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オットー・グレアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オットー・グレアム
Otto Graham
基本情報
ポジション クォーターバック
生年月日 (1921-12-06) 1921年12月6日
没年月日 (2003-12-17) 2003年12月17日(82歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州ウォキーガン
身長: 6' 1" =約185.4cm
体重: 196 lb =約88.9kg
経歴
大学 ノースウェスタン大学
NFLドラフト 1944年 / 1巡目全体4位
所属歴
選手歴
1946-1955 クリーブランド・ブラウンズ
コーチ歴
1959-1965 コーストガード・アカデミー
1966-1968 ワシントン・レッドスキンズ
1974-1975 コーストガード・アカデミー
受賞歴・記録
AAFCチャンピオン(4回)
1946・1947・1948・1949
NFLチャンピオン(3回)
1950・1954・1955
オールプロ選出(7回)
1947・1948・1949・1951・1953・1954・1955
プロボウル選出(5回)
1950・1951・1952・1953・1954
NFL 通算成績
TD–Int 174–135
パス獲得ヤード 13,499
パス成功率 55.7
レイティング 78.2
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR
Coaching stats at PFR

オットー・グレアム (Otto Graham,1921年12月6日 - 2003年12月17日)は、イリノイ州ウォキーガン出身のアメリカンフットボールの元選手である。1946年から1955年まで、AAFCNFLクリーブランド・ブラウンズクォーターバック(QB)として所属した。

グレアムが当時において、最も支配的な選手の1人として評価されており、現役生活の10年間で7回のリーグ優勝に輝いた(内4回はAAFC)。その間のチーム成績は57勝13敗1分、NFLプレイオフでは9勝3敗であった。現代ではグレアムの通算記録はほとんど塗り替えられているが、当時としては圧倒的な成績を残した[1]

グレアムは、イリノイ州ウォキーガンの音楽教師の家に産まれた。1940年、バスケットボールの奨学生としてノースウェスタン大学に進学したが、フットボールを主にプレーした。第二次世界大戦の終盤に短期間従軍した後、1945年から1946年にかけて、当時NBAとライバル関係にあったバスケットボールリーグのNBLでプレーし、リーグチャンピオンに輝いた[2]

1946年、グレアムはAAFCのクリーブランド・ブラウンズと契約し、フットボール選手としてデビューすると、ブラウンズをAAFCチャンピオンに導いた[3]。グレアムは、「北米4大プロスポーツのうち2つでチャンピオンリングを獲得した初めての選手」となった(二人目はジーン・コンリー[2][3]

1955年のフットボール引退後は、 アメリカンフットボールの大学オールスターゲームでコーチを務めるとともに、コーストガードアカデミーのフットボールチームのコーチに就任した。1966年には、ワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチに就任し[4]、退任後は再びコーストガードアカデミーのコーチに戻った[5]。コーチ退任後、大学のスポーツ部門統括管理者を務め、1984年に役職を引退した[6]

1965年、殿堂入り。

出典

[編集]
  1. ^ “Hall of Fame quarterback Otto Graham dies at 82”. The Southeast Missourian: p. 4B. (December 18, 2003). https://news.google.com/newspapers?nid=1893&dat=20031218&id=j-opAAAAIBAJ&sjid=7dUEAAAAIBAJ&pg=2539,6697878 July 6, 2012閲覧。 
  2. ^ a b Larson, Lloyd (March 24, 1946). “Rochester Clips Skins, Wins Title”. The Milwaukee Sentinel: p. 1. オリジナルのNovember 17, 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151117025758/https://news.google.com/newspapers?id=LbwdAAAAIBAJ&sjid=BQ0EAAAAIBAJ&pg=7140,4025504&dq=rochester+royals&hl=en July 4, 2012閲覧。 
  3. ^ a b Piascik 2007, pp. 64, 81, 121, 145.
  4. ^ Povich, Shirley (August 13, 1964). “Otto Graham Is Determined Not To Be Forgotten”. The Milwaukee Journal: p. 12. オリジナルのNovember 17, 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151117033737/https://news.google.com/newspapers?id=M90jAAAAIBAJ&sjid=hScEAAAAIBAJ&pg=1774,1155259&dq=otto+graham+jets&hl=en July 6, 2012閲覧。 
  5. ^ “Otto Graham Named to Football Post”. The Evening News. Associated Press: p. 4D. (March 6, 1974). https://news.google.com/newspapers?id=vL9GAAAAIBAJ&sjid=TzMNAAAAIBAJ&pg=3604,817937&dq=otto+graham&hl=en July 18, 2012閲覧。 
  6. ^ “Foels Succeeds Otto Graham”. Youngstown Vindicator. United Press International: p. 21. (February 29, 1984). https://news.google.com/newspapers?id=bbk_AAAAIBAJ&sjid=RVcMAAAAIBAJ&pg=5424,4409415&dq=otto+graham+redskins&hl=en July 6, 2012閲覧。