ジャミロクワイ

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ジャミロクワイ
Jay Kay Jamiroquai.jpg
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル アシッドジャズ
ジャズ・ファンク
ポップ・ミュージック
ロックエレクトロニカ
活動期間 1992年 -
公式サイト www.jamiroquai.com
メンバー ジェイソン・ケイ
デリック・マッケンジー
ソラ・アキンボラ
ロブ・ハリス
マット・ジョンソン
ポール・ターナー
ロレーン・マッキントッシュ
ヘイゼル・フェルナンデス
Valerie Etienne
旧メンバー トビー・スミス
ウォリス・ブキャナン
サイモン・カッツ
スチュワート・ゼンダー
Gavin Dodds
Nick Fyffe
Nick Van Gelder
Darren Galea aka DJ D-Zire
Adrian Revell
Howard Anderson
Winston Rollins
ジョン・サーケル
Simon Carter
Maurizio Ravalico
Dee Lewis

ジャミロクワイ (Jamiroquai) は、イギリスのアーティスト。アシッドジャズの世界では最も成功したグループのひとつ。1992年にデビュー後、インコグニートブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ガリアーノ、コーデュロイ等の1980~年代のロンドンを本拠地とした面々と共に台頭。以降その音楽活動は、ポップ、ソウル、ジャズファンク、ロック、エレクトロニカ等ジャンルを限定しないもので、個性的な音楽的立ち位置を模索してきた。世界中で3500万枚以上の売り上げがある[1]

略歴[編集]

シンガーソングライターのジェイソン・ケイ(ジェイ・ケイ、Jason Kay)がバンドメンバーを集め、1992年にデビュー。アーティスト名はアメリカ・インディアンイロコイ族にちなみ (jam + Iroquois)[2]、バッファローの角が生えた少年のロゴと共に、ケイが考案。レコード会社が契約したのがバンドを除外したケイのみであり、契約上はジャミロクワイという名のソロアーティストである。そのためケイ一人が前面に出てジャミロクワイ自体の責任を負い、当初よりバンドメンバーはケイに雇われる形でバンド形態を成している[3]。ファーストシングルから現在までにすべての楽器パートにおいてメンバーは入れ替わっている。

1987年頃からドラムマシンのみでギグをしていたケイが、最初期曲「Natural Energy」をほんの数枚プレスした1989年の時点で「バッファローマン(日本ではメディシンマンとも呼ばれた)」のロゴは存在し、既にジャミロクワイ構想があったことがうかがえる。ディジリドゥ奏者のウォリス・ブキャナンはその頃から側にいた友人であった。ケイらは発掘したレア・グルーヴで踊る当時のクラブシーンに浸るようになっていた。

1991年、ケイがアシッドジャズ・レコーズに歌のテープを持ちこみ契約に至る。多くの伝聞でブラン・ニュー・ヘヴィーズ(以下BNH)のボーカルオーディションを受けたとされたりしているが、BNHのメンバーはその噂は事実ではないと否定している[4]

そこでは既に界隈でドラマーとして活動していたニック・ヴァン・ゲルダーが紹介され加わるなど、アシッド・ジャズの人脈をあげたバックアップが得られた。BNHメンバーをも含むシーンのミュージシャン達を率いて、ジャイルス・ピーターソン(アシッドジャズ共同創業者)のDJクラブイベントなどでライブやオリジナル曲を披露するようになり、名を上げていった。

デビューするにあたり自前の奏者が必要となり、もともとはアシッド・ハウスで活動していたキーボードのトビー・スミスは1992年パンク・バンド歴のあるベースのスチュアート・ゼンダーはファーストシングルリリース以降のオーディション(1993年)で、それぞれ加入させた形である。

アシッドジャズ・レコーズから1992年にリリースされたファーストシングル「いつになったら気づくんだい (When You Gonna Learn)」はロンドンのクラブシーンに強烈なインパクトをもたらした。結果ジャミロクワイは、新人としては異例のアルバム8作の契約をソニー・ミュージックと結ぶ[5]。そして1993年にファーストアルバム『ジャミロクワイ (Emergency On Planet Earth)』、続く1994年にはセカンドアルバム『スペース・カウボーイの逆襲 (The Return of the Space Cowboy)』をリリースする。

1996年に発売したサード・アルバム『トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ (Travelling Without Moving)』は全世界で700万枚[6]、日本で140万枚[5]を売り上げ、ジャズ・ファンク系バンドのアルバムとしては最大のヒット作となった。最も売れたファンクアルバムとしてのギネス記録、「ヴァーチャル・インサニティ」では米グラミー賞の best pop performance by a duo or group を獲得している。

1999年に4thアルバム『シンクロナイズド(Synkronized)』が発売される。前作の大きな成功の後で立場と権利の不満を表明するメンバーがリリース直前で脱退、そのため録音のやり直しで半年遅れの発売となるなど、波乱を含んだものだった。

それまでレコード会社によるプロデュースを突っぱね自分のバンドを固持してきたケイだが、続く5thアルバム『ファンクオデッセイ(A Funk Odyssey)』(2001年)ではソロアーティストとしてのジャミロクワイが模索された。DJやディジリドゥのパート、アルバムのインストゥルメンタル曲がなくなり、これまでの生のアシッド・ジャズ・バンドサウンドとは異なる新しい電子的な音はフューチャー・ファンク・サウンドのさきがけとなるものであったが、従来からのファンの間では当時、物議をかもした。

盛況のワールドツアーで精力的にライブ活動を行う中、家庭のためトビー・スミスが脱退し、次の6作目『ダイナマイト(Dynamite)』(2005年)ではファーストアルバム時とは全て置き換わったバンドメンバーとのアルバム制作となった。

2006年に初のベストアルバム『ハイ・タイムズ:シングルズ 1992-2006(High Times : Singles 1992-2006)』を発売[7]。オリジナルアルバム6作、ライブDVD1作、そしてこの新曲2曲を含むベスト盤1作の計8作を数え、ソニーBMGとの契約が満了した。その後、ライブ活動はしつつも、ケイがヘリコプター操縦免許を取るなどの充電期間に。

2009年に、ユニバーサルミュージック傘下のマーキュリー・レーベルと契約を結び[8]2010年11月に7作目のアルバム『ロック・ダスト・ライト・スター(Rock Dust Light Star)』を発売[8]。長期に及んだRock Dust Light Starツアーの後、ヴィンテージ・ロックテイストを取り入れた前作とは反転してエレクトロ・ファンク色を強めた8作目『オートマトン(Automaton)』が、2017年に発売された。

2017年10月、作曲における長年の音楽業界への貢献と影響力を讃えられ、当年度のBMI President Awardをジェイ・ケイが受賞している。受賞壇上では自身の結婚を公表し、同年4月に逝去したトビー・スミスに賞を捧げた。

日本での露出[編集]

シングル「ヴァーチャル・インサニティ (Virtual Insanity)」は、2010年日清食品カップヌードル」のテレビCMでも使用されたプロモーションビデオによって日本でも広く知られ、動く床と戯れるように歌うケイの姿が強烈なインパクトを残すもので[9]1997年の米MTV Video Music Awardsで4部門を受賞している(実際には床ではなく壁が動いている)[5]。当楽曲は現在でも人気が高く、2017年10月にはトヨタ自動車カローラフィールダー」のCMソングに起用された。

日本でのテレビ露出は、NHKBSでは初期の来日ライブが放映されるなどしていたが、地上波では1990年代のフジテレビ系子供番組ウゴウゴルーガのEDに採用されたのが初めてになる。1997年ソニーMDイメージキャラクターに起用され[10]、フジテレビの音楽番組「HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP」に出演したり、2004年の6月頃からドワンゴのいろメロミックスのCMに、ケイ自ら所有するフェラーリと共に出演したりした[11]日本文化好きとしても知られ、ロンドン市内のソーホーにあるカラオケラウンジ「ラッキー・ヴォイス」に度々訪れている。

2007年よりカーオーディオメーカー、クラリオンのイメージキャラクターに起用され、ケイが出演するイメージビデオを制作[7]。映像はそのままCMとして日本の他アメリカでも放送され、2008年も引き続き同社のイメージキャラクターとしてCMに出演した[7]

2010年11月24日、プロモーションのために来日。日本テレビ系『スッキリ!!』で生出演し[12]、新宿で開催された「AZUL by moussy」のオープニングレセプションにシークレットゲストとして登場、日本では自身初となるストリートライブを行った[13]

2012年にはサマーソニック出演のため来日。ケイの体調不良のため大阪会場出演がキャンセルされ、東京会場のみの披露となった。

2017年、5月予定の単独日本公演がケイの急性椎間板ヘルニアのためにキャンセルされ、振替公演が9月に日本武道館で敢行された。

バンド編成[編集]

ドラム 初代ニック・ヴァン・ゲルダーが2作目アルバム日本先行シングル曲の「The Kids」までを担当した後、1994年の2作目アルバム作りからはデリック・マッケンジーが担当し、最も長く在籍するメンバーとなっている。パーカッションのソラ・アキンボラもこの頃から参加していて、ほぼコアメンバーである。

キーボード 多くのヒット曲を共作したトビー・スミスに代わり2002年からマット・ジョンソンが加入。人柄や相性を信頼され新たな作曲の相方となっている。ツアー内容によってはツアーサポートメンバーのキーボードが増えることがあり、現在(2017~Automatonツアー)はネイト・ウィリアムズがサブギターも兼任で参加している。

ギター ソニーとの契約以前からギグにおいてBNHのサイモン・バーソロミューなどが担当していた。1作目アルバムからはギャビン・ダッズであり、サイモン・カッツは2作目ツアーから参加。2001年の5作目から担当しているロブ・ハリスは、作曲にも多く関わりギターの存在感を増している。

ベース デビュー以前のライブではニック・タイドマンが弾いていた。ファーストシングル曲「When You Gonna Learn?」はBNHのアンドリュー・レヴィが担当。後任スチュアート・ゼンダーのあと、1999年から2003年までの4~5作目アルバムはニック・ファイフが務め、6作目のツアーと2006年のベストアルバム内新曲からはポール・ターナーが務めている。その間の2005年の6作目『ダイナマイト』は複数のセッションミュージシャンが弾いた。また2作目の曲「Space Cowboy」のアルバムバージョン(=無印。 MVやシングルはstoned again mixバージョンである)は、覆面スタジオミュージシャン「Mr.X」が弾いた。インコグニートのランディ・ホープ・タイラーが正体という説が有力。ジャミロクワイにおいては目立つパートであるが、ケイがベースフレーズごと作曲することが多いためか変遷が多い。

バッキングボーカル 初期ライブはパーカッションのソラが担当したりもしたが、やがて常勤となった3人編成の女声バッキングボーカル。中にはかつてガリアーノのボーカルを務めたヴァレリー・エティエンヌが断続的に参加している。

ホーンセクション サックス、フルート、トランペットなどの3人編成の生のホーン隊は初期の一時期ほぼ固定であったが、今世紀に入ってはツアー内容によりその都度採用。例えばRock Dust Light Starツアーでは入っていたが、Automatonツアーには入っていない。

ストリングス 2010年のノーベル賞コンサートなど、特別な放送用セッションなどの際に共演することがある。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオアルバム
  • 1993年 ジャミロクワイ Emergency on Planet Earth
  • 1994年 スペース・カウボーイの逆襲 The Return of the Space Cowboy
  • 1996年 トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ Travelling Without Moving
  • 1999年 シンクロナイズド Synkronized
  • 2001年 ファンク・オデッセイ A Funk Odyssey
  • 2005年 ダイナマイト Dynamite
  • 2006年 ハイ・タイムス: シングルズ 1992-2006 High Times: Singles 1992-2006(ベスト盤
  • 2010年 ロック・ダスト・ライト・スター Rock Dust Light Star
  • 2017年 オートマトン automaton
DVD
  • 2002年 ライヴ・イン・ヴェローナ Live In Verona
  • 2006年 ハイ・タイムス: シングルズ 1992-2006 High Times: Singles 1992-2006(PV集)
  • 2007年 ライヴ・アット・モントルー 2003 Live At Montreux 2003
Blu-ray
  • 2009年 ライヴ・アット・モントルー 2003 Live At Montreux 2003

フェラーリとの関係[編集]

「ラ フェラーリ」を見るジェイ・ケイ

ボーカルのジェイ・ケイは熱烈な自動車マニア、特にイタリアフェラーリのマニアとしても知られ、1996年の『トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ (Travelling Without Moving)』のジャケットではフェラーリのエンブレムを模したデザインを採用し、フェラーリに対して多額の使用料を支払ったと報じられたほか、『コスミック・ガール』のPVには自らが所有する「F40」と「F355」を登場させた。

さらにその後も「ラ フェラーリ」などの最新の限定モデルを買い足すほか、マラネッロの本社にもたびたび訪問し、フェラーリのオーナーズマガジンへの紙面にも登場している。また2017年9月にマラネッロの同社本社内で行われた同社の70周年記念式典では野外ライブを行った。

脚注[編集]

  1. ^ Jamiroquai sold over 35 million records” (2008年3月17日). 2008年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月19日閲覧。
  2. ^ Greg Prato. “Jamiroquai Biography on Yahoo! Music”. Yahoo! Inc.. 2007年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月1日閲覧。
  3. ^ https://www.standard.co.uk/showbiz/jay-talking-7207521.html (evening standard紙 2005年インタビュー)
  4. ^ “The Brand New Heavies: The 5 Magazine Interview | 5 Magazine” (英語). 5 Magazine. (2012年10月31日). http://5chicago.com/features/brand-new-heavies/ 2018年5月25日閲覧。 
  5. ^ a b c Sony Music Online Japan : ジャミロクワイ : プロフィール”. Sony Music Japan. 2010年9月1日閲覧。
  6. ^ 『ジャミロクワイ・オフィシャルファンクラブ サイト』開設のお知らせ、株式会社Inspired、2005年6月15日付プレスリリース。
  7. ^ a b c Sony Music Online Japan : ジャミロクワイ : インフォメーション”. Sony Music Japan. 2010年9月1日閲覧。
  8. ^ a b “ジャミロクワイ、レーベル移籍し新作リリース決定”. Barks. (2010年8月16日). http://www.barks.jp/news/?id=1000063439 
  9. ^ ジャミロクワイが「腹へった♪」と日本語で歌う日清カップヌードルのCM曲は?”. CDジャーナル. 2010年9月1日閲覧。
  10. ^ Comp & other”. j-love.info. 2010年9月1日閲覧。
  11. ^ UK を代表するアーティスト「ジャミロクワイ」のフロントマン JK が. いろメロミックスTMの新テレビCMに登場 (PDF)”. dwango (2004年6月28日). 2010年9月1日閲覧。
  12. ^ “Twitter / ユニバーサル インターナショナル: ジャミロクワイのジェイ・ケイ、スッキリ生出演、とって ...”. ユニバーサル インターナショナル. (2010年11月24日). http://twitter.com/UNIVERSAL_INTER/status/7256636372557825 
  13. ^ “ジャミロクワイが新宿でストリートライブを敢行!”. hotexpress. (2010年11月25日). http://www.hotexpress.co.jp/news/101125_jamiroquai/ 

外部リンク[編集]