一畑電気鉄道立久恵線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
一畑電気鉄道立久恵線
路線総延長 18.7km km
軌間 1067 mm
exSTR
大社線
exSTR KBHFl
一畑電気鉄道北松江線
eABZ3lf BHFq
山陰本線
exSTRrg exKBHFr
0.0 出雲市
exBHF
2.0 古志町
exBHF
4.1 馬木不動前
exBHF
5.4 朝山
exTUNNEL1
exTUNNEL1
exBHF
7.2
exBHF
8.7 所原
exBHF
9.9 殿森
exBHF
12.3 立久恵峡
exBHF
14.1 乙立
exBHF
15.3 向名
exKBHFe
18.7 出雲須佐

立久恵線(たちくえせん)は、かつて出雲市出雲市駅島根県簸川郡佐田町(現:出雲市)にあった出雲須佐駅との間を神戸川(かんどがわ)沿いに結んでいた一畑電気鉄道鉄道路線である。

目次

[編集] 路線データ

[編集] 概要

当初は陰陽連絡鉄道を目指して、大社宮島鉄道(つまり出雲大社〔出雲市〕と厳島神社廿日市市〕を結ぶという意味を転じて島根県と広島県を結ぶという意味を込めた)という壮大な社名をつけ、出雲 - 三次間91.7kmに鉄道を敷設する計画であった。三次を終点としたのは計画当時すでに芸備鉄道(現・芸備線)が広島から三次まで開通していたためで、それと結ぼうということである。しかし、三次まで結ぶ資力はなく、実際のところ社名も含め投資家の気を引くため大風呂敷を広げたに過ぎない(似た例として石川県の金名鉄道などがある)。

資力の乏しさに加え、昭和恐慌や沿線人口の少なさ、鉄道省によるJR木次線の建設が原因で出雲今市(現:出雲市) - 出雲須佐間18.7kmを開業させたにとどまり、出雲須佐以南は測量を行っただけで着工に至らず、免許も失効のやむなきに至った。このため、社名も出雲須佐 - 三次間73.0kmの免許失効後間もなく出雲鉄道に改称した。

戦後は出雲平野に鉄道路線を展開している一畑電気鉄道に吸収されるが、社名は「一畑電気鉄道」ながら電化されることはなく、一畑電気鉄道唯一の非電化路線として営業を続けていた。しかし、過疎化やモータリゼーションの進展で経営状況は芳しくなく、1964年に島根県東部を襲った梅雨末期の集中豪雨で路盤が流失したことを契機に営業は中止され、そのまま廃線へと追い込まれていった。過疎化やモータリゼーションの進展が原因で復旧する必要がないと判断されるほど経営状態は悪化していたことが伺える。

路線名称は沿線の景勝地である立久恵峡に由来する。

[編集] 運行形態

  • 1956年9月1日当時
  • 運行本数:日12往復
  • 所要時間:全線41 - 66分

[編集] 沿革

  • 1924年(大正13年)5月14日 : 大社宮島鉄道に出雲今市 - 三次間91.7kmの免許下付。
  • 1926年(大正15年)5月10日 : 大社宮島鉄道設立。本社を東京に置く。初代社長は初代根津嘉一郎
  • 1932年(昭和7年)12月12日 : 出雲今市 - 出雲須佐間18.7kmが開通する。
  • 1933年(昭和8年)4月1日 : 向名駅が開業。
  • 1933年(昭和8年)10月15日 : 桜駅が開業。
  • 1938年(昭和13年)2月3日 : 出雲須佐 - 三次間73.0kmの免許が失効。
  • 1938年(昭和13年)6月9日 : 陰陽連絡鉄道構想を断念したことを契機に出雲鉄道に社名を変更。本社を東京から出雲市に移転。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 : 経営難から一畑電気鉄道に吸収合併され、同社の立久恵線となる。
  • 1955年(昭和30年)3月24日 : 殿森駅が開業。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 : 起点の出雲今市駅が出雲市駅に改称。
  • 1964年(昭和39年)7月18日 : この日の深夜から翌日にかけて島根県東部を梅雨末期の集中豪雨が襲い、朝山 - 桜間の朝山トンネル南側の路盤が流失、これにより7月19日から営業を休止。
  • 1965年(昭和40年)2月18日 : 路盤流失部分の復旧を行わないまま廃止。

[編集] 駅一覧

出雲市(旧:出雲今市)* - 古志町 - 馬木不動前(まきふどうまえ) - 朝山* - 桜 - 所原* - 殿森 - 立久恵峡 - 乙立* - 向名(むかいみょう) - 出雲須佐*

  • 出雲市 - 向名間が出雲市、出雲須佐駅のみが簸川郡佐田町(現在はすべて出雲市に属している)
  • *印の5駅が停車場(起終点を除く3駅は交換可能駅)、それ以外の6駅は停留場

[編集] 接続路線

[編集] 保存車両

  • 鳥取県米子市の元町商店街パティオ広場に木造客車が1両だけ保存されている。イギリス製で、関西鉄道から国鉄で使われた後本路線で使用され、さらに日ノ丸自動車法勝寺電鉄線に転用された(出雲市ではなく米子市で保存されているのはそのため)。

[編集] 路線跡地の現状

主な遺構および現状

  • 朝山 - 桜間の立岩トンネル(内部は素掘り)
  • 出雲市乙立町の国道184号上り線。地形的事情から山側が下り線、川側が上り線としてそれぞれ使用されているが、上り線が線路跡。
  • 出雲市佐田町反辺(たんべ)の明谷・呑水両トンネルと落石避け。その部分だけ国道184号が神戸川左岸に渡るため、右岸の遺構が破壊されずに済んだ。
  • 廃線後出雲市・電鉄出雲市両駅付近が高架化されたことや市街地化が進んだこと、国道184号の改良に路盤が使用されたこと、そして営業休止から40年以上経過していることから遺構が残っていないところも少なくない。

[編集] 備考

陰陽連絡鉄道としての夢は諸事情により成就できなかったが、1954年1月20日建設省(当時)第16号で大社宮島鉄道の予定経路に沿って出雲市と三次市を結ぶ主要地方道が認定された。島根県道・広島県道11号出雲三次線がそれであるが、島根県飯石郡飯南町野萱以南は国道54号と重用しており、実質上広島県と出雲市を結ぶ路線とは言いがたいものであった。しかし、1993年4月1日に島根県道・広島県道11号出雲三次線全線がそれまで松江市尾道市を結んでいた国道184号に組み入れられ(1992年4月3日政令第104号による)、ようやく出雲市は陰陽連絡交通路を有するに至った。

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス