西武園駅
西武園駅 | |
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南口(2007年12月7日) | |
せいぶえん Seibuen | |
◄東村山 (2.4km) | |
所在地 | 東京都東村山市多摩湖町四丁目29-1 |
所属事業者 | 西武鉄道 |
所属路線 | ■西武園線 |
キロ程 | 2.4 km(東村山起点) |
駅構造 | 橋上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
4,053人/日 -2010年- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)4月5日 |
備考 |
開業日は当駅に統合された村山貯水池駅のもの |
西武園駅(せいぶえんえき)は、東京都東村山市多摩湖町四丁目にある西武鉄道西武園線の駅。当駅のすぐ先は埼玉県所沢市である。
駅構造
単式1面1線と島式1面2線のホームを併せ持つ地上駅で、橋上駅舎を持つ。通常使われるのは島式ホームの部分で、単式ホームは臨時ホームとなっている。トイレは改札を出て右側にあるが、臨時改札の使用時は改札内になる。だれでもトイレを併設している。夜間は駅員無配置。
のりば
1 | ■西武園線 | 東村山(国分寺・西武新宿)方面(臨時ホーム) |
2・3 | ■西武園線 | 東村山方面 |
利用状況
2010年度の1日平均の乗降人員は4,053人である[1]。西武鉄道全92駅中80位。 近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
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1992年 | 2,989[2] |
1993年 | 2,921[3] |
1994年 | 2,753[4] |
1995年 | 2,552[5] |
1996年 | 2,600[6] |
1997年 | 2,600[7] |
1998年 | 2,436[8] |
1999年 | 2,328[9] |
2000年 | 2,321[10] |
2001年 | 2,299[11] |
2002年 | 2,233[12] |
2003年 | 2,355[13] |
2004年 | 2,430[14] |
2005年 | 2,337[15] |
2006年 | 2,323[16] |
2007年 | 2,350[17] |
2008年 | 2,351[18] |
2009年 | 2,296[19] |
駅周辺
当駅は西武園競輪場と西武園ゴルフ場の最寄り駅であるが、西武園ゆうえんちの正門までは徒歩で約15分程掛かる。西武園ゆうえんちの最寄り駅は、多摩湖線・山口線の西武遊園地駅と山口線の遊園地西駅である。
当駅は東京都にあるが、駅のすぐ先に都県境があり、西武園は埼玉県にある。
バス路線
- 所18・18-1 所沢駅西口行(松が丘中央経由)
- 所18-1 所沢駅西口行/西武園ゆうえんち行(運転日注意)
- 南路線吾妻循環
- 所沢駅東口行(吾妻公民館経由/下山口駅入口・西所沢駅入口経由)
歴史
当初は、現在の新宿線の一部である村山線の駅として開業した。同線は東村山駅から現在の西武園線のルートを通り、現在路線が北へ向きを変えるところから直進して西武遊園地駅近くの村山貯水池駅へと向かっており、当駅は隣接する埼玉県所沢市に開設された村山競輪場(現在の西武園競輪場)の観客輸送のために1950年(昭和25年)5月23日に開業した支線の終着駅であった。
当初は競輪開催時のみ営業する臨時駅であったが、当時西武が進めていた「東村山文化園」構想にとって当駅が重要な駅と見なされるようになったこと、従来の終点である村山貯水池駅を維持するのは駅が多すぎて不合理であること、本線と支線の分岐をつかさどる野口信号所が当駅営業時に列車を捌ききれず機能不全を起こしたこと、および村山貯水池駅の地元需要が少なかったことから、村山貯水池駅を当駅に統合することが決定され、1951年(昭和26年)3月1日に統合、同時に村山貯水池駅と野口信号所 - 村山貯水池間が廃止されて東村山 - 西武園間が本線となり、当駅も常設駅となった。
1952年(昭和27年)3月25日からは線路名称改正によって西武園線の駅となった。以後、西武園ゆうえんちや西武園競輪場の最寄り駅として西武遊園地駅と共に機能し、近年では西進して来た所沢市の分譲住宅地・松が丘への足としても利用されている。
年表
当駅と村山貯水池駅とは僅かな間であるが、互いに独立した駅として営業した事があり、書類上も別駅扱いであるが、現在では同一視して「当駅の前身駅」とされている。以下の年表はそれを考慮したものである。
- 1930年(昭和5年)4月5日 - 西武村山線村山貯水池前駅として開業。但し、位置は狭山自然公園の東になり、後にできる多摩湖鉄道村山貯水池駅(現:西武多摩湖線西武遊園地駅)の近くであった。
- 1941年(昭和16年)3月1日 - 狭山公園駅に改称。
- 1944年(昭和19年)5月10日 - 営業休止。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 村山貯水池駅に改称して営業再開。多摩湖線の村山貯水池駅は狭山公園前駅に改称しているので、駅名を入れ換えた様な形になった。
- 1950年(昭和25年)5月23日 - 野口信号所を設置し、支線を分岐。終点に臨時駅として西武園駅開業。以後、村山貯水池駅と西武園駅は同月から1951年3月まで同時に営業する形となった。
- 1951年(昭和26年)3月1日 - 野口信号所 - 村山貯水池間を廃止し、村山貯水池駅を西武園駅に統合、同時に常設駅となる。
- 1952年(昭和27年)3月25日 - 線路名称改正により西武園線の駅となる。
- 1990年(平成2年)7月10日 - 新駅舎使用開始[20]。
駅名の由来
駅名の由来については不明な点が多い。西武園競輪場を含む各施設を総称した「西武園」の名に因むと解釈するのが妥当なところであるが、駅の開業時にはこの一帯は「東村山文化園」を称し、競輪場も「村山競輪場」を名乗っていて、「西武園」の名はどこにもなかった。当駅以外で「西武園」の名が登場するのは1951年(昭和26年)に一帯が「西武園」、1954年(昭和29年)に競輪場が「西武園競輪場」と改称されて以降のことで、なぜ駅のみ先行して「西武園」とされたのかは明らかでない。
ただし、公文書などによると、西武は当駅の設置申請書の中で「西武園競輪場」の名称を使用したり、競輪自体を「西武園競輪」の名前で開催しようとしたりしている。しかし、実際には文書の中で「西武園競輪場」を用いたのは申請側の西武だけで、認可側にあたる運輸省(現:国土交通省)の東京陸運局は認可状の中で「埼玉県営競輪場」と呼称して事実上無視し、「西武園競輪」は主催である埼玉県の反対に西武が折れ「村山競輪」に変更となっている。
これらの事情がどこまで当駅の名前と関係があるかはつまびらかではないが、当駅の開業前後に西武が駅名以外で「西武園」を使用することに対し、周囲からの理解や合意を得られなかった事実は注目に値する。
隣の駅
- 西武鉄道
- ■西武園線
- ■各停
- 東村山駅 - 西武園駅
- ■各停
参考資料
- 野田正穂「西武鉄道と狭山丘陵開発 —東村山文化園から西武園へ—」(『東村山市史研究』第13号・東村山ふるさと歴史館、2004年3月)
- 運輸省編『西武鉄道(武蔵野鉄道)・昭和19-23年』(運輸省文書)
- 運輸省編『西武鉄道・昭和24-26年』(同上)
脚注
- ^ 西武鉄道「駅別乗降人員」 (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成21年)
- ^ 『会社要覧』西武鉄道株式会社、1999年、100-103頁