:
|ポジション=[[フォワード (サッカー)|FW]]
|ポジション=[[フォワード (サッカー)|FW]]
|背番号=18
|背番号=18
|利き足=右足
|利き足=右足
|クラブ=[[サンフレッチェ広島]]<br />[[徳ヴォルティス]]<br />[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]<br />サンフレッチェ広島
|ユースクラブ = サンフレッチェ府中サッカースクール<br />[[サンフレッチェ広島]]ジュニアII<br />サンフレッチェ広ジュニア<br />サンフレッチェ広島ジュニアユース ([[東広島市立黒瀬中学校|黒瀬中]])<br />サンフレッチェ広島ユース ([[安芸高田市立吉田中学校|吉田中]]/[[広島県立吉田高等学校|吉田高]])
|年=2007-2009<br />2010<br />2011<br />2012-
|ユース = 1997-????<br /><br /><br />????-2003<br />2003-2006
|クラブ=[[サンフレッチェ広島]]<br />→[[徳島ヴォルティス]](loan)<br />→[[東京ヴェルディ1969]](loan)
|出場(得点)=46 (5)<br />26 (4)<br />12 (4)<br /> ()
|年=2007-<br />2010<br />2011
|出場(得点)=46 (5)<br />26 (4)<br />12 (4)
|クラブ成績更新日=2011年12月12日
|クラブ成績更新日=2011年12月12日
|代表国=
|代表国=
29行目: 31行目:
|監督チーム=
|監督チーム=
}}
}}
'''平繁 龍一'''(ひらしげ りゅういち、[[1988年]][[6月15日]] - )は、[[広島県]][[東広島市]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|プロサッカー選手]]。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。[[広島県立吉田高等学校]][[卒業]]。
'''平繁 龍一'''(ひらしげ りゅういち、[[1988年]][[6月15日]] - )は、[[広島県]][[東広島市]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|プロサッカー選手]]。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[サンフレッチェ広島]]所属。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。[[広島県立吉田高等学校]][[卒業]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
サンフレッチェ広島初のジュニアから昇格したJリーガーである<ref name="tyugoku20070126">{{Cite web|author=[[中国新聞]]|date=2007-01-26|url=http://web.archive.org/web/20080118173256/http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200701250083.html|title=夢をつかめ|accessdate=2010-01-07}}</ref>。
サンフレッチェ広島初のジュニアから昇格したJリーガーである<ref name="tyugoku20070126">{{Cite web|publisher=[[中国新聞]]|date=2007-01-26|url=http://web.archive.org/web/20080118173256/http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200701250083.html|title=夢をつかめ|accessdate=2012-02-04}}</ref>。


旧[[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]][[黒瀬町]]出身<ref name="tyugoku20070126" />。小学校3年生からサンフレッチェ府中サッカースクールに加入<ref name="tyugoku20070126" />。[[横竹翔]]と共にFWとして活躍しすぐに才能を見出される。このころの同期に[[酒井貴政]]。ジュニアIIからジュニアを経て、4年生の時にはすでにジュニアユースの練習に参加、2000年には[[全日本少年サッカー大会]]出場<ref>{{Cite web|author=全日本少年大会公式|url=http://event.yomiuri.co.jp/2000/S0030/syoukai/hiroshima.htm|title=チーム紹介|accessdate=2010-01-07}}</ref>、[[全日本少年フットサル大会]]準優勝に貢献し大会優秀選手に選ばれる<ref>{{Cite web|author=過去の大会記録一覧|url=http://www.fcjapan.co.jp/futsal/2002/01/vermont_kako.html|title=過去の大会記録一覧|accessdate=2010-01-07}}</ref>。2003年には[[マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ]]出場。
旧[[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]][[黒瀬町]]出身<ref name="tyugoku20070126" />。小学校3年生からサンフレッチェ府中サッカースクールに加入<ref name="tyugoku20070126" />。[[横竹翔]]と共にFWとして活躍しすぐに才能を見出される。このころの同期に[[酒井貴政]]がいる。ジュニアIIからジュニアを経て、4年生の時にはすでにジュニアユースの練習に参加、2000年には[[全日本少年サッカー大会]]出場<ref>{{Cite web|publisher=全日本少年大会公式|url=http://event.yomiuri.co.jp/2000/S0030/syoukai/hiroshima.htm|title=チーム紹介|accessdate=2012-02-04}}</ref>、[[全日本少年フットサル大会]]準優勝に貢献し大会優秀選手に選ばれる<ref>{{Cite web|publisher=過去の大会記録一覧|url=http://www.fcjapan.co.jp/futsal/2002/01/vermont_kako.html|title=過去の大会記録一覧|accessdate=2012-02-04}}</ref>。2003年には[[マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ]]出場している<ref>{{Cite web|date=2003-07-22|publisher=J'sGOAL|url=http://www.jsgoal.jp/official/hiroshima/00001226.html|title=Manchester United Premier Cup World Finals 2003 順位決定戦|accessdate=2012-02-04}}</ref>


2003年、中学3年次からユースの練習に参加<ref name="tyugoku20070126" />。2004年、高校1年生でレギュラーをつかみ[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯]]初制覇や[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|クラブユース選手権]]制覇に貢献。2年生から10番を背負いエースとして活躍し、2006年の[[Jユースカップ]]優勝に貢献した。また、同年9月に[[2種登録選手]]となったが出場は無い。
2003年、中学3年次からユースの練習に参加<ref name="tyugoku20070126" />。2004年、高校1年生でレギュラーをつかみ[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯]]初制覇や[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|クラブユース選手権]]制覇に貢献。2年生から10番を背負いエースとして活躍し、2006年の[[Jユースカップ]]優勝<ref>{{Cite web|date=2006-12-24|publisher=J'sGOAL|url=http://www.jsgoal.jp/2006jyouthcup/news/article/00042554.html|title=【Jユースサハラカップ2006 決勝 広島 vs F東京:レポート】|accessdate=2012-02-04}}</ref>に貢献した。また、同年9月に[[2種登録選手]]となった<ref>{{Cite web|publisher=[[紫熊倶楽部]]|date=2006-09-08|url=http://sigmaclub.cocolog-nifty.com/sigmaclubblog/2006/09/2_c98c.html|title=平繁龍一、2種登録|accessdate=2012-02-04}}</ref>が出場は無い。


2007年トップ昇格<ref>同期は、ユース時代の同級生である[[遊佐克美]]。</ref>。すぐに主力として評価され、同年3月3日リーグ第1節で初ベンチ入りし途中出場、デビューを飾る。同年のナビスコカップで初得点しチーム初のGL突破に貢献、同年末の入替戦第1戦で得点を上げた。また、同年には[[2007 FIFA U-20ワールドカップ|FIFA U-20ワールドカップ]]にMFとして1試合出場している。
2007年トップ昇格<ref name="jsgoal2011-12-21">{{Cite web|publisher=J'sGOAL|date=2011-12-21|url=http://www.jsgoal.jp/official/00130000/00130213.html|title=平繁龍一選手、期限付き移籍より復帰のお知らせ|accessdate=2012-02-04}}</ref>。同期入団は、ユース時代の同級生である[[遊佐克美]]。すぐに[[ミハイロ・ペトロヴィッチ]]に主力として評価され、同年3月3日リーグ第1節で初ベンチ入りし途中出場、デビューを飾る。同年のナビスコカップで初得点しチーム初のGL突破に貢献<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2007-04-11|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/2007/Ss200704110387.html|title=新人平繁、度胸のPK|accessdate=2012-02-04}}</ref>、同年末の[[J1・J2]]第1戦で得点を上げた<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2007-12-05|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/2007/Ss200712050374.html|title=平繁一発、望みつなぐ|accessdate=2012-02-04}}</ref>。また、同年には[[2007 FIFA U-20ワールドカップ|FIFA U-20ワールドカップ]]にMFとして1試合出場している。


2008年は、[[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|ウェズレイ]]の移籍によって[[佐藤寿人]]と2トップを組み、レギュラーとしてシーズンを迎える。リーグ戦第1節でリーグ戦初得点を挙げるものの、チームが佐藤の1トップに布陣を変えたことによりポジションを失い、さらに7月に[[椎間板ヘルニア]]の手術を受けて長期離脱<ref>{{Cite web|author=J'sGOAL|date=2008-07-24|url=http://www.jsgoal.jp/official/hiroshima/00068598.html|title=平繁龍一選手の負傷について|accessdate=2009-02-18}}</ref>。同年12月の天皇杯で復帰した翌2009年怪我の影響もあり不調に陥り、チームが[[李忠成]]を補強したことにより出場機会が減っていった。
2008年は、[[佐藤寿人]]と2トップを組み、レギュラーとしてシーズンを迎える<ref>{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2008-03-09|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/2008/Ss200803090341.html|title=平繁 果敢に初ゴール|accessdate=2012-02-04}}</ref>。リーグ戦第1節でリーグ戦初得点を挙げるものの、チームが佐藤の1トップに布陣を変えたことによりポジションを失い<ref name="chugoku2009-05-14">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2009-05-14|url=http://web.archive.org/web/20090521160253/http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200905140068.html|title=平繁ドリブル攻撃に活 前節途中出場で存在感|accessdate=2012-02-04}}</ref>、さらに7月に[[椎間板ヘルニア]]の手術を受けて長期離脱<ref>{{Cite web|publisher=J'sGOAL|date=2008-07-24|url=http://www.jsgoal.jp/official/hiroshima/00068598.html|title=平繁龍一選手の負傷について|accessdate=2012-02-04}}</ref>。同年12月の天皇杯で復帰したが、翌2009年怪我の影響もあり不調に陥り<ref name="chugoku2009-05-14" />、チームが[[李忠成]]を補強したことにより出場機会が減っていった。


2010年、出場機会を求めて[[美濃部直彦]]率いる[[徳島ヴォルティス]]へレンタル移籍する<ref name="jsgoal2011-12-21" />。開幕当初は[[津田知宏]]とともに2トップのレギュラーの座にいた<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2010-03-21|url=http://web.gekisaka.jp/?u=%2F%3Fkey%3DXxp0myW8%26amp%3Bmenu%3Dfl%26amp%3Btwm%3Dv%26amp%3Btwi%3D52953|title=徳島が平繁&津田の新コンビで千葉を撃破 |accessdate=2012-02-04}}</ref>が、[[佐藤晃大]]の成長<ref>{{Cite web|publisher=徳島新聞|date=2011-02-22|url=http://www.topics.or.jp/localSports/122545366453/2011/02/2011_129833816008.html|title=定位置獲得を猛アピール 成長続ける生え抜きFW佐藤 |accessdate=2012-02-04}}</ref>によりレギュラーを奪われ出場機会が減っていった。
2010年、出場機会を求めて[[徳島ヴォルティス]]へレンタル移籍。開幕当初はレギュラーの座にいたが、徐々に出場機会を減らした。


2011年、[[川勝良一]]率いる[[東京ヴェルディ1969]]に引き続きレンタル移籍する<ref name="jsgoal2011-12-21" />。当時東京Vは経営面に問題を抱えており、満足な補強ができない状況でのオファーだった。ここでも序盤は主力として活躍し、第12節対[[ギラヴァンツ北九州]]戦においてプロ入り後初の[[ハットトリック]]を達成した<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2011-05-14|url=http://web.gekisaka.jp/?u=%2F%3Fkey%3DXxp0myW8%26amp%3Bmenu%3Dfl%26amp%3Btwm%3Dv%26amp%3Btwi%3D78535|title=平繁ハット&井上の連発弾で東京Vが北九州に4発大勝|accessdate=2012-02-04}}</ref>。その後、怪我<ref>{{Cite web|publisher=J'sGOAL|url=http://www.jsgoal.jp/photo/00087300/00087382.html|title=[ ゆく年くる年:今年の漢字 東京V]|accessdate=2012-02-04}}</ref>や[[阿部拓馬]]の成長<ref>{{Cite web|publisher=Jマガ|date=2011-07-27|url=http://jmaga.net/?eid=469|title=序盤戦の遅れを取り戻しつつある東京ヴェルディ|accessdate=2012-02-04}}</ref>によりレギュラーを奪われ出場機会が減っていった。
2011年は、[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]に引き続きレンタル移籍。[[5月14日]]の第12節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦においてプロ入り後初の[[ハットトリック]]を達成した。


2012年、サンフレッチェ広島に復帰した<ref name="jsgoal2011-12-21" />。
== 所属クラブ ==
ユース経歴
* サンフレッチェ府中サッカースクール
* [[サンフレッチェ広島]]ジュニアII
* サンフレッチェ広島ジュニア
* - 2003年 : サンフレッチェ広島ジュニアユース ([[東広島市立黒瀬中学校|黒瀬町立黒瀬中学校]])
* 2003年 - 2006年 : サンフレッチェ広島ユース ([[安芸高田市立吉田中学校]]/[[広島県立吉田高等学校]])
プロ経歴
* 2007年 - : サンフレッチェ広島
** 2010年 : 徳島ヴォルティス ([[期限付き移籍|レンタル移籍]])
** 2011年 : [[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]] (レンタル移籍)


== 個人成績 ==
== 個人成績 ==
77行目: 69行目:
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終}}84||13||10||3||7||2||101||18
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終}}84||13||10||3||7||2||101||18
|}
|}
その他の公式戦
'''その他の公式戦'''
* 2007年
* 2007年
** [[J1・J2入れ替え戦]] 2試合1得点
** [[J1・J2入れ替え戦]] 2試合1得点
85行目: 77行目:
== 出場歴・タイトル ==
== 出場歴・タイトル ==
=== クラブチーム ===
=== クラブチーム ===
アンダーカテゴリー
'''アンダーカテゴリー'''
* 全日本少年フットサル大会準優勝 (2000年)
* 全日本少年フットサル大会準優勝 (2000年)
* メニコンカップ日本クラブユースサッカー東西対抗戦U-15(2002年・西軍)
* メニコンカップ日本クラブユースサッカー東西対抗戦U-15(2002年・西軍)
97行目: 89行目:
* [[国民体育大会]] (2005年)
* [[国民体育大会]] (2005年)


トップチーム
'''トップチーム'''
* 初ベンチ入り : 2007年3月3日J1リーグ第1節[[FC東京]]戦 ([[味の素スタジアム]])
* 初ベンチ入り : 2007年3月3日J1リーグ第1節[[FC東京]]戦 ([[味の素スタジアム]])
* Jリーグ初出場 : 同上
* Jリーグ初出場 : 同上
107行目: 99行目:


=== 代表 ===
=== 代表 ===
アンダーカテゴリー
'''アンダーカテゴリー'''
* U-14日本代表 2002
* U-14日本代表 2002
* U-15日本代表 2003
* U-15日本代表 2003
116行目: 108行目:
== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
{{reflist|2}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
122行目: 114行目:
* [[サンフレッチェ広島の選手一覧]]
* [[サンフレッチェ広島の選手一覧]]
* [[徳島ヴォルティスの選手一覧]]
* [[徳島ヴォルティスの選手一覧]]
* [[東京ヴェルディ1969の選手一覧]]
* [[サンフレッチェ広島の下部組織]]
* [[サンフレッチェ広島の下部組織]]



2012年2月4日 (土) 03:03時点における版

平繁 龍一
名前
愛称 リュウ
カタカナ ヒラシゲ リュウイチ
ラテン文字 HIRASHIGE Ryuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-06-15) 1988年6月15日(36歳)
出身地 広島県東広島市
(旧賀茂郡黒瀬町)
身長 175cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム サンフレッチェ広島
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
ユース
1997-????


????-2003
2003-2006
サンフレッチェ府中サッカースクール
サンフレッチェ広島ジュニアII
サンフレッチェ広島ジュニア
サンフレッチェ広島ジュニアユース (黒瀬中)
サンフレッチェ広島ユース (吉田中/吉田高)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-
2010
2011
サンフレッチェ広島
徳島ヴォルティス(loan)
東京ヴェルディ1969(loan)
46 (5)
26 (4)
12 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

平繁 龍一(ひらしげ りゅういち、1988年6月15日 - )は、広島県東広島市出身のプロサッカー選手Jリーグサンフレッチェ広島所属。ポジションはFW広島県立吉田高等学校卒業

来歴

サンフレッチェ広島初のジュニアから昇格したJリーガーである[1]

賀茂郡黒瀬町出身[1]。小学校3年生からサンフレッチェ府中サッカースクールに加入[1]横竹翔と共にFWとして活躍しすぐに才能を見出される。このころの同期に酒井貴政がいる。ジュニアIIからジュニアを経て、4年生の時にはすでにジュニアユースの練習に参加、2000年には全日本少年サッカー大会出場[2]全日本少年フットサル大会準優勝に貢献し大会優秀選手に選ばれる[3]。2003年にはマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ出場している[4]

2003年、中学3年次からユースの練習に参加[1]。2004年、高校1年生でレギュラーをつかみ高円宮杯初制覇やクラブユース選手権制覇に貢献。2年生から10番を背負いエースとして活躍し、2006年のJユースカップ優勝[5]に貢献した。また、同年9月に2種登録選手となった[6]が出場は無い。

2007年、トップ昇格[7]。同期入団は、ユース時代の同級生である遊佐克美。すぐにミハイロ・ペトロヴィッチに主力として評価され、同年3月3日リーグ第1節で初ベンチ入りし途中出場、デビューを飾る。同年のナビスコカップで初得点しチーム初のGL突破に貢献[8]、同年末のJ1・J2入れ替え戦第1戦で得点を上げた[9]。また、同年にはFIFA U-20ワールドカップにMFとして1試合出場している。

2008年は、佐藤寿人と2トップを組み、レギュラーとしてシーズンを迎える[10]。リーグ戦第1節でリーグ戦初得点を挙げるものの、チームが佐藤の1トップに布陣を変えたことによりポジションを失い[11]、さらに7月に椎間板ヘルニアの手術を受けて長期離脱[12]。同年12月の天皇杯で復帰したが、翌2009年怪我の影響もあり不調に陥り[11]、チームが李忠成を補強したことにより出場機会が減っていった。

2010年、出場機会を求めて美濃部直彦率いる徳島ヴォルティスへレンタル移籍する[7]。開幕当初は津田知宏とともに2トップのレギュラーの座にいた[13]が、佐藤晃大の成長[14]によりレギュラーを奪われ出場機会が減っていった。

2011年、川勝良一率いる東京ヴェルディ1969に引き続きレンタル移籍する[7]。当時東京Vは経営面に問題を抱えており、満足な補強ができない状況でのオファーだった。ここでも序盤は主力として活躍し、第12節対ギラヴァンツ北九州戦においてプロ入り後初のハットトリックを達成した[15]。その後、怪我[16]阿部拓馬の成長[17]によりレギュラーを奪われ出場機会が減っていった。

2012年、サンフレッチェ広島に復帰した[7]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2007 広島 18 J1 20 0 6 2 4 1 30 3
2008 J2 17 5 - 1 0 18 5
2009 J1 9 0 4 1 1 1 14 2
2010 徳島 19 J2 26 4 - 1 0 27 4
2011 東京V 9 12 4 - 0 0 12 4
2012 広島 18 J1
通算 日本 J1 29 0 10 3 5 2 44 5
日本 J2 55 13 - 2 0 57 13
総通算 84 13 10 3 7 2 101 18

その他の公式戦

出場歴・タイトル

クラブチーム

アンダーカテゴリー

トップチーム

代表

アンダーカテゴリー

脚注

  1. ^ a b c d 夢をつかめ”. 中国新聞 (2007年1月26日). 2012年2月4日閲覧。
  2. ^ チーム紹介”. 全日本少年大会公式. 2012年2月4日閲覧。
  3. ^ 過去の大会記録一覧”. 過去の大会記録一覧. 2012年2月4日閲覧。
  4. ^ Manchester United Premier Cup World Finals 2003 順位決定戦”. J'sGOAL (2003年7月22日). 2012年2月4日閲覧。
  5. ^ 【Jユースサハラカップ2006 決勝 広島 vs F東京:レポート】”. J'sGOAL (2006年12月24日). 2012年2月4日閲覧。
  6. ^ 平繁龍一、2種登録”. 紫熊倶楽部 (2006年9月8日). 2012年2月4日閲覧。
  7. ^ a b c d 平繁龍一選手、期限付き移籍より復帰のお知らせ”. J'sGOAL (2011年12月21日). 2012年2月4日閲覧。
  8. ^ 新人平繁、度胸のPK”. 中国新聞 (2007年4月11日). 2012年2月4日閲覧。
  9. ^ 平繁一発、望みつなぐ”. 中国新聞 (2007年12月5日). 2012年2月4日閲覧。
  10. ^ 平繁 果敢に初ゴール”. 中国新聞 (2008年3月9日). 2012年2月4日閲覧。
  11. ^ a b 平繁ドリブル攻撃に活 前節途中出場で存在感”. 中国新聞 (2009年5月14日). 2012年2月4日閲覧。
  12. ^ 平繁龍一選手の負傷について”. J'sGOAL (2008年7月24日). 2012年2月4日閲覧。
  13. ^ 徳島が平繁&津田の新コンビで千葉を撃破”. ゲキサカ (2010年3月21日). 2012年2月4日閲覧。
  14. ^ 定位置獲得を猛アピール 成長続ける生え抜きFW佐藤”. 徳島新聞 (2011年2月22日). 2012年2月4日閲覧。
  15. ^ 平繁ハット&井上の連発弾で東京Vが北九州に4発大勝”. ゲキサカ (2011年5月14日). 2012年2月4日閲覧。
  16. ^ [ ゆく年くる年:今年の漢字 東京V]”. J'sGOAL. 2012年2月4日閲覧。
  17. ^ 序盤戦の遅れを取り戻しつつある東京ヴェルディ”. Jマガ (2011年7月27日). 2012年2月4日閲覧。

関連項目