T-4 (練習機)

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川崎 T-4

Japan Air Self-Defence Force Kawasaki T-4 Aoki-1.jpg

T-4は、日本航空自衛隊で使用している中等練習機で、プロペラ機による初等訓練を終えたパイロットがつづいて訓練する中等練習のために製作された亜音速ジェット機。エンジンを含めた日本の純国産ジェット練習機はT-1Bについで2機種目である。

ティーよん」や「ティーフォー」と呼ばれるほか、正式な愛称では無いが、他の航空機に比べ小型で丸みを帯びた姿から「ドルフィン」(イルカ)と呼ばれる。

来歴[編集]

川崎重工業の機体案 KA850の模型

RFPの提示[編集]

1980年頃の航空自衛隊では、戦闘機を目指す学生は、レシプロエンジンT-3初等練習機による第1初級操縦課程(70時間)ののち、ジェットエンジンT-1A/B中間練習機による第2初級操縦課程(80時間)、T-33A練習機による基本操縦課程(100時間)を経て、T-2高等練習機による戦闘操縦課程(100時間)に進むという教育課程となっていた[2]。しかし、T-33・T-1A/Bはいずれも前世代の機体であり、長く使い続けることは難しかった。特にT-33Aは航空自衛隊の創設時から使用されている機体であり、製造後既に25年を経過、平均飛行時間は6,000時間に達し、経年劣化による不具合も頻発するようになっていた。またジェット戦闘機の原点といえる機体であったために、飛行特性も後発の機体とは大きく異なり、「航空自衛隊で最も操縦が難しい機体である」と評する教官までいる状況であった[3]

このことから、1975年より、技術研究本部では、航空自衛隊の次期中等練習機を必要な時期に国内開発できるように研究を進めていた。そして1980年3月31日、航空幕僚監部は次期中等練習機の開発要求書を提出し、昭和55年度中には、国内開発を行うことで防衛庁内で合意に達した[4]。そして防衛庁が提示した提案依頼書(RFP)に対し、1981年5月29日には川崎重工業三菱重工業富士重工業の機体メーカー3社が応募した。各社の案を技術研究本部で比較審査した結果、同年9月4日、川崎重工業の案が採択された[3]

XT-4の開発[編集]

開発にあたっては、川崎重工業を主契約企業(分担率4割)、協力企業を三菱重工業富士重工業(同各3割)として、航空工業界の総力を結集した「挙国一致」の体制となった[3]。川崎重工業では、岐阜工場内に、他社からの派遣人員も含めて100名体制の中等練習機設計チーム(MTET)を設置した。また技術研究本部でも、技術開発官(航空機担当)の下に30名体制の中等練習機プロジェクト・チームを編成した[4]

従来、新中等練習機は便宜的に"MT-X"と通称されていたが、1982年6月10日に防衛庁長官の承認を受けた技術研究本部の「57年度技術研究実施計画」よりXT-4と称されるようになった。技術研究本部の審査を経て、10月29日には川崎重工から技術研究本部にXT-4の基本設計書が納入され、12月28日に発注された「XT-4中等練習機試作(その1)」を端緒として、昭和61年度までに3次に渡る試作が重ねられた[3]。これによって製作された試作機1号機(56-5601)は1985年7月29日に初飛行し、以後、4機の試作機を用いて技術研究本部および空自の航空実験団で試験が行われた。これらの実績を踏まえて、1988年(昭和63年)7月28日に防衛庁長官の部隊使用承認を受けて、T-4として量産が開始された[4]

設計[編集]

本機の設計は、川崎ではKA-851と称されていた[1]。設計段階からコストコントロールに力を入れ、低い開発費と量産価格、経済的な飛行運用コストパフォーマンスを目標とした[4]

機体構造[編集]

主要構造はアルミニウム合金、一部はチタン合金製とされる一方[1]、厳しい要求性能を満足させるため、垂直尾翼・舵面・フラップ・エアブレーキなどにはCFRPAFRPなどの複合材料を使用して軽量化を図っており[5]、適用範囲は構造重量の約4.5パーセントとされた[6]。特にここで実用化された「複合材一体成型構造」は、FS-X(後のF-2)につながる「複合材一体成型主翼構造の研究」の素地ともなった[7]。設計にあたっては損傷許容設計(DTD)の概念が導入され、フェイルセーフとあわせて安全性の向上が図られている[3]

主翼は中翼配置で、低速から高速までの広い飛行範囲において良好な飛行特性を発揮できるよう、新しい遷音速翼型(スーパークリティカル翼型[1])が採用された。また機体形状の空力的洗練が図られており、各部が丸みを帯びた形状にまとめられている。設計上、特に重視されたのは、遷音速での良好な飛行特性と、高迎え角時の運動性確保の2点であった。また操縦性安定性はMIL-F-8785のクラスIに準拠している[3]

コクピットはタンデム配置の複座で、訓練生が前席、教官が後席に搭乗する。前・後席で、アイポイントで270ミリの段差がついており、前席で13度下、後席で3度下の前方視界が得られる。射出座席はステンセルSIIIS-3ERで、ダイセルがライセンス生産している[8]。射出の際には、キャノピーに仕込まれた細い導爆線(MDC)を起爆して切れ目を入れて、座席上部のキャノピー・ブレーカーでこれを突き破る方式となった[3][注 1]。キャノピーは右横開きで、三菱レイヨン製のワンピース構造とされた[8]事業用操縦士に必要な計器飛行の訓練もT-4で行われるが、飛行計器のみを見なければならない訓練中に外部を見てしまうのを防ぐため、訓練生が座る後部座席には視界を遮るカーテンとレールを取り付けることが可能である[9]

また新しい試みとして、機上酸素発生装置(OBOGS)の採用がある[10]。従来の液体酸素にかわり、エンジンのコンプレッサー抽気から窒素を吸着することで酸素を取り出してコクピットに供給するもので、液体酸素の補給作業が不要になることでターン・アラウンド時間が短縮できるほかにシステムが簡略化されて軽量化を図ることができるメリットがあった[3]

エンジン[編集]

T-2の開発の際、アドーアエンジンの低信頼性に苦しんだことから、XT-4のエンジンには、米軍規格に基づく高い信頼性の確保が要求された[6]。川崎重工では、機体規模・構成が近いアルファジェットで採用されていたスネクマ/チュルボメカ ラルザックを提案していたが、1982年10月29日の決定により、国産のXF3ターボファンエンジンが採用された[3]

本機で採用されたF3-30は、1975年より、技術研究本部の第3研究所が石川島播磨重工業(現・IHI)を契約会社として開発してきたXF3-1の推力向上・量産機であった[4]。9月までにC-1 FTB機による第一期空中試験を終えており、1983年12月までに予備飛行定格試験(PFRT)を完了して、1984年2月には試作機搭載用エンジン3機分10台が発注された[3]

最大速度は540ノット(マッハ0.9)とされている。海面上昇率は10,360フィート毎分を目標としており、T-1やT-33のほぼ倍となった。これは訓練環境への適合性の必要から、訓練空域への往復時間の短縮が求められたものであった。また第13飛行教育団への配備が予定され、滑走路長3,380フィート (1,030 m)の芦屋基地での運用が見込まれたことから、離陸距離2,700フィート (820 m)・着陸距離2,500フィート (760 m)が要求された[3]

また基地から遠い訓練空域までの往復が想定されたことから、訓練効率の向上のために高い航続性能が要求された。機内燃料搭載量は約600ガロンと、西欧の同種機体よりも多くされた[注 2]。また新明和工業により、120ガロンの増槽も開発された[3]

機体塗装[編集]

カラーリングは、ほとんどの機体はT-2よりも濃い灰色で、主翼や尾翼の端は視認性向上のため蛍光オレンジのラインが入っている。また、F-15J/DJに似た制空迷彩を施した機体もある。過去にF-1を模した迷彩塗装を施した機体もあった。

曲技飛行チーム「ブルーインパルス」(下記)の機体は白地に青のラインをあしらったもので、F-86F時代の塗装のイメージを引き継いでいる。

芦屋基地第13飛行教育団の機体は上空での視認性向上を目的としてT-7と同じく『白地に赤のライン』の塗装であるため「レッドドルフィン」という通称がある[11]。2007年度より飛行教育カリキュラムの改正により、第13飛行教育団のT-4の定数が削減され、一部の機体は浜松基地第1航空団へ移動したが塗装はそのままであり、第1航空団では通常塗装とレッドドルフィンが混在した状態で配備されている。川崎重工の紹介ページでは一時期レッドドルフィンの画像が使われていた。

装備[編集]

翼下と胴体下には計3ヶ所のハードポイントが設定されている。上記の増槽のほか、胴体下のポイントにはトラベルポッド、標的曳航装置、集塵ポッドなどを搭載することができる[1]

なおXT-4では、戦技訓練用として、胴体下に7.62mm口径のミニガンのポッドを搭載できるとされており[3]、1987年には試作2号機を用いて、三沢基地で発射試験が行われた[12]。ただし量産機ではプロビジョンに留まっており[3]、武装せずに運用されている[1]

派生型[編集]

戦技研究仕様機
XT-4
試作機(飛行試験機4機[13]+地上強度試験機2機[13]・後に飛行試験機は量産化改修を経てT-4に編入)
T-4
量産型。航空自衛隊で練習機、連絡機として利用されている。
飛行開発実験団では精密計測用に標準ピトーを搭載した機体が配備されている。
戦技研究仕様機
ブルーインパルスの使用機(3代目)。第11飛行隊創設時は新造機として取得され、現在はそれらの機体が寿命を迎えることに対応するために既存のT-4を戦技研究仕様機に改修した機体の配備が開始されているため、新造機と改修機の2つのタイプの機体が配備されている。書類上は戦技研究仕様機となっているが、公式サイトでは『T-4 ブルーインパルス』と紹介されている[14]ため、俗にブルーインパルス仕様とも称される。またパイロットはドルフィン・ライダーと呼ばれている。
量産型からの改修点は、バードストライク対策としてウインドシールドの強化やHUD透明表示板の材質変更、ラダーリミッタの制限角度変更、低高度警報装置の追加、コックピット内の一部機器追加やレイアウト変更、スモーク発生装置の追加など、低空でのエアロバティックに必要な改修と塗装のみにとどまり、機体構造やエンジンは量産型と同等である。

スペック[編集]

出典: Jackson, Paul (2004). Jane's All the World's Aircraft 2004-2005. Jane's Publishing Company Limited. pp. 329-330. ISBN 978-0710626141. 

諸元

性能

  • 最大速度: マッハ0.907 (560ノット)
  • 巡航速度: マッハ0.75
  • 失速速度: 167 km/h (90ノット)
  • フェリー飛行時航続距離: 1,668 km (900海里) ※増槽2基搭載
  • 航続距離: 1,297 km (700海里) ※機内搭載燃料のみ
  • 実用上昇限度: 14,815 m (48,600 ft)
  • 上昇率: 3,078 m/min (10,100 ft/s)
  • 離陸滑走距離: 655 m (2,150 ft)
  • 着陸滑走距離: 704 m (2,310 ft)
  • 設計寿命:7,500時間

武装

  • 固定武装: なし
お知らせ。 使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

運用史[編集]

MRJに随伴するT-4(2015年11月11日)

量産機の納入は1988年9月より開始され、以後、各飛行隊のT-33A、後にはT-1A/Bも置き換えながら全国へ配備された。15年にわたって量産体制が敷かれ、2003年平成15年)3月6日の最終号機(36-5812)引渡しまでに、量産機は208機、試作XT-4の4機も含めて212機が生産された[1]

1988年9月から引き渡された量産機は、まず浜松基地第1航空団に10機、また整備実習用として第一術科学校に2機が配備された。既にT-33はその前年の1987年より用途廃止機が出はじめていたことから、まずT-4はT-33の代替機として配備されていった。1990年10月には最後のT-33部隊であった第33飛行隊が廃止となり、以後は各航空団で多用途補助機として使われていたT-33を代替していった[2]。またT-2にかわる3代目「ブルーインパルス」としても採用され、1994年8月11日より専用仕様機(戦技研究仕様機)の納入が開始されて、平成7年度から運用を開始した。

そして平成8年度からはT-1A/Bの後継機としての配備も開始され、2001年3月までにT-1の更新を完了した。これにより、従来は基本操縦課程で行われていたT-1からT-4への機種転換教育が不要になったことから、115時間だった課程が80時間に短縮されている。平成17年度以降、T-7の初級操縦課程を経て、T-4の基本操縦課程を終了すると、すぐにF-15やF-2といった戦闘機での訓練に移行する課程となった[2]。また2007年8月からは、戦闘機との橋渡しとして、第1航空団でT-4による戦闘機操縦基礎過程(FTB)教育が開始された[15]

操縦訓練以外の用途としては、ブルーインパルスの曲技機、連絡機の他、2006年10月の北朝鮮による核実験の際に大気中の浮遊塵を採取するため集塵ポッドを搭載、2015年11月11日に行われたMRJ(現:Mitsubishi SpaceJet)の初飛行時にチェイス機として随伴するなど様々な用途に使われている。なお射撃訓練ではF-4やF-15に標的曳航装置を搭載しており標的曳航機としての運用は行われていない。浜松基地には第1術科学校が整備教材として使う機体が存在する。

配備先[編集]

連絡機として使われており、飛行場のある基地には概ね配備されている。

事故[編集]

2000年(平成12年)7月4日、第11飛行隊(ブルーインパルス)所属の2機が松島基地から25kmの牡鹿半島上空でレーダーから消失、金華山に墜落し、乗員3名が死亡した[16]。この年の3月22日には同基地所属のT-2も同空域で墜落しており、至近の女川原発へ衝突する可能性を合わせ、地元自治体や日本共産党などに非難された[17][18]。再発防止策が自治体に受け入れられるまで1年あまり曲技飛行の訓練が凍結された[19]

登場作品[編集]

実写作品[編集]

電車男』(2005年)
最終話に登場、所属は不明であるが航空総隊司令部飛行隊(入間基地)の機体である可能性が高い。
相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』(2008年)
東京ビッグシティマラソンの開会式の際に、ブルーインパルス所属機が登場。
空飛ぶ広報室』(2013年)
原作の小説及びTVドラマに、ブルーインパルス所属機を始めとするT-4が登場。

漫画・アニメーション作品[編集]

青空少女隊
清水としみつの漫画およびオリジナルアニメーション作品。
『レスキューエンジェル』
トミイ大塚の漫画アニメよみがえる空 -RESCUE WINGS-」を原作とする漫画(現、題名・『航空自衛隊小松基地救難隊RESCUE WINGSゼロ』)
アイドル防衛隊ハミングバード
吉岡平の小説およびオリジナルアニメーション作品。
超次元ゲイム ネプテューヌ』(2013年)
同名のコンピューターゲームのTVアニメーション化作品。第3話のコンサートシーンにアクロバット機として登場。「コークスクリュー」や「ヴァーティカルキューピッド」等の展示飛行を行う。

小説[編集]

『ネオ・ゼロ』
鳴海章の小説。
超空自衛隊
富永浩史の小説。偵察飛行中に第二次世界大戦時にタイムスリップしてしまう。そこでソ連軍への偵察に使われ、迎撃に来たMiG-13ドッグファイトを繰り広げる。
わたしのファルコン
夏見正隆の小説。水無月忍が教育課程で搭乗する。
ラブコメ今昔
有川浩の短編小説集のなかの青い衝撃で主人公、相田公江の夫、相田紘二の職業がブルーインパルスのパイロットである。

コンピューターゲーム[編集]

エアロダンシング シリーズ
同シリーズの全ての作品で登場。1作目ではブルーインパルスのパイロットとして、実際にブルーインパルスが演じている科目をプレイヤーが行い、隊長機を目指す。
パイロットになろう! シリーズ
群青の空を越えて
アダルトゲームブランドlight発売のゲーム。訓練機として登場するが、一部シナリオで実戦に投入された。
ぼくは航空管制官シリーズ
ぼくは航空管制官2の小松基地航空祭、ぼくは航空管制官3の百里基地航空祭、中部国際空港セントレアで登場。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この方式はイギリスで最初に実用化されたもので、ホーカー・シドレー ハリアーBAe ホークトーネード IDSで採用されていたが、従来採用されてきたイニシエーター方式のように脱出前のキャノピー投棄を必要としないことから、低空でのクリテイカルな状況下での安全マージンの増加をもたらしており、アメリカ空軍の統計では、イニシエーター方式での成功率は80パーセント台なのに対し、破砕脱出方式では100パーセント近くとされていた[3]
  2. ^ 機内燃料搭載量は、ホークでは450ガロン、アルファジェットでは502ガロンであった[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Jackson 2004, pp. 329-330.
  2. ^ a b c 久野 2006.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 宮本 1985.
  4. ^ a b c d e 技術研究本部 2002, pp. 132-135.
  5. ^ 日本航空宇宙工業会 2003, pp. 41-42.
  6. ^ a b 鷹尾, 磯崎 & 戸田 1990.
  7. ^ 神田 2018, pp. 58-61.
  8. ^ a b 石川 1985.
  9. ^ パイロット育成レポート ウイングマークを目指せ!” (2010年). 2013年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月21日閲覧。
  10. ^ 会社沿革”. 東京計器航空株式会社公式サイト. 2015年11月16日閲覧。
  11. ^ レッドドルフィン15周年記念塗装 - 航空自衛隊
  12. ^ モデルアート 2011, p. 23.
  13. ^ a b 世界航空機年鑑1988 酣燈社 1988年 P110-111
  14. ^ T-4 ブルーインパルス - 航空自衛隊
  15. ^ 神野 2008.
  16. ^ 宮城県環境生活部原子力安全対策室. “原子力だより みやぎ Vol.75(平成12年10月号)”. 2013年4月13日閲覧。
  17. ^ 平成十二年十月十九日提出 松島基地所属の自衛隊機墜落事故等に関する質問主意書 松本善明
  18. ^ 平成十二年十一月十日 衆議院議員松本善明君提出松島基地所属の自衛隊機墜落事故等に関する質問に対する答弁書
  19. ^ 宮城県環境生活部原子力安全対策室. “原子力だより みやぎ Vol.77(平成13年4月号)”. 2013年4月13日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]