一式中戦車

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一式中戦車 チヘ
Isshikityusensya.jpg
性能諸元
全長 5.7 m
全幅 2.3 m
全高 2.4 m
重量 自重15.2t[1] 全備重量17.2t
懸架方式 独立懸架および
シーソー式連動懸架
速度 44 km/h
行動距離 210 km
主砲 一式四十七粍戦車砲口径47mm、48口径)×1
(弾薬搭載量 121発)
副武装 九七式車載重機関銃(口径7.7mm)×2
(弾薬搭載量 4,220発)
装甲 (車体)
正面50 mm 側面25 mm
後面20 mm
エンジン 統制型一〇〇式発動機
空冷4ストロークV型12気筒
ディーゼルエンジン
燃料槽容量:330 l 
排気量21,700cc
240 hp
乗員 5名
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一式中戦車 チヘ(いちしきちゅうせんしゃ -)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍中戦車

概要[編集]

本車よりも前に配備された中戦車として、主砲九七式五糎七戦車砲を搭載していた九七式中戦車 97MTK(57)を、本車と同じ一式四十七粍戦車砲へと新設計の砲塔ごと換装した九七式中戦車 新砲塔チハ 97MTK(47)があるが、主にこの97MTKの防御力と機動力を強化するために車体を変えることを目的とした改良型として、1940年(昭和15年)からチヘチヘ車)の計画名称で開発が開始された。しかしながら当時は支那事変下で既存車両の量産が優先されており、また太平洋戦争大東亜戦争)開戦を控えていたため、兵器生産は主に航空機艦艇、次いで各種火砲に重点が置かれ資材・工場・予算をそちらにまわされていた。そのために新鋭戦車の開発・生産は遅々として進まず、試作チヘ車の完成は1942年(昭和17年)9月、各種試験の末開発が完了したのは1943年(昭和18年)6月であり、本格生産は太平洋戦争の戦局が絶望的になり始めた頃で、量産と部隊配備が実現したのは1944年(昭和19年)になってからであった。

一式中戦車
一式中戦車(手前)と九七式中戦車 新砲塔チハ(奥)。
一式中戦車 後面

97MTK(47)と本車は外見が酷似しているが、改良点は以下の通りである。

  1. 車体前面が97MTKは大量のリベットで接合されているが、本車は溶接や平面ボルトによって接合している
  2. 車体および砲塔正面の装甲厚が倍の50mmに強化された(砲塔には25mmの追加装甲板がリベット留め)
  3. 車体を直線と平面で構成するようにした
  4. 若干、車体の長さが長くなった
  5. 前照灯は97MTKは車体中央に1つなのに対して、本車は両側のフェンダーの上に2つ搭載している
  6. エンジンをSA一二二〇〇VD(170hp)から統制型一〇〇式発動機V型12気筒(240hp)に換装
  7. 乗員がそれまでの車体内2名+砲塔内2名の計4名から、車体内2名+砲塔内3名の計5名へと増加(97MTK(47)においては砲塔右側の車長が装填手を兼任していたが、本車では砲塔左側の砲手の後方に新たに装填手を配置。これにより乗員の負担が減り効率が良くなった)
  8. 砲弾搭載量が約20発増加

溶接構造と装甲の強化により、試験では口径15cmクラス重榴弾砲の至近弾を受けると97MTKはバラバラになったが、本車は持ちこたえたと言われている。

これらの改良によって、本車(1MTK)は97MTKに比べ防御力と機動力が大きく向上したが、攻撃力の面では主砲が同じ一式四十七粍戦車砲であるため強化されてはいない。
一式四十七粍戦車砲は実戦配備時にはアメリカ軍M3軽戦車M3中戦車を撃破可能であったが、それらに代わって太平洋戦争中後期から投入されたM4中戦車に対しては劣勢となった。

生産総数は試作車を含め170輌(587輌という説もある)で、他の新鋭戦車・砲戦車と同じく本土決戦のためにそのほとんどが内地に留められ、実際の戦闘には投入されなかった。

なお、「フィリピン戦車第7連隊軍隊符号:7TK。戦車第2師団隷下戦車第3旅団に所属)に36両の一式中戦車が配備されM4中戦車と対決したが、70mまで接近しなければ対応できず、数両に損害を与えることが出来たものの、遠方から75mm砲を撃ちまくられ結局連隊が全滅した」と言われることがある。これは7TKを基幹とする重見支隊1945年1月26日~27日の戦闘を指すものだが、7TKに実際に配備されていたのは九七式中戦車(連隊主力は97MTK(47)。97MTK(57)も砲戦車中隊に配備されていた)と九五式軽戦車であり、従ってこの逸話は九七式中戦車 新砲塔チハ 97MTK(47)のものである。

発展型[編集]

本車の発展型として1944年5月よりチヌ (三式中戦車)の開発を1944年5月から開始、同年9月には試作車が完成し10月から量産に移行されている。

現存車輌[編集]

砲塔・車体ともに完全な状態での車輌は現存しないが、アメリカのRopkey Armor Museumには、一式中戦車の砲塔(世界で唯一現存する物と思われる)を、九七式中戦車の車体に搭載した車両が展示されている [2]

脚注[編集]

  1. ^ 『機甲入門』p571
  2. ^ Ropkey Armor Museum公式サイトギャラリー http://www.ropkeyarmormuseum.com/gallery052005_1.htm

参考文献[編集]

  • 『日本の戦車と装甲車輌』(アルゴノート社『PANZER』2000年6月号臨時増刊 No.331) p119~p125
  • 高橋 昇「日本陸軍一式中戦車(チヘ)」
アルゴノート社『PANZER』2006年5月号 No.410 p75~p83
  • 佐山二郎『機甲入門』光人社、2002年。

参考リンク[編集]

関連項目[編集]