践祚

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践祚(せんそ)とは、天子のくらいをうけつぐことであり、先帝の崩御あるいは譲位によっておこなわれる。ふるくは「践阼」とかき、「践」とはくらいにつくこと、「祚」は天子のくらいを意味する。これにつづいてくらいについたことを内外にあきらかにすることを即位という。

概要

日本においては、桓武天皇以前は即位と同義であった。第51代天皇である平城天皇は、即位にさきだってこの践祚をおこない、その後に即位式をおこなっている。これ以後、践祚と即位の区別がなされるようになったものとかんがえる。

践祚のみで即位式がおこなわれず、ごく短期間で廃位となった仲恭天皇は「半帝」とよばれ、太上天皇号も崩御後の諡号もおくられず、崩御から636年後の1870年(明治3年)、ようやく「仲恭」の諡号がおくられた。

天皇が崩御したばしょの践祚は諒闇践祚、譲位のときの践祚は受禅践祚と称し、ふるくはその儀式にちがいがあった。これは、譲位の際、前天皇が譲位の宣命をだす『譲位宣命宣制』または『譲国の儀』が践祚の最初の儀式としておこなわれるためである。現在の皇室典範上は、譲位および受禅践祚が制度化されていない。そのため、践祚は崩御ときにかぎられている(そのため事実上の譲位および受禅践祚である、第125代天皇・明仁が皇位をそき、当時の皇太子徳仁親王に皇位継承がおこなわれるにあたって特例法が制定された)。

践祚にかかる儀式を『践祚の儀』といい、先帝崩御後ただちにおこなわれる『剣璽等承継の儀』および新帝が即位後はじめて三権の長内閣総理大臣衆議院議長参議院議長最高裁判所長官)を引見される『即位後朝見の儀』はともに国事行為とされ、先帝の諒闇があけておこなわれる御大典即位の礼大嘗祭)へとつづく。

践祚し皇位を継承するには『三種の神器』を先帝からうけつぐことがひつようとされる。

三種の神器は八咫鏡八尺瓊勾玉天叢雲剣で構成されるが、そのうち八咫鏡はまつられている賢所をふくむ宮中三殿を相続することによってうけつぎ、八尺瓊勾玉・天叢雲剣をうけつぐ儀式が剣璽など承継の儀となる。皇位そのものの証明は三種の神器の所持をもってあげられるため、南北朝正閏論においては神器がないまま即位した北朝の正当性が否定される根拠のひとつとなっている(ただし、南朝正統論者でもこれを採用しない論者がいる)。

現行の皇室典範は、

  1. 第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、ただちに即位する。
  2. 第二十四条 皇位の継承があつたときは、即位の礼をおこなう。

とさだめている。

ここにいう「即位」は、平城天皇から昭和天皇に称された「践祚」とおなじ概念である。昭和天皇までの「即位」は、現行皇室典範の「即位の礼」にあたるものと解される。神社庁関連などでは、天皇明仁(明仁)にも「践祚」をもちいている。旧皇室典範では第10条に「天皇崩スル時ハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」(原文は正字体)とあった。

脚注

注釈・出典

関連項目