PFC CSKAモスクワ
PFC CSKAモスクワ | ||||
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原語表記 | Профессиональный футбольный клуб ЦСКА | |||
愛称 | кони (馬)、красно-синие (赤青)、армейцы(軍人) | |||
クラブカラー | 青と赤 | |||
創設年 | 1911年 | |||
所属リーグ | ロシア・プレミアリーグ | |||
所属ディビジョン | 1部 | |||
ホームタウン | モスクワ | |||
ホームスタジアム | アレナCSKA | |||
収容人数 | 30,457 | |||
代表者 | エフゲニ・ギネル[1][2] | |||
監督 | アレクセイ・ベレズツキー | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
PFC CSKAモスクワ(露: Профессиональный футбольный клуб – ЦСКА、英: Professional Football Club CSKA)[3]は、ロシア・モスクワを本拠地とするプロサッカークラブ。ロシア国外ではCSKAモスクワ(CSKA Moscow)または単にCSKA(ЦСКА, 発音 [tsɛ ɛs ˈka][4])として知られる。
サッカー以外にもアイスホッケー、バスケットボール部門が世界的に有名である。
歴史
[編集]1911年に創立されたスキースポーツ愛好者協会 (OLLS) がクラブの前身。サッカー部門も同年に作られた[5]。1923年に赤軍のスポーツクラブとして改組され[6]、数度の名称変更を経て1960年に現在のCSKAの名に落ち着いた。
最初の黄金期は1940年代後半から1950年代初頭に訪れた。クラブはこの時期にリーグに5回、カップに4回優勝した。ソ連の国際スポーツへの復帰となった1952年のヘルシンキオリンピックでも代表チームの殆どはCDSAの選手により構成された。だがソ連は1回戦のユーゴスラビア戦で再試合の末に敗れた。当時すでにソ連と険悪な関係にあったユーゴに敗北した事実は政府上層部の不興を買い、CDSAは解散の憂き目にあった[7]。クラブが復活したのは1954年。以後はタイトルに縁遠いクラブとなったが、ソ連最後のシーズンとなった1991年にはリーグとカップのダブルを達成している。
1967年には、来日したCSKAモスクワと日本代表が初めて試合をした。その結果、1試合目は2-2の引き分け、2試合目は0-2で日本代表が完敗した。
クラブは2000年代に入ってから再度の黄金期を迎えている。2003年からは石油製造・精製企業のシブネフチ、2006年からはそれに代わりVTB(ロシア対外貿易銀行)と巨額のスポンサー契約を結んだ[8]。潤沢な資金をバックに積極的な選手補強を行っている。2004年にはUEFAカップに優勝して、ロシアのクラブとして初の欧州タイトルを獲得した。2009-2010シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではセビージャFCを撃破し、クラブ史上初のベスト8進出を果たした。
ライバル
[編集]CSKAモスクワの最大のライバルはFCスパルタク・モスクワである[9]。他にFCゼニト・サンクトペテルブルク、そして同じモスクワを本拠地とするFCロコモティフ・モスクワ、FCディナモ・モスクワともライバル関係がある。
2012年9月、マーケティングリサーチ会社のAC Nielsenがロシア国内の38都市で延べ1万9千人から「何処のファンか」問うたところ、全体の3位である13%がCSKAのファンだと答えた[10]。
クラブ名の遍歴
[編集]- 1911 - 1923 OLLS (ОЛЛС)
- 1923 - 1928 OPPV (ОППВ)
- 1928 - 1951 CDKA (ЦДКА)
- 1951 - 1957 CDSA (ЦДСА)
- 1957 - 1960 CSK MO (ЦСК МО)
- 1960 - 現 在 CSKA (ЦСКА)
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- ロシア・プレミアリーグ: 6回
- 2003, 2005, 2006, 2012-13, 2013-14, 2015-16
- ロシア・カップ: 7回
- 2001, 2004, 2005, 2007, 2008, 2010, 2012-13
- ロシア・スーパーカップ: 7回
- 2004, 2006, 2007, 2009, 2013, 2014, 2018
- 旧ソ連リーグ: 7回
- 1946, 1947, 1948, 1950, 1951, 1970, 1991
- 旧ソ連カップ: 5回
- 1948, 1948, 1951, 1955, 1991
国際タイトル
[編集]- UEFAカップ: 1回
- 2004-2005
- チャンネル・ワン・カップ: 1回
- 2007
- コパ・デル・ソル: 1回
- 2010
過去の成績
[編集]シーズン ディヴィジョン 順位 試 勝 分 敗 得 失 点 国内カップ 欧州カップ戦 備考 1992 プレミア 5 26 13 7 6 46 29 33 準優勝 ECL グループリーグ 1993 プレミア 9 34 12 6 16 43 45 42 準優勝 1994 プレミア 10 30 8 10 12 30 32 26 ベスト16 CWC 準々決勝敗退 1995 プレミア 6 30 16 5 9 56 34 53 準々決勝敗退 1996 プレミア 5 34 20 6 8 58 35 66 ベスト16 UC ベスト64 1997 プレミア 12 34 11 9 14 31 42 42 準々決勝敗退 1998 プレミア 2 30 17 5 8 50 22 56 準決勝敗退 1999 プレミア 3 30 15 10 5 56 29 55 準優勝 ECL 予選2回戦 2000 プレミア 8 30 12 5 13 45 39 41 ベスト16 UC 1回戦 2001 プレミア 7 30 12 11 7 39 30 47 優勝 2002 プレミア 2 30 21 3 6 60 27 66 ベスト32 UC 2回戦 2003 プレミア 1 30 17 8 5 56 32 59 準々決勝敗退 ECL 予選2回戦 2004 プレミア 2 30 17 9 4 53 22 60 優勝 ECL
グループリーグ UC 優勝 2005 プレミア 1 30 18 8 4 48 20 62 優勝 UC グループリーグ 2006 プレミア 1 30 17 7 6 47 28 58 ベスト16 ECL グループリーグ UC ベスト32 2007 プレミア 3 30 14 11 5 43 24 53 優勝 ECL グループリーグ 2008 プレミア 2 30 16 8 6 53 24 56 優勝 UC ベスト16 2009 プレミア 5 30 16 4 10 48 30 52 ベスト32 ECL 準々決勝敗退 2010 プレミア 2 30 18 8 4 51 22 62 優勝 EL ベスト16 2011-12 プレミア 3 44 19 9 16 72 47 73 ベスト16 CL ベスト16 2012-13 プレミア 1 30 20 4 6 49 25 64 優勝 EL プレーオフ 2013-14 プレミア 1 30 20 4 6 49 26 64 準決勝敗退 CL グループリーグ 2014-15 プレミア 2 30 19 3 8 67 27 60 準決勝敗退 CL グループリーグ 2015-16 プレミア 1 30 20 5 5 51 25 65 準優勝 CL グループリーグ 2016-17 プレミア 2 30 18 8 4 47 15 62 ベスト32 CL グループリーグ 2017-18 プレミア 2 30 17 7 6 49 23 58 5回戦敗退 CL グループリーグ EL 準々決勝敗退 2018-19 プレミア 4 30 14 9 7 46 23 51 ベスト32 CL グループリーグ 2019-20 プレミア 4 30 14 8 8 43 29 50 準々決勝敗退 EL グループリーグ 2020-21 プレミア 6 30 15 5 10 51 33 50 準々決勝敗退 EL グループリーグ
現所属メンバー
[編集]- 2019-20シーズン フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権を示す。
ローン移籍
[編集]- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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永久欠番
[編集]- 16 セルゲイ・ペルフン
- 2001年8月19日、FCアンジ・マハチカラ戦で相手FWと激しく頭をぶつけ合い、昏睡状態に陥り、脳内出血のため、23歳で亡くなった。彼の功績を称えて16番を永久欠番に指定した。
歴代監督
[編集]- パヴェル・サディリン 1992, 1997-1998, 2000-2001
- ゲンナディ・コスティレフ 1992-1993
- ボリス・コペイキン 1993-1994
- アレクサンデル・タルハノフ 1994-1996
- オレグ・ドルマトフ 1998-2000
- アレクサンデル・クズネツォフ 2001
- ヴァレリー・ガザエフ 2001-2003, 2004-2008
- アルトゥール・ジョルジェ 2004
- ジーコ 2009
- ファンデ・ラモス 2009.9-2009.10
- レオニード・スルツキー 2009.10-2016.12
- ヴィクトル・ゴンチャレンコ 2016.12-2021.3
- イヴィツァ・オリッチ 2021.3-2021.6
- アレクセイ・ベレズツキー 2021.7-
歴代所属選手
[編集]GK
[編集]- ヴェニアミン・マンドリキン 2002-2010
- ルスラン・ニグマトゥーリン 2002
- イゴール・アキンフェエフ 2003-
- ウラジーミル・ガブロフ 2004-2006, 2011
- ソスラン・ジャナエフ 2005-2006
- エフゲニー・ポマザン 2007-2011
- セルゲイ・チェプチュゴフ 2010-2017
- 申宜孫 1981-1982
- セルゲイ・ペルフン 2001
DF
[編集]- アリベルト・シェステルニョフ 1959-1972
- ドミートリー・センニコフ 1998
- デニス・エフシコフ 1999-2003
- アレクセイ・ベレズツキー 2001-2018
- アンドレイ・ソロマティン 2001-2003
- ヴァシリ・ベレズツキー 2002-2018
- ヴャチェスラフ・ダイェフ 2002
- イヴァン・タラノフ 2003-2008
- セルゲイ・イグナシェヴィッチ 2004-2018
- アントン・グリゴリエフ 2004-2010
- ゲオルギ・シュチェンニコフ 2008-
- キリル・ナバブキン 2010-
- ヴィクトル・ヴァシン 2011-
- マリオ・フェルナンデス 2012-
- ホルドゥル・マグヌソン 2018-
- デイヴィダス・シェンベラス 2002-2012
- シディ・オディア 2004-2012
MF
[編集]- ヴァレリー・カルピン 1986-1989
- ウラディスラフ・ラディモフ 1992-1996
- ドミトリー・ホフロフ 1993-1996
- セルゲイ・セマク 1994-2004
- イーゴリ・セムショフ 1996-1997
- ロラン・グセフ 2002-2008
- エフゲニ・アルドニン 2004-2013
- ユーリ・ジルコフ 2004-2009
- レナト・ヤンバエフ 2004
- パヴェル・ママエフ 2007-2013
- アラン・ジャゴエフ 2007-
- アレクサンドル・ゴロビン 2014-2018
- オスマル・フェレイラ 2004-2006
- エルヴィル・ラヒミッチ 2001-2014
- ダニエウ・カルヴァーリョ 2004-2009
- ドゥドゥ 2005-2008
- ゲオルギ・ミラノフ 2013-2018
- マルク・ゴンサレス 2009-2014
- イジー・ヤロシーク 2003-2005
- ルボシュ・カロウダ 2008-2012
- ニコラ・ヴラシッチ 2018-
- ビブラス・ナトホ 2014-2018
- 本田圭佑 2010-2013
- 金寅成 2012
- アレクサンドルス・カウナ 2011-2017
- アーメド・ムサ 2012-2016、2018
- ミロシュ・クラシッチ 2004-2010
- ゾラン・トシッチ 2010-2017
- ポントゥス・ヴェアンブローム 2012-2018
- ラスムス・エルム 2012-2015.1
- シュテフェン・ツバー 2013-2014
- ジャネル・エルキン 2007-2010
FW
[編集]- グリゴリー・フェドートフ 1938-1949
- フセヴォロド・ボブロフ 1945-1949
- ウラジーミル・フェドートフ 1960-1975
- ゲオルギー・ヤルツェフ 1970
- デニス・ポポフ 2001-2004
- ドミートリー・キリチェンコ 2002-2004
- キリル・パンチェンコ 2014-2017
- ヴァギフ・ジャヴァドフ 2006-2007
- ヴァグネル・ラヴ 2004-2011, 2013.1-2013.8
- ジョー 2005-2008
- リカルド・ジェスス 2008-2014
- ギリェルメ 2009-2010
- ヴィチーニョ 2013-2018
- ドゥンビア・セイドゥ 2010-2015
- イヴィツァ・オリッチ 2003-2007
- トマーシュ・ネツィド 2009-2015
- 西村拓真 2018-2021
- セク・オリセー 2009-2015
- エドガラス・ヤンカウスカス 1996
- ウウォ・ムサ・マーズ 2009-2012
- ピーター・オデムウィンギー 1998-1999
- ダヴィド・ヤンチク 2007-2011
- アレクサンドル・ゲインリフ 2003-2004
脚注
[編集]- ^ Jemberga, Sanita (2 May 2017). “Latvian financier said to act as a go-between to get Russian loan for Le Pen”. Re:Baltica (rebaltica.lv) 21 July 2021閲覧. "Yevgeni Giner's son Vadim is the legal owner of CSKA."
- ^ Грузинова, Ирина; Васильев, Иван; Петрова, Ольга (31 July 2016). “На чем зарабатывает президент ЦСКА Евгений Гинер: "Новые Лужники", новые офисы, СП с госкомпаниями, но главный актив – хорошая репутация [What makes the president of CSKA Evgeny Giner: "Novye Luzhniki", new offices, a joint venture with state-owned companies, but the main asset is a good reputation]” (ロシア語). Vedomosti 21 July 2021閲覧。
- ^ CSKAは地上軍(陸軍)中央スポーツクラブ (露: Центральный спортивный клуб армии) の頭文字をとったもの以前は、軍傘下のスポーツクラブであったが現在では軍との関係は無く独立したクラブとなっており名称だけ前身の名残が残っている。
- ^ 日本ではチェスカ、ツェーエスカーなどと読まれる。
- ^ “FOOTBALL PLAYERS (1911-1917)”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2005年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月28日閲覧。
- ^ “UNDER THE FLAG OF VSEVOBUCH (UNIVERSAL MILITARY TRAINING) (1923-1927)”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2005年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月28日閲覧。
- ^ “Devastation”. PFC CSKAモスクワ公式サイト. 2005年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月28日閲覧。
- ^ “VTB to Sign $20M Sponsor Deal With CSKA”. The Moscow Times (2006年1月24日). 2006年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月28日閲覧。
- ^ http://www.fifa.com/classicfootball/stories/classicderby/news/newsid=1083553.html
- ^ 12,600,000 Russians support Zenit!
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- CSKAモスクワ公式サイト -
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