フォルクスワーゲン グループ ジャパン

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フォルクスワーゲングループジャパン株式会社
Volkswagen Group Japan Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 VGJ
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:441-8550
愛知県豊橋市明海町5番地10
設立 1983年7月(フォルクスワーゲン株式会社)
業種 輸送用機器
事業内容 日本国内におけるフォルクスワーゲン車の輸入販売、市場調査・広報活動・宣伝活動、販売店開発及び支援活動他
フォルクスワーゲン車関連部品の購買
代表者 代表取締役社長 庄司 茂
資本金 231億7,410万円
従業員数 315名
決算期 12月31日
主要株主 ドイツ フォルクスワーゲンAG 100%
外部リンク http://www.volkswagen.co.jp/
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フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(略称VGJ)は、ドイツに本社を置くフォルクスワーゲンAGの100%出資による日本法人である。日本においてフォルクスワーゲンの自動車を輸入販売しているほか、フォルクスワーゲングループに属するブランド車の輸入業務も行っている。本社は愛知県豊橋市明海町にある。

会社の変遷[編集]

1983年7月に、ドイツに本社を置くフォルクスワーゲン製造AG(現フォルクスワーゲンAG)の日本における輸入販売強化、組み付け用部品、材料などの調達、技術提携、情報収集、企業広報を目的として日本法人「フォルクスワーゲン株式会社 (英文名 Volkswagen Asia Ltd.)」を東京都港区南青山に設立。1989年8月に社名変更し「フォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社(VAN)」となる。1990年より系列の販売店をオープンし直接的な販売にも乗り出す。1992年に、愛知県豊橋市明海地区(三河港)に国内最大級の専用埠頭を有し、陸揚げ、輸入整備施設を独自に投資し建設、東京都港区西新橋から本社も同地に移転。1996年9月に再び社名変更し「フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(VGJ)」となる。

取り扱いブランド[編集]

フォルクスワーゲンAGの他社ブランド買収により、ロールス・ロイスベントレーの日本での輸入販売業務も日本国内他社インポーターから引き継いだ。ベントレーは現在も継続している。2000年から2011年まで11年連続で日本における輸入車シェア(乗用車の国内新車登録台数)第1位となっている。

フォルクスワーゲン(1991年 - 現在)[編集]

日本では、ヤナセによるフォルクスワーゲン(ビートル)の輸入から始まった。VANが設立されたことで、一時期ヤナセとVANの2社が輸入権を持っていたが、のちヤナセが権利を放棄しVANに一本化された。ヤナセは2005年よりフォルクスワーゲン グループ ジャパンのディーラーとしてフォルクスワーゲンの販売を再開している。

  • 1954年-1992年:ヤナセ
  • 1990年- 現在:フォルクスワーゲン アウディ 日本 (1996年9月からフォルクスワーゲン グループ ジャパン)

(1990年から1992年の間はヤナセと“フォルクスワーゲン アウディ 日本”の両社が輸入権を保持していた)

[1]

アウディ(1992年 - 1998年)[編集]

アウディもフォルクスワーゲン同様、ヤナセにより輸入販売されていたが、フォルクスワーゲン アウディ 日本設立により併売後一本化された。しかし、フォルクスワーゲン車との併売であったため価格的に売りやすいフォルクスワーゲン車販売が優先されアウディ車拡販の戦略がなかったため、1998年に、フォルクスワーゲン販売チャネルとアウディ販売チャネルの見直しがなされ、アウディ車はアウディ ジャパンとしてアウディAGが管理する体制となった。(フォルクスワーゲンAG傘下の8ブランドがフォルクスワーゲンブランドとアウディブランドとに大きく2分割された管理体系とされるのはのちの2002年からとなる)。

  • 1970年 - 1992年:ヤナセ
  • 1990年 - 1998年:フォルクスワーゲン アウディ 日本 (1996年9月からフォルクスワーゲン グループ ジャパン)
  • 1998年 - 現在:アウディ ジャパン

(1990年から1992年の間はヤナセと“フォルクスワーゲン アウディ 日本”の両社が輸入権を保持していた)

[1]

アウディ車の日本での輸入元および販売がアウディ・ジャパンとなって以降も、実質的な輸入業務は引き続きフォルクスワーゲングループジャパン(VGJ)でおこなわれており、VGJの埠頭から陸揚げされ、VGJの整備工場で整備、出荷されている。

ロールスロイス(2002年 - 2003年)[編集]

1998年、フォルクスワーゲンAGとBMWがロールスロイス(自動車会社)の買収で競い合い、フォルクスワーゲンが獲得した。これによりフォルクスワーゲンAGはロールスロイスブランドとベントレーブランドを獲得したはずだった。しかし、ロールスロイス(自動車会社)の売却元であり、別にロールスロイス(航空機)を保有していた親会社ヴィッカーズの意向によりロールスロイスブランドの使用権はのちにBMWに決定される。フォルクスワーゲンは、最終的にベントレーだけを残し、ロールスロイスの権利はBMWに売却する。

フォルクスワーゲン グループ ジャパンは、事業部としてロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン(代表ティム・マッキンレイ)を設け、ロールスロイスとベントレーを販売していた。

ベントレー(2002年 - 現在)[編集]

ベントレーのみとなって以降のフォルクスワーゲン グループ ジャパンの事業部はベントレーモーターズ ジャパン(代表ティム・マッキンレイ)となった。

  • 2001年まで:コーンズ & カンパニーリミテッド
  • 2001年 - 現在:フォルクスワーゲン グループ ジャパン
    • ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部
    • 現在はベントレーモーターズ ジャパン事業部

現在、コーンズ & カンパニーリミテッドはベントレーモーターズ ジャパンの正規ディーラーとなっている。ベントレー車の発表はコーンズ & カンパニーリミテッドのベントレー青山ショールームが使われることが多い。

[1]

ポルシェ[編集]

輸入元は、ポルシェ ジャパンであるが、ポルシェ車の陸揚げ、整備、出荷業務はVGJ内で行われている。

ランボルギーニ[編集]

1999年にアウディ傘下となり、フォルクスワーゲングループに属したことから、輸入元は2001年に設立されたアウディ ジャパンの事業部の、ランボルギーニ ジャパンである。アウディ車と同様、VGJ内にて陸揚げ、整備、出荷業務が行われている。

役員[編集]

  • 1983年8月1994年:代表取締役社長 溝口靖人 (バンドー化学より転身。のちに豊橋創造大学教授)
    •  1983年8月‐1998年:代表取締役副社長、フォルクスワーゲン・アジア・パシフィック東京事務所代表 ロバート H. ヤンソン (1980年からVWAG日本地区代表、のち独立 ヤンソン・アンド・アソシエイツ代表)
  • 1994年3月 - 1998年: 代表取締役社長 佐藤満ホンダから就任。のちゼネラルモーターズジャパン社長)
    • 1997年 代表取締役副社長 ウド・シュルケ(前フォルクスワーゲンリーシングGmbH社長)
  • 1998年 - 2001年: 代表取締役社長 ピーター・アンソニー・ノッカー
  • 2001年7月1日 - 現在: 代表取締役社長 梅野 勉 (ホンダ(オーストラリア法人社長など)を経て入社し副社長から昇格)
    • 2006年1月8日 - 代表取締役副社長 ツェーノ・ケルシュバウマー

部門・施設[編集]

愛知県豊橋市に本社機構を置き、東京にオフィスを持つ。日本における自動車輸入業者としては国内最大規模である。

豊橋本社[編集]

  • 営業本部物流部門:ディーラーからの受注へ対応し、車両の物流を担当。
  • アフターセールス部門:サービス技術員のスペシャリスト育成のためのトレーニングセンターを要し、講習、研修をおこなう。
  • テクニカルサービス部門:車両型式を取得した車は、TSC:Technical Service Center で、日本の法規・仕様に対応するよう点検、整備をおこなう。この整備工場は2000年にISO14001を取得。TSCで整備・点検ならびに完成検査を行った後、カーサイロとVGJがよぶ完全自動の立体自動車倉庫に保管される。14層(階)の立体倉庫で収容台数は5,352台。オートメーション・カートラック・システムとよぶ入出庫システムがあり能力は1時間に約120台。2004年には環境対応のため輸送車両のガードワックスを廃止しリサイクル可能なフルボディカバー(FBC)を採用した。
  • 部品部門:輸入車には安定した部品の供給が求められているため、インポートセンター内に自動化されたCPD (中央部品倉庫)とよばれる部品用の自動倉庫を設置し、6万品目の収納が可能。
  • 専用岸壁:自動車関連企業の輸出入が多く行われている三河港に位置し、外国車インポーターとしては、国内唯一の自社専用岸壁を保有している。専用ヤードから直接新車整備工場へ繋がっている。

東京オフィス[編集]

  • マーケティング部門:広告宣伝活動、商品企画等を行っている。
  • 広報部門:主にメディアなどに対する、広報活動を行っている。
  • 営業部門:販売戦略の構築、正規ディーラーへのバックアップ、認定中古車の販売サポート等を担当する。
  • フォルクスワーゲン・ファイナンシャル・サービス・ジャパン株式会社(VFJ):フォルクスワーゲングループの車(アウディ・ベントレー・ランボルギーニ)購入する顧客へのファイナンスプログラムを提供している。各正規販売店向けのファイナンスプログラムも提供している。

販売車種一覧[編集]

以下は年代別の販売車種の一覧で店頭発売日順。日本のみで企画された販売促進のための特別仕様車についてはその名称と限定台数も記している。

ヤナセ時代[編集]

フォルクスワーゲンが日本に資本投入する以前はヤナセが長年にわたりフォルクスワーゲンを浸透させてきた。以下には日本におけるフォルクスワーゲン販売の代表的車種のみ掲載している。

フォルクスワーゲン株式会社[編集]

フォルクスワーゲン アウディ 日本[編集]

フォルクスワーゲン グループ ジャパン[編集]

  • 2002年3月25日:ベントレー・アルナージ Rの予約注文受付開始(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)
  • 2002年4月:ベントレー・アルナージ T(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)
  • 2002年5月:パサート W8 - フォルクスワーゲンブランドでの高級路線を日本で展開開始
  • 2002年5月:ゴルフ R32 (4ドアモデル400台限定)
  • 2002年6月14日:ポロ 4代目前期型
  • 2002年7月:ロールスロイス最終モデルを販売。シルバーセラフ1台のみ、希望小売価格2970万円、およびパークウォードリムジン1台のみ、希望小売価格3490万円(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)。
  • 2002年10月1日:特別仕様車 ゴルフ イクセプト(Exzept)
  • 2002年10月28日:最終生産のコンチネンタルT販売発表。限定3台。希望小売価格3995万円。


  • 2006年1月25日:5代目ゴルフ R32
  • 2006年2月7日:ジェッタ(ボーラ後継)
  • 2006年4月11日:パサート ヴァリアント
  • 2006年5月13日:ゴルフ トゥーラン 装備一部変更
  • 2006年6月3日:ニュービートル クレム 特別仕様車
  • 2006年7月25日:パサート ヴァリアント V6 4MOTION
  • 2006年8月24日:トゥアレグ シュトルツ内外装装備一部変更
  • 2006年9月2日:ポロ、1.6 スポーツライン、1.4 トレンドライン
  • 2006年9月2日:クロスポロ
  • 2006年10月1日:トゥアレグ W12 エクスクルーシブ
  • 2006年10月31日:イオス:フォルクスワーゲン初の電動リトラクタブルハードトップ
  • 2006年10月31日:ポロ 1.4 コンフォートライン:装備を充実させながら、価格を引き下げたモデル

マーケティング[編集]

施策[編集]

  • 1997年1月:ウェブサイト「フォルクスワーゲン ワールド」を開始。ドメインvwj.co.jp。
  • 1999年4月:イサイズとのインターネット経由での販売経路を模索
  • 2000年11月からブランドキャンペーンを開始
  • 2001年1月からフォルクスワーゲンが全世界で展開している店舗CIを導入
  • 2002年4月:ウェブサイト名を"Volkswagen Interactive"とし、ドメインをwww.volkswagen.co.jp に変更
  • 2002年9月:インターネットラジオ 「VWeb Radio」(ヴィーウェッブ レディオ)を開始(~2006年3月)
  • 2006年5月から7月の3か月間フォルクスワーゲン ”真価を体感!“ 試乗キャンペーンを実施
  • 2007年1月から3月まで、7年連続輸入車シェアトップ達成を記念して、“Thanks7 キャンペーン”を実施

イベント[編集]

ユーザーイベント フォルクスワーゲン フェスト:「フォルクスワーゲン」をより身近に感じてもらうためにVGJが主催するフォルクスワーゲン車所有者のためのイベント。

  • 第1回:2000年8月 - ツインリンクもてぎ
  • 第2回:2001年9月 - 富士スピードウェイ
  • 第3回:2002年9月 - 富士スピードウェイ
  • 第4回:2004年5月 - ツインリンクもてぎ
  • 第5回:2006年7月 - ツインリンクもてぎ

モーターショー出品

  • 2005年11月の第4回 大阪モーターショーでポロGTI、パサートワゴン、ジェッタ(以上参考出展車両)ゴルフGTI、ゴルフ プラス、トゥアレグを展示。

モータースポーツ[編集]

レース運営組織、フォルクスワーゲン・トロフィー・アソシエィション(VTA)が主催するレース

  • フォルクスワーゲン レーシングカップ 1999年
  • ワンメイクレース
    • ニュービートル カップ ジャパン 2000年
    • ルポGTIカップ ジャパン 2003年、2004年
    • ゴルフGTIカップ ジャパン 2005年、
  • フォルクスワーゲンレーシング サーキットトライアル

2003年には、ソニー・コンピュータエンタテインメント制作子会社のポリフォニー・デジタルが、当時開発中だったPlayStation 2用ゲームソフト『グランツーリスモ4』をベースとしたドライビングスキル トレーニングソフト『グランツーリスモ ルポカップ トレーニングバージョン』を制作。ルポGTIカップ参加者全員にソフトが配布され、PlayStation 2本体とステアリングコントローラが貸与された。なお同ソフトは車種はルポGTIカップカーのみに限定され、コースも筑波サーキットのみ収録されている。[2]

スポンサー[編集]

スポーツ[編集]

  • 本社が置かれている豊橋市で、毎年3月に行なわれる「穂の国豊橋ハーフマラソン」では、第1回から特別協賛企業となっており、ランナーの先導車としてフォルクスワーゲン車が使用されるほか、スタート及びゴール地点の豊橋公園では、車両展示も行なわれる。
  • サッカー:2001年からジュビロ磐田のスポンサーとなり、2002年9月からはユニフォームパンツの広告スポンサーとなりフォルクスワーゲンロゴが左腿部分に入った。2005年で終了した。
  • 野球でのKONAMI CUP アジアシリーズ2005での最優秀選手賞受賞者にフォルクスワーゲン「ニュービートル」1台を提供。
  • 国際卓球オープン アジア地区大会のタイトルスポンサー、日本大会「フォルクスワーゲンオープン・荻村杯」協賛

その他[編集]

  • フォルクスワーゲン全車種担当の広告代理店は、ファロン2006年以降担当していたが2008年よりグローバルエージェンシーであるDDB Worldwideが担当している。(メディアの取り扱いは博報堂が担当)またグループ会社であるアウディジャパンもグルーバルエージェンシーであるOgilvy & Matherが担当している。
  • フジテレビジョン製作、岩井俊二監督の1995年の映画『Love Letter』で“フォルクスワーゲンアウディ日本”として製作協力している。

ディーラー[編集]

ヤナセの強固な販売網に対抗すべく、「ファーレン」(Fahren)と「デュウオ」(DUO)の2つの販売網が作られた。

VANが直接販売に乗り出す際、「ファーレン」という名称をつけ日本各地の既存の自動車販売会社をベースにVW・アウディのディーラー網を構築した。関東地区ではジヤクス(JAX)を傘下にしヤナセ撤退後の関東地区を補充し「ファーレン東京」とした。1992年5月からはトヨタ自動車と販売提携を結んだ。トヨタは全国のトヨタ販売会社を募り「DUO」の名前で販売網を構築。ファーレン販売網と同じくVW・アウディを販売した。1998年12月アウディ ジャパンの設立によりVW・アウディの販売は分離されたが、ディーラーの中には、新たにアウディ ジャパンと契約しアウディのディーラーを別途設立することで、企業体としてはVW・アウディの販売を継続したところもある。時期は不明だが、愛知県小牧市に日本初のフォルクスワーゲン専売ディーラーとして「フォルクスワーゲン小牧」が設立され、これが後に後述のファーレンの名称がフォルクスワーゲンに変更されるきっかけとなった。2001年1月からの新CI導入と同時に、ファーレンの名称がフォルクスワーゲンに変更された。2002年時点ではファーレンが99拠点、DUOは143拠点だった。

1999年4月、リクルートイサイズ経由で顧客をファーレンとDUOのディーラー網へ誘導することにより5年後には販売の25%をインターネット経由からとしたいと考えた[3]が、これは実現しなかった。

2005年、ヤナセが「ヤナセヴィークルワールド株式会社」でディーラーとして復帰。

2009年、トヨタ自動車との販売提携を解消する。これにより2010年12月31日をもってDUO販売網が事実上消滅した。DUO店を運営するトヨタ販売会社はVGJと個別に販売契約を結ぶことになり、店舗名称もフォルクスワーゲンに統一された。一部のDUO店について販売提携解消ともに閉店した。

イベント[編集]

  • フォルクスワーゲン ディーラー パフォーマンス コンテスト:1995年の「第1回:サービス技術コンテスト」からはじまるディーラーにおける日常業務の習熟度を競い合うコンテスト。当初はそれぞれ別のコンテストだったが2005年から一本化し、サービステクニシャン部門、セールス部門、アドバイザー部門、パーツ部門の4部門に分かれて競われる。新車検討、購入、アフターサービスの各フェーズにおいて、正規ディーラーのCS(顧客満足)向上を目指しておこなわれている。
  • Volkswagen Sales Talk Cup:ディーラーのセールススタッフを対象とした育成とモチベーション アップを図る。1999年より開始。
  • フォルクスワーゲン アフターセールス技術コンテスト:メカニック部門、サービスアドバイザー部門、パーツ部門

年表[編集]

1950年代[編集]

  • 1953年:ヤナセがフォルクスワーゲンを輸入し、1954年から正式な販売権(日本全国販売権)を取得し販売していた。

1980年代[編集]

  • 1983年7月:フォルクスワーゲン株式会社を東京に設立する。[4]
  • 1983年:VWブランド輸入累計20万台
  • 1984年:日産自動車サンタナの生産販売を開始した。
  • 1989年8月:“フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社”(略称:VAN)に社名変更する。輸入販売権を取得。[5]
  • 1989年:VWブランド輸入累計30万台

1990年代[編集]

  • 1990年2月:千葉県千葉市に本社を置く輸入車ディーラー「株式会社ファミリー」の松戸店が「ファーレン松戸店」となりファーレン店第1号となる。
  • 1990年4月:愛知県豊橋市にインポートセンター建設用地を取得。
  • 1990年8月:バンズ ファイナンス 株式会社設立。オートローン、オートリース、クレジットカードの発行・運営、ディーラー向けファイナンス業務。
  • 1990年11月:系列販売店をオープン。この時点では店舗名はファーレンに統一されていなかった。
  • 1991年3月:“フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社”は日本自動車輸入組合(JAIA)に加盟し、フォルクスワーゲン車の輸入を開始する。この時期はヤナセも正式輸入業者であり併売されていた。
  • 1991年4月:専用埠頭への入港開始。フォルクスワーゲンAG、トヨタ自動車、フォルクスワーゲン アウディ 日本の販売提携合意。
  • 1991年:VWブランド輸入累計40万台
  • 1992年5月:愛知県豊橋市に本社を移転。アウディ車の輸入も開始する。トヨタがフォルクスワーゲン・アウディ車販売店鋪DUOをオープン。ヤナセ、ファーレン、DUOの3販売チャネルとなる。
  • 1992年12月:ヤナセはフォルクスワーゲンの輸入販売を終了しアフターサービスのみ継続した。「ファーレン店」とトヨタ系の「DUO店」の2販売チャネルとなる。
  • 1992年12月:バブル崩壊で赤字となっていたジヤクス(JAX)の株の過半数を取得しヤナセの撤退で穴が開いた関東地区のディーラー網を拡充する。このときジヤクスはルノーを輸入販売するインポーターだった。
  • 1993年5月:インポートセンター本格操業
  • 1993年:販売拠点100店舗
  • 1995年:VWブランド輸入累計50万台
  • 1996年4月:VAN累計10万台
  • 1996年9月:“フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社”と社名変更する。
  • 1996年:販売拠点200店舗
  • 1997年1月:ウェブサイト「フォルクスワーゲン ワールド」を開始。ドメインvwj.co.jp
  • 1997年12月:アウディAGによるファーレン東京株式会社の公開買付を実施
  • 1997年:VWブランド輸入累計60万台。VAN/VGJ累計20万台(含むアウディ)。
  • 1998年2月:ファーレン東京株式会社の公開買付終了しアウディAGが88.55%の株式を取得。
  • 1998年4月1日:ファーレン東京がアウディ ジャパン 株式会社に商号変更し業務開始。アウディ車販売は分離される。別途、ドイツフォルクスワーゲングループ100%出資の販売会社が新たにファーレン東京として設立され、以前のファーレン東京株式会社の業務内容は営業譲渡され、全販売拠点並びに全従業員を引き継ぎ、営業を開始する。
  • 1998年4月:フォルクスワーゲン アウディ パーツセンター(VAPC)を設立する。認定中古車制度開始。
  • 1998年12月:アウディAGがアウディ ジャパンの全株式を取得する。
  • 1999年:林文子がビー・エム・ダブリュー東京新宿支店長からファーレン東京の社長に就任し、バブル時に投資した不動産の借入が本業を圧迫していたファーレン東京を1年後に黒字にした。

2000年代[編集]

  • 2000年:VWブランド輸入累計70万台。VAN/VGJ累計30万台(含むアウディ)。
  • 2001年1月1日:ファーレン東京がフォルクスワーゲン東京株式会社に社名変更。
  • 2001年1月:ヤナセがアウディジャパンと契約しアウディ車販売を再開。
  • 2001年1月:ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部(のちベントレー モーターズ ジャパン)が東京オフィスで営業開始
  • 2001年:ロールスロイス&ベントレーモーターカージャパン事業部販売台数90台
  • 2002年:ロールスロイスベントレーの輸入を開始。以前はコーンズ & カンパニーリミテッドが扱っていた。ロールスロイスはBMWとの関係で2003年で終了し、2004年からロールスロイスモーターカーズリミテッドに移る。ベントレーは継続。[6]
  • 2002年1月1日:価格改定
  • 2002年4月:ウェブサイト名を"Volkswagen Interactive"とする
  • 2002年9月:インターネットラジオ 「VWeb Radio」(ヴィーウェッブ レディオ)を開始
  • 2002年10月:アウディ ジャパンがヤナセとの合弁でヤナセアウディ販売株式会社を設立
  • 2002年12月27日:ドメイン名をvwj.co.jpからvolkswagen.co.jpにドメイン名変更
  • 2002年:国内年間新車登録台数過去最高の61,121台を記録
  • 2003年1月31日:ベントレーモータース ジャパン事業部が、コンチネンタルGTを日本でプレビュー
  • 2003年:VWブランド輸入累計90万台。7月23日VAN/VGJ累計50万台(含むアウディ)。
  • 2003年:日本販売50周年を記念。
  • 2003年9月:純正部品・アクセサリーの保証期間を従来の1年から延長し2年保証とする
  • 2005年:ヤナセが100%子会社「ヤナセヴィークルワールド株式会社」を2004年に設立し、フォルクスワーゲン グループ ジャパン との契約の元でフォルクスワーゲン車の販売を再開した。
  • 2005年6月:VWブランド輸入累計100万台。豊橋インポートセンターで記念式典を開催。[1]
  • 2007年:アウディ ジャパンがヤナセアウディ販売を全部買収し、インポーター直販ディーラー「アウディジャパン販売株式会社」を設立。同年10月、ヤナセが100%子会社「ヤナセオートモーティブ株式会社」を設立。ヤナセ側でのアウディ車販売を継続する。
  • 2009年12月:トヨタ自動車との販売提携を終了。それに伴い2010年12月31日付でDUO販売網が消滅する。
  • 2011年5月1日:フォルクスワーゲン東京がフォルクスワーゲンジャパン販売株式会社に社名変更。

参考・注記[編集]

  1. ^ a b c d e 日本自動車輸入組合(JAIA) 資料室 - インポーターの変遷
  2. ^ 「ルポGTIカップ」の練習を自宅で(!?) - webCG
  3. ^ Japan Internet Report No. 37 April 1999
  4. ^ [1]には設立年月日として1983年(昭和58年)7月(フォルクスワーゲン 株式会社)
  5. ^ [2]には、「フォルクスワーゲングループジャパン株式会社は、フォルクスワーゲングループの日本法人として、フォルクスワーゲンAGの100%出資のもとで1989年に設立されました。」と上記と異なる記述もある。
  6. ^ [3]

外部リンク[編集]