シオニズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yqm (会話 | 投稿記録) による 2016年3月2日 (水) 11:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ひらがなの「へ」→カタカナの「ヘ」)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

シオニズムヘブライ語: ציונות‎, Zionism)は、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュイスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動。後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがある。「シオン」(エルサレム市街の丘の名前、英語ではザイオン)の地に帰るという意味である。

概説

アラブ衣装をまとったビルーメンバー

シオニズムという呼称は、1890年代、オーストリアの同化ユダヤ人であるナータン・ビルンバウムにより考案された[1]

ユダヤ人への冤罪であるドレフュス事件を取材していたオーストリア人記者テオドール・ヘルツルは、ユダヤ人自ら国家を建設し諸外国に承認させることを訴える。そして1897年バーゼルで第1回シオニスト会議を主宰。後にヘルツルは建国の父といわれる。1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言が出される。1947年に国連によるパレスチナ分割決議を経て、1948年イスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。

シオニズムの運動に全てのユダヤ人・ユダヤ教指導者が賛同したわけではなく、西欧社会で確固とした地位をえているユダヤ人(特にディアスポラの傾向を示す改革派など。「西方ユダヤ人」とも呼ばれる)の中には関心を寄せない者もいた。また、伝統的なユダヤ教徒には、メシアによるイスラエルの再建というヤハウェの約束を信じてきた観点から、シオニズムをユダヤ教のメシア信仰に対する裏切りであるとみなし、反対する者が多かった。核心が政治的なもの、あるいは「民族的なもの」なのか(この場合、ユダヤ人を「民族」として定義する傾向が強まる)、宗教的なものなのか、様々な解釈の違いもある。

努力を尽くしたシオニズム運動の成果によって、世界中のユダヤ教徒の置かれていた異常な事態からは解放され、大きな宗教的、文化的、精神的、民衆的帰属先を持つことができ、ユダヤ人にとって、建国の形はどうであれ、これは何物にも代え難い大きな喜びであった。

ヘブライ語の復興はシオニズム運動の大きな成果の一つといえる。イディッシュ語ドイツ語を公用語にしようとする計画もあったが、ホロコーストによってその望みは断たれた。

シオニズムに対する批判

年表

シオニズム指導者とアラブ民族指導者の言葉

ハイム・ヴァイツマンファイサル・フサイニー
  • 「私はユダヤ教徒(ユダヤ人)であり、シオニストである。私にとってこの二つは切り離せない一つの拠り所である。またこれが、歴史的なユダヤ教の立場であるとも考えている」―ラビ・エマニュエル・ラックマン
  • 「私達アラブ人、特に教育と知識のある者は、シオニズム運動に対して心から共感を覚え、見守っている。(中略)私達アラブ人は、ユダヤ人帰還者を心から歓迎する。我々は改革され、更に改善された中東社会を求め、共に働くつもりである。二つの運動は、相補的であり、また民族的であり、帝国主義的なものとは無縁である。シリアには二つの民族が共存できる余地がある。実際に、どちらか一方が存在しなければ、これは成功する運動ではない。(中略)私は、私の民族と全く同じように、我々が支持しあうようになろう将来を、楽しみに待っている」―ファイサル1世 (イラク王)からフェリックス・フランクファーターへ 1919年3月3日
  • 「我々は、ユダヤ人が、ロシア・ドイツ・オーストリア・スペイン・アメリカなど外国から、パレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」―ヨルダン国王・フセイン1世

参考資料

  • ラビ・アーサー・ハーツバーグ:"The Zionist Idea" (「シオニストの思想」) ― 代表的シオニズム思想・理論家の著作集
  • アブラハム・J・ヘシェル『イスラエル 永遠のこだま』石谷尚子訳、ミルトス、1996年1月。ISBN 4-89586-127-9 
  • ウリ・ラーナンほか『イスラエル現代史』滝川義人訳、明石書店〈世界歴史叢書〉、2004年3月。ISBN 4-7503-1862-0 
  • テオドール・ヘルツル『ユダヤ人国家 ユダヤ人問題の現代的解決の試み』佐藤康彦訳、法政大学出版局、1991年5月。ISBN 4-588-00330-5 
  • モーリス・フリードマン『評伝マルティン・ブーバー 狭い尾根での出会い』 上・下、黒沼凱夫河合一充訳、ミルトス、2000年12月。ISBN 4-89586-144-9 ISBN 4-89586-145-7 
  • メイヤ・レヴィン『イスラエル建国物語』岳真也武者圭子訳、ミルトス、1989年6月。ISBN 4-89586-106-6 

人物年譜

関連項目

出典

  1. ^ ヤコヴ・M・ラブキン著『イスラエルとは何か』平凡社新書、46頁

外部リンク