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(かく、英語: case)とは、典型的には、名詞に付与されて、その名詞を含む句が持つ意味的・統語的な関係を示す標識の体系で[1]、名詞の語形を決める文法範疇・素性の一つである[2]

換言すると、典型的な格とは、名詞の形を変えることによって、主語目的語といった統語的関係や、行為の行なわれる場所・物体の所有者といった意味的関係をその名詞を含む句が持っていることを表すマークである。

典型的な格[編集]

ラテン語やトルコ語のように、名詞の形の変化(語形変化)によってを格をマークするシステムがもっとも代表的な例であり、これについては、ほとんどの言語学者が格と呼ぶことに同意している[3]

名詞の語形変化による格標示の例
homo「人」の格変化(ラテン語
主格 homo
属格 homin-is
与格 homin-i
対格 homin-em
奪格 homin-e
adam「人」の格変化(トルコ語
主格 adam
属格 adam-ın
与格 adam-a
対格 adam-ı
奪格 adam-dan
処格 adam-da

このような語形変化のほかにも名詞句が持つ意味的・統語的関係を標示する体系はいろいろ存在する。しかし、そのような体系のどこまでを格として捉えるかは言語学者によって異なる。

典型的でない格[編集]

前置詞や後置詞などの接置詞は分析的な格の標識と考えることができる[4]

後置詞による格標示の例(日本語
太郎 花子 あげた
NOM DAT ACC
後置詞による格標示の例(バスク語
Jon =ek Miren =i liburu =a eman dio
ヨン =ERG ミレン =DAT =SG =ABS あげた
「ヨンがミレンに本をあげた」

これらに加えて、動詞の人称標示語順によって従属部である名詞句とその主要部の関係が表されることがある。

格は、主語目的語といった文法関係と混同されることもあるが、格と文法関係とは必ずしも対応しない。同様に、情報構造(話題など)や意味役割(動作者など)とも異なる。

例:

  • 太郎が次郎を殴った。
    太郎が: 主格、主語、動作者
    次郎を: 対格、目的語、被動者
  • 次郎が太郎に殴られた。
    次郎が: 主格、主語、被動者
    太郎に: 与格、補語、動作者
  • 太郎には弟がいる。
    太郎には: 与格、主語、所有者、主題
    弟が: 主格、目的語、所有物

同じような格でも、言語によって名前が異なることがある。「太郎が犬に水を与える」という文では、一般に「太郎が」は主格、「犬に」は与格、「水を」は対格と呼ばれるが、それぞれ「が格」、「に格」、「を格」と呼ばれることもある。格とは意味ではなく標識なのでこの呼び方は明確だが、他の言語との比較はできない。

格の標示[編集]

格は、名詞または名詞句にさまざまな方法で標示される。名詞の語形変化によって標示される場合、接頭辞接尾辞声調の変化、語幹の変化といった手段が用いられる。接語接置詞の場合には、前置詞、後置詞、中置詞がある。このうち最も多くの言語で用いられているのは接尾辞、次に多いのは後置詞である。

マシュー・ドライヤーが世界1032の言語について行なった調査によると、接尾辞によって格を標示する言語が452、後置詞によって標示する言語が123あった。

接頭辞による言語は38あった。アフリカ南部のバントゥー語族や北部のベルベル語派、インドネシアのスマトラ島周辺の言語、セイリッシュ語族などに見られる。

接頭辞による格標示の例(タマズィフト語
ičča u-ryaz aḵsum
食べる.PRF.3SG.M ERG-男
「男が肉を食べた」

声調の変化によるものが5、語幹の変化によるものが1あった。いずれもアフリカの言語である。

声調の変化による格標示の例(ナンディ語
a. kè:réi kípe:t la:kwé:t
見る.IPFV キペット.NOM 子供.OBL
「キペットが子供を見ている」
b. kè:réi kipe:t kípro:no
見る.IPFV キペット.OBL キプローノ.NOM
「キプローノがキペットを見ている」

格の研究史[編集]

ギリシア・ローマ[編集]

西洋における格概念は、古代ギリシアπτωσις(ptōsis)「プトーシス」にさかのぼる。プトーシスとは「倒れること」という意味で、「まっすぐな」形である基本形と違って「倒れた」形を指す言葉だった。もともとは、名詞のみならず動詞にも用いられた。これのラテン語訳がcasusであり、英語のcaseなど西洋の文法・言語学用語の元になった。

また、基本的な格の名前も古代ギリシアに端を発する。紀元前217年生まれのアレクサンドリアの文法家、サモトラケのアリスタルコスの一派がギリシャ語に五つの格を設定し、弟子の一人であったディオニュシオス・トラクスがその文法書で下表のように命名した。これをもとにして、古代ローマの文法家レンミウス・パラエモンが1世紀頃ラテン語の格の名前をつけた。このラテン語の格が、現代の西洋の文法や言語学において用いられる語の起源である。

ギリシア・ローマの格の名前
ギリシャ語 ラテン語 英語 日本語
ορθη (orthē)「まっすぐな」 nominativus「名前の」 nominative 主格
γενικη (genikē)「種族の」 genetivus「生来の」 genitive 属格
δοτικη (dotikē)「与える」 dativus dative 与格
αιτιατικη (aitiatikē)「影響された」 accusativus「告訴の」[5] accusative 対格
κλητικη (klētikē)「呼ぶ」 vocativus vocative 呼格

この名前の付け方が示唆するように、ギリシア・ローマにおいては、それぞれの格は特定の意味機能と関連づけられていた。例えば、与格は「何かを与えられるもの」の格であり、呼格は「呼ばれるもの」の格であると観念されていた。

インド[編集]

紀元前6世紀ごろのパーニニによるサンスクリット文法では、格に名前を付けることはせず、下表のように番号を振った。

サンスクリットの格の番号
番号 देव (deva)「神」の変化 日本語名
1 देवः (devaḥ) 主格
2 देवम् (devam) 対格
3 देवेन (devena) 具格
4 देवाय (devāya) 与格
5 देवात् (devāt) 奪格
6 देवस्य (devasya) 属格
7 देवे (deve) 処格

パーニニはこれらの格が規則的にある意味を表すことを、カーラカ理論と呼ばれる仕組みで表現した。カーラカ (कारक kāraka) とは「行為者」の意味で、動詞の表す事態に関わる「行為者」がどのような役割を持っているかを示したものである。パーニニは次の六つのカーラカを定義している。

カーラカとその定義
カーラカ 定義 日本語名
अपादान (apādāna) 何かが引き出される点 起点
सम्प्रदान (sampradāna) karman を通して見えるもの 着点
करण (karaṇa) 最も効果的な手段 道具
अधिकरण (adhikaraṇa) 場所 場所
कर्मन् (karman) 行為者が欲しているもの 被動者
कर्तृ (kartṛ) 独立して振る舞うもの 行為者

このように、格の形式と意味役割を分離することで、ある意味が複数の格に対応する場合を的確に記述していた。

格の標示[編集]

古いインド・ヨーロッパ語では格変化によって格が明示されるため、語順はかなり自由であった。現代の言語では語順が定まる傾向があり、特に英語ロマンス語フランス語スペイン語イタリア語など)では代名詞を除いて格変化が消失したため、格の表示はほぼ完全に語順および前置詞に頼っている。

日本語では格助詞が名詞の後につくだけである(それにより名詞全体の格が標示される)が、これと異なり、名詞を修飾する形容詞や限定詞にも格が標示される言語も多い(格の一致)。

特殊なものとして例えばスペイン語では、間接目的語がある場合にそれに相当する代名詞を動詞の前に置く構文(接語重複)が見られる。抱合語と呼ばれる言語でもこれに似て、動詞に目的語の人称などを表示するものが多い。他の言語でも部分的に類似の構文が現れる。例えば日本語で、法律や規則に限られる言い回しではあるが、「…はこれを認めない」というものがある。「…は」は対格を示す「を」を話題標識の「は」が覆い隠したものだが、主格と紛らわしいため、「これを」を加えている(元来は漢文訓読に由来)。

中国語では本来語順によって格が定まるが、現代語ではそれ以外に格を表示する方法が発達し、例えば目的語(対格)を介詞(前置詞)「把」で示して動詞の前に置く構文がよく用いられる。

フィンランド語ハンガリー語などのウラル語族は、場所や移動に関する格が発達している。

格の用法と言語類型論[編集]

格の使い分けは言語によって異なる。特に重要な違いとして、行為の主語と目的語に関わるものがあり、言語類型論で重視される。日本語、英語など、最もよく知られているのが主格言語であり、基本的には自動詞と他動詞の主語を同じ格(主格)で、他動詞の目的語を別の対格で表示する。

それに対し自動詞の主語と他動詞の目的語を同じ格(絶対格)で、他動詞の主語を別の能格で表示するものがあり、能格言語と呼ばれる。バスク語グルジア語などの例がある。

さらに自動詞の主語に対し、意志的かどうかで格を使い分ける言語もあり、活格言語と呼ばれる。

脚注[編集]

  1. ^ Blake 2001: 1.
  2. ^ 亀井他編 1996: 200.
  3. ^ Butt 2006: 3.
  4. ^ Blake 2001: 9, 47.
  5. ^ ギリシア語 aitiatikē には複数の意味があり、ディオニュシオスは「影響された」という意味で用いたのだが、レンミウスは「訴えられた」という意味と誤解して、accusativus「告訴の」を訳語として選んでしまった (Butt 2006: 14)。

文献[編集]

  • Blake, Barry J. (2001) Case. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Butt, Miriam (2006) Theories of case. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Dryer, Matthew S. (2011) Position of case affixes. In: Dryer & Haspelmath (eds.) chapter 51. Accessed on 2012-01-12.
  • Dryer, Matthew S. & Martin Haspelmath (eds.) (2011) The world atlas of language structure online. Munich: Max Planck Digital Library.
  • Fillmore, Charles J. (1968) The case for case. In: Emmon Bach & Robert T. Harms (eds.) Universals of linguistic theory, 1-88. New York: Holt, Rinehart and Winston.
  • Iggesen, Oliver A. (2011a) Number of cases. In: Dryer & Haspelmath (eds.) chapter 49. Accessed on 2012-01-12.
  • Ivan G. Iliev. On the Nature of Grammatical Case ... (Case and Vocativeness) On the Nature of Grammatical Case ...
  • –– (2011b) Asymmetrical case-marking. In: Dryer & Haspelmath (eds.) chapter 50. Accessed on 2012-01-12.
  • 亀井孝河野六郎千野栄一(編)(1996)『言語学大辞典』第6巻 術語編。三省堂。
  • Malchukov, Andrej & Andrew Spencer (eds.) (2009) The Oxford handbook of case. Oxford: Oxford University Press.

関連項目[編集]