拈華微笑
拈華微笑(ねんげみしょう)とは、禅宗において禅の法脈を釈尊が摩訶迦葉に微妙の法門として付嘱したとする伝説のこと。禅宗の起源を説く寓話であり、公案の一つでもある[1]。宋代以降の禅宗において、不立文字・教外別伝の立宗の基盤を示すものとして重用された[2]。
概略
インドの霊鷲山(グリドラクータ、ギッジャクータ)上で釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ、会座の衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して微笑した[1]。悟りは文字理論によって伝わるものではないという不立文字の意味を示しものであり、釈尊が迦葉尊者にのみ正法を授けたという伝灯の起源となった[1]。この寓話の根拠は、偽経である大梵天王問仏決疑経である[1]。
世尊在霊山会上。拈華示衆。衆皆黙然。唯迦葉破顔微笑。世尊云。吾有正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙法門、不立文字、教外別伝。付属摩訶迦葉
とある。また『大梵天王問仏決疑経』にも、
正法眼蔵・涅槃妙心、微妙(みみょう)法門あり、文字を立てず教外に別伝して迦葉に付属す
とあり、世尊が文字を立てず、教外に別伝して摩訶迦葉に付嘱した微妙の法門が、正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相の法門であることを前もって(世尊が)開陳する内容となっている。
宋代以降に人天眼目、無門関、五燈会元、廣燈録、聯燈会要などにこの伝説が記載されるようになった。無門関『六 拈華微笑』では、無門慧開は「花などひねって 尻尾丸出し 迦葉の笑顔にゃ 手も出せはせぬ」と頌して一笑に付している[3][要ページ番号]が、これは「抑下托上(よくげのたくじょう)」といって、一見貶しているようでも実は褒めているという禅僧によく見られる手法である。