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あゝプロ野球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あゝプロ野球
ジャンル 教養番組/ドキュメンタリー番組/スポーツ番組
監督 実相寺昭雄
出演者 植草貞夫
ほかプロ野球関係者多数
ナレーター 植草貞夫
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
時代設定 1977年
製作
制作 朝日放送テレビ
テレビマンユニオン
テレビ朝日映像
放送
放送チャンネルテレビ朝日系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1977年10月-1978年3月
放送時間土曜 22:30 - 23:00
放送分30分
回数26回
番組年表
前作あゝ甲子園
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あゝプロ野球』(ああプロやきゅう)は、1977年10月1日から1978年3月25日までテレビ朝日系列局で放送されていた朝日放送(ABCテレビ)製作のスポーツドキュメンタリー番組である。シャープ一社提供[1]。放送時間は毎週土曜 22:30 - 23:00 (日本標準時)。

概要

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高校野球を題材にしていた『あゝ甲子園』の後継番組で、こちらはプロ野球を題材にしていた。

番組は、毎回特定のプロ野球選手や球団監督について取り上げたドキュメンタリー映像を放送していた。また、野球関連のさまざまな技術論について解説したり、ゲストを迎えての実験企画を行ったりしていた。当初から半年間の放送が予定されていた番組で[2]、プロ野球シーズンの到来とともに終了した。

番組の実制作は、テレビマンユニオンテレビ朝日映像の2社が交互に担当[2]。監督は実相寺昭雄が務めていた[3]

エピソード

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この番組は『あゝ甲子園』の好評を受けて企画された。そのため[要出典]、準備期間は1か月しかなかった[3]

第1回では、同年に阪神甲子園球場で行われた阪神タイガース読売ジャイアンツ最終戦を題材にした「巨人軍のサイン解剖」の放送が予定されていたが、収録時に番組のカメラが3塁コーチャーばかりを不自然に撮っているところを巨人軍の広報担当者に見つかり、同業者にサインが流出する恐れがあるとして放送中止になった。この回は一旦はお蔵入りになりかけたが、半年後の番組最終回に放送されて日の目を見た。この一度お蔵入りになりかけた回に代わって第1回に放送されたのが、日本ハムファイターズの当時の監督・大沢啓二の半生を取り上げた「大沢啓二・人生劇場 風雲編」である[3]

脚注

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  1. ^ 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、383頁。NDLJP:12276014/465 
  2. ^ a b 稲塚秀孝 (2009年4月6日). “私の仕事(67)「海は甦える」その13・完結”. 『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』公式ブログ. 2017年3月30日閲覧。
  3. ^ a b c 稲塚秀孝 (2009年4月7日). “私の仕事(68)「あゝプロ野球」その1”. 『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』公式ブログ. 2017年3月30日閲覧。

外部リンク

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テレビ朝日系列 土曜22:30 - 23:00枠
前番組 番組名 次番組
あゝ甲子園
(1977年7月2日 - 1977年9月24日)
あゝプロ野球
(1977年10月1日 - 1978年3月25日)
わたしは旅をする
(1978年4月1日 - 1978年9月30日)