L6/40

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L6/40
Bundesarchiv Bild 101I-201-1561-23, Balkan, italienischer Panzer.jpg
バルカン半島におけるイタリア軍のL6/40
性能諸元
全長 3.84 m
車体長 3.78 m
全幅 1.92 m
全高 2.03 m
重量 6.8 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 42 km/h整地
25 km/h(不整地
行動距離 200 km
主砲 65口径20mmブレダM35機関砲
副武装 8mmブレダM38機関銃
装甲 6 mm - 30 mm
エンジン フィアット S.p.A.
18D 直列4気筒液冷ガソリン
68 馬力
乗員 2 名
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L6/40(Carro Armato L6/40)は第二次世界大戦中にイタリア陸軍で運用された軽戦車である。Lは軽戦車のクラス(Leggero)を示す。1941年から1942年末までに283輌が生産された。

開発と生産[編集]

1930年代イタリアL3豆戦車を開発、量産して装甲部隊の基礎を築いたが、無砲塔・軽装甲・弱武装のL3は、偵察用としても力不足なのは30年代末にすでに明らかであった。

フィアット・アンサルド社では、L3を拡大発展させた輸出用戦車として1936年より5t軽戦車を試作していたが、最初の試作車は無砲塔で車体左側に37mm砲を搭載、2つ目の試作車は車体の37mm砲に加えて小砲塔に8mm機銃を連装で搭載、3つ目の試作車は砲塔に37mm砲を備えていた。この5t軽戦車試作3号車が原型となり、L6軽戦車が開発された。

L6の車体の基本的デザインは、砲塔を持つほかはほぼL3豆戦車のままで、ただし足回りは機構を一新、転輪2個のボギー2組を、長大なスイングアームを介してトーションバーサスペンションで懸架した。接地長を稼ぐため、後部誘導輪も接地する型式であった。L6に先だって採用されたM11/39中戦車の足回りはリーフスプリング型式で、その後も量産されたイタリア製中戦車重戦車はすべて同型式を踏襲したので、結果的に、L6はイタリア戦車中最も特徴的な足回りを持つことになった。

試作時には武装が決まらず暫定的に砲塔にブレダM38 8mm機銃連装を搭載したが、生産型では、試作車に比べ大型化した砲塔にブレダM35 20mm機関砲が搭載された。この砲塔設計は同時期に作られたAB41装甲車にも流用された。

なお、5t軽戦車の試作と同時期の1937年に、スペインの国民戦線では、L3/35のシャシーをベースに、「C.C.I. Tipo 1937」(歩兵戦闘車1937年型)という、ブレダM35 20mm機関砲を旋回砲塔形式で搭載した軽戦車が試作された他、ドイツから供給されたI号戦車A型4輌が砲塔にブレダM35 20mm機関砲を搭載するよう改造されている。

L6はL3の代替として開発されたものの、生産は結局開戦後の1941年からとなり、この時にはすでに能力的に見劣りするものとなっていたため、生産は翌1942年末で打ち切られ、その後はセモヴェンテ da 47/32自走砲用に車台のみが1943年まで生産された。L6は主に偵察任務の騎兵師団に配備された他、ドイツ軍も対パルチザン戦に使用した。残存した車輛はイタリア軍によって1950年代初頭まで使用された。

バリエーション[編集]

L6Lf 火焔放射戦車
L6の主砲をL3Lf 火炎放射戦車と同様の放射器に変更したもの。試作のみ。
セモヴェンテ da 47/32
1939年から40年にかけ、L3豆戦車をベースにした自走砲が開発されたが、これは車体が小さすぎ不採用となった。引き続き、新たに採用になったL6軽戦車車台を使った自走砲が開発され、1941年に試作車が完成、これがセモヴェンテ da 47/32(セモヴェンテL40)として採用された。1943年までに300両が生産された。
弾薬運搬車
砲弾を6発しか搭載できないセモヴェンテ da 90/53の支援用に開発。90mm砲弾26発を搭載可能であり、また砲弾40発を搭載するトレーラーを牽引する。
セモヴェンテ M.6 da 75mm
第二次世界大戦前に、アンサルド社が設計した、M.6(後のL6/40のプロトタイプ)のシャーシの上に固定戦闘室を設けて75mm砲を搭載した自走砲。木製のモックアップのみ。

参考資料[編集]

  • 島田魁、大佐貴美彦、「特集:第2次大戦のイタリア軍用車両」、「グランド・パワー」1995/8、デルタ出版
  • Peter Chamberlain, Chris Ellis, PICTORIAL HISTORY OF TANKS OF THE WORLD 1915-45, Arms and armour press, London 1972