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|選手名 = 里崎 智也 |
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**この年より、バレンタイン監督により、主将に任命される(ユニフォームにも四芒星の中に「C」入りのキャプテンマークが付いた。位置は左腕のペットマークパッチ直上)。この年も規定打席に到達し、キャリアハイとなる75打点をマーク。[[クライマックスシリーズ]]でも活躍した。また、2年連続で[[ゴールデングラブ賞]]と[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を受賞。 |
**この年より、バレンタイン監督により、主将に任命される(ユニフォームにも四芒星の中に「C」入りのキャプテンマークが付いた。位置は左腕のペットマークパッチ直上)。この年も規定打席に到達し、キャリアハイとなる75打点をマーク。[[クライマックスシリーズ]]でも活躍した。また、2年連続で[[ゴールデングラブ賞]]と[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を受賞。 |
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**北京五輪アジア予選日本代表メンバーに選出され、台湾で行われた最終予選の第3戦・台湾代表との試合に先発フル出場した。 |
**北京五輪アジア予選日本代表メンバーに選出され、台湾で行われた最終予選の第3戦・台湾代表との試合に先発フル出場した。 |
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*2008年 |
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**開幕カードの[[日本ハム]]戦ではマスクをかぶったが、その後は右肘を痛め3月24日からの[[ソフトバンク]]戦以降は守備には就かず、指名打者か代打での出場がほとんどとなる。5月4日には一軍登録を抹消された(なお里崎の一軍登録抹消は左膝の半月板損傷による2004年4月以来)。 |
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==人物像・エピソード== |
==人物像・エピソード== |
2008年5月5日 (月) 00:44時点における版
千葉ロッテマリーンズ #22 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県鳴門市 |
生年月日 | 1976年5月20日(47歳) |
身長 体重 |
176 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト2位 |
初出場 | 2000年4月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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里崎 智也(さとざき ともや、1976年5月20日 - )は、徳島県鳴門市出身のプロ野球選手である。千葉ロッテマリーンズ所属。ポジションは捕手。背番号は22。捕手としては強肩、打者としては思い切りのいいスイングによる長打が持ち味。
球歴
- 1998年 帝京大学からドラフト2巡目で千葉ロッテに指名され、入団。
- ルーキーイヤーの1999年8月、左尺骨茎状突起(左手首)を骨折。2度の手術後、約2年間のリハビリを経験するなど入団直後から苦労した。
- 2001年7月20日のフレッシュオールスターゲームにて1本塁打3打点をあげるなどの活躍をし、MVPに選出される。
- 清水将海(現・中日)に代わる正捕手の座を巡って橋本将などと争い、2002年には開幕から暫くマスクを任されるなど期待はされていたものの、この年も結果を残せなかった。
- 2003年
- 5月4日福岡ダイエーホークスとの試合の延長11回表、3対3の同点の場面で山本功児監督は清水将海の代打井上純の代打に里崎を送る。ここで里崎は見事期待に応え、決勝タイムリー三塁打を放った。実は前日に祖母を亡くし、告別式を欠席してまでの出場だった(本来は忌引が認められる)里崎はヒーローインタビューで涙を流した。ウイニングボールは祖母の墓前に手向けられた。(このエピソードは2004年3月20日に放送された「徳光&所のスポーツえらい人グランプリPart19」(日本テレビ)でドキュメンタリー形式にて取り上げられた)。それ以後、規定打席未到達ながら打率.319、本塁打8本の成績を残すなど活躍し一軍定着を果たした。この出来事がきっかけで2005年以降リーグを代表する正捕手へと飛躍していく事になる。
- 2004年
- ボビー・バレンタイン監督が就任した2004年の4月、左ひざの半月板を損傷し手術。確実視されていた正捕手の座を逃す。
- 2005年
- 2006年
- WBC代表に選出され出場。正捕手として世界一に貢献し、22打数9安打で打率.409、1本塁打に5打点をマークしラッキーボーイとして知名度を上げる。ベストナイン(捕手部門)にも選出される活躍をみせた。
- 4月26日にはWBCでの活躍が評価され、出身地の徳島県から特別功労賞が贈られた。
- 5月2日の福岡ソフトバンク戦では前年にチームメイトの渡辺俊介が記録した日本記録タイの5打席連続三振を喫した。6打席目はヒットを放ち不名誉記録更新は避けた。
- オールスターゲームに初のファン投票(捕手)での選出(2005年にも監督推薦で出場)。高校時代1本もヒットを打てなかった同郷の川上憲伸から初ヒットとなるソロホームランを放っている。
- この年、橋本将の故障と不調もあり正捕手に座った。球団としては1985年の袴田英利以来、21年ぶりの規定打席に到達(球団名がマリーンズに変更されてからは初)、ゴールデングラブ賞とベストナインにも選出された。
- 2007年
- この年より、バレンタイン監督により、主将に任命される(ユニフォームにも四芒星の中に「C」入りのキャプテンマークが付いた。位置は左腕のペットマークパッチ直上)。この年も規定打席に到達し、キャリアハイとなる75打点をマーク。クライマックスシリーズでも活躍した。また、2年連続でゴールデングラブ賞とベストナインを受賞。
- 北京五輪アジア予選日本代表メンバーに選出され、台湾で行われた最終予選の第3戦・台湾代表との試合に先発フル出場した。
人物像・エピソード
- 性格は常に前向き、また目立つのが好きである。
- 2005年は試合後に行うライブが話題になった。
- 2005年5月29日の対横浜ベイスターズ戦(千葉マリンスタジアム)で自身初の満塁本塁打を放ち、この試合好投した渡辺俊介と共にヒーローインタビューで「今日は球場正面入り口で俊介と歌いまーす!」と宣言。千葉ロッテマリーンズの公式応援歌『We Love Marines』を歌う。
- 2005年8月8日の渡辺俊介と今江敏晃がヒーローの試合後、渡辺に指名され三人で歌う。
- 2005年8月28日の対オリックス・バファローズ戦で黒木知宏が復帰登板勝利を果たしたその日、ステージに来たのは本塁打を打った里崎であり(黒木がステージに出演しない事は、場内アナウンスで説明があった)、黒木がヒーローインタビューでかけていた「本日の主役」タスキをかけて歌いに来る。
- 鼻の真下にある大きなほくろがトレードマーク。本人もお気に入りで、緊張した時にそれを触ると落ち着くらしい。ファンも触りに来るほど。
- 犬好き。球団のベースボールドッグであるエルフにもなつかれている。
- 料理が得意。ラジオ番組に出演した際「何でも作れる」と話していた。
- 『(自宅)所蔵数約1,000冊』と語るほどの、漫画愛好家としても知られる。
- 東北楽天の愛敬尚史投手とは帝京大学の同級生。バッテリーを組み活躍した。現在でも親交は厚く、また対戦の時には互いを意識するコメントが両者のブログで見受けられた。
- 空振りした際にバットを飛ばしてしまう癖があることで有名。この癖は、バットを飛ばす千葉ロッテ独自の練習法の一つ(2002年~2003年打撃コーチであった故高畠康真氏の考案)(かつては今江敏晃、福浦和也、澤井良輔など千葉ロッテの野手の数人に見られた)と、変化球を強引に打ちに出るため“バットを放り投げるようなバッティング”をしているからという説がある。2006年はWBC決勝での相手ピッチャー方向へのバット投げや、シーズンを通しても計10回(特に8月は21試合の出場で5回)のバット投げを記録している。
- 2006年シーズン開幕より毎日更新していたブログを10月3日の記事で更新終了。
- ブログにて好きな言葉を「YES,I CAN'T」と書いたことがある。(このような用法は存在しない。複数回書いているためタイプミスではないようである。なお、すぐに「YES,I CAN」に全て修正された)
- ブログにて7月8日に七夕と絡めて「彦星と乙姫が~」と書いたことがある。(なお、すぐに「織姫」に修正された)
これらの訂正に関してブログ中では一切コメントされていない。
- 肩は強い(遠投120m)。捕手としてはリーグ有数の強肩の持ち主で、盗塁阻止率も高い方である。中日・谷繁元信捕手の下半身の動きを手本としたところ上達したそうである。(TV番組の「ナンだ!?」に出演した際の本人の談)
- 2007年1月2日に放送された番組「徳光&所の世界記録工場Part3」(日本テレビ)に出演。前回のPart2で、元チームメイトの初芝清が260m上空からのフライキャッチに挑戦するも失敗し、里崎はリベンジすべく更に5m高い265m上空からのフライキャッチに挑戦し、フライキャッチに向いている外野手用グラブを使うなどするもまたもや失敗。リベンジは果たせなかった。
- 交流戦では2005年より3年連続で満塁ホームランを放っている。それも2006年、2007年はともに雨中の神宮球場での2死からの満塁逆転弾だった。ヒーローインタビューでもこの点について触れられ、「特に雨が降る満塁の神宮は縁起が良いみたいです」とコメントした。
- キャプテンを任されるなど責任感は強く、またそれが原因で不甲斐ない投球をした投手に辛辣なコメントを出すこともある。ただ、これはチームの勝利を何よりも重く考えるが故であり、その姿勢などから先発投手陣からの信頼は厚い。
略歴
- 身長/体重 176cm/87kg
- 投/打 右/右
- 出身地 徳島県鳴門市
- 血液型 A
- 球歴・入団経緯 鳴門工業高-帝京大学-千葉ロッテ(1999年~)
- プロ入り年度/ドラフト順位 1998年/2位
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表(ベストナイン受賞)
- 北京五輪アジア予選日本代表メンバー
- 英語表記 - SATOZAKI
- 2008年年俸 1億4千万円(推定)
プロでの戦績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | ロッテ | 22 | 4 | 7 | 7 | 2 | 3 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .429 |
2001年 | 9 | 19 | 18 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | .278 | ||
2002年 | 12 | 25 | 23 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | .043 | ||
2003年 | 78 | 253 | 213 | 28 | 68 | 13 | 2 | 8 | 109 | 39 | 0 | 1 | 6 | 5 | 22 | 7 | 45 | 4 | .319 | ||
2004年 | 61 | 195 | 174 | 20 | 37 | 7 | 0 | 6 | 62 | 19 | 0 | 0 | 3 | 1 | 17 | 0 | 41 | 3 | .213 | ||
2005年 | 94 | 333 | 297 | 40 | 90 | 19 | 2 | 10 | 143 | 52 | 1 | 0 | 6 | 2 | 25 | 3 | 74 | 7 | .303 | ||
2006年 | 116 | 449 | 382 | 50 | 101 | 23 | 1 | 17 | 177 | 56 | 2 | 1 | 8 | 5 | 45 | 9 | 95 | 7 | .264 | ||
2007年 | 127 | 528 | 477 | 56 | 129 | 27 | 3 | 14 | 204 | 75 | 1 | 0 | 4 | 6 | 36 | 5 | 109 | 4 | .270 | ||
通算成績 | 501 | 1809 | 1591 | 197 | 434 | 91 | 9 | 56 | 711 | 248 | 4 | 2 | 27 | 19 | 148 | 24 | 381 | 26 | .273 |
主な記録
- 1軍公式戦初出場・・・2000年4月6日 対西武2回戦・8番捕手としてスタメン出場(千葉マリンスタジアム)
- 1軍公式戦初安打・初打点・・・同上(初出場初安打初打点)・7回石井貴投手から
- 1軍公式戦初本塁打・・・2002年4月3日 対福岡ダイエー3回戦・3回山田秋親投手から(福岡ドーム)
- オールスターゲーム初出場(監督推薦)(2005年)
- オールスターゲームファン投票一位で出場(2006年)
獲得タイトル
表彰
- フレッシュオールスターゲームMVP(2001年)
- 最優秀バッテリー賞(2005年、2007年)・・・それぞれ渡辺俊介、成瀬善久と共に受賞。渡辺俊介とは同年齢での受賞であり、これはパ・リーグ初である。
- 第1回ワールドベースボールクラシックベストナイン 捕手部門(2006年)
CM
関連項目
外部リンク
- 里崎サイト(公式HP)