名古屋臨海鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。レッドバード (会話 | 投稿記録) による 2016年2月2日 (火) 13:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎受託業務)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

名古屋臨海鉄道株式会社
Nagoya Rinkai Railway Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
457-0819
愛知県名古屋市南区滝春町12-3
北緯35度4分40.3秒 東経136度54分15.7秒 / 北緯35.077861度 東経136.904361度 / 35.077861; 136.904361座標: 北緯35度4分40.3秒 東経136度54分15.7秒 / 北緯35.077861度 東経136.904361度 / 35.077861; 136.904361
設立 1965年(昭和40年)1月23日
業種 陸運業
法人番号 4180001015174 ウィキデータを編集
事業内容 貨物鉄道事業
日本貨物鉄道の業務の受託
自動車フォークリフトの整備
駐車場の経営
倉庫業
代表者 代表取締役社長 野村 利夫
資本金 15億7,310万円
従業員数 147名(2012年4月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本貨物鉄道 46.85%
名古屋港管理組合 38.14%
日本通運 2.16%
名古屋鉄道 1.90%
新日本製鐵 1.39%
外部リンク www.meirintetu.co.jp/
テンプレートを表示

名古屋臨海鉄道株式会社(なごやりんかいてつどう)は、名古屋港東地域に置ける貨物輸送を行う鉄道事業者駐車場倉庫業なども行っている。日本貨物鉄道(JR貨物)、名古屋港管理組合、日本通運などが出資している。

概要

名古屋港南東地域は戦前から企業の進出が著しい地域であって、同地区からの貨物輸送は名古屋港管理組合の持つ専用線から名古屋鉄道(名鉄)築港線東名古屋港駅へ送り、そこから大江駅神宮前駅を経由して日本国有鉄道(国鉄)熱田駅へ運び、そこから全国へ搬出していた。しかし工業の発展で輸送量が増加すると、旅客輸送の多い名鉄常滑線を経由するこのルートでは、輸送に支障が出ることが予想されるようになった。

そのため、操車場を名古屋東港に設けて東海道本線笠寺駅へ直接接続する臨海鉄道の計画が持ち上がった。こうして、国鉄と名古屋港管理組合の共同で1965年に設立されたのが名古屋臨海鉄道で、日本で3番目の例となるものであった。なお、この開業に伴い名鉄は減収になることが予想されたため、見返りとしてこの年から国鉄高山本線との直通運転を開始している(名鉄キハ8000系気動車高山本線直通列車の項目も参照)。

同年中に路線の一部を完成させ、営業を開始した。その後、1974年には名鉄築港線における貨物輸送の大部分が譲渡され、残りも1984年実施の国鉄ダイヤ改正で国鉄の貨物輸送整理に伴い全面譲渡となり、築港線及び名鉄における貨物輸送は消滅した。

現在、大垣市にある西濃鉄道からの石灰石輸送や、合成会社からの化学製品輸送、名鉄の新車搬入(後述)などを行っている。また、2006年11月15日から名古屋南貨物駅 - 盛岡貨物ターミナル駅までトヨタ自動車の部品を輸送する貨物列車「TOYOTA LONGPASS EXPRESS」が新設された。

沿革

路線

2008年現在、5路線20.5kmを保有する。全て第1種鉄道事業の貨物専業。

輸送・収支実績

年度 貨物輸送数量(トン) 鉄道業営業収入(千円) 鉄道業営業費(千円)
1966 1,805,647
1970 2,304,156
1979 2,221,412 1,826,981 1,649,417
1980
1981
1982 1,843,127 1,774,716 1,639,746
1983
1984 1,664,878 1,534,324 1,558,167
1985 1,673,962 1,559,659 1,546,191
1986 1,549,720 1,644,294 1,591,744
1987 1,598,394 1,885,179 1,744,930
1988 1,489,549 1,681,105 1,679,229
1989 1,466,309 1,697,484 1,699,667
1990 1,429,208 1,647,173 1,673,642
1991 1,408,634 1,721,066 1,780,190
1992 1,342,286 1,632,785 1,699,918
1993 1,253,378 1,578,043 1,671,443
1994 1,263,576 1,575,478 1,604,719
1995 1,314,355 1,707,775 1,709,818
1996 1,246,513 1,758,431 1,728,382
1997 1,087,453 1,373,261 1,398,243
1998 1,018,412 1,388,710 1,383,545
1999 857,400 1,258,402 1,373,777
2000 887,906 1,266,307 1,399,232
2001 847,036 1,162,171 1,320,910
2002 757,773 1,045,539 1,196,644
2003 770,958 949,625 1,006,490
2004 773,935 931,353 1,013,041
  • 私鉄統計年報1966.1970年、民鉄主要統計『年鑑世界の鉄道』1983年『年鑑日本の鉄道』1985年、1987年-2007年

車両

ND60 2
ND552 5
ND552 15

現有車両

2013年(平成25年)4月時点で、ND60形2両とND552形8両のディーゼル機関車計10両、ワ1形貨車1両が在籍している[1]

ND60形 (ND60 1 - 2)
自重60トンのディーゼル機関車。2008年(平成20年)3月に1号機、2010年(平成22年)5月に2号機がそれぞれ登場した。メーカーは日本車輌製造(日本車輌)。560psエンジンを2基搭載。
ND552形・自社発注機 (ND552 1 - 3, 5 - 10)
国鉄DD13形タイプの55トン機である。500psのエンジンを2基搭載。1965年(昭和40年)から1974年(昭和49年)にかけて導入された自社発注機で、台車前照灯など細部がDD13形と異なる。計9両在籍したが、1995年(平成7年)、2003年(平成15年)、2008年(平成20年)、2012年(平成24年)にそれぞれ1両ずつ廃車され残りは5両 (ND552 3, 7 - 10) である。メーカーは日本車輌製造または汽車製造
ND552形・国鉄DD13形譲受機 (ND552 11 - 13, 15 - 19)
ND552形は1980年(昭和55年)より国鉄からDD13形を譲り受ける形で再び増備され、1988年(平成元年)までに計8両が追加された。1986年(昭和61年)に1両が廃車され、2000年(平成12年)以降に計4両廃車されたため残りは3両 (ND552 13, 15, 16) である。
ワ1形
有蓋貨車。1両(ワ1)が在籍。救援車である[1]1966年(昭和41年)に三岐鉄道から譲り受けた[2]

かつて在籍した車両

ND551形 (ND551 1)
1965年(昭和40年)8月の開業にあわせて、貨物列車牽引・入換作業用に導入された[3]。元は国鉄のDD93形 (DD93 1) である[4]1960年(昭和35年)に日本車輌が製造[4]、国鉄が試用した後、エンジンをDML61S形(1基搭載)に交換した上で転入してきた[5]1972年(昭和47年)6月廃車[6]。自重55トン[4]
NB25形 (NB25 1)
日本車輌製の25トン機である[7]東港駅および昭和町駅での入換作業用として1965年(昭和40年)8月の開業時に導入された[3]。入換作業時のブレーキ力不足のため翌1966年(昭和41年)5月に廃車、日本車輌に返却された[8]
ND35形 (ND35 1 - 3, 11)
日本車輌製[4]の35トン機で、300psのエンジンを1機搭載する[2]
1号機はNB25形の代替で[9][2]、1966年(昭和41年)4月に製造された[6]。続いて1970年(昭和45年)12月に2号機、1972年4月に3号機がそれぞれ製造された[6]。1号機と3号機については1975年(昭和50年)4月に名古屋臨海通運に売却され[4]知多駅での入換作業用となった[9]。3両とも1997年(平成9年)4月に廃車[4]
11号機は1969年(昭和44年)6月に製造された[6]日本通運(日通)の所有で、汐見町駅の入換作業用である[2]。1997年(平成9年)4月に廃車[4]
DB9形 (DB9)
1957年(昭和32年)に加藤製作所が製造した15トン機である[4]。日通が所有し、元は名古屋鉄道(名鉄)に所属して九号地(港区潮見町)の入換作業に従事していたが、臨海鉄道開業に伴い日通所有のまま名古屋臨海鉄道に移籍、九号地にできた汐見町駅の入換作業用となった(下記のDB45、DB51、DB81、DC61の4両も同様)[10]。1970年(昭和45年)9月廃車[6]
DB45形 (DB45)
1960年(昭和35年)に日本輸送機が製造した20トン機である[4]。150psのエンジンを1基搭載[2]1983年(昭和58年)5月廃車[4]
DB50形 (DB51)
1961年(昭和36年)に加藤製作所が製造した20トン機である[4]。200psのエンジンを1基搭載[2]1989年(平成元年)3月廃車[4]
DB80形 (DB81)
1964年(昭和39年)に日立製作所が製造した25トン機である[4]。180psのエンジンを1基搭載[2]。1986年(昭和61年)4月廃車[4]
DC60形 (DC61)
1962年(昭和37年)に加藤製作所が製造した25トン機である[4]。180psのエンジンを1基搭載[2]1994年(平成6年)10月廃車[4]

名鉄新車搬入

名鉄における新車搬入は、製造元である日本車輌製造豊川製作所より国鉄 - JR線を経由して行われてきたが、かつて本線系統の車両は東海道本線熱田駅から、瀬戸線の車両は中央本線大曽根駅から名鉄線への連絡線を通じて行っていた。

しかし国鉄末期の合理化や、大曽根駅の高架化に伴って、名古屋臨海鉄道経由に新車搬入のルートが変更された。現在の本線系統車両の搬入ルートは下記の通りである。

豊川製作所 - 豊川駅 - (飯田線) - 豊橋駅 - (東海道本線) - 笠寺駅 - (臨海鉄道東港線) - 東港駅 - (臨海鉄道東築線) - 名電築港駅 - 東名古屋港駅 - (名鉄築港線) - 大江駅

名鉄と相互乗り入れを実施している名古屋市交通局鶴舞線上飯田線、および同規格である桜通線の車両も上記のルートで名鉄線を介して搬入された。名鉄が(名古屋本線経由で)豊橋から直接車両を搬入しない理由は、新車運行手続き・整備に必要な検車区が豊橋にないこと、名古屋本線における営業時間内の甲種輸送が法的に認められていないこと、営業時間外であっても名鉄に所属する電気機関車がいずれも非力で、かつ名古屋本線の国府 - 岡崎間では急勾配が続くため牽引による搬入が不適なことによる。

なお、日本車輌製造の海外輸出車両も東名古屋港駅までは同様のルートで運ばれ、その先にある岸壁から船に積み込まれる。また瀬戸線の車両の場合は、東名古屋港駅岸壁の海外輸出用の留置線で車輪をタイヤに履き替え、トレーラーにより尾張旭駅の留置線まで輸送している。さらに、名鉄車両の他社搬出の場合もこのルートが逆方向で使用され、近年では豊橋鉄道への7300系会津鉄道へのキハ8500系譲渡時に実績がある。

受託業務

JR貨物から以下の駅における業務を受託している[11]

また、名古屋鉄道から築港線の貨物列車(新車搬入、レールその他の資材搬入など)運行を受託している。

脚注

  1. ^ a b ジェーアールアール(編)『私鉄車両編成表』2013、交通新聞社、2013年、p111
  2. ^ a b c d e f g h 『十五年のあゆみ』、p110
  3. ^ a b 名古屋臨海鉄道(編)『十五年のあゆみ』、名古屋臨海鉄道、1981年、p36
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 岩堀春夫 『名古屋臨海鉄道』、ないねん出版、2003年、p68
  5. ^ 『名古屋臨海鉄道』、p46
  6. ^ a b c d e 『十五年のあゆみ』、p155
  7. ^ 『名古屋臨海鉄道』、p44,68
  8. ^ 『十五年のあゆみ』、p110,155
  9. ^ a b 『名古屋臨海鉄道』、p45
  10. ^ 『十五年のあゆみ』、p27,36
  11. ^ 名古屋臨海鉄道 事業案内

外部リンク