鈴木則文

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すずき のりぶみ
鈴木 則文
生年月日 (1933-11-26) 1933年11月26日
没年月日 (2014-05-15) 2014年5月15日(80歳没)
出生地 静岡県浜松市
死没地 東京都武蔵野市
職業 映画監督脚本家
主な作品
緋牡丹博徒シリーズ
女必殺拳シリーズ
トラック野郎』シリーズ
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鈴木 則文(すずき のりぶみ、1933年11月26日 - 2014年5月15日)は、日本映画監督脚本家静岡県浜松市出身。愛称はコーブンコーブンさん[1][2][3]。代表作は『緋牡丹博徒シリーズ』 (脚本)、『女必殺拳シリーズ』(企画・脚本)『トラック野郎』シリーズ (監督) など。

来歴

受賞歴

作風

元々のデビュー作は、徳川時代彦根藩主君近習を務めたの話を書いて、東映東京撮影所所長の岡田茂へ提出[7]。『暴君好色』と商売第一のタイトルを岡田に付けられて第1回作品として準備に入るが[8]、絶対条件だった佐久間良子が出演を拒み流れた[9]。岡田は鈴木を悲劇より喜劇のほうが向いてると判断していたことから[8]、1965年の映画『大阪ど根性物語 どえらい奴』で監督デビューとなった[8][9]マキノ雅弘が監督した『日本大侠客』(1966年)に登場した藤純子演ずる馬賊芸者のお龍を基に、『緋牡丹博徒シリーズ』を生んだ。同シリーズは加藤泰山下耕作小沢茂弘らが監督したが、お龍のキャラクターを確立させたのは鈴木で、シリーズのほとんどの脚本を手掛けた(合作含む)。監督も務めたのはシリーズ第2作の『緋牡丹博徒 一宿一飯』のみ。このシリーズは後に『日本女侠伝』、『女囚さそり』、『極道の妻たち』などと続く女ヤクザ映画の先駆けとなった。『緋牡丹博徒』シリーズの熊虎親分を主人公とするスピンオフ企画として若山富三郎主演『シルクハットの大親分』(1970年)も監督している。『関東テキヤ一家』シリーズの多くを監督し(合作で一部脚本も担当)、『まむしの兄弟』シリーズでも1973年のシリーズ第6作『まむしの兄弟 恐喝三億円』で監督、脚本(高田宏治との合作)を担当している。『聖獣学園』を始めとした東映ポルノ作品は、『徳川セックス禁止令 色情大名』(1972年)や『エロ将軍と二十一人の愛妾』(1972年)などや『女番長』シリーズも演出した[10]。『聖獣学園』主演の多岐川裕美の芸名は、鈴木が付けた[11]

1975年の千葉真一主演の『少林寺拳法』を皮切りに格闘アクション映画の演出も担っていく。ほかにも志穂美悦子真田広之黒崎輝ジャパンアクションクラブ (JAC ) メンバーを主役に据えた作品を手掛けた。『女必殺拳シリーズ』では主演に志穂美を起用している[9][12]。『女必殺拳』の主役は当初アンジェラ・マオで進められていたため、「俺もひょっとしたらホンコンを足場にハリウッドに乗り込めるかも」と当時思ったという[9]。同時期に仁義なき戦い』シリーズなどでヤクザを多く演じていた菅原文太にとっても新境地を開く『トラック野郎』シリーズを手がける。

脚本家としては自身の作品も多く手掛けているほか、他の監督作品も執筆している。『緋牡丹博徒』シリーズであるが、外にも加藤泰の『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)や山下耕作のヒットシリーズ第1作『兄弟仁義』(1966年)などを手掛けている。ただし後述のテレビドラマ作品も含め、そのほとんどは1~2名の脚本家との合作作品である。1967年戦国無宿』を手始めに、テレビドラマの脚本も手掛けている。主に時代劇が多いが、著名なものとしては『柳生あばれ旅シリーズ』、『名奉行 遠山の金さん』の一部、『暴れん坊将軍』シリーズの一部がある。

東映の会社カラーを支え続けた監督であり、男臭さやお色気が前面に出た作品が多いが、コミックを原作にした喜劇的作品では、米映画『ゴーストバスターズ』などのパロディ特撮が挿入されたり、かなりオタク受けのするセンスも披露されている。耽美的な演出を見せたり、かなり強烈な反権力メッセージ(特にキリスト教批判はしばしば繰り返された)を展開することも多かったが、これらを前面に押し立てて首尾一貫した作品としてまとめあげるよりは、常に下品な観客サービスに徹する方向を選んだ。結果として映画賞やキネマ旬報ベストテンなどとは終生無縁であったが、本人もそれをむしろ矜持としていた様子がインタビューなどから伺える。

1989年の『文学賞殺人事件 大いなる助走』(筒井康隆原作)は、自身も制作予算を負担したこともあって、取り分け思い入れが深いという。任侠・ポルノ・格闘・アクション・漫画・小説と多彩なジャンルの作品を発表しているが、本人は「一部で無思想無節操の職人監督の典型との評があるが、それが何よりの褒め言葉」と語っている。

人物

座右の銘は「下品こそ この世の花」[13]。東映プロデューサーの天尾完次とは盟友関係で、天尾が東映京都撮影所から東映東京撮影所へ異動した際には、鈴木も帯同した[14][15]。監督としても脚本家としても映画界に記したと同時に裏方に徹し、ファンからサインを求められても「俺は裏方だから」、「そんな器ではない」とほとんど断っている。

「俺は照明をまんべんなく当てて影を作らないんだ。その方がバカに見えるだろ?」、「ピントは奥まで全部合わせるんだ。そうすると画面に奥行きがなくてバカに見えるだろ?」、「今までに、政治が、文学が、弱い人の味方をしたことがあったか!?だからせめて映画ぐらいは弱い者の味方であってもいいじゃないか、なんて言ったら格好つけすぎかな」とも語っている。

1965年の映画『大阪ど根性物語 どえらい奴』でプロデューサーの天尾完次から、中島貞夫を紹介され共同で脚本を執筆、中島とは終生の友人となった[16]。議論になるとムキになって興奮する、そくぶん(則文)に引っかけ「こうぶん」と中島らは呼んでいた[16]。しかし性格は真面目できっちりしていたという。中島や鈴木たちは作品が完成すると岡田茂のチェックを受けていたが、ある時、深夜になり岡田が酒の匂いをさせてやって来て、途中からウトウトし始めた。チェック次第で岡田からのダメ出しがあるかも知れず、中島は「しめしめ」とほくそ笑んでいたが、鈴木が「オレの作品に対して何事ですか!」と岡田を揺すって起こしてしまった[16]。岡田は鈴木を「喜劇に向いてる[17][18]」「パクリの才能がある[19]」と評している。

九州弁を喋る女を偏愛し、自らが生みだしたキャラクターである「緋牡丹博徒シリーズ」の主人公・お竜や『トラック野郎』に登場するモナリザお京が九州生まれなのは、その反映である[20][21]。喜劇役者の由利徹のファンでもあり、「トラック野郎シリーズ」には全作出演してもらったほか[注釈 1] 、その他の作品にも出演しており、鈴木作品の最多出演者である[13][22]

夏樹陽子は鈴木を「監督然とした風情はなく、驚くほどに気さくでした。日焼けか酒焼けかわからないような赤い顔で台本と赤ペンを持って、いつもニコニコしていました。私にとっては母性本能をくすぐるステキなオジサンさんだったかな。どなられたり怒られたりしたことは一度もなかったですね。『なっちゃんね、ここはこうで、こうして、思いっ切りやって』って、優しく演技指導してくれました。女性を撮るのがうまい人だったと思います。監督は物事をその時の空気感で捉えて演出していくタイプ。理屈っぽい面はなかったですね[23]」と評している。

監督作品

映画

太字は脚本兼任。但し全て合作。

テレビドラマ

脚本作品

※監督兼任作品は除く。太字以外は合作作品

映画

  • 『続・てなもんや三度笠』(1963年)内出好吉監督
  • 『車夫遊侠伝 喧嘩辰』(1964年)加藤泰監督
  • 『大喧嘩』(1964年)山下耕作監督
  • 『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)加藤泰監督
  • 『やくざGメン 明治暗黒街』(1965年)工藤栄一監督
  • 『のれん一代 女侠』(1966年)沢島忠監督
  • 『兄弟仁義』(1966年)山下耕作監督
  • 『日本侠客伝 白刃の盃』(1967年)マキノ雅弘監督
  • 昭和残侠伝 血染めの唐獅子』(1967年)マキノ雅弘監督
  • 『牙狼之介 地獄斬り』(1967年)五社英雄監督
  • 『浪花侠客伝 度胸七人斬り』(1967年)小沢茂弘監督
  • 十一人の侍』(1967年)工藤栄一監督
  • 『兄弟仁義 関東兄貴分』(1968年)中島貞夫監督
  • 緋牡丹博徒』(1968年)山下耕作監督
  • 『緋牡丹博徒 花札勝負』(1969年)加藤泰監督
  • 『緋牡丹博徒 二代目襲名』(1969年)小沢茂弘監督
  • 『おんな刺客卍』(1969年)山下耕作監督
  • 『緋牡丹博徒 鉄火場列伝』(1969年)山下耕作監督
  • 『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年)加藤泰監督
  • 『緋牡丹博徒 お命戴きます』(1971年)加藤泰監督
  • 『狂走セックス族』(1973年)皆川隆之監督
  • 恐怖女子高校 不良悶絶グループ』(1973年)志村正浩監督
  • 女必殺拳』(1974年)山口和彦監督
  • 『女必殺拳 危機一発』(1974年)山口和彦監督
  • けんか空手 極真拳』(1975年)山口和彦監督
  • 団鬼六 OL縄地獄』(1981年)藤井克彦監督
  • 悪女群団』(1981年)小沼勝監督
  • 塀の中の懲りない面々』(1987年)森崎東監督
  • 『カレンダー if just now』監修兼任(1991年)小久保利己監督
  • 『リフレクション 呪縛の絆』※脚色(2002年)光石富士朗監督

テレビドラマ

  • 『戦国無宿』(1967年)
  • 柳生十兵衛あばれ旅』(1982年)
  • 『新春ワイド時代劇 寛永御前試合』(1983年)
  • 『新春時代劇スペシャル 家光と彦左と一心太助~天下の一大事~』(1989年)
  • 風雲!真田幸村 』(1989年)
  • 年末時代劇スペシャル 右門捕物帖』(1989年)
  • 『新春時代劇スペシャル 新吾十番勝負 江戸城(秘)大奥の陰謀!悪を斬る青年剣士は将軍の子!?』(1990年)
  • 『痛快時代劇スペシャル 柳生武芸帳』(1990年)
  • 『春の時代劇スペシャル 四匹の用心棒(1) 地獄砦の決闘!』(1990年)
  • 『時代劇スペシャル 柳生武芸帳(2)柳生十兵衛五十人斬り』(1990年)
  • 『痛快娯楽時代劇スペシャル 若さま侍捕物帖 陰謀渦巻く江戸城大奥の秘密』(1991年)
  • 『大型時代劇スペシャル 柳生武芸帳(3) 京に渦巻く大陰謀!十兵衛と謎の姫君』(1991年)
  • 『時代劇スペシャル 柳生武芸帳(5) 十兵衛あばれ旅 伊達六十二万石の陰謀』(1992年)
  • 名奉行 遠山の金さん(5)』(1993年)
  • 『ニュー・三匹が斬る!』(1994年)
  • 殿さま風来坊隠れ旅』(1994年)
  • 名奉行 遠山の金さん(6)』(1994年)
  • 『はぐれ医者 お命預ります!』(1995年)
  • 『痛快・三匹が斬る!』(1995年)
  • 『名奉行 遠山の金さん(7)』(1995年)
  • 『大江戸弁護人走る!』(1996年)
  • 京都埋蔵金伝説殺人事件 2億の秘宝をめぐる連続殺人!』(1996年)
  • 暴れん坊将軍VII』(1996年)
  • 尾張七代藩主徳川宗春生誕300年記念 痛快大名 徳川宗春~吉宗に挑んだ男』(1996年)
  • 『遠山の金さんVS.女ねずみ(1)』(1997年)
  • 『時代劇特別企画 徳川の女』(1997年)
  • 『暴れん坊将軍VIII』(1997年)
  • 新春時代劇スペシャル 次郎長三国志 勢揃い二十八人衆喧嘩旅!』(1998年)
  • 『遠山の金さんVS.女ねずみ(2)』(1998年)
  • 『びんぼう同心御用帳』(1998年)
  • 『暴れん坊将軍IX』(1998年)
  • 尾張幕末風雲録 維新を動かした男・徳川慶勝』(1998年)
  • 痛快!三匹のご隠居』(1999年)
  • 『暴れん坊将軍X』(2000年)

著作・参考文献

  • 『トラック野郎風雲録』 国書刊行会2010年5月。回想録兼エッセイ集
  • 『東映ゲリラ戦記』筑摩書房、2013年11月25日。ISBN 978-4480818386 
  • 『新トラック野郎風雲録』 ちくま文庫2014年1月。文庫オリジナル
  • 『下品こそ、この世の花 映画・堕落論』 筑摩書房、2014年11月。遺著・エッセイ集

脚注

注釈
  1. ^ 鈴木自身はそう『トラック野郎風雲録』で語っているが、『映画「トラック野郎」大全集 日本最後のアナーキー・プログラム・ピクチャーの伝説』(35、45、55、65、75、95、115、125頁)及び 『トラック野郎 浪漫アルバム』(18、22、26、30、34、78、86、90頁)のキャスト表を見ると、『トラック野郎・男一匹桃次郎』(大全集85頁、浪漫74-75頁)と『トラック野郎・一番星北へ帰る』(大全集105頁、浪漫82-83頁)には書かれていない。
出典
  1. ^ 中島貞夫『映像のスリット わが映画人生』芸艸堂、1987年、p.146
  2. ^ 山下耕作、円尾敏郎『将軍と呼ばれた男 映画監督山下耕作』ワイズ出版、1999年、p.107
  3. ^ 鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行会、2010年、p.232
  4. ^ シリーズ全10作は、自身も参加し『映画「トラック野郎」大全集日本最後のアナーキー・プログラム・ピクチャーの伝説』(洋泉社ムック、2010年8月)に詳しくガイドしている。(宮崎靖男・小川晋と共編)。なお第1作目「トラック野郎 御意見無用」の脚本は澤井信一郎との合作。
  5. ^ 「トラック野郎」…映画監督・鈴木則文さん死去 読売新聞 2014年5月17日閲覧[リンク切れ]
  6. ^ 第38回日本アカデミー賞最優秀賞発表!、日本アカデミー賞公式サイト、2015年1月18日閲覧。
  7. ^ 「人物走馬灯」『東映ゲリラ戦記』、207頁。
  8. ^ a b c 「人物走馬灯」『東映ゲリラ戦記』、208頁。
  9. ^ a b c d 「鈴木規文インタビュー」『Hotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 vol. 8』シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年、16-23頁。ISBN 978-4-401-75116-7 
  10. ^ 笑うポルノ、抜けるコメディ - シネマヴェーラ渋谷
  11. ^ 「東京流れ者」『東映ゲリラ戦記』、137頁。
  12. ^ 「美少女拳士 志穂美悦子」『東映ゲリラ戦記』、145頁。
  13. ^ a b 鈴木義昭『昭和桃色映画館 まぼろしの女優、伝説の性豪、闇の中の活動屋たち』社会評論社、2011年、p.250
  14. ^ 関本郁夫『映画人烈伝』青心社、1980年、pp.149-153
  15. ^ 鈴木則文、宮崎靖男、小川晋編著『別冊映画秘宝 映画「トラック野郎」大全集』洋泉社、2010年、p.38
  16. ^ a b c 中島貞夫デイリースポーツ連載「中島貞夫 傑作選劇場」、デイリースポーツ、2014年5月20日。 
  17. ^ 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、194-195頁。ISBN 4-1637-68-10-6 
  18. ^ 東映の岡田茂さんへ、師匠・鈴木則文監督の追悼文。”. 日本経済新聞 (2011年5月13日). 2015年1月25日閲覧。
  19. ^ 杉作J太郎、植地毅『トラック野郎 浪漫アルバム』徳間書店、2014年、124頁。ISBN 978-4198637927 
  20. ^ 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、p.70
  21. ^ 鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行会、2010年、p.72
  22. ^ 鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行会、2010年、pp.96-97
  23. ^ 「トラック野郎」の奇才・鈴木則文監督が愛した女優たち(3)夏樹陽子が語る撮影秘話”. 徳間書店 (2014年6月11日). 2014年6月11日閲覧。

外部リンク