パラコート連続毒殺事件

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パラコート連続殺人事件
場所 日本の旗 日本各地
日付

1985年4月30日 (第1の死亡事件)から

1985年11月24日(第13の死亡事件)まで
攻撃手段 パラコート清涼飲料水に混入させる
攻撃側人数 不明
死亡者 13名
犯人 不明
動機 不明
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パラコート連続毒殺事件(パラコートれんぞくどくさつじけん)とは、1985年昭和60年)4月30日から11月24日の間に日本各地で連続発生した無差別毒殺事件である。何者かが除草剤パラコートなどを飲料に混入させ、13人を死亡させた。すべて2005年に公訴時効が成立した未解決事件[1]

概要

1985年4月30日から11月17日までにかけて、日本各地で自動販売機の付近や商品受け取り口に、農薬毒物であるパラコートなどを混入した清涼飲料水が何者かによって置かれた。第三者がそれらを「取り出し忘れの商品を幸運にも見つけた」と判断し、飲んでしまったことで命を落とした[1]

当時は監視カメラも少なく、物的証拠もほとんど存在しなかったため、犯人は特定されないまま迷宮入りした[1]。したがって、一連の事件が同一人物による犯行であったのかどうかは不明である。

半年あまりの期間中、関連が疑われる事件で少なくとも13人が死亡[1]、また模倣犯および自作自演による事件も起こった。

背景

青酸コーラ殺人事件による影響

歴史学者濱田浩一郎によれば、本事件の8年前である1977年(昭和52年)に発生した青酸コーラ無差別殺人事件を受けて、自動販売機で販売される飲料は、開封済みかどうかを一見して判別できる構造へと改良されていったという[1]

例えば、入りの飲料は、初めて開封する際に封印のためのリング状の部分がちぎれて落ちる構造へと切り替わった。また入りの飲料は、一度開けると戻せなくなるプルトップ式の構造となった[1]

しかし、本事件の当時はいまだこの変更の移行期間であり[1]、社会的にも開封・未開封を判別する手段や意義が充分に浸透していなかった。また、先例の青酸コーラ無差別殺人事件が東京大阪といった大都市で発生したのに対して、本事件は比較的郊外で牧歌的な社会風土が残っていた地域での被害が多かった。

パラコートの取り扱い

パラコートを含有する除草剤は1965年(昭和40年)に日本国内で発売された[2]。1985年当時、24%濃度の液剤の形で市販されており、18歳以上で印鑑さえ持参すれば農協で買うことができた[1]。つまり実質的に誰でも入手することができたということである。

液剤の経口致死量は成人で8mL〜16mL程度であった[2]解毒剤は存在しない[1]

事件の推移

すべて1985年。年齢は、すべて当時のもの。

確認されている犠牲者

全13件。死者は13名。

混入先となった飲料は、『オロナミンC』6件、『コカ・コーラ』2件、『リアルゴールド』2件、不明2件。混入毒物はパラコートがほとんだったが、1件のみ別の除草剤であるジクワットが使用された。

いずれも自販機(自動販売機)付近に置いてあった清涼飲料水に、毒物が混入されていた。商品取り出し口への設置が最も多かったが、自販機の上や下に置かれていた事例もあった。

4月30日、広島県福山市の自販機
トラック運転手(45歳)がドリンクを購入した際、自販機の上に置かれていた[1]オロナミンCを飲んだ。
2日後の5月2日に死亡。運転手の嘔吐物からパラコートが検出され、毒殺と判明した[1]
9月11日大阪府泉佐野市の自販機
男性(52歳)が釣りから帰る途中、オロナミンCを購入。取り出し口にすでに同じ商品があることに気づき、2本とも持ち帰る。
帰宅後に飲み、9月14日に死亡。飲み残しのオロナミンCからパラコートを検出。
9月12日三重県松阪市の自販機
大学生(22歳)が、自宅近くで気づき、2本とも持ち帰る。
帰宅後に飲み、14日に死亡。検出された毒物はジクワット
9月19日福井県今立郡今立町(現:越前市)の自販機
男性(30歳)が自販機の下にあったコーラを飲んだところ、気分不調を訴えて病院に駆け込んだ。
9月22日に死亡。胃洗浄、飲み残したコーラの両方から、パラコートを検出。
9月20日宮崎県都城市の自販機
男性(当時45歳)が自販機で飲み物を買おうとして、取り出し口にリアルゴールドが2本あるのを見つけて持ち帰る。
帰宅後に飲んだところ、気分不調を訴える。9月22日に死亡。飲み残したリアルゴールドから、パラコートを検出。
9月23日、大阪府羽曳野市の自販機
男性(50歳)が飲み物を買おうとして、取り出し口にオロナミンCを2本見つけ、持ち帰る。
9月25日の午前中に飲む。翌日に容態が急変し、10月7日に死亡。
10月5日埼玉県鴻巣市の自販機
男性(44歳)が飲み物を買おうとして、取り出し口にオロナミンCが2本あるのを見つけて持ち帰る。
翌日飲み、10月21日に死亡。飲み残しのオロナミンCよりパラコート検出。
10月15日奈良県橿原市の自販機
男性(69歳)が、取り出し口にドリンクが2本あるのに気づき、持ち帰る。
帰宅後に飲み、11月13日に死亡。飲み残しのドリンクからパラコート検出。
10月21日宮城県
男性(55歳)が同様に死亡。
10月28日、大阪府河内長野市の自販機
男性(50歳)が、取り出し口のオロナミンCを見つけて飲み、死亡。
11月7日、埼玉県浦和市(現:さいたま市)の自販機
男性(42歳)がオロナミンCを購入。取り出し口に2本あることに気づき、両方とも持ち帰る。
帰宅後に飲み、11月16日に死亡。
11月17日、埼玉県児玉郡の自販機
女子高校生(17歳)がドリンクを購入した際、取り出し口にあったコーラを見つけて持ち帰る。
コーラを飲んだ一週間後に死亡。飲み残しのコーラからパラコート検出。
  • この時は、業者から「事件についての注意書き」が自販機にしてあった。
11月24日石川県金沢市の自販機
男性(25歳)が牛乳を購入した際、取り出し口にあったコーヒー牛乳を見つけて持ち帰る。
コーヒー牛乳を飲んだ47日後に死亡。飲み残しからパラコート検出。

事件を受け、オロナミンCを販売する大塚製薬は、容器の形状をねじ回し方式からプルトップ方式に改良した。類似品のミンナミンCドリンク、リアルゴールドに関しては変更無し。

自殺の可能性もある犠牲者

7月11日京都府福知山市
男性(48歳)がパラコート入りのドリンクを飲み、死亡。

模倣犯

いずれも東京都内。死者はなし。

9月17日港区
画廊に勤める女性(34歳)が、画廊の経営者と支店長に青酸化合物入りのコーヒーを飲ませ殺害を図ったが、未遂に終わり、逮捕された。
女性は会社の金を使い込んでおり、犯行が発覚するのを恐れたため、犯行に及んだ。
9月25日世田谷区上北沢の自販機
ドリンクを飲んだ大学生が、「変な味がする」と警察に訴える。
石灰硫黄合剤が含まれていたことが判明。犯人は不明。
9月27日北区の自販機
ドリンクを飲んだ女性(44歳)が、「変な味がする」と警察に訴える。
石灰硫黄合剤が含まれていたことが判明。犯人は不明。

自作自演

9月27日東大阪市の自販機
中学生が、ドリンクを飲んで「変な味がする」と警察に訴えて入院。
のちに、自らが殺虫剤を混入して飲んだことが判明。
動機は、「連続事件の犠牲者として入院すれば、同情したクラスメイトらが見舞いに来てくれると思った」というもの。
9月30日福井県の自販機
男性(22歳)が、「変な味がする」と警察に訴える。
自らが殺虫剤を混入していたことが発覚し、逮捕される。
12月11日群馬県沼田市の自販機
ドリンクを飲んだ中学生が、混入していたパラコートにより倒れる。
後に、自ら飲む寸前にパラコートを入れ、自殺を図っていたことが判明。
12月31日、男性(23歳)が、パラコートをわざと飲食店の飲み物に混入させた。
男性はその会社を倒産させ、発覚した後に逮捕された。「その会社に恨みがあって復讐をしてやりたかった」と言う。

捜査

影響

1986年昭和61年)、パラコートの毒性を軽減する目的でジクワットとの混合製剤が発売された。以降、パラコート中毒者数は急激に減少したが、2005年平成17年)4月時点でも日本国内の農薬中毒による死亡者の約40 %を占めていた[2]

以後の類似事件

2019年、秋田県横手市の自販機

2019年令和1年)11月13日午後6時ごろ、同じく日本の秋田県横手市増田町の雑貨店前に設置された自動販売機から30代の男性が缶ビールを購入した際、買ったものとは別に、異なる銘柄の缶ビールがすでに取り出し口に入っていたことに気づいた[3][4]

男性は店主に報告し、店主が確認したところ、缶の底面には直径1〜2ミリメートル程度の穴が空いており、穴から内容液が漏れ出していた[3]。穴の周囲には青い固体が付着していた[3]。ふたを開けて中身を注ぐと、通常のビールと異なり、青い色だったという[3]。店主は一週間後の11月20日、空になった缶を近所の交番に届け出た[3][4]

秋田県警察が缶を調べたところ、11月29日に「パラコートが検出された」と発表した[3]。県警の横手署は「何者かが意図的に農薬を注入した」と考え、威力業務妨害の容疑などで捜査するとともに、「不審物を発見した際は絶対に口にせず、警察へ届け出て」と注意喚起を行った[3]

なお、当時パラコートはすでに「毒物」に指定されており、一般的には入手することは難しかった[4]

脚注

関連書籍

  • 永寿日郎『液体殺人 連続毒ドリンク事件』(太田出版、2000年)

関連項目