七里駅

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七里駅
駅舎(2012年5月)
駅舎(2012年5月)
ななさと - Nanasato
TD 04 大和田 (1.6km)
(2.9km) 岩槻 TD 06
所在地 さいたま市見沼区風渡野603
駅番号 TD 05
所属事業者 東武鉄道
所属路線 野田線(東武アーバンパークライン)
キロ程 5.6km(大宮起点)
電報略号 ナト
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
20,610人/日
-2012年-
開業年月日 1929年昭和4年)11月17日
備考 業務委託駅

七里駅
配線図

大和田駅

1 2


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STR+BSr STR+BSl
STR+BSr STR+BSl
STRg STRf

岩槻駅

七里駅(ななさとえき)は、埼玉県さいたま市見沼区風渡野にある東武鉄道野田線(東武アーバンパークライン)のである。駅番号はTD 05

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

かつて存在した北足立郡七里村時代に村名から命名された。

駅構造[編集]

相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は大宮方面ホーム側にあり、船橋方面ホームとは跨線橋により連絡している。駅業務は東武ステーションサービスに委託している。

2009年に駅のリニューアル工事が施工され、改札と大宮方面ホームの間にスロープが、跨線橋部にエスカレーターがそれぞれ設置された。

2009年度には、駅構内の案内板をピクトグラムを用いたデザインに一新した。ホームにあった吊下式駅名標路線図は撤去され、駅名標・路線図・所要時間と一体型になった自立式案内板が設置された。また、出入口にある駅名看板が取り換えられた。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 東武アーバンパークライン 上り 大宮方面
2 東武アーバンパークライン 下り 岩槻春日部船橋方面

利用状況[編集]

2012年度の1日平均乗降人員20,610人である[1]

近年の1日平均乗降・乗車人員は下表のとおりである。

年度別1日平均乗降・乗車人員[2][3][4]
年度 1日平均
乗降人員[5]
1日平均
乗車人員
1987年(昭和62年) 10,617
1988年(昭和63年) 10,995
1989年(平成元年) 11,167
1990年(平成02年) 11,598
1991年(平成03年) 11,907
1992年(平成04年) 11,937
1993年(平成05年) 11,919
1994年(平成06年) 11,880
1995年(平成07年) 12,043
1996年(平成08年) 12,009
1997年(平成09年) 23,091 11,703
1998年(平成10年) 22,214 11,260
1999年(平成11年) 21,842 11,081
2000年(平成12年) 21,892 11,096
2001年(平成13年) 21,652 10,903
2002年(平成14年) 21,027 10,592
2003年(平成15年) 20,672 10,413
2004年(平成16年) 20,287 10,203
2005年(平成17年) 20,476 10,274
2006年(平成18年) 20,471 10,280
2007年(平成19年) 20,868
2008年(平成20年) 20,859
2009年(平成21年) 20,495
2010年(平成22年) 20,346
2011年(平成23年) 20,179
2012年(平成24年) 20,610

駅周辺[編集]

付近は閑静な住宅街である。北方約1 - 2kmの春岡・深作・春野地区には大規模な宅地造成エリアが展開し、マンションが林立している。この地区には当駅のほか、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線宇都宮線東大宮駅からのバス路線が運行されている。駅北側はかつて雑木林であったが、現在は土地区画整理事業[6]が進行しており、北口開設の計画もある。

路線バス[編集]

乗り場 系統 主要経由地 行先 運行事業者 備考
七里駅入口   東大81・七里01 神宮台入口・大宮東高校入口 さいたま東営業所 国際興業
  東大81 深作中・アーバンみらい・ファミリータウン西 東大宮駅 国際興業 午前運転
七里01 深作中 アーバンみらい 国際興業 午後運転
七里駅西   見沼区役所線 東宮下団地・大谷県営住宅・片柳コミュニティセンター さぎ山記念公園 さいたま市コミュニティバス 平日運転
  見沼区役所線 見沼区役所・大和田駅・神宮台入口 大谷県営住宅 さいたま市コミュニティバス 平日運転

隣の駅[編集]

東武鉄道
東武アーバンパークライン
大和田駅 (TD 04) - 七里駅 (TD 05) - 岩槻駅 (TD 06)

1931年(昭和6年)から1950年(昭和25年)までは七里 - 岩槻間に「加倉駅」が存在した。この区間は距離が長いため加倉駅復活の要望があり、大宮市時代には都市計画に新駅設置の構想があった。旧大宮市の計画であるため駅の位置は加倉駅のあった現岩槻区加倉地区よりやや西の見沼区宮ヶ谷塔付近である。さいたま市発足後に旧市の都市計画は改められたため、この構想の存廃については不明である。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]