国営沖縄記念公園
国営沖縄記念公園 Okinawa Commemorative National Government Park | |
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国営沖縄記念公園(海洋博覧会地区)と伊江島 | |
分類 | 都市公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯26度41分27.5秒 東経127度52分40.5秒 / 北緯26.690972度 東経127.877917度座標: 北緯26度41分27.5秒 東経127度52分40.5秒 / 北緯26.690972度 東経127.877917度 |
面積 |
71.6 ha(海洋博覧会地区) 2.7 ha(首里城地区) |
前身 |
国営沖縄海洋博覧会記念公園(海洋博覧会地区) 首里城跡地(首里城地区) |
開園 | 1976年9月1日 |
運営者 | 一般財団法人沖縄美ら島財団 |
年来園者数 |
338万人(海洋博覧会地区) 200万人(首里城地区) (2011年度) |
現況 | 8:00 - 20:30(地区・施設により異なる) |
設備・遊具 |
沖縄美ら海水族館、熱帯ドリームセンター、海洋文化館、エメラルドビーチ(海洋博覧会地区) 首里城、守礼門(首里城地区) |
駐車場 | あり(1265台:海洋博覧会地区、116台:首里城地区) |
アクセス |
許田インターチェンジより車約50分(海洋博覧会地区) 首里駅徒歩約15分(首里城地区) |
告示 | 1976年(昭和51年)8月30日建設省告示第1237号、(変更)1987年(昭和62年)3月25日建設省告示第780号、(変更)1988年(昭和63年)1月28日建設省告示第133号、(変更)1992年(平成4年)10月27日建設省告示第1749号、(変更)2003年(平成15年)12月5日沖縄総合事務局告示第57号 |
事務所 | 内閣府 沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所 |
事務所所在地 | 沖縄県国頭郡本部町字石川424番地 |
備考 | 日本の都市公園100選に選定 |
公式サイト | http://oki-park.jp |
国営沖縄記念公園(こくえいおきなわきねんこうえん)は、沖縄県の沖縄本島にある国営公園。大きく沖縄県本部町にある海洋博覧会地区と那覇市にある首里城地区の二つの地区に分けられる。日本の都市公園100選に選ばれている。
事業主体は内閣府沖縄総合事務局であり、計画・整備は同局が実施しているが、管理は一般財団法人沖縄美ら島財団に委託されている。
海洋博覧会地区
施設概要
沖縄県本部町に所在。沖縄県の日本復帰を記念して1975年7月から1976年1月にかけて開催された沖縄国際海洋博覧会を記念して、博覧会跡地に1976年9月1日に国営沖縄海洋博覧会記念公園として供用開始された公園[1]。通称は海洋博公園。開園面積は71.6ヘクタール。
1987年3月25日に、公園名を国営沖縄記念公園へ改称した[2]。
1993年まで、海洋博のシンボル的施設であったアクアポリスが残されていた。
主な園内施設
- 沖縄美ら海水族館(有料)、イルカショー(無料)等
- エメラルドビーチ
- おきなわ郷土村
- おもろ植物園 沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁を務めていた機会に天皇の提案により設置された[3]。
- 海洋文化館
- 熱帯ドリームセンター
- 熱帯・亜熱帯都市緑化植物園
主なイベント
- 1月は公園を発着点とする全国トリムマラソンが開催されている。
- 毎年7月に行われる海洋博公園サマーフェスティバルの花火大会は沖縄県内一の規模で行われている。
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総合案内所
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海洋文化館
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オキちゃん劇場。写真左下は公園内の移動用として運行される電気自動車
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公園内の移動用には電気自動車のほか写真のようなバスも運行されている
首里城地区
施設概要
沖縄県那覇市首里当蔵町に所在。1988年1月28日に、国営沖縄記念公園首里城地区として都市公園の区域指定を受け[4]、沖縄戦で破壊された首里城を復元し1992年11月3日から供用開始した[5]。園内には正殿が復元され、南殿・北殿などの建物、歓会門・奉神門などの城門も復興されており、復興は2008年現在もなお進められている。通称は首里城公園。開園面積は2.7ヘクタール。
主な園内施設
- 首里城正殿
- 御庭
- 北殿・南殿・番所(展示施設がある)
- 守礼門
経緯
かつて[要出典]国宝であった首里城は、第二次世界大戦中の1945年3月の沖縄戦で破壊され[6]、その修復・再建は県民の悲願であった。しかし沖縄県単独の事業とするには予算的に困難があった。そのため、旧国宝の首里城を含むこの地域を、国営公園として国を事業主体として整備・復興する案が浮上した。[要出典]しかしながら、沖縄県には、当時、すでに「国営沖縄海洋博覧会記念公園」が存在していたため[7]、「海洋博公園と首里城公園を一つの国営公園とみなす」事とし[要出典]、1986年11月、沖縄本土復帰20周年記念事業として首里城地区を整備し[8]、海洋博覧会地区と首里城地区との二地区を併せ「国営沖縄記念公園」とすることが決定された。[要出典]
脚注
- ^ 1976年(昭和51年)8月30日建設省告示第1237号「都市公園の供用を開始する件」
- ^ 1987年(昭和62年)8月25日建設省告示第780号「昭和五十一年建設省告示第千二百三十七号の一部を改正する件」
- ^ 宮内庁ホームページ「天皇陛下お誕生日に際し」平成15年記者会見
- ^ 1988年(昭和63年)1月28日建設省告示第133号「都市公園を設置すべき区域を定めた件」
- ^ 1992年(平成4年)10月27日建設省告示第1749号「都市公園の供用を開始する件」
- ^ “二千円日本銀行券の主な様式等について”. 大蔵省 (1999年10月29日). 2014年11月1日閲覧。
- ^ “海洋博覧会地区・首里城地区の歩み”. 内閣府 沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所. 2014年11月1日閲覧。
- ^ “国営沖縄記念公園 首里城地区 歩み”. 内閣府 沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所. 2014年11月1日閲覧。