南部弁

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南部弁(なんぶべん)は、江戸時代南部氏が治めた盛岡藩および八戸藩にあたる地域(南部地方)の方言東北方言の一つであり、北奥羽方言に分類される。

南部氏の知行域は、青森県の東半分と岩手県の北部および中部に秋田県の北東部の一角を加えた広大なものであり、かつ、山脈などの自然障壁による隔絶や、西廻海運東廻海運などの海を介した交流によって地域差が大きい。また、上記3県各々で「南部弁」という場合は、自県内の南部弁を指すため、狭義の南部弁はどの県民が言うかで定義は異なる。

画像外部リンク
南部氏領(盛岡藩八戸藩
黄色が盛岡藩領(+七戸藩領)
ピンク色が八戸藩領

八戸市博物館八戸藩の誕生」)

話される地域

青森県

青森県
緑 : 南部地方(南部弁)
白 : 津軽地方津軽弁

青森県の西半分は津軽氏が治めた津軽藩であり、津軽弁が話されている。一方、同県の東半分は南部氏が治めた八戸藩と盛岡藩とで占められ、南部弁が話されている。

青森県内の南部弁を分類する場合、八戸・盛岡両藩の間の藩境は方言の境とされず、旧をもとに分類される。旧郡とは下北郡下北地方)・上北郡(上北地方)・三戸郡(三地方)の3郡であり、各々の方言は「下北方言」「上北方言」「三八方言」という。ただし、陸奥湾を行き交う船の往来により津軽弁から影響を受けた下北方言が、上北および三八の方言と差異が大きいことに着目し、下北方言を「下北弁」、上北および三八の方言を「南部弁(狭義)」のように分類する者もいる。

農村部から都市部へ人口が移動した現在では、この地域における人口集積地であり文化的中心でもある八戸市あるいは八戸都市圏の方言を八戸弁とする例も見られる。

岩手県

岩手県の北部および中部は南部氏が治めた八戸藩および盛岡藩が広がり、南部弁が話されている。一方、岩手県南部は伊達氏が治めた仙台藩および一関藩が広がり、仙台弁が話されている。ただし、岩手県内で南部氏領内の方言を南部弁というため、それにならって伊達氏領内の方言も「伊達弁」という例が見られる(宮城県内では仙台弁を伊達弁とは言わない)。南部氏と伊達氏の知行域の境界は、北上市内を通って東に向かい、遠野市の南辺を経て釜石市内を通って三陸海岸に至る。

岩手県内の南部弁を分類する場合、八戸・盛岡両藩の間の藩境は方言の境とされず、自然障壁によって分類される。すなわち、北上山地より西側の内陸部(岩手県中北部方言)と、三陸海岸沿岸部(岩手県沿岸部方言)とに大別される。

なお、盛岡藩の藩庁があった盛岡市では敬語表現が発達しており、他の南部弁とは切り離して盛岡弁と言う例も見られる。

秋田県

秋田県・鹿角地方
黄:鹿角市
緑:小坂町

秋田県の鹿角地方鹿角市小坂町)はかつて南部氏領であったため、鹿角地方の方言は他の秋田弁とは区別される。

発音

音声は他の東北方言と同じく裏日本式音韻をもつズーズー弁であるが、三陸海岸沿岸部はシとス、チとツ、ジとズの統合しない非ズーズー弁地帯となっている。

アクセントは大部分が北奥羽式アクセント(外輪東京式アクセントが母音の広狭の制限を受けた型)であるが、三陸海岸沿岸部では母音の広狭の制限を受けない外輪東京式アクセントとなっている。また岩手県洋野町種市ではアクセントが周囲から一拍前ずれしたような形で、一見すると京阪式に似ているアクセントが存在する。

文法・語法

全般に東日本方言の特徴を持つが、沿岸部では北前船の影響で京言葉に由来する表現もみられる。(「おおきに」など)。また下北半島上北三八に理由の接続助詞「さかい」に由来する「すけ」や「すて」がみられ、三陸中部には「けに」「けえ」がみられること[1]は、遠く西日本方言の影響が三陸にまで及んでいたことを示唆する。

その他

南部弁で「お母さん」の意味の「あっぱ」は仙台弁では「唖」の意味を指す。また、関連性は無いが、福井弁では「人糞」の意である。

脚注

  1. ^ [[1]]

関連項目