九五式重戦車
| 性能諸元 | |
|---|---|
| 全長 | 6.477 m |
| 全幅 | 2.682 m |
| 全高 | 2.896 m |
| 重量 | 26.0 t |
| 速度 | 22 km/h |
| 行動距離 | 110 km |
| 主砲 | 九四式 70 mm 戦車砲×1 (100発) |
| 副武装 | 九四式 37 mm 戦車砲×1 (250発) 九一式 6.5 mm 車載機関銃×2 (2,940発) |
| 装甲 | 12 - 35 mm |
| エンジン | BMW IV 水冷直列6気筒ガソリン改造 290 hp / 1,600 rpm |
| 乗員 | 5 名 |
九五式重戦車(きゅうごしきじゅうせんしゃ)は日本陸軍が1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に制式化した重戦車である。「九五式」の名は皇紀の下二桁から取られている。
前史 [編集]
第一次世界大戦では既に単一の全周旋回砲塔に武装を備えたルノーFT17軽戦車が登場したが、この近代的スタイルが各国に浸透していくには時間がかかった。この間、各国は他の形態の戦車の開発に試行錯誤を繰り返していた。このなかで生まれたのが複数の砲塔を持った多砲塔戦車であった。
イギリスでA1E1 インディペンデント重戦車が登場したのを皮切りに、世界各国でいくつかの多砲塔戦車が登場したが、車体が大きく被弾率が高い、武装を多くするために装甲厚や機動性を犠牲にしてしまう、1輌あたり金額が高いなどの理由で、T-28中戦車やT-35重戦車を製造したソ連以外は大々的な運用はしなかった。
九五式重戦車の概要 [編集]
九五式重戦車も多砲塔戦車の一種である。
国産初の戦車に試製1号戦車、その改良型に試製九一式重戦車があるが、これらは車体前後に機関銃を装備した銃塔を持つ多砲塔戦車であった。しかし両者共にコストや重量、機動性の問題から量産されることは無かった。
九五式重戦車は、1932年(昭和7年)3月に竣工した試製九一式重戦車を基に、1932年(昭和7年)12月に開発が始まり、1934年(昭和9年)9月には試作車が完成した。そのスタイルは試製1号戦車や試製九一式重戦車を踏襲しているが、装甲防護力や火力がより向上した。
装甲に関しては、さすが重戦車なだけに、砲塔の装甲厚は、前面30mm、側面・後面25mm、上面12mm、車体の装甲厚は、前面35mm、側面30mm、後面25mm、上面12mmと、この時期の日本戦車としては厚い。
火力に関しては、九五式軽戦車と九七式中戦車 チハを足したようなもので、主砲塔前面に九四式70 mm砲を搭載したことで、榴弾威力の増大が利点である。車体前部右側に操縦席があり、その左側の副砲塔に九四式37 mm戦車砲、車体後部中央の副銃塔と主砲塔後面に九一式 6.5 mm車載機関銃を搭載。
足周りは八九式中戦車とほぼ同様のものであった(転輪が片側9個、上部支持輪が片側4個)。
車体前面中央に前照灯を装甲蓋付きの格納式に装備した。
九五式重戦車は1935年(昭和10年)に制式化され、陸軍の試験を受けたが実用性に欠けるとして生産は4輌にとどまった。これは陸軍が大陸での戦闘に於いて何より機動力が重要であると認識したからである。それは最高速度25 km/h、重量12 t の八九式中戦車でも不十分とされていたので、ましてや最高速度22 km/h、重量26 t の九五式重戦車の実用性は非常に低いとみなされたのである。結局、九五式重戦車が実戦に参加することはなかった。
少なくとも1輌が昭和15~16年頃迄、千葉戦車学校に存在していたとされる。
一部証言では、車体が軟鋼製であったとされる。
その後、4輌の内1輌が三菱重工業によって10 cm 加農砲を搭載した自走砲(ジロ車)に改造されている。また、ジロ車とは別に、4号車の前面に防盾を設置し、10 cm 加農砲を搭載した自走砲も試作されている。
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