T-4 (航空機)

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Flag of the Soviet Union.svg T-4 / T-4

T-4

T-4

T-4(ロシア語:T-4)は、ソ連スホーイ設計局が試作した爆撃機である。当機は機体総重量が100tである事から、«製品100»ロシア語:«Изделие 100»)とも呼ばれ、当機を展示しているモニノ空軍博物館ではSu-100と掲示されている。また、NATOコードネームは無いが、アメリカ国防総省は当機にラム-Hのコードネームを与えていた。

概要[編集]

開発の経緯[編集]

1960年代初期に、スホーイヤコヴレフツポレフの3設計局に対して、マッハ3級の戦略偵察を兼用するミサイル搭載高高度爆撃機の開発要求が出された。各設計局はそれぞれT-4、Yak-33Tu-135の案を提出した。1963年に競合の結果、ヤコヴレフ、ツポレフの案では要求性能を満たせないとしてT-4が選定され、1964年の国家航空機技術委員会の審査をクリアした後は、TsAGIでの風洞実験やSu-7USu-9改造機によって30以上の形態が考案され、1966年には空軍にモックアップが発表された。翌年にモックアップ審査会の審査が行なわれたが、1966年の時点でTMZ(ツシノ機械製作工場)にて飛行1号機(101)と強度試験機(100S)の2機の製造が進められていた。

機体形状[編集]

当機は、従来のアルミニウム合金ではマッハ3における空力加熱の高熱に耐えられないため、それに代わってチタン合金を使用している(ちなみに同じくマッハ3級機であるSR-71もチタン合金、XB-70ステンレス系合金によるハニカム構造MiG-25スチールを主体としてマッハ3に挑んでいる)。機体の操縦にはソ連初のフライ・バイ・ワイヤ(4重の全自動方式)が採用された。燃料はアメリカのJP-7に相当するRG-1と呼ばれる特別な燃料を使用する。機首先端部はTu-144に似た機首下げ機構が搭載されていた。これは、着陸時の視界向上と超音速飛行時の抵抗削減が目的であり、機首上げ状態では前方が全く見えず、計器飛行となった。パイロット用にペリスコープが用意されたものの、使用できるのは600Km/h以下であった(機首下げが可能なのは700km/h以下)。当初からミサイル母機として開発された為爆弾槽は無い。

計画中止[編集]

飛行1号機は1971年に完成し、ジュコウスキー飛行場にて数回の走行試験の後翌年8月2日に初飛行したが、1974年1月22日の10度目の飛行試験をもって計画中止となった。機体自体は細かな問題が発生したものの支障は無く2~6号機の製造も始まっていたが、空軍が要求した1970年から1975年の5ヵ年計画でのT-4 250機発注とMiG-23大量発注が両立できなかった為と、XB-70同様に低空侵攻に移行できないT-4よりTu-22Mを優先した事が原因であった。

派生型[編集]

スペック[編集]

T4.png
  • 全長: 44.5 m
  • 翼幅: 22 m
  • 全高: 11.19 m
  • 翼面積: 295.7 m²
  • 空虚重量: 54,800 kg
  • 通常積載重量: 128,000 kg
  • 最大離陸重量: 136,000 kg
  • 最大速度: 3,200 km/h
  • 上限高度: 20,000 m
  • 航続距離: 6,000 km (増槽無し)

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 世界の傑作機 No.113 Tu-22/22M“ブラインダー”“バックファイア”』文林堂